俺はマリーを娶りたい 後編
振り払われてから、俺はもちろん彼女を追った。しかしシャデラン邸は広く複雑で、闇の中に見失ってしまった。
仕方なくパーティー会場、メインフロアのほうを訪ねた。そして愕然とした。
シャデラン夫妻が笑っている。酒も入り、すっかり出来上がっている様子。その衣装は豪華絢爛……あの灰色の服とは比べものにならないほど高価だろう。
困惑しながら、俺は男爵に尋ねた。
「ご令嬢を探している。今どちらに?」
「ひっく。れいじょう? うちの娘ですかぁ?」
「ああ、話がしたいんだ。ご令嬢に会わせてもらえないか」
「会わせるもなにも、本日の主役ならあっちにいますよ! どぉぞ卿、うちの娘を嫁にもらっちゃってくださぁーい」
言いながら、グラスをあおる男爵。すかさずどこぞの婿候補がボトルを持って群がり、グラスを満たす。高級貴族の酌に気を良くしたか、男爵はまたグビグビ喉を鳴らして飲んでいた。「あらやだ貴方、飲み過ぎよぉ」と笑いながら、夫人もお菓子を貪っていた。
男爵に言われたとおり、令嬢を探した。果たしてそこには貴族の女がいた。
飾り編みをした金髪にフリル付きのピンクドレスで、男達に囲まれている。『彼女』より一回り小柄、年も二つ三つは若そうな少女だった。
その表情は、一言で言って困惑、そして愛想笑い。嫌悪すらしているのに、とりあえずその場を凌ごうとしている。薄っぺらい微笑みだ。社交界での、つまらない女達と同じ顔。
あれが、本日の『主役』……マリー・シャデランか。どうでもいい。
俺は会場を出て、再び庭園を探し回った。ミオに頼み、女性用の更衣室や厠まで探し尽くした。だが居ない。
……なんだこれ?
泥酔している父親、暴食の母親。
妹が着飾るのはまあいい、自分の誕生日だから普通のことだ。
だが姉の格好は引き立て役にしてもやり過ぎだ。あのびくびくとした態度も意味が分からない。
『彼女』は今どこだ。なぜここにいない。
主役の妹ほどではなくても、それなりに着飾り、美味しいものを飲んで食べて、笑っているべき娘ではないのか――
なぜ?
――わたしは、可愛くないから――
「――ふざけるなっ!」
俺は激昂した。
マリー・シャデランに贈るつもりだった、求婚の手紙を破り捨てた。
実姉を陰で泣かせたまま、婚活にいそしむ美女などくそくらえだ。
「滅びろ、こんな家!」
とてもひとには聞かせられない罵詈雑言を吐き、ミオに叱られて口をつぐみ、そのまま馬車へ乗り込んだ。
伯爵城へ戻ってすぐ、筆をとる。
あの日、パーティーの脇役だった『彼女』……アナスタジアを、妻に迎えたい、と。
長身の『彼女』に似合いそうなドレスを見繕い、早急に取り集めた財宝を山ほど積んで、シャデラン家へ走らせた。
「是非よろしく、喜んで」――その返事はすぐに来た。
俺は有頂天になった。男爵夫妻やその妹への怒りも吹き飛んで、これから親戚になる彼らに良くしてやりたいとすら思った。
「やった……あの娘が、アナスタジアがうちに来る。やったぞ!」
準備ができ次第、『彼女』が、この城へやってくる。
それからは大忙しだった。
貴族同士の婚約は、父母の承認が無くてはいけない。
情けないようだが仕方がない、貴族の習わしだ。父に連絡をすると、母、リュー・リューに一任すると言われた。俺のことは父より母の方がよく分かっているから、と。
話をすると、リュー・リューは涙をこぼして喜んだ。てっきり女嫌い、もしかして男好きなのではないかと密かに悩んでいたという。そんなばかな。
婚約者をもてなすため、客室を全面改装。普段は粗野で気楽な使用人達にも、ご令嬢には畏まるよう言いつける。
それから、ドレス職人を呼びつけた。
シャデラン家での『彼女』はきっと、ろくに着飾ったことが無いだろう。身内の祝日にやっと木綿のワンピースでは、普段はどんな格好をさせられているか。
――仰天させてやる。
