初めての砂浜
砂浜に到着すると、バルトアンデルスの乗組員たちは散会していった。ルハーブは観光地だけど、ディルツ王都のように大きなホテルというものは無いらしい。数人が泊まれる部屋だけの民宿ばかりだから、こうしてバラけて泊まるらしい。
「俺とマリーは二人だけで泊まれるように、馴染みの宿を押さえてある。少し山登りするが、大丈夫か?」
「はい、足腰には自信があるので」
わたしは軽やかな足取りで、ビーチを歩き始め……ようとし、て、うわっ!?
「わわわっ……く、靴が埋まるっ……!」
なにコレ、砂が柔らかい!
いや、砂粒が小さくて細かいのだわ。土の地面とまったく違って、新雪のように柔らかいの。一歩進むごとに躓いて、ぐらぐらしてしまうわたしを、キュロス様が手を繋いで支えてくれる。
「そうかマリー、砂浜を歩くのは初めてだったか」
「は、はい。海辺の砂って、川の砂利とは全然違うのですねっ?」
「ヒールで来たのは失敗だったな。俺はブーツだから暑いだけだが……」
そう言いながら、彼は何かを探すようにキョロキョロ顔を動かした。やがてピタリと視線を止め、どこか一点を見つめている。
わたしも、彼の視線の方向を追ってみると……。
ルハーブ島の住人だろう、若い女性達が、下着同然で水遊びをしていた。
きらきら光る水しぶきに、眩しく輝く肌。揺れる谷間と剝き出しの足……彼女達がキャッキャとはしゃいでいるのを、キュロス様はじっと見つめている。
「……えいっ」
わたしは人差し指で、彼の脇腹を強めに突いた。
「おふっ!?」
「もう、何見てるんですか。わたしという婚約者がありながら、不埒です」
キュロス様は痛みよりも不意打ちの驚きで跳ねてから、慌てて弁解を始めた。
「ご、誤解だっ。ただマリーの格好がこの島では動きづらそうだから、出店でもないかなときょろきょろして、そしたら涼しそうな格好をしている人がいたからイイナァあれどこで売ってるんだろうかとか思って、それ以外の何でもないぞ!?」
「そんなに必死で言い訳されるとさらに怪しいです」
「怪しくないっ!」
ぶるんぶるん首を振るキュロス様。わたしは「どうかしら」などと嘯き背を向け歩き出す。
慌てて追いかけてくる彼に、わたしは笑顔で振り向いた。
「冗談です。拗ねたふりして、ちょっとからかってみただけ」
「ほ、本当か? 本当にふりだけか?」
心臓が痛むらしい、胸を抑えて呻くキュロス様。そんなに焦るなんて、本当はちょっと目を奪われたんじゃないかとも思ったけど、もしそうだったとしても怒りはしない。こうした男性の視線はあくまで本能、不安になる必要はないと、湯番のチュニカから聞いている。いちいち激怒するよりも、軽くつねってやるくらいがちょうどいいって。
「本当に冗談です。あなたはわたしだけを見ていてくれるって、信じてるもの」
わたしは笑って言った。
浜には彼女たち以外にも多くの島民や観光客がいて、みな一様に、涼しそうな薄着だった。常夏の島では、あの露出度が普段着なのだろう。中にはお腹や足の付け根まで丸出しの人もいて、同性でも目のやり場に困るほど。
「島民は普段着だが、観光客のは水着だな」
「水着……というと、水遊びをする専用の衣服、ですよね」
「初めて見るか? まあディルツには水遊びの習慣自体が無いからな」
キュロス様が解説してくれた。
「水着が生まれたのはごく近年、縫製技術革命で、いろんな素材とデザインの服が世界に出回り始めてからだ。赤道直下の国ではかなり出回ってるんだが、ディルツでは売れないので、グラナド商会では取り扱ってない」
「ディルツは夏でも涼しいですしね。そうでなくても、人前であの露出度は、私もちょっと……」
言いかけたところで、半裸の男性が目の前を横切り、わたしは慌てて目隠しした。ディルツでは男女ともに、あんなに肌を出して歩くことはない。
はあ、視界に入るだけでドキドキしてしまうわ。
だけどこれから丸一日以上、この島に滞在するのだ。この光景にも慣れていかないと。
キュロス様の手を借りながら、どうにか砂浜を脱出すると、小さな露店を見つけた。そこで歩きやすそうなサンダルを発見。ついでに涼しそうな服を、二泊三日分と、お土産用で合計五着お買い上げ。水着も売っていたけど、それはさすがに辞退した。
店内に更衣室があったので、さっそく着替えさせてもらった。
柔らかなコットン生地に、ルハーブの花が大きく描かれたワンピース、山羊の革と布を編みこんだ、白いサンダル。ついでに大きな日よけ帽子を被って、キュロス様のもとへと戻る。
「どうかしら?」
「うん、素晴らしく可愛い」
彼は大きな拍手をくれた。
島に来てすぐ現地の服に着替えるなんて、完全におのぼりさんだわ……と、ちょっと恥ずかしく思った――けど。
宿に向かう道を歩き始めて、この選択が大正解だったと気付く。
常夏の島は、当たり前だけど、暑かった!
