ルハーブ島の少年【前編】
青い空! 白い雲!
人生で体験したことが無い極寒の気候っ!!
「寒いっ!! ディルツの王都って、こんなに寒い街だったのかっ!」
僕はレンガの門の前で大きな声をあげた。
直後、すぐ背後でチッと舌を鳴らす音がする。
「うるせえな。ルハーブなまりのスフェイン語丸出しで喋ったら、田舎者と馬鹿にされるだろうが、ディボモフ兄ィ」
むっ。僕は頬を膨らまして振り返った。
そこにいたのはアダム――仏頂面で腕を組んだ、二歳年下の弟である。
「なんだよ、おまえだってまだまだ完璧に話せないだろ」
「日常会話は問題ない。自分の名前くらいしか言えない兄貴に言われる筋合いはないね。島にいる間も船旅の間も、あれだけみっちり練習したのに」
「うっ。いや……僕は……いいんだよスフェイン語が気に入ってるんだから」
とりあえず捨て台詞のようなものでごまかして、僕は口ごもった。スフェイン語は、僕らの故郷ルハーブ島の公共語だ。ルハーブは一応、ディルツの国領ではあるけど、スフェインの統治下にいた年月が長いせいでディルツ語はほとんど広まっていない。島の少年で話せるのはアダムくらいのものだろう。
6人兄弟の中で、ひとりだけよく勉強ができるのがアダムだった。口では絶対こいつに勝てない。体力だったら負けないけど。
そんなことより――。
僕は改めて、巨大な門に向き直る。
……ここはディルツ王国の王都、騎士団の砦だ。ここを訪ねるためだけに、僕らは船賃を貯めルハーブを出て、ディルツ王都にやってきたのである。
「これで、今日から僕もディルツの騎士か。ようし、がんばるぞ!」
「おいおい、また申し込みもしてないじゃないか」
弟が肩をすくめる。
「都会に就職するって言うのは、ルハーブ島で観光客相手にガイドして小遣い稼ぎするのとは違うんだ。やります! どうぞ! じゃなく、ちゃんと正規の手続きを踏んで契約ってのをしなくちゃいけない」
「なに? 面倒くさいな。具体的にどうすればいいんだ?」
「雑用下働きなら、職業ギルドっていうのがあるらしいけど……騎士になるためには、この国で一番目だか二番目だかに偉い人に許可をもらわなきゃいけないらしいぞ。何でも叙任式とかなんとか、ややこしい儀式もあるそうだ」
「儀式……なんだろう、島の大漁祭りみたいなものか?」
「どちらかというと結婚式とか葬式みたいなものじゃないかな」
「なるほど。もうちょっといい服を買ってから来た方が良かったかな」
僕は聞くと、弟はさもありなんと頷いた。
「そうだろう、なにせ国で一番目か二番目に偉い人に会うんだからな。船旅から降りたままの埃っぽい格好じゃ門前払いかもしれない」
「ううむ、そうなったら良くないな……でもまあとりあえず聞いてみよう」
僕は石床の階段を上った。騎士団の砦は、岩山ほどありそうな巨大な施設のようだった。レンガ造りの壁はヤシの木くらい高くて、とてもよじ登れそうにない。
階段を上った先には、これまた巨大な扉がある。僕はとりあえず、その扉をノックしてみた。
「たのもーっ!」
……と、とりあえず叫んでは見たけれど。僕の身長よりも遥かに大きくて、分厚く、硬そうな木でできた扉である。僕の拳でたたいた程度のノックで、中に住んでるひとは聞こえるのだろうか?
すると、扉のすぐ横にあった、鎧の置物がガチャリと動いた。
「なんだ坊主、さっきから何やら話をしていると思ったらこの砦に用だったのか」
生きた人間だった! そしてディルツ語だ。僕はなんとか聞き取れはするけれど、返事が出来ない。
代わりに、後ろの弟が前に出た。
「ああそうだ、おれたちは騎士になりに来た。中に入れてくれ。そして叙任式とやらをやってほしいんだ」
鎧の騎士はきょとんとした。それからずいぶん長い間考え込んで、やがてハハハッと大声で笑った。
「馬鹿を言うな、一昨日来やがれ」
と、まるでハエでも払うようにしっしっと追い払われる。……僕と弟は顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
「……ふむ。服が汚いから、洗濯して出直して来いってことじゃないかな」
弟がそう言ったので、僕はポンと手を打った。
「でも、王都で洗濯ってどこでやるんだろう。洗うのは運河を使うとして、干す場所は?」
「そもそもおれたち不潔ではないぞ、これは島を出る前に新しく買ったばかりの服だし」
階段の下でしばらく相談し、僕たちは「よし」と首を縦に振る。
「新しい服を買おう!」
「そうだな。さて、市場ってどこだろう」
二時間ほどのち。
「たのもうー」
僕たちは再び騎士団の扉の前にいた。先程と同じ、鋼鉄鎧の騎士が再び僕たちの前に立ちふさがる。
「何だおまえたち、また来たのか。今度は何の用だ」
「きれいな服を着替えて来たぞ! ついでに風呂にも入ってきた」
「はあ?」
騎士が不機嫌な声を上げ――直後、またポイっと捨てられた。
階段の下、地面に突っ伏したまま。僕たちは顔を見合わせてる。
「……なんでだろ? また追い出されたな」
「さあ……? この服ではまだ安物すぎたのかもしれない。だがこれ以上は無理だな、ディルツは物価が高い、この服一着でルハーブならボートが買えるよ」
「風呂もだ、何で水を使うのにお金がかかるんだ? 意味がわからん。雨が降れば溜まるし海で体を洗えばタダなのに」
