ルハーブ島の少年【後編】
「うん、ただいま」
そう言って、白馬から降りてきたのは、馬よりも白い人間だった。
どうやら彼も騎士団の一人らしい。鉄の騎士が緊張して畏まったのに対して、ルイフォンと呼ばれた男は飄々としていた。同時に、キラキラしていた。
髪の色が真っ白でキラキラ、肌の色が指先まで真っ白でキラキラ、やはり白い睫毛に縁どられた水色の目もやっぱりキラキラしている。細長い体型に女性のように綺麗な顔立ちで、年齢も二十歳すぎ程度に見える。対して鎧の騎士は、彼よりも一回りは年上に見えた。それなのにこの力関係。
――ということは……この人きっと、すごく強いんだろうな!
「――ふうん? 外国人が、ディルツの騎士にね……」
騎士から僕たちのことを聞いたルイフォン。
僕を上から下まで眺め、それから少したしなめるように鎧の騎士に目をやった。
「それはそうとして、砦を訪ねてきた人間を、門前払いはよくないよ。相手が国民でも外国人でも、ひとまず事情を聴くべきだ。知らないことは教えてあげればいい」
「あ……はい。失礼しました……」
「謝るのは僕じゃなくて彼らと国民にだな。権威で民を制圧するのは軍隊の仕事だ、僕たち騎士は、頼れる街のおまわりさんでいようよ」
「も、申し訳ありません! 今後二度とこのようなことがないよう努めますっ!」
背筋を伸ばし、胸を拳で叩く騎士。
「ハイ! ハイ! はいはいはいっ!」
彼らの会話を遮って僕は手を挙げた。
「あなたはこの騎士団でいちばん偉い人なのか? だったら僕たちを騎士にしてくれ!」
「こ、こらおまえ達っなんて口の利き方を! そうでなくてもこの方は、おまえ達が話しかけていいような身分では」
「大丈夫、彼らは何も失礼なことをしていない」
何か言いかけた騎士を、ルイフォンは穏やかに制した。
「言葉の訛りが純粋なスフェイン語じゃないね。スフェインは戦時中、大陸の僻地から近海の孤島に至るまで片っ端から侵略、占領していった。国とも呼べない小さな集落だと王侯貴族制度自体が無いこともあるし、突然偏った言語統制をされたせいで、敬語表現が伝わっていない場合も多い。彼らの故郷もその口だろう」
「……え?」
疑問符は弟のアダムが零した。僕は彼が何を言っているのかもわからなかった。知らない単語ばかりだった。
ルイフォンは、きょとんとしている僕たちに詳しい説明はくれなかったけど、代わりにニッコリと笑った。
「現在ディルツ領でスフェイン語使用、貴族制度が届いていない地方というと群島諸国のさらに南、ルハーブ島あたりかな? 遠いところからようこそ、ディルツ王都へ」
「あ……う、うん」
「島と違って本国は冷えるだろう? 今夜の宿と、演習用の暖かいマントを提供しよう。明日になったら職業斡旋所へ行ってみるといい、その日のうちに、スフェイン語が使える店に派遣してもらえるよ」
恩着せがましさを感じない、さらっとした口調で、ものすごく優しいことを言う。僕は弟と顔を見合わせ、共に頷いた。二人でルイフォンに向き直り、
「あ――あの! ここで働かせてください!」
「それはだめ」
あっさりと返される。
ずっこける僕たちを見て、ルイフォンは苦笑いをした。
「ごめんね。いつかは平民出身でも実力次第で入団可能、ってしたいと思ってるんだけど。……あの『鉄面皮』が王太子でいる限り、無理だろうなあ……」
「じゃ、じゃあその下の兵隊とか……門番とか」
粘る僕に、やはり首を振る。
「騎士団はコックやランドリーメイドに至るまで貴族の子息だよ。五十年前なら傭兵っていう雇用枠があったけどねえ。戦争が終わった今、門番だってただの受付――」
と――話している途中で、ルイフォンはふと言葉を止めた。視線を宙にやり、一人でぶつぶつ呟き始める。
「待てよ、門番……そう言えばキュロス君、感じ悪い門番を一人クビにしたと言っていたな。……その点、人当たりだけはよさそうだし」
キュロス君?
