嘘つき王子の仮面を壊せ①
ひじょ~~に気持ちの悪い回です、色んな意味で。
お食事中の閲覧注意。
「あなたを買って……どうしろと?」
フラリアの王女は笑って言う。その指先に口づけたまま、僕は囁いた。
「どうとでも、あなたのお望みのままにどうぞ。従僕にでも、奴隷にでも」
「代金は?」
「……フラリアの酪農技術と農耕具を」
「あら、意外。兵器を買い取ってくれではないのね」
フラリア王女の声が面白そうに弾んだ。
たしかに、兵器の売買は今のディルツを支える代表的な国家事業だった。
それもそのはず、兵器の原料はほとんどが鉄、火薬などの貴重な資源。技術がハイレベルの職人や工場、大型運搬船まで独占されていれば、ほかの工業はいつまでも発展しない。兵器産業は沈みゆく泥船だ。それよりも、ディルツは自分自身を育てなくてはいけない。
そのためにはまず酪農だと、僕は算段を付けていた。農業大国フラリアの高い技術があれば、酪農はずっと効率的になる。地方農民の暮らしに余裕が出来れば、その子ども達の教育レベルがあがる。職人や研究者の数が増え、輸入に依存せず国内で食料を賄いながらも、産業を発展させることができるだろう。
それは間違いなく、未来のディルツを強くする術だった。
「王都から馬で数日と離れていない位置に、大きな酪農地帯があるんだ。ちょっと領主が馬鹿で過疎ってしまったけど……まずはそこを、かつての豊かな荘園へと復活させる。農具はひとつくらい時代遅れの中古でもいい、とにかく数を、領民すべてに行き渡るだけ欲しい。それと技術を伝える教科書、できれば指導者を数人。二年目には成果が出て、五年もあれば国中を変えられる。それまで力を貸して欲しいんだ」
「――五年間、田舎の領ひとつぶんの農具と、お話し上手な農民を数人レンタル。それがあなたの値段?」
僕は頷いた。それほど大仰な提案ではないはずだった。金額としては兵器よりも安い。
しかし、ミレーヌは眉を顰め、不機嫌な表情になった。駄目か? 動かす数と手間がかかりすぎただろうか。
「ミレーヌ……お願い」
ミレーヌは不意に、声を立てて大笑いした。
「ほほほほほっ! なに、その不安そうな顔! おっかしい!」
「……姫」
「ああもう、あなたって本当に可愛いひと。ふふふ。そんな顔をするのはおよし。あなたの願いは叶えてあげるから」
あ――ありがとう、と開きかけた唇を、ミレーヌは人差し指で封印した。
なに?
「だけど、それじゃあ安すぎる。わたくし、あなたのことを買っているのよ、可愛い愛人。あなたは、自身の価値に等しい立場と権力を持つべきだわ」
どういうことだろう? 呆けていると、ミレーヌは僕に立ち上がるよう命じてから、サイドテーブルのベルを鳴らした。
ほとんど待たずに扉が開かれる。執事に導かれて、ひとりの女性が粛々と入ってきた。僕が見たことの無い女性――いや少女、あるいは、子どもだ。十をやっと過ぎたかという年の頃である。
「クローデッド、ルイフォン王子殿下にご挨拶なさい」
「は、はい、お母様」
消え入るような声で言って、一礼する少女。金色の豊かな巻き毛風に揺れている……のではなく、よく見れば本人が震えている。カーテシーに慣れていないのかと思ったが、頭を上げてもまだ揺れていた。顔色もまっさおで、震えているらしい。
僕は本気で彼女の体調が心配になった。
「大丈夫ですか、レディ?」
そう声をかけただけで、少女はボッと全身を赤く染め、顔をますます青くした。僕とミレーヌをなんども見比べる。
ほほほと笑うミレーヌ。
「ほんと、うちの子ども達は兄妹揃ってどうしてこう、人見知りが激しいのかしらね。我が国でもディルツのように、王族の子も入れる学園を作るべきかしら」
「ええと……?」
それで、この少女はなんの用件でココに呼ばれたのか? 話しかけるよりも早く、姫は全速力で逃げ出していった。
……なんだったんだ?