「ディルツは海が遠いからだろう。汲んでくるのに手間がかかるんだよきっと、手間賃というやつだ」
おおさすが我が弟、賢い。
僕の故郷ルハーブにも貨幣制度はあったが、それは物の売り買いをするときだけで、「賃金」という概念はほとんどなかった。お金は物々交換の間をつなぐものだと思っているし、無ければ海で獲った魚でもフルーツでも、大切にしているオモチャでも払える。
ところがディルツ王都では物々交換ってのはほとんど無理で、とにかく金を払えと言われるのだ。
どうしてもというなら質屋で売って金にして、その金でまた買いに来いって。なんでそんな二度手間をかけるんだろう? ディルツ都民は暇なんだな。
「しかし、どうしよう。騎士になって給料もらうつもりだったから、もうそんなに手持ちがない。これ以上の出費は無理だ。せめて宿代だけでも残しておかないと……」
たしかにアダムの言う通りだ。仕事が決まるまでは野宿するつもりでいたけど、この国の冬は寒すぎる。いつでも海水浴が出来るルハーブ島とは違い、ディルツは一年のうち大体の日が寒いらしい。なんなら昼間の今でも死にそうだ。
「これ以上綺麗な服なんて買えない。何か別の手段で中にいれてもらわないとな」
「……そういえば、西洋大陸の偉いひとたちの間ではカーテシーってのが行われるらしい。なんかこう、丁寧なお辞儀だな」
「お辞儀か、なるほどルハーブにはない発想だ。それで僕たち失礼な奴だと思われたのかもしれない」
「とはいえ、さすがのおれもお辞儀の練習はしたことがないな……たしか本で読んだのは、こう……スカートをつまんで……」
「僕たちスカート穿いてないよ。男性はどうするんだ」
「チュニックの裾でいいんじゃないか? それでこう、足をクロスさせてだな」
僕たちはその場で色々と、日が暮れるまでお辞儀の練習をし続けた。
そして。
「たのもー!」
声を上げると、その騎士は今度は不機嫌な顔はしなかった。冷たくあしらいもしなかった。
むしろ苦笑いして、嘆息しながら迎えてくれる。
「……また来ると思ったよ」
「お辞儀の練習をみっちりやってきた。 見てろよ、おれ達の完璧なカーテシーを」
「うん、まあ、もう見た。というか見えていた。目の前でやってたし」
おおっ、ということはやっと僕たち、中にはいれるんだな?
僕は弟と顔を見合わせ、手を叩いて健闘を讃え合う。だが鎧の騎士は首を振った。
「あのなぁ坊主たち……。いや俺が悪かったよ。当たり前に知っていることだろうからと、わざわざ説明する必要もないと思っていた。てっきりお前たちがからかっていると思っていたんだ。二人の時はスフェイン語で話しているあたり、おまえたち、外国人だったんだな……」
ルハーブは一応、現在ディルツ国領ではある。だけど長い間スフェインに統治されていたので、言語はスフェイン語だし、文化もそちらに近いから、ディルツ人という感覚は僕たちにもディルツ人にもないだろう。
僕たちが頷くと、騎士は眉を垂らした。
「だったら、これからは自国の言葉で良いぞ。貴族ならば全員フラリア語が話せる。スフェイン語はほとんどフラリア語と同じだから、会話に支障はないだろう」
と、やたらと訛ったスフェイン語で――いや、フラリア語? でそう言った。
少なくともディルツ語よりは聴き取りやすいし、こちらもスフェイン語でいいならありがたい。
「うん、僕たちはルハーブ島から来たんだ。ディルツの騎士団に入りたくて」
「そうかそうか……わかった。こちらが不親切だったな。じゃあ説明してあげよう」
鎧の騎士は、うんうん頷いて、やがてもったいぶった口調でこう言った。
「騎士は、貴族じゃないとなれないんだよ」
「貴族?」
僕とアダムは同時に首を傾げた。
貴族……ってなんだったっけ。確か、偉い人たちをそう言った気がする。ルハーブ島で偉い人といえば島長だけだ。貴族というのはその兄弟みたいなものかな? 島長のところの孫とは、遠泳競争をするくらい普通に仲がいいんだけど……。
「――と言っても、例外はある。騎士爵という称号なら、生まれた家に関わらず与えられる名誉称号だ。たとえば戦争で敵将の首級を取ったり、科学や医学、なんらかの分野で大きな成果を上げたり――王族に個人的に気に入られ与えられた例もあったな。まあ要するに、国に貢献をしたらご褒美としてもらえるってことだ。しかし今この国はどことも戦争してないし、科学の発展も日々著しい。平民から騎士爵が与えられる機会はなかなかないだろう」
…………言語は通じているはずなのに、ほとんどの単語の意味が分からない。
隣のアダムも僕と同じような表情をしていた。どうやらディルツ王都民と僕達ルハーブの民の間には、どうにも越えられない、理解の壁があるようだ。
僕たちの表情を見て、騎士は本気で困惑の表情になった。
「何だおまえ達、本当に何もわからないのか。ルハーブってのは一体どんなド田舎だ? とにかく無理なものは無理だ。諦めて故郷に帰るか、市場で普通の仕事でも探せ」
……。
騎士の言っていることは……難しくてよくわからなかったけど……。
とにかく僕たちには無理だということは、なんとなく分かった。
ええと……どうしよう?
その時だった。
「やあ、何の騒ぎだい?」
と、柔らかく、やけに甘く涼やかな、男の声がした。
鉄の騎士がはっと顔を上げる。
「ルイフォン様! お帰りなさいませ」