溺れるほど贅沢をさせて、幸福にしてやる。
あの日、『妹・マリー』が着ていたものよりずっとずっと上等なドレスに、『アナスタジア』と刺繍を入れて、彼女の前に積んでやろう。
婚約式の日には、親兄弟の度肝を抜いてやれ。
うらやましい!――そう歯がみする奴らの前で胸を張り、言ってやればいいんだ。「ざまあみろ」と。
準備万端。俺は眠れぬ夜を過ごした。待ちきれなくて、抱き枕をひとつ買った。
だが……城にやってきたのは、ボロボロになった馬車と瀕死の御者。道中、崖から転落したのだという。アナスタジアは濁流にのまれ……見つからなかった。
リュー・リューが泣き、ミオは黙って目を伏せる。
俺はただ床に膝をつき、そのまま一週間、ぼんやりするしかできなかった。
ミオは嘆息した。
「思えば、再会の瞬間が良くなかったですね。マリー・シャデランを追い返せ! って、旦那様の顔、悪鬼のごとき様相でしたもの」
「そ、それほどか? でもあれはその、名前を間違えていただけで……」
「まずそこですね。全く、旦那様は大間抜けです」
「お前も誤解してただろうがっ!?」
俺が怒鳴ってもどこ吹く風。コレに関しては、俺にもミオにも罪はないと思う。弾き者にされ中庭で泣いていた女が、その日の主役だなんて、誰が気づけるというのだ。
……まあ若干、情報収集不足というか、勇み足というか……はしゃいでしまったのは否定しないが……。
「まず、旦那様。ご自覚をなさってください。自分が、フラれたのだと」
「……そ……そうだな。……その通りだ……」
俺は内臓を震わせて、なんとか肯定した。
「しかしそれは、おそらくはこの誤解が最大の原因です。マリー様はきっと、ご自分が旦那様に嫌われたと思っておられます。あの『無理です』は、謙虚なお気持ちからの辞退でしょう」
「……そうだろうか。……では、その誤解を解けば、彼女は喜んで妻になってくれる、と?」
「わかりません」
「おい」
「頑張るしかないでしょう、旦那様が、片想いしている側なんですから。今まで黙っててもモテたからって、お高くとまってたら一生そのまま愛を知らない青春ゾンビですよ」
「ミオ、なんか俺にアタリがきつくないか」
「だって旦那様、なんですアレ。せっかく磨き上げたマリー様に、何にも言わずに背を向けて」
「……うぐっ」
「ウグじゃないです。あのとき『綺麗だ』の一言でも呟いていれば、あんな悲しそうな顔をさせずに済んだのに――」
ミオは怒っているようだった。
いつもの無表情だが、俺を本気で睨んでいる。
俺はうつむいた。
――彼女の姿は、目をつぶる必要すらなく思い出せる。
――控えめな彼女の性格に反し、見事に咲き誇る朱色の髪。磨き上げたことであらわになった、濡れた真珠のごときつややかな肌。端正な顔立ちはちょっとした化粧でもはや非の打ち所の無いものとなり、上から下まで、完璧な美女になっていた。
……綺麗だった。
綺麗じゃなくても好きだった。
ただ、リュー・リューに目通しするだけ、貴族娘らしく垢抜ければ良いと思っていた。
まさかあんなに綺麗になるなんて、思ってなかった。
求婚をしたのは半分が好意、残りは打算と、彼女の境遇への同情だった。
だが今や、その割合は大幅に狂ってしまった。想定外だ。ハプニングだ。トラブルだ。
巨人の手で、心臓を握りつぶされたような激痛と、耳鳴りがするほど激しい鼓動で……言葉が出なくなってしまったんだ。
……いや。そう言い訳ばかりしてはいられない。ミオの言うとおり、こっちが彼女を求めているのだ。
俺はマリーが好きだ。
結婚して欲しい。
まずはそれをきちんと伝える。
彼女がどう答えようとも、まずは、そこから。
「……マリーは今どこに?」
「お部屋で休んでおられます」
「よし。……行こう」
俺は立ち上がり、マリーの部屋へ向かった。
応援、ブックマーク、評価、感想ありがとうございます。誤字報告もとても助かっております……!