「大丈夫かマリー、この気温は初体験だよな?」
「そ、そうですね……生まれてから一度だけ、異常気象で、こんな夏があったかどうか……」
「無理をするなよ、宿には夜までに着けばいい。ゆっくり休憩しながら行こう」
彼に言われて、わたしはこれから進む道……延々と続く階段を見上げた。
キュロス様いわく、宿は浜を見下ろす岩山の上にあるらしい。
と言っても勾配自体は緩やかで、地面は踏み固められているので危険はない。所々は石畳の階段になっていて、歩きやすいよう整備の手が入っていた。この暑さがなければさほど辛い行程ではない――この暑さがなければ、だけど。
それでもなぜかそのうちに、暑さも気にならなくなってきた。どうやらこの岩壁がわずかに湿ってひんやりしているおかげらしい。
「……岩山沿いは涼しいのね。洞窟の中に家が建てられているのも、そのせいかしら」
わたしのひとりごとに、キュロス様はすぐに回答をくれた。
「そう。それにこの石清水がほどよく湿度を生み出し、島の乾燥した空気を潤してくれる。住居の中は、この見た目よりずっと過ごしやすいぞ」
「へえ……」
わたしは感心しながら、岩壁にそっと触れてみた。確かに、ひんやりしていて気持ちいい。
岩壁をくりぬいて作った空間に、嵌め込んだみたいに並ぶ住宅。でも暑苦しい雰囲気は全然なくて、むしろすごくお洒落な感じなの。外壁は目が覚めるような純白、屋根や軒などはオレンジで統一され、さらに色とりどりの花が植えられている。視界は常に明るく、鮮やかだった。
「美しい街……。大自然と人間が争うことなく、一緒に暮らしているのね」
そんな話をしながら、階段を昇っていくことしばし。
軽く呼気が乱れてきたころ、突然、視界が開けた。岩山の中腹くらいに、ちょっとしたスポーツくらいなら出来そうな平地が広がっている。青々とした芝と花壇は、明らかに人の手で整備されている。素朴だけど、これって庭園だわ。
「着いた。あの建物が『テンダーさんのお宿』だ」
キュロス様が指さした先には、やはり純白の、大きな平屋が建っていた。ここまでに見てきた民家と、基本的な造りは同じらしい、綺麗な四角形の住居だ。
可愛らしい宿だなあと思いつつ、あたりを見回して――ふと目に留まった物に、わたしは声を跳ね上げた。
「キュロス様! あれってハンモックですよね!?」
そう、建物のすぐ傍らに、ハンモックらしき物があったのだ! 縦長の大きな布の、両端を太い木の幹に括り付けたものが、二つも。木陰になっているしそばには荷物置きらしいバスケットがあるし、もしかすると、そういうこと!?
キュロス様も発見すると、あー、と軽い声を上げた。
「確かに、ハンモックベッドだな。ディルツではちょっと見かけないやつ」
「ということはわたし達、今夜はハンモックで眠れるの!?」
恥ずかしいくらい、わたしは興奮していた。だってハンモックよ? テンションが上がらないわけがない。屋外のハンモックで夜空を見上げながら眠るなんて、全人類の夢でしょう!?
わくわくしながら答えを待つわたしに、キュロス様は気まずそうに、頭を掻いた。
「……ええと……全力で期待されているところを心苦しいが……。あれはたぶん、宿屋の家族の昼寝用で。ちゃんと屋根と壁のある客室がある宿だよ。もちろん、普通のベッドも……」
「……そ……そうですか…………」
わたしはがっくりと肩を落とす。
キュロス様は「なんかごめん」と言いながら、わたしの頭をなでなでしてくれた。




