嘘つき王子は優しいみなさんに騙されまくる
「神っ! 来ていただけたのですね神!! ああわたくし信じておりました、あなた様がご降臨くださることを信じてお待ちしておりましたとも!!」
「あーまあ。ていうかお嬢さん、じゃなくて姫様。その神というのは一体何なんでしょう? できればやめていただきたく……」
「いいえあなた様は間違いなくわたくしの神、そしてこのディルツを救いたもう地母神です。どうか言葉遣いもお楽になさって? わたくしめをレイミアと呼んでくださいまし」
「やめてレイミア」
「かしこまりました、アナスタジアお姉様っ!!」
……な、なんだ? 一体何が起こっている?
新婦のベールを剥いだらアナスタジアだった。妹は彼女を神と呼び、なぜだかものすごい勢いで懐いている。
他に騒ぐ者は誰もいなかった。神父は驚くこともなくむしろ穏やかに微笑んで、グラナド城の侍従達は……なんだか和やかに、談笑を始めていた。
「やあよかったよかった。これで一段落の大団円」
「トッポとってもホッとしました、フー」
「けっこうギリギリ綱渡りでしたものねぇ。一時はどうなることかとぉ」
「うそつき、チュニカさんはずっとハッピーエンド確約だって言ってたじゃないですか」
「終わりよければすべてよし?」
「これもう帰って良いんでしたっけ、ずたぼろちゃんにごはんをあげないと」
「私もお腹がすきました。そろそろ昼時ですね。お弁当食べて良いです?」
「みなさんもうちょっと待ちましょう、これからが大切な時間です。新郎新婦を祝福してさしあげなければ」
「二次会おさえとく?」
「ツェリは誓いのチューまで見るー」
……はい?
困惑しているのは新郎の僕、そして、王太子ライオネルだけ。それでもさすが、兄はすぐに理性を取りもどしたらしい。立ち上がって叫ぶ。
「賊め。ロックウェル、シュタイナー! あの女をつまみ出せ」
騎士達は剣を抜いた。だがその刃は僕らに向かうことは無く、互いの剣をクロスして、ライオネルの前に壁を作った。まるでライオネルから僕たちを守るようにして。
「な、なにをしている? 貴様ら、騎士団長の命令に逆らう気か」
騎士達はヘラヘラ笑った。
「わたくしどもの仕える騎士団長は、何年も前から第三王子ルイフォン様です。団長とその夫人をこの身に変えて御守りする所存」
「害なす輩がたとえ王太子でもね、殿下」
「お、おいおいっ……」
慌てたのは僕である。だってこの二人は書記官と副団長で、どちらかといえば事務員だ。剣は儀式で握るくらいで、たぶん二人がかりでも兄には勝てないと思うんだけど。
案の定、ロックウェルは足が震えているし、シュタイナーは左利きなのに右手で剣を持ってしまっている。
心配する僕を視線だけで振り向いて、ロックウェルは口元に一本、『ないしょ』の指を立てた。
「側近の部下のことちゃんと見てないほうが悪いのよ。盲目のノーマンを見習いなさい」
アナスタジアがボソリと言った。
「――近衛兵っ!!」
ライオネルが絶叫する。いつもならもちろん、兄配下の精鋭は即座に駆けつけてくる。だが今日は相槌の声すら無かった。静まりかえった礼拝堂、入り口ちかくで、ミオちゃんが鼻で笑った。
「誰もいませんよ。さきほどご自分で、旦那様とマリー様を連行するのに派遣したじゃありませんか。キュロス・グラナドは剛剣の使い手、リヒャルト様おひとりでは抑えられないだろうからって」
「そ――それでも何人かは残ったはずだ、どこへいった!」
それに答えたのは、神父だった。
「うちのシスターがお声をかけて、扉の向こう側に控えていただきました。平和を祈る礼拝堂、神聖なる婚約の儀式に鉄鎧は無粋がすぎますゆえ」
「な……なんだと?」
「『騎士二人と我が剣だけで事足りる、おまえらごときの護りは要らん』という、殿下のアリガタイ言葉を伝えたらあっさり信じたそうですよ。ふだんの言動が偲ばれますなあ……」
そこで神父は手印を結び、天を仰いで呟いた。
「ざまぁべろべろ」
ライオネルはフラリと体を揺らした。激怒と悔しさのあまり、立ちくらみを起こしたらしい。椅子を掴んでやっともたれかかりながら、最後に……彼が最後まで絶対の信頼を置いていた男に助けを求め、その名を呼んだ。
「……リヒャルトは…………どうした?」
そう――次兄は、今まで常にライオネルの傍らにいた。右腕であり、両足であり目であり耳でもある。
