仮面とベールの向こう側 【後編】
同日2話連続更新、こちらは後編です。
こちらから先に読まれないようお気をつけ下さい。
「新郎新婦、両者とも前へ」
壮大な賛美歌の曲に負けないよう、神父が声を張る。
花嫁は「はい」と返事をし、一歩前へ踏み出した。その足取りは意外にも軽く、凜としていた。
……あれ? クローデッド姫、こんなに堂々とした子だったかな?
数日前にあったときにはもっとこう、母親の陰に隠れ、他人と目も合わせられないようなかんじで……。
この間はチラと見ただけで気付かなかったけど、十二歳の少女にしては手足が長く、腰もしっかりとくびれている。
意外と大人びてるな。背も思ってたよりは高いか?
剥き出しの華奢な肩、ベールの下から覗く唇がやけに艶っぽい。
ああそうか。きっと僕同様、なにもかも諦め、受け入れたからだな……。
閉ざされた礼拝堂、周りを王太子の近衛兵と騎士が取り囲んでいる。もしも逃げたとして、それからどうなる? 僕たちは政治の道具になる以外の生き方を知らない。僕はもうそれでいい、だけどこの子は、この無垢な少女だけは、せめて。
「ルイフォン・サンダルキア。花嫁のベールを取って、その名を呼びなさい」
神父に促される。僕は頷き、白いベールに指で触れ……音楽が大きくなるタイミングを見計らい、囁いた。
「姫、このあとにある誓いの口づけは、そっとフリだけで。……僕はあなたと、本当の夫婦にはならないから」
「えっ!?」
花嫁が顔を上げる。僕はベールの端をつまんだまま、さらに声を抑えて言った。
「フラリアの法では、夫婦は審判の監視のなか初夜をもって『本当の夫婦』になりますよね?」
「え……ええ……」
「あなたはまだ若い、その幼さを理由にして閨を離すことが出来る。それで五年……十七歳、婚期に入ったところで、僕は出奔します。『本当の夫婦』に至らなければその結婚は無効となります。あなたなら再婚の相手はいくらでもいるでしょう。そのとき僕よりもずっといい男性と、できれば本当に恋に落ちたひとと夫婦になってください」
「……え……と……」
「ごめんなさい」
小声で、早口でまくしたてたせいだろう。姫はぽかんと半分口を開けて、ベール越しに僕を見上げていた。
僕はこの結婚を受け入れる代わりに、キュロス君たちの解放を願うつもりだった。長兄は気難しいが、極めて打算的な人間だ。条件を付ければその願いは通るに違いない。
そして五年――それだけあれば、この国は変わる。
大国フラリアから譲り受けた農業技術、そしてグラナド商会の産業は、国庫を支えるほどの収益を興す。そうなれば、時代遅れの兵器を買い取って貰う必要はないのだ。ミレーヌの温情に頼ることなく、僕は王国に戻れる、かもしれない。
それに五年も経てば僕は二十八歳、ミレーヌの好みからして賞味期限切れだ。クローデッドとのことがなくても王城からポイと放り捨てられる可能性は高かった。
……本当は、こんなかりそめの結婚生活や儀式で少女を傷つけることなく、辞退をしたかった。あるいはいっそ何もかも諦めて、悪役になりきれば良かったかもしれない。
しかし……もう無理だ。立場の弱さにそぐわない、気持ちの強さが、どうしようもなかった。
ごめんなさい、と、もう一度言う。
「僕はどうしても、好きでもないひととは結婚したくないんだよ」
賛美歌の音が小さくなった。神父から、早くしろと視線で促される。僕は頷いて、改めて姫のベールを持ち上げた。
細い顎、ふっくらした愛くるしい頬と、小さな鼻が見えてくる。紅を引いた唇はへの字に結ばれていた。何か困ったようにモゴモゴと、頬のなかで舌を弄んでいる。
そして彼女は、溜め息をついた。
「……あー。参った。どうしたもんかいねこれ。計画台無しなんだけど」
「――っ!?」
ぎょっとして、飛びすさる。手を離したためベールは再び顎まで落ちたが、花嫁は自ら、蚊でも払うみたいにめくりあげた。
夏の空みたいな濃い青の、愛らしくも凜々しい眼差し。たしかに彼女は小柄だった。少女と見間違えるほどに華奢で、だが実年齢は二十歳。
眩しいほどに輝く金髪を、耳の辺りまで短く切った大人の女性――。
がだごとんっと騒がしい音がした。振り向くと参列者の席で、ライオネルが床に落下していた。氷色の目をひん剥き、何度か口をパクパクさせてから、震える指をつきつける。
「な――だ――クロ……いや違う! 誰だおまえはっ!?」
その二つ後ろの席、がたたんっという騒音を立てレイミアが立ち上がる。両拳を握りしめ、ライオネル以上の大声で絶叫した。
「きたぁあ!! 神ぃいいいいっ!!!!」