「あそこならディルツ語が喋れなくても何か仕事はあるだろう。……うん、ちょうどいいぞこれ」
そこまで言って、彼は突然、ニヤリと笑った。
その微笑みは何か……今までの優しいにこにこ笑顔とは違っていて……。
控えめに言って、酷く意地悪そうだった。
「君たち、騎士に憧れるくらいだから、『お城勤め』って興味あるよね? ちょうど君たちを紹介したい面白――もとい、素敵な職場があるんだけど、どうかな?」
それから。
僕達はルイフォンの馬車に詰め込まれ、王都の舗装道路をひた走ること数刻。すっかり日が暮れた頃、突然放り出された。
下ろされた場所は、これまた見たことのない巨大な建物だった。石造りの古城で、城門は騎士団の砦にも勝るとも劣らないほどに高い。
「こ、ここは……?」
僕の問いには答えず、ルイフォンはさっさと勝手知ったる他人の家とばかりに、前へ進む。
意外にも、門扉が開きっぱなしだ。不用心だな――と思ったら、鉄の扉の代わりに、人間が一人立っていた。
……女の子だ。年齢はたぶん、二十歳くらい。小柄で、大きな三つ編みをしている。容姿の特徴は――客観的に、普通に可愛い。だがその目つきは氷のように冷たかった。
いや、その視線は僕にではなく、ひらひらと手を振るルイフォンに向けられていた。
「なんですか、ルイフォン様。こんな夜遅くに……旦那様なら留守ですよ」
「おやそうかい、それは残念」
ちっとも残念そうでない口調で言うルイフォン。どうやら二人は知り合いらしい。あまり仲良さそうには見えないけど。
「でも大丈夫、今日はどちらかと言うとミオちゃんに用があって来た」
「……なおさら出直してください。先日、夜の門番が一人辞めてしまい見ての通り私が駆り出されています。あなたのお相手は出来ません」
「そうそれ!」
冷たくあしらわれたのに、ルイフォンは変わらずニコニコしている。
「その辞めた門番の新戦力。っていうかこの城って慢性的な人手不足でしょ? 彼ら二人、まとめて雇ってあげてよ」
「はぁ?」
兄弟喧嘩してるチビたちを見る母親みたいな、呆れた声を出す女の子――ミオ?
「……グラナド城を訪ねてくるのは、グラナド商会の商談相手です。外国からの行商人も多い。ディルツ至上主義の貴族が、受付でふんぞり返られては困りますね」
「それこそ、まさに彼らは適任だよ」
ルイフォンは僕らの肩を掴み、ミオの前に押し出した。
「見なよこのディボモフ君の顔! どこからどう見ても人畜無害、田舎から出てきた純朴なボウヤだ。彼に対応されて気を悪くするやつはいないよ」
「……。確かに、それはその通りだと思いますが……彼はいくつです? こんな子供に相手されては、逆に失礼になるのでは?」
むっ。そこまで言われると、僕だって腹が立つ。
今日一日、田舎者だのボウヤだの言われているけど、僕は六人兄弟の長男、家業の民宿も手伝っていたし、誰よりも働いていた。高いヤシの木から実を捥ぎ取るのも早かったし、大きな魚を一本釣りするのも得意だ。山道の多いルハーブで暮らしていれば、足腰も鍛えられている。騎士になれないのは仕方がないとしても、それでもこんな女の子に子供と言われる覚えはないぞ。
僕の不満そうな顔を見て取ったのかルイフォンが面白そうな顔をした。
「年齢は、見習いとして働いてるうちに育つでしょ。どのみちディルツ語を教え込まなきゃいけないし、名前だって、ディルツ人に通る通名が必要だ」
「現時点で役立たずの子供を、優しく育てる余裕はありません。私は乳母ではないのですから」
「いや彼ら、騎士を目指して来たくらいだからイッパシの男、力自慢だと思うよ。城塞の守衛としては戦闘力だってあったほうがいいじゃないか」
「……それこそ、とても役に立ちそうには見えませんが」
「人は見かけによらないって、他ならぬミオちゃんが一番よくわかっているでしょ」