「ミレーヌ、彼女は一体……」
「わたくしの末の娘、クローデッド。あなたの妻になる娘よ」
僕は目を剥いた。
「……なんだって?」
「ディルツに公妾制度は無かったわよね?」
ミレーヌは僕の質問には答えない。彼女の問いに僕は答える。
「公妾……王の愛人のことだったかな」
「そう、我が国でもディルツと同じく重婚は出来ないけれど、愛人をやまほど抱える不届き者ならばいくらでもいるわ」
と、さらりと言ってのける不届き者。
「愛人はしょせん私娼、陰なる存在。だけど王は特別ヒイキにしている愛人ひとりだけに、特別な権利を与えることが出来るのよ。愛人は公式に国賓となり、王妃を差し置いて政治に口を出す権力まで持つこともある」
「それが公妾? ……でも、ミレーヌは女性だ。女王にもなれないし、公の愛人なんて持てないのでは」
「ええ、だからあなたを我が娘の婿にする」
そのおぞましい提案は、あまりにも簡単に発せられ、すんなりと耳に入りすぎ、驚くのがずいぶん遅れてしまった。ぼんやりしている僕に、ミレーヌはくっくっと笑う。
「なにをそんなに驚いているのよ、あなたとクローデッドはもう二年も前から婚約しているじゃない」
……知らない。どうせ頻繁に入れ替わる。自身の婚約者がどこの誰かなど、覚えようとしたことがない。
「クローデッドとルイフォンの成婚は、両国間で承認されているわ。あとは神前で結婚の誓いを挙げるだけ」
「僕が、あの子と結婚……」
僕はミレーヌに背を向けて、部屋の扉をぼんやり見つめた。
ついさっき初めて出会い、会話もせずに消えた少女の顔は、思い出せなかった。
「心配しないで、兵器の買い取りも数年間は続けてあげる。これは王太子様との約束だからね。ルイフォン、もしくはレイミアをフラリアに差し出すことで結ばれた契約なの。
ライオネルは本当にどちらでもよかったらしいけど、レイミア姫を貰ったところで、わたくしには何の得もないでしょう? 一応社交界で息子にハッパをかけはしたけれど、本当の狙いはもとよりあなた」
「……僕と、娘とを結婚させるのは、ミレーヌになんの得がある……?」
「わたくしの立場ではあなたを公に飼うことが出来ない。だけど我が子の婿ならば、あなたはわたくしの息子になる」
僕は絶句した。
「そしてわたくしが産んだ子を、クローデッドの子として王宮に入れられる。
あなたは王女クローデッドの夫、その子どもの父になり、フラリアのロイヤルファミリーに入れるの。王女の私的な愛人はもちろん公妾よりもずっと強い権限を持つわ。うまくすれば、王位継承権だって持たせてやれるかも……」
――なにを言っているんだ、この人間は。
僕は思わず、目を剥いてしまった。
フラリアの第一王位継承者は彼女の息子だ。母親なら、我が子を王にしたいのではないか。自身は国母になりたいのではないか。娘は善良な男に嫁いで欲しいものではないか。自分の母が生んだ子の、母のフリをさせるのか。
そもそもミレーヌにも夫がいる。夫以外の男と遊ぶだけでは飽き足らず、その子を欲しいとまでいうのか。
私娼に過ぎない異国の男を、王座にまで導こうとしている。自分も王族なのに。国のために生まれて生きて死んでいく、そんな立場のはずなのに――
――そんなことが、あるわけがない。
ぐらりと視界がゆらぎ、僕はよろめいた。首を振って、平衡感覚を取り戻そうとしたが余計に悪化する。強い目眩、上下左右も分からない酩酊感、僕は顔面を覆った。
眉間に深い皺がはいっていた。
――いけない。顔を……作らないと。
目は……下弦の月の形。唇はお皿のかたち……。
僕は、顔を上げた。
「素敵だね。すごくいい話だ」
ミレーヌはニッコリ笑った。
