よく理解りませんが、了承りました
全身が映る大きな鏡は、とても高価で、シャデラン家に一枚しか無かった。在処はもちろん姉の部屋。
わたしも掃除のために、何度か入ったことはある。しかし目をそらしていた。小さな鏡でも同じだ。ボサボサで毛玉だらけの髪に、まだらに焼けた醜い肌、可愛くない顔に、ずたぼろの作業着。どの部分が映っても見るに堪えない。
わたしは鏡が嫌いだった。
それが――今、目の前に据えてある。
客室の一角、壁一面が大鏡になっていた。アナスタジアの部屋にあったものよりはるかに大きく、鮮やかである。
そこに一人の女性がいる。
……あれは、誰?
美しい。初めて出会う知らない人――だけどどこか、わたしに似ている。
……これは、誰……。
そうしてぼんやり眺めていると、コツコツ扉がノックされた。返事をすると、ミオが入ってくる。
後ろにキュロス様がいた。その口が開くより早く、わたしはすぐに、頭を下げた。
「キュロス様。先ほどは、たいへんな失礼を致しました」
「んっ――失礼? 何がだ?」
出鼻をくじかれたように、つんのめるキュロス様。
わたしは頭を下げたまま謝罪を重ねる。
「先ほどは突然のことで、取り乱してしまって……申し訳ございませんでした」
「あ、ああ。いや、謝るのはこちらだ。頭を上げてくれマリー」
キュロス様に従って、顔を上げ、視線を合わせる。
途端、彼は顔ごとそっぽを向いた。ああやはりわたしは嫌われている――と思った途端、ミオがキュロス様の足を踏みつけた。
それで彼は悲鳴を上げるわけでも無く、そのまま真顔でこちらを向いた。
「マリー、申し訳ない。俺は君の意思を確認しないまま猛進してしまった」
「……意思、ですか?」
「俺は君が、自分の意思でこの城に来たと思い込んでいたんだ。婚約に同意があってのことだと――勝手に色々と決めつけて、すまなかった」
そう言って、彼は本当に頭を下げた。
……? 何を謝罪しておられるのか、わからない。反応できない私に、彼はさらに言った。
「俺たちには大きな誤解があった。それを解きたい。まず第一に――俺は、マリーを嫌ってなどいない。君を本当に、妻に迎えたいと思っている……」
ああ、とわたしは理解した。そのままの姿勢で、頷いた。
「はい。よろしくお願い致します」
「……えっ?」
素っ頓狂な声を出すキュロス様。後ろでミオも、目を丸くしている。
そうか、誤解ってそのことね。わたしは慌てて弁解した。
「無理だという言葉は、本当に驚いて口をついてでただけで、婚約なんて嫌だとワガママを言ったわけではないのです」
「……えっ。ええと……。……」
「部屋で休ませていただき、冷静になりました。恐縮ながら、これ以上なく光栄です。キュロス様のご厚意に心より感謝を申し上げます」
「マリー様? それは、キュロス様との婚約を了承したということで?」
なぜか黙り込んでしまったキュロス様の代わりに、ミオが確認する。その口調もなんだか覇気が無いというか、拍子抜けしたような感じだった。わたしは三度頷く。
「ええ、もちろん。あまりにも想定外で、驚いてしまったけど」
「待て、想定外というのも変だろう。君は俺の婚約者として、父親に連れてこられたのではないか」
「門前払いになると思っていましたから」
だからあの時、本当に驚いてしまった。
しかし冷静になって考えてみれば、キュロス様の……グラナド伯爵の狙いが分かり、腑に落ちた。
彼はもともと、『シャデラン家の娘』が欲しかったのだ、と。
「姉の嫁ぎ先が決まってから、わたしも少し、卿のことを調べさせていただきました。公爵の位を継ぐために、婚姻をしなくてはいけないこと。それが貴族の娘でなくてはいけないこと。そして女嫌いと噂されるほど、嫁探しに難航していること」
「……。……それは、その通りだが」
「卿ほどの方が、片田舎の貧乏男爵家のバースデーパーティに来られたのもそのためですよね? 貴方はもともと、政略結婚の相手を見繕いにきたのだわ。それがたまたま運良く、美しいアナスタジアだった――」
二人の顔が凍り付く。思わず強い言葉を使ってしまったことを詫び、わたしは続けた。
「不慮の事故により、出来損ないの妹が参りましたが……こんなわたしを、許容して頂きありがたく存じます。身の程はわきまえております。わたしのこと、伯爵様の良いように扱ってくださいませ……」
「ま、待て! まてまて、待ってくれ」
キュロス様が何やら慌てている。ちょっと端的に言いすぎただろうか。でも間違えてはいないはず。確信を持って、「なにか?」と問うと、キュロス様は頭を抱えた。後ろでミオも難しい顔をしている。
「いや、間違えてはいない。合っている。……俺は確かにそのつもりで招待を受け、求婚の手紙を持ってパーティーへ行った。だがそれはもともとマリーへのものだったんだ」
「……?……」
「そしてそれは破いた。一度家に帰ってから改めてアナスタジアに求婚した。それはあの夜、『マリー』と『アナスタジア』を見て気持ちを改めたからだ。だから後に届いた求婚の手紙は、俺の本心だった」
「……。……ええ。分かっています。中庭でわたしと出会ったあと、サロンでアナスタジアと面会をしたのでしょう? そしてアナスタジアを見初めて」
「違う! だから、それが間違えていたんだ」
……? 意味が分からない。
「あああ、ややこしい。ちょっと待ってくれ、仕切り直す……」
「……はい。どうぞ。お待ちしています」
顎を押さえ、その場で停止するキュロス様。わたしたちはそのまま立ち尽くしていた。
そこへ、扉がノックされ、食事の載ったワゴンがやってきた。夕食らしい。
ミオが配膳しながら囁く。
「本来は食堂にご用意するのですが、今日はこちらで、お二人でお話ししながら召し上がってください」
異論はない。キュロス様と向かい合って座った。