ミオは無言になった。何か思い当たるところがあるらしい。
口元に指をあて、悩むしぐさをして……ふむ、と頷いた。
「では、お手並み拝見しましょうか。この私と勝負をして、拳一発でも当てることが出来れば雇用する、ということで」
「……しょうぶ?」
何の話だろう? 僕はまだ、ディルツ語を完璧に聞き取れているとは言い難い。通訳を期待してルイフォンを見ると、「待ってました」と大喜びしている。その横のアダムを見ると、こちらは何か、不機嫌な顔をしていた。剣呑な目でミオを睨みつけ、犬歯を向いている。
「おい、メチャクチャを言うなよ。女を本気で殴れるわけがないだろう」
「……勝負の前から言い訳ですか? 『負けたのは本気じゃなかったからだ』と」
「な――なにをっ」
「では、腕相撲にしましょうか。純粋な腕力の作用が大きくなるぶん、そちらのほうが有利です。そっちの、お兄さんのほう――私と勝負をして勝てば、旦那様の専属護衛にして差し上げますよ」
旦那様という人の名前を僕は知らないが、この城で一番偉い人と言うとおそらく大貴族だろう。
状況は未だによくわかってなかったけど、とにかくまたとない大きなチャンスを与えられていることだけはわかった。
僕は両手の拳を打ち合わせ、肩を回して、気合を入れる。
「分かったぞ! とにかくこの、女の子と力比べをすれば、この城の騎士になれるんだな?」
「騎士ではないし、力比べをするだけではなく勝ったらですが……まぁ、そういうことです」
彼女は、にっこり笑った。
……別に何もおかしな表情ではない、可愛らしい笑顔だ。だがなぜか、背中に冷たい汗が浮かんだ。
さっきまで膨らんでいた威勢とかやる気とかいうものが、くったりと音を立てて萎れていく感覚。
……なんだろうこれ。森を歩いていて、毒蛇と目が合った時に似ている。
ええと…………。
「よぉし、やっちまえディボモフ兄ィ! あんな小さな女の子に兄貴が敗けるわけないしな」
アダムが不敵に笑い僕の背中を叩いてくる。
……どうしよう。なんかすごく嫌な予感がする。彼女のそばに近づきたくない。
しり込みしている僕を見て、彼女は「ほう」と、初めて感心するような声を漏らした。
「危険への勘はよく働くようですね。これは門番に期待できるかもしれません」
腕をまくる。メイド服の下から出てきた彼女の腕は、なんか思っていたよりも、こう……太くて。形も、もりっ、としていて。
鉄で出来ているかのように、かたそうだった。
「こちらも本気を出してあげましょう」
そして。
この一年後、僕はこのグラナド城の門番になった。
言い換えると、門番として雇ってもらえたのはこの一年後のことだった。
それまでは弟と一緒に、ただの下働き。ランドリーメイドと一緒に洗濯したり、庭園の草むしりや掃除、買い出し、その他もろもろ小間使い。衣食住だけ与えられ、無給で果てしなくこき使われた。
正式に城の侍従に採用され、給料がもらえたのが一年後。弟は3ヶ月目には厩番の職に付いたけど、僕は弟よりもずいぶん遅れた。
ディルツ語が話せなかったから……じゃない。お喋りなランドリーメイド達に囲まれ様々な雑用に使いっ走りになっていたおかげで、僕のディルツ語はめきめき上達して、日常会話なら問題なく話せるようになっていた。
それでも一年かかったのは、ただ単にケガのせい………あの腕相撲で、肘を痛めたからである。
「無事に完治して良かったじゃないですか、トマス」
加害者、もとい現在の上司であるミオ様が、僕の新しい名前を呼ぶ。
「頼りにしていますよ。グラナド城の門番として……あなたの愛想の良さは才能です。私のかわりに、せいぜい来客を快くお迎えよろしくお願いいたします」
僕はいつもの門前で、ハイと元気に返事した。