次兄は地味な男だ。美貌も社交性も剣の才もなく、王太子のサポート役としていいように使われていた。ライオネルの代わりに調べ物をし、ライオネルにすべての情報をもたらしていた。そのためにライオネルの計画のすべてを知っていただろう。
先ほどクローデッド姫……いやアナスタジアをエスコートしてきたのはリヒャルト。罪人のグラナド夫妻を連れてくるといって、近衛兵とともに出たのもリヒャルト。キュロス君の逃走路を割り出したのもリヒャルト、グラナド城の侍従達を誘い、僕とともにここへ連れてきたのも、何もかもリヒャルト――。
「リヒャルトは、どこだ? なぜ、ここに、いない……?」
ただ呆然と聞くだけのライオネルに、答えたのはレイミアだった。胸元から小さな紙切れを取り出し、読み上げる。いっぱしの大人みたいに、胸を張って。
「リッキ兄様いわく――自分は悪役に甘んじるのはいいけど、悪党になりたくはない――とのことですわ」
アナスタジアは優しく微笑んだ。ちょっと自嘲するみたいに、肩をすくめて。
「わかるわ。弟妹ってどうしても小さく見えるのよね。自分がいなきゃなんにもできない、小さなコドモみたいに……」
だけども、と厳しい口調で、彼女は続けた。
「いつまでも自分のあとを付いてきてくれると思ったら大間違いよ」
兄は……今度こそ脱力した。腰から魂が抜け出たように体幹を失くし、ずるずると椅子から滑り落ちていく。床に膝をつき、とうとう……這いつくばってしまった。
しんと静まりかえる礼拝堂。誰もが言うべき事を終え、大体完了してしまったような空気感。そんな中、僕はそぅっと、片手を上げた。
「あのう、誰かそろそろ説明してくれない? たぶん僕がこの場でいちばんおいてけぼり……」
「説明するほどのこともないですよ。王宮内クーデターというやつです」
いつのまにか、近くまで寄ってきていたミオちゃんが簡単に言った。本当にいつも通りの無表情に平坦な口調、雑談みたいに普通に言う。
「数ヶ月前より、旦那様とマリー様との成婚が何者かに阻害されていた件で、我らは調査を進めていました。王太子ライオネルの謀略に気付けましたが、さすがに相手は王族。グラナド家のチカラをもってしてもおいそれとは勝てません。そこで、関係者の皆様と秘密裏に情報を共有しあい、王太子殿下の裏をかいた、と。それだけの話です」
「情報共有……どうやって?」
「マオ、じゃなくてミオさんが使徒を天空に放ったのですわ。闇色の翼をもつ堕天使がこの国に雷鳴ではなく平和の黙示録をもたらしたのですっ!」
「…………。あ、あの鳩のこと?」
「レイミア、あなたそっち方面の嗜好もあったのね」
アナスタジアが呆れて言った。
「そう! マリー様からのお手紙に、ライオネルの謀略とそれを覆す計画、そしてわたくしへの協力依頼が書かれていたのです。わたくしはアナスタジア様に文を出し、事情をすべてお話ししました。どうかフラリアより先にルイフォン兄様と成婚してくださいと」
「婚約ならともかく、離婚は簡単ではないですからね。フラリアでもディルツでも、重婚は禁じられています。すでに妻のいる男との政略結婚は成立しません。早い者勝ちです」
そう語るミオちゃんはいつのまにか教会の椅子で、お弁当を広げていた。おなかがすいたらしい。うん、お昼時だものね。
「そう、我らは勝ったのだ!」
その隣で神父が祝杯、もとい水筒のコップを掲げていた。
「神の御前で誓いを交わした夫婦、まして一国の王子とその妃を引き裂くなど、いかな王太子、強国の女帝でももはや不可能! 思い知ったか、これが神のパワー!」
お茶をぐいと飲み干す神父、おかわりを注ぐグラナド城の侍従頭。なんだこの光景。
「え……ええと。でも……あの……法律が。アナスタジアは、男爵の娘だ。王家に入るには、伯爵以上の上級貴族やその子どもでないと」
これは誰が許す許さないではなく、法律で決まっていることだった。王家が血縁で続く限り、この慣習は変わらないだろう。
我ながらひどく無粋な指摘を、覆したのはアナスタジアだった。僕の服をチョイチョイ引いて振り向かせる。彼女はとびきり、イタズラっぽい笑みを浮かべていた。
「それは問題ないわ。あたし、ノーマン伯爵令嬢になったから」
「…………は?」
目が点になる。そんな僕の顔を見て、アナスタジアはブハッと盛大に吹き出したのだった。
