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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
カラッポ姫と嘘つき王子

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128/320

カラッポ姫に紅を引け (後編)

「こんにちはー」


 軽い調子で声をかける。と、物々しい城門の前で、少年がきょとんとした。グラナド城の門番、トマスさんだ。彼はしばらく不思議そうな顔をしてから、ギョッと目を見開いた。


「あ、アナスタジアさん!? どうしたんです、その格好はっ」


 彼は突然の訪問ではなく、あたしの衣装のほうに言及した。釦のデザインを見せるようのサンプル、安物のワンピースとはいえ、れっきとした女性服。


「ん、ちょっとね、久しぶりに着てみた」

「男の子のフリはもうやめたんです? あの、お母さんがまた何か言ってきたとかじゃないですよね……?」


 ひどく遠慮がちに聞いてくる彼。

 そういえば彼は、シャデランの家に来たことがあるらしい。そして母の『人形遊び』を見た。それは関係者みんなが知ってることだけど、ほかの誰よりあたしに同情的なのかもしれない。

 なんとなく気まずさを感じて、あたしは曖昧にヘラヘラ笑った。トマスさんはそれ以上は突っ込まず、やはり気まずそうに背を向ける。


「マリー様は今の時間、図書館にいると思います。案内しますね」

「あっ待って! 今日はマリーを訪ねたのではないの」

「えっ? 旦那様はお仕事だけど――」

「伯爵でもなくて。あの……チュニカさん。時間が空いていたら、会わせてもらえないかな」

「チュニカさんに、アナスタジアさんが?」


 年若い門番は小麦色の眉を垂れさせて、心底不思議そうな顔をした。



 チュニカさんは、お風呂と美容のスペシャリストであると同時に、文字通りの「湯の番人」でもある。グラナド城の薪、燃料の在庫、敷地内に張り巡らされた水路の水質衛生管理までが彼女の担当。実際の作業は家政婦メイド従僕フットマンが行うだろうけど、その最終チェックや責任はチュニカさんに一任されているらしい。

 あんな言動だけど、侍従衆ではトップクラスの要職だ。あんな言動だけど。

 忙しそうだな……。彼女にとってあたしは雇い主の妻の親族、むしろあたしは居候中、お世話になっただけだ。門前払いになる覚悟で訪ねたのだけど――あたしの顔を見た瞬間、彼女はにんまり笑った。


「あらあらあら、まあまあまあ。アナスタジア様。お久しぶりですこと。おげんきぃ?」


 彼女はあたしの格好に何も言わなかった。相変わらず、ちょっと独特な空気感の彼女。あたしは肩の力を抜いた。


「ええ元気よ。お忙しいところに突然訪ねてごめんなさい」

「平気です、今は休憩中なのでぇ。私に何の御用でしょうかぁ?」

「……あ……あのう。化粧品を……売ってほしくて」


 チュニカさんの眉がぴくりと動く。それ以上の反応をしてくれないので、あたしは言葉を変えた。


「口紅を……ね、ひとから貰ったんだ。それがすごく鮮やかな赤色で、すっぴんに塗ったんじゃ浮いちゃってさ。しょうがないから、それに合わせて白粉ファンデーションとか頬紅チークとか、いろいろ着けようとしたけど、そういえばあたし実家の荷物ぜんぶ失くしちゃってるからさ」

「ふふん。私、化粧品屋ではございませんよ」

「わ、わかってるけど、他じゃ買えなくて。ほら、オイラ商店街じゃまだ男のフリしてるから――」

「工房で雑貨として取り扱うかもーとか言えば仕入れできますよねえ。隣町に行くって手もあるしぃ」


 チュニカさんの表情は全く変わらない。あたしの言葉に嘘があることを見抜かれ、待たれている。あたしはとうとう言った。


「……何を買って、どうやって着けたらいいのかわからないの。シャデランの家ではいつもお母様が買って、勝手に塗ってた。あたし、自分でお化粧したこと一度もないんだ……」


 ――にっこり。そんな擬音が背後に見えるような満面の笑みを浮かべる湯番。

 その口紅の送り主とか、男装はやめるのかとか、何のために化粧をしたいのかなんて尋ねてこなかった。

 ただ風呂場へ繋がる扉を開き、あたしの手を取る。まがまがしいほどに優しい微笑みで、あたしに甘く囁いた。


「畏まりました。すぐに美肌湯の準備を致します」

「えっ、お風呂? あたしはただ化粧を」

「いーから、このチュニカにお任せを。女が化ける魔法を、すべて教えて差し上げますわ」



 全身から、爽やかで甘い花のにおいがする。

 ここ数ヶ月、井戸水と石鹸で洗っていた金髪は、謎の洗剤やオイルで梳かされ、つやつやでフワフワ。髪結いの完成形は決して贅沢ではない。淡い水色のリボンを一緒に編み込んで、すっきりとハーフアップにしただけ。それだけで、宝石付きのティアラを重ね付けしたくらいに華やいでみえた。


