仮面とベールの向こう側 【前編】
大変長らくお待たせ致しました。
2話一挙更新です。こちらは前編です。
城門には白銀の馬車が止まっていた。王太子専用の物だ。しかし出てきたのは長兄ではなく、次兄のリヒャルトだった。
「いい表情だなルイフォン。観念をしたようだ」
リヒャルトが僕に対してエラそうなのはいつものことだが、今日はそれに輪を掛けて居丈高な気がした。見るとリヒャルトの後ろには四人の軍兵、王太子専用の近衛兵である。僕は笑ってしまった。
「さすがリッキ兄さん、相変わらず人間の器が小さいね。ライオネルの兵がそばにいれば気が大きくなるなんて」
「……うるさいっ、早くしろ!」
僕はうしろを振り向いた。グラナド城の門前に、ミオちゃんや執事のウォルフガング、その孫娘のツェツァーリア、門番のトマス……湯番のチュニカまで? さらにその後ろにも侍従達がずらりと勢揃いしている。
「見送ってくれるのかい?」
「ええ。わたしたちも結婚式に参列するよう、招待を受けております」
えっ?
リヒャルトを振り返ると、やはり彼は傲慢に笑った。
「ああ、取り急ぎの式だからろくに参列者がいなくてな。花嫁が寂しかろうと、空席を埋めて貰うことにした。この城の連中も、懇意にしていたおまえの花婿姿が見れて幸せだろう」
ああ、なるほど……なぶり者にするつもりか。
こんな陰険な策略に従う必要はなかったが、侍従達は粛々と自前の馬車に乗りこんでいく。苦々しく見つめる僕に、ウォルフガングが近づいてきた。紳士の一礼を見せて微笑む。
「ルイフォン様、お気に病みませんよう。リヒャルト様のご提案は、ぼくたちにも喜ばしいものでした。このまま今生の別れとなるには辛うございましたので」
「……ウォルフ……」
「まあ、長い付き合いですからね」
その横で、ミオちゃんが苦笑いする。
「初めてこの城に来られたのは、もう十年近く前ですか。学園の長期休みに、旦那様が連れて帰られて……」
「ああ、そうだったね。なつかしい」
「旦那様からはいつも俺にしているように接しろと言われました。初めは侍従一同、戸惑ったものです」
「最初はミオちゃんも、ちゃんともてなしてくれたよね」
「さすがに王族相手ですから。ですがルイフォン様のイタズラときたら本当にタチが悪くって。干したばかりの洗濯物に、水鉄砲で色水のシミを作ったときにはつい、厳しく叱り飛ばしてしまいました」
ははっ、と笑い声が出る。
「そうそう。洗濯婦の仕事を増やすなって、容赦なく尻をひっぱたかれた」
「洗濯物の気持ちになってみろと逆さづりにして」
「わかるわけないだろ。ていうか、いつものキュロス君こういう扱いなのかって驚いたよ」
クスクス、ウォルフガングも笑う。
「あの頃……坊っちゃんは一番、苦しい時期にありました。身分に厳しい王侯貴族だらけの学園で、自身の立ち回りかたが分からなくなっていたようです」
「……そうだったんだ?」
「ええ。学園に入り初年の夏休み、坊っちゃんには笑顔もありませんでした。……しかし冬休みには満面の笑みで、あなたとの戦績を語っておられましたよ」
ウォルフガングは腰を直角に折り、深く礼をする。
「ありがとうございます、ルイフォン様。坊っちゃんと友達になってくれて。グラナド城の侍従一同、あなたに感謝をしております」
「……こ……こちらこそ……」
僕は、彼ら以上に低く、頭を下げた。
「行くぞ」
リヒャルトに引っ張られ、馬車に乗り込む。近衛兵は、二人が外で馬を引き、残り二人が僕たち兄弟の間に座った。普通ならもちろんありえない。
「まるきり、花嫁の扱いだな」
ぼそりと呟く。リヒャルトは顔を伏せたまま、やはり呟きで返した。
「囚人の間違いじゃないか」
「いや、輿入れ用の馬車って実際こんなのだよ。花嫁は真ん中に座る。賊や事故で傷つけられないようにって」
「おためごかしだ。真実は脱走防止のためだろう」
「その通りさ。だから、今の僕とそっくり同じだろう?」
ニッコリ笑って言ってやると、なんだか気まずそうに、兄は目を逸らした。
貴族の娘は結婚相手を選べない。想い合った男と駆け落ちさせないよう、馬車という名の牢獄に閉じ込めるのだ。
「ああこれが童話だったらなあ。道中で男が飛び込んできて、花嫁を攫っているのに。近衛兵をバッタバッタと薙ぎ倒して――」