……その場に居る人間がかわるがわる、懇切丁寧に説明してくれた。
いわく。彼女の養父、釦職人スミス・ノーマンに、子爵の位を与えようという動きは、以前よりあったらしい。
これはさもありなん、当たり前によくあることだ。釦とはブローチであり首や胸の下に着ける。指輪よりも石が大きく高額で、その者の権威や美貌の象徴となる。王家御用達の職人を、いつまでも一般市民にしておくわけにはいかない。だがいよいよ授与をという時に目を患い、ノーマンは引退、爵位を辞退し、王都からも出てしまった。
だがおよそ半年前、ノーマンは現場に復帰した。少年を養子に迎え、作業のアシストをさせるとともに、弟子として技術を仕込んでいった。
王都中央市場は、国の経済の中心だ。
戦後、産業のないディルツにとって、工業の発展は何よりも重要だった。長い年月をかけてでもその技術を理論だて、拡げ、定着させ、国家事業にまで育てる必要があった。
国を挙げての大事業――その代表者となる釦職人には、子爵と言わず伯爵の高位を。
そして老いて盲いた職人のため、その弟子……改めその嫡子には、養父の代わりが務まるよう、同等の権限を、と。
「ただの縁故ではございません、お姉様個人の実力が評価されてこそです! 神の作りたもう衣裳は、それはそれは素晴らしいのです。王女レイミアのドレスと直属のメイド隊、それに、騎士団の儀礼装束も、アナスタジア様のデザインが採用されましたの!」
「……まじ?」
騎士二人を振り向くと、「まじ、まじ」という顔で頷いた。アナスタジアを見下ろすと、こちらはいまいち、実感がないようだった。
「いやあ、あたしのはあくまで見た目重視というか。もともと男装の麗人用だし、剣を振るにはアレだよとは言ったんだけどね……」
「……騎士団は戦後、象徴として在る。まして儀礼用なら威圧的な軍服より、むしろ市民に好かれる、華やかなもののほうが良いとは、僕も思う」
「ああ、そう? 団長のあんたがそういうなら、じゃあまあ。それで」
これまでで一番照れくさそうに、アナスタジアは顔を隠した。
……かわいい。
僕は思わず、彼女の頭を撫で撫でして、想定通りに足を踏まれた。
「すなわちここにおられる美女は伯爵令嬢、スミス・アナスタジア・シャデラン! ルイフォン兄様の妻として、なんら遜色ない上級貴族ですわっ!」
礼拝堂に、なんとはなしに拍手が起こる。
お弁当を食べ終えたらしい、ミオちゃんもパチパチ適当な拍手をくれる。そうしながら、「ちなみに」と続けた。
「策が成るまでの時間稼ぎとして、フラリアの大使館にも、ルイフォン様との婚姻を思いとどまるよう内部告発の文を送っておきました。二十羽もの伝書鳩に、母娘がドン引きするようなルイフォン様の『特殊性癖』を書き記して」
「捏造じゃないかっ!」
「そうだったの? あたしもどうしようかと一晩悩んだんだけど」
「おや、一羽、誤配があったようですね」
「よりによってそこで凡ミスするなよ鳩、わざとかわざとだろわざとだなっ!?」
僕は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
僕の懊悩などなんのそので、妹は実に楽しそうに語る。
「しかしいくら策を講じても、神がご光臨あそばされるかは、最後の最後まで賭けでした。すべてはアナスタジアお姉様のお心次第。お姉様が否と言えば、どうにもならない計画でしたもの」
……あ……。確かに。
僕は正直、まだ困惑していて、すべての状況把握が出来ているとは言いがたい。それでも確かに理解していることはある。
今この場に居るひとたちは、みんな僕の味方だってこと。
直前まで僕に伏せられていたのは、きっと成功率が高くはなかったからだ。運頼みもかなりあったはず。それでもギリギリまで、自分たちに出来ることをしてくれた。それを命じた、いや信じて託したのは彼らの城主、キュロス・グラナド。この場にはいない彼が、すべて采配してくれたことは明らかだった。
そしてその妻、マリー・シャデラン。アナスタジアを動かしたのは、レイミアよりもこの実妹だろう。
そりゃそうだ。でなければあのアナスタジアがここにいるわけがない。スミス・ノーマンの養女うんぬんはともかくとして、ウェディングドレスを着てベールをかぶり、この僕と結婚――。
…………結婚。
結婚? アナスタジアが、僕との結婚を了承した?