「アナスタジア様は、お顔立ちに華がありますから。盛るより見せるほうがいいんです」


 そういって、彼女が押し付けてきたドレスはやはりまたシンプルだった。リボンと同じ明るく鮮やかな水色一色で、ヒラヒラのフリルやレースも無い。シルエットこそプリンセスドレスの形だけど、落ち着いたデザインだった。オフショルダーでむき出しにした肩が差し色だというのだろうか。そんな馬鹿な――なんて笑えない。実際、あたしの白すぎる肌は真珠のネックレスみたいにドレスを飾り、確かに彩りよく見えるのだ。

 そして、赤い唇。頬紅は無垢な少女らしいピンク色ではなく、オレンジがかった珊瑚色コーラル。アイシャドウはブラウンに近いゴールド。

 あたしはゆっくりと手を上げて、鏡に映る、自分に触れた。


「……青い服なんて、初めて着た。それにこんな、大人っぽいメイクも」


 ふふっ、と笑い声を上げるチュニカさん。


「素敵でしょう?」

「あたしには絶対、似合わないと思ってたわ」

「あら、どうしてぇ?」


 問われて、どうしてだったろうかと思い返す。


 ああ、そうだ……お母様がそれを許さなかったからだ。


 あたしは母の『作品』だった。メイクも衣装も髪型も、母が見立てたものを着けてきた。そのセンスが悪かったわけじゃなく、実際、あたしには少女らしいピンクのメイク、フリフリヒラヒラのプリンセスドレスがよく似合った。シャデラン家の自慢の娘――小柄で童顔で、いつまでも少女のよう、お人形のよう、無垢な天使のようだと、男たちからそう褒められてきた。

 だからあたしも、そう思っていたんだ。大人の女性のフリなんて、似合うわけがないって。


「似合わないわけがないじゃないですか。あなたは大人の女性ですもの」


 『魔法使い』はなお呪文を囁く。


「ひとは、自分がそうなりたいって強く思えば、そういう顔になってくるものです。

 お綺麗ですよ、アナスタジア様。今のあなたならきっと、王子様だって夢中になるでしょう」



 それからチュニカさんは、使用した化粧品に、その塗り方のメモを付けて渡してくれた。お金を払おうとしたけど、「グラナド商会のサンプル品でいっぱいありますから」と受け取ってくれなかった。


 上から下まですっかりドレスアップして、庭園を縦断し、門のほうへと戻っていく。居候中は嫌になっちゃうほど長いと思っていた回廊が、今日はなんだか、いつまでも歩いていたい気持ち。それでいて焦れったい、早くここを出て家まで帰りたい気持ち。街を歩いてみたい気持ち。


 ……なんだかな。なんだろうなあ。

 勝手に顔がニコニコしてくるの、なんだろう。

 ほんと、なんなんだろう。

 誰かに、今のあたしを見せたい気持ち。会いたい気持ち。


 今ここにいないのに、嬉しくなってしまう。そんな自分が、ちょっと可愛いような気がしてくる。それがくすぐったくて可笑しいの。不思議な気持ち、なんだろうな。


「ぐふっ」


 つい、笑い声が漏れた。あんまり可愛い声ではなかったので、あたしは慌てて口元を押さえ、自分にしか聞こえない声でクックッと笑った。




 グラナド城の門前まで来ると、そこに門番のトマスさんと、妹、マリーがいた。

 トマスさんから話を聞いていたのだろう、あたしの訪問にマリーは驚かなかった。

 しかし笑顔でもなかった。少し久しぶりに会ったのに、妹はにこりともしない。

 長身の妹は、そうして静かに佇んでいるとどこか怖い……威圧的な迫力がある。

 思わず怯みながらも、手を振るあたし。妹はそれにも応じなかった。ただ静かに、叱るような厳しい声で、あたしに言った。


「お姉様。そのお姿は、誰のためのものですか」


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― 新着の感想 ―
[一言] …………どうか自分を受け入れやっと踏み出した歩が揺れませんように
[良い点] 魔法使いって思っちゃうのかわいいね 褒めることが悲しませることになると思った?いやんスレ違い
[良い点] いくらアナスタジアが自分をオイラと言って男の子の格好をしていても、元々がとっても可愛い子なので、「ぐふっ」はイメージに無く、思わず笑ってしまいました。 チュニカさん、相変わらずのハイスペッ…
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