隣席の兵士にじろりと剣呑な目で睨まれる。おっと。そうだ、いつもの騎士達じゃなく、彼らは長兄の兵だった。長兄自身同様、愛国心が物騒な方向に強くってこういう冗談は許されない。
「くだらん。民間人ひとりの奇襲にやられる王国近衛兵ではない!」
……次兄もか。
「冗談だよ。童話ならばいつだってとらわれるのはお姫様、王子様はその救世主だもの」
そういう問題じゃないと叱られたけど、どうでもいいので無視をした。本当に冗談だったんだ。童話でも巷にあふれる小説でも、愛のない結婚で憐れまれるのはいつだって女性だけ。顔も知らない男に嫁ぐのは嫌だと泣くヒロイン、こっちだって嫌だと、夫が言い返すお話は見たことが無い。
……そう……この結婚式でも……『被害者』は僕だけじゃない。
僕の妻となる女性、フラリアの幼姫も今頃泣いているかもしれないな。
――かつての、あのひとのように――
僕は頬杖をつき、窓の外を眺めて過ごす。
兵士に周囲を守られながら、馬車はゆっくりと大通りを進んでいた。舗装の行き届いた道路では貴婦人が買い物を楽しみ、カフェオレ売りが明るい声で客引きをしていた。子ども達が追いかけっこをして、馬車に気をつけなさいと親が止める。戦後五十年、泰平の世――いつもの王都の景色。それを眺めながら、僕は脳内で整理していった。僕が守るべきものたちのことを。
結婚式場は、王都の中心にある教会だった。
国民に広く開かれた場所でありながら、王族も、特別な日はこちらに礼拝にやって来る。
王国では最古にして最大、由緒正しい教会。しかし宗教色の弱いこの軍国では教会の力は弱い。よく見れば壁や門扉はあちこち朽ちて、みすぼらしさがあった。騎士団の砦のほうがよほど予算が取られているだろう。
短い階段の下で馬車を降りる。すぐに出迎えたのは、王太子ライオネルだ。
「よくぞ来たな、ルイフォン。逃げ出すかと思ったぞ」
僕は笑った。
「逃げたところで、どこまででも追いかけてくるでしょう、あなたは」
皮肉げにいうと、ライオネルはククッと笑った。
王族同士の結婚式だというのに、いつもとさほど衣装が変わらない。高圧的な態度も相変わらず……いや、少しだけ機嫌がよさそうだ。クックッと声を漏らして笑っている。僕は無視して通り過ぎた。
その僕に聞かせるように、ライオネルは声を上げた。
「ではリヒャルト、クローデッド様をこちらへお連れしろ」
リヒャルトは頷き、その場を去った。
僕は兄に押されるようにして教会への階段を上る。そのあとに二人の騎士が続く。よく見知った顔に僕は呼びかけた。
「ロックウェル。シュタイナー」
「どうも、ルイフォン殿下」
「ご結婚、おめでとうございます」
感情のこもらない声、無表情……いつも冗談ばかり言っていた騎士は、まるでライオネルの側近のようだった。
いや、ずっと前からそうだったのかな。長兄はかつて砦を取り回し、彼らに剣と騎士道を教え込んだひとである。そして彼自身が偉大な剣士だ。厳しすぎるという悪口も、あれは僕へのおべっかだったのか。ふざけてばかりの僕よりも、彼らに敬愛されていても不思議は無い。
僕は納得して、二人に騎士の礼をした。
「長い間、頼りない騎士団長を支えてくれてありがとう、二人とも……今まで楽しかったよ」
彼らは少しだけ笑った気がした。
二人はそのまま、僕の後ろを付いて歩いてくる。前方には元騎士団長の王太子、後ろには二人の騎士か。まるで処刑台への道だね。別にいいけど。
礼拝堂のなかはやはり古びていた。それでも見事なステンドグラスのモザイク、巨大な神像は息を呑むほどに荘厳だ。
礼拝堂の扉からまっすぐに伸びる白い道。いつもならただの通路だが、今日この日はバージン・ロードと呼ばれる道。
突き当たりには聖書を持った神父がいる。
僕は重い足取りで、神の御前へ進んでいく。
参列客は数えるほどしかいなかった。
婚約式と違い、結婚式は夫婦が神前に誓う儀式だから地味なのは当たり前だが、それにしても少ない。フラリア王女ミレーヌらしい金髪も、ベンチに散らばる後頭部には見当たらなかった。
「……王族同士の結婚式は、その親の署名が必要なはずですが?」
ライオネルに尋ねる、と、答えたのはその後ろにいる騎士だった。
「ミレーヌ様は体調が優れず欠席されるとのことです」