……えっ?
僕はしゃがみ込んだまま、顔を上げた。僕の視線を感じると、拗ねたように頬を膨らませた。
「しょうがないでしょ。……ほっとけないんだもの。あんたって、なんだか弟みたいだし」
「いや、僕のほうが三つばかり年上なのですが」
目の前にぶら下がる、アナスタジアの細い指。僕はソッとつまみ、幼児のようにチョイと引いた。仏頂面で見下ろすアナスタジアに、甘えてねだる。
「いいの?」
そのとき。背筋が凍るような悪寒に襲われ、僕はとっさにアナスタジアを抱き寄せた。覆い被さるようにして胸に隠す。
「うきゃ、ちょ、なにっ」
小さな悲鳴は無視、金属の擦過音と、殺気を放つほうへ向き直る。
……ライオネル。いつのまにか立ち上がり、こちらへ歩み寄っていた。慌てて騎士達が押さえようとしたが、ライオネルの拳に跳ね飛ばされる。
「処刑だ」
ひゃっ、という悲鳴は神父が上げた。椅子にしがみついて震え、くつろいでいた観客達も顔色を変えた。
しかしその青い瞳は、僕をまっすぐに睨んでいる。殺気に燃える、それだけでひとを殺せる眼光だった。僕は兄の視界に入らぬよう、アナスタジアを背に庇う。
こんな禍々しいものでこのひとを穢したくなかった。
「処刑だ、ここにいる全員――逃がさない。逃げても殺す」
逃げないよ。僕は足を少しも動かさなかった。
やれるものならやってみろ、という軽口はたたけない。兄の手に剣は無いが、こちらも丸腰。僕よりも一回り大きな兄は、素手の格闘術にも通じている。
昔から何をやっても敵わない兄、それでも退かない。
背中からかすかに震える声。
「ルイフォン」
僕は不敵に笑った。
「……なんです兄上、物騒なことを言って。戦場でもあるまいし、罪も無き市民を私刑にしたら、兄上のほうが逮捕されちゃいますよ」
「不敬罪だ。罪人を斬って何が悪い」
僕の眉がピクリとひきつる。
「いつの時代? 王族といえど、裁判も無しにひとを処する権利はないですよ」
「軍国ディルツはそうして成った。ひとりの強兵が皇帝となり、邪魔な者を切り捨てて、国土を拡げていったのだ」
「帝国は解体された。今は戦後、ここは王国だ。世界はもう変わったんだ!」
「私が法だ! 私はディルツの王であるぞ!」
僕の顔面にカッと血が上る。拳を握りしめ、僕は怒鳴った。
「おまえは王じゃない!!」
「――そう、おまえは王ではない」
その声は、決して大きくはなかった。
だが誰よりもよく通り、誰の耳にも届き、誰の胸にも残る。
礼拝堂の扉が開かれていた。国王専属の近衛兵を後ろに背負い、恭しく現れた男に、僕は片膝をつく。僕だけじゃなく多くの者が反射的に跪き、ライオネルすらも姿勢を正していた。
ディルツに生まれたならば、そうせざるを得ない。求められなくても傅いてしまうのだ、このおひとの前では。
彼は、僕よりも二回り短い足をちょこちょこと動かし、ヨイショヨイショと段差を越える。そして両手をワキワキさせた。とびきりチャーミングで、ちょっとイジワルでイタズラっぽい笑顔で。
「だって、王様はボクだもの。まだ生きとるぞ? ライオネルよ、おまえ何を勝手に王位を継いだ気になっとんじゃい」