「でしょ! さあこれから忙しくなるわよ。ああ諸々の手配はすべて任せて頂戴。わたくしたち二人の部屋も、秘密を守れる乳母ももう用意してあるの」
「そう――素晴らしいね」
少女のようにうふふと笑うミレーヌ。椅子から跳ねるように立つと、僕の手を取った。
僕の両手を持ったまま、ミレーヌは後ろに跳んだ。慌ててバランスを取る僕の、懐でくるりと一回転。ああこれはフラリア伝統、恋人同士で踊る激しいダンスだ。僕は彼女の腰を抱いた。
そのまま、大使館の一室で王女と甘いダンスを踊る。
「フラリアへ出発する前に、ディルツの教会で娘と式を済ませましょう」
「は、早い、ね?」
「だって外遊期間がもうすぐ終わるもの。来週の安息日に、王国立の中央教会で。いつでも式を挙げられるようずっと前から押さえていたのよ」
「ああ……そうだったんだ……」
「もちろんフラリアに帰ってからも盛大な披露宴を行うけれど、婚姻は男側親の承認が要るからね――ああ、もちろん、病に伏せたディルツ王を引っ張りだしなどしなくてよ。国王の代理として、ライオネルがサインをくれる約束だから」
「……そう……」
「嬉しくないの?」
ストレートに尋ねられ、僕はシャックリした。自分の頬を抓んでみると、ぎょっとするほど冷えて硬く強張っていた。慌ててほぐし、作り上げる。
――目は下弦の月の形、唇はお皿の形。
「嬉しいとも」
「あなたの婚礼衣装も、こちらで用意するわ。純白のドレスタキシードに汚れひとつない白い靴。あなたの髪と同じ、白銀色で飾ってあげる」
「それは素敵」
「とびきりの馬車、腕利きの御者、忠実な召使いをつけて、王宮まで迎えに行くわ。あなたはただ車に乗ってくれればいいの」
「至れり尽くせりだね。僕は何にもしていないのに――夢か、魔法にかけられるみたいだよ」
ミレーヌは声を立てて笑った。僕の胸にもたれるようにハグをして、顔を擦りつけてくる。
「ああ美しく可愛い、わたくしの王子様……教会の鐘が待ち遠しいわ」
とたん、頭の中にガランガランと激しく、鐘が鳴る音がした。僕はたまらず頭を抱えた。顔面丸ごと口を押さえ、たたらを踏む。驚いたミレーヌが覗き込んできた。せっかく伏せた眼前に、皹の入った女の顔――激しく踊ったゆえの体臭と、猛烈な香水の匂い。塞いだ指の隙間をぬって、鼻孔を劈いてくる。
――ルイフォン? どうしたの。なんの冗談? ――
遠くで女の声がする。
――あんたもしかして体調悪い?
――どうして早く言わないの! うちで寝ていきなさい――
ちょっとぶっきらぼうだけど、優しさが滲む声。その声の主は爽やかに甘い匂いがしていた。
――冗談をやってるの? うふふ、ひっかからなくてよ。さあ顔を上げて、ダンスの続きを。
――背筋を伸ばして、わたくしの腰をしっかり抱いて。
二種類の声、二種類のにおいが混じり合う。
――ルイフォン。 ――
――ルイフォン! ――
目眩で……前が、見えない。
「ミ、レーヌ。……離れ……て、少し、休み、たい」
「駄目よ、もう一曲だけ」
臭い女が抱きついてくる。
「踊りましょう王子様。さあその美しい顔に、笑みを浮かべて」
僕は目の前が真っ白になり、前のめりに昏倒した。目の前にはフラリアの王女が居て、僕は倒れ込むまいと無意識に、彼女の両肩をがっしと掴んだ。
フラリアの王女は小柄で、僕は平均よりもずいぶん背が高い。
「う゛っ――げぼ」
と呻いて吐き出した物はまっすぐ真下へ降り注ぎ、王女の頭頂にビチャビチャと不時着する。吐瀉物まみれになった王女は、とつぜん魂を抜かれたように呆然とその場に立っていた。
僕は口元を拭って、王女の部屋を飛び出した。
フラリア大使館は広い。いくら走っても出口が見えない道を、それでも走った。走れるだけ走っていった。