「わたくし共が入院先を訪問し、署名を頂戴しております」
「……あ、そう」
「ご息女と殿下との成婚を心から喜んでおいででした。ですから殿下は何ら気にされることなく、あちらにおわす花嫁とご婚姻をどうぞ」
「どうぞ、どうぞ」
「……ああ……」
僕はまた歩き出した。
……これからここで、僕は婚姻の誓いを立てる。
妻の名はクローデッド、まだ十二歳の少女は、大人の欲で、話したこともない男の妻にされるのだ。
それが王族の宿命、特に女性ならば当たり前――その考え方自体、僕は変わっていない。事実、それが当たり前の世界なんだ。今は、まだ。
「……ああ……神よ……」
震える声が耳に届く。見ると、妹のレイミアがいた。両手の指を固く組み、ガタガタ震えながら俯いている。
「神よ……どうかお慈悲を。迷える子羊の前に、そのお姿をお見せください……どうかお兄様が真に恋するひとと結ばれますように……」
僕は笑ってしまった。このディルツの神に縁結びの御利益などない。それはレイミアも分かっているはずだが、必死に祈る妹がけなげで愛おしかった。
もういいよレイミア、おまえ自身の幸せを祈りな。言葉には出さず、頭の上にポンと手を置いて、一度だけ撫でた。
神父の正面に到着した。後ろから長兄が跨ぐようにして手を伸ばし、神父に羊皮紙を手渡した。神父は目を細め、上から下までじっくりと目を通す。
「……ディルツ王の子、ルイフォン・サンダルキアと、フラリア王の娘、クローデッドの婚姻を認める――ライオネル・イルダーナフ・ディルツ。――確かに、承認のご署名を承りました」
「えっ、ライオネル?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
なぜ兄の名前が? ここは父、現国王が署名するべきはずだ。睨むように見上げた僕を、ライオネルはわざとらしいほど当たり前に、さらりと言った。
「父は体調が優れず、また塔での長い蟄居生活がたたり外出がひどく億劫になってしまわれた。現王代理はこの私、第一王子ライオネルだ。何も問題あるまい」
僕は拳を握りしめた。
兄と神父を睨んだまま、待つこと少し。やがてリヒャルトが、花嫁を連れてやって来た。純白のドレスに白いベールで顔を隠した女性……リヒャルトの肩までしか背丈がない。俯いたまま引かれる手の、細い指が痛々しかった。
花嫁は無言のまま、僕の隣に並ぶ。
ライオネルは姫を言葉でだけ労うと、すぐに顔を逸らし、大きな声をあげた。
「ではリヒャルト。次はグラナド伯爵とその婚約者、マリーをここへ連行しろ!」
――えっ!?
慌てて振り返る。背を向け馬車に乗り直そうとするリヒャルトの腕を慌てて掴み、
「キュロス君達を捕まえたのかっ!?」
「ああ。地下道を移動し、亡命しようとしていたのをおれが捕縛した。今は鉄馬車に閉じ込めている」
そ――そんな。そうか……。そうか……。
がっくりと膝の力が抜けていく。いや、半ば分かっていたことだ。ここは王都、そして兄達は王子なのだ。グラナド城塞の主といえど、個人がかなうはずないのは明らかだった。
その証拠に、後ろに続くグラナド城の使用人達の誰も悲鳴をあげない。きっと朝の時点でリヒャルトから聞いていたのだろう。むしろ穏やかなまでに現実を受け入れているようだった。ライオネルは今度こそ大きな声で笑った。
「安心しろ、この場で処刑などはしない。ただおまえの晴れ姿を見せてやろうと思っただけだ。あの男はおまえの親友だろう? お互い、最期の言葉を交わす時間くらい与えてやる」
「あ――兄上……」
兄はやはりキュロス・グラナドに恨みがあるのでは? このディルツの国益のためとは別の、まったく個人的な感情で、グラナド家を陥れようとしている気がする。
僕の懐疑的な視線を受けて、兄は肩をすくめ、「勘違いをするなよ」と牽制した。
「あの男に思うところなど何も無い。当たり前だろう? この軍国ディルツで、女子供にこびへつらい、流行物で小銭を稼ぐだけの商売人だ。本人も、軍神ジークフリードの血を引く誇りなど持ち合わせておるまい」
「……キュロス君は」
「その名を口にするな。耳に入れるだけで、剣の腕が鈍るわ」
兄はそう吐き捨てて、参列者の席へ退いた。
パイプオルガンが壮大な音を奏で出す。結婚式でよく使われる賛美歌だった。




