カラッポ姫に紅を引け (中編)
カウンターテーブルに『三つの品』を並べて、あたしは唸っていた。
「……うーん……」
ひとつは、昨日完成したブローチ。こちらの出来は上々。
もうひとつは同じく昨日、謎のハイテンション令嬢からいただいた口紅。
それともうひとつ……黒縁の眼鏡。縁の歪みを直す依頼で、とある軽薄な男から預かったものである。
「……うぅーん……」
唸りながら、テーブルに顎を載せる。
歪み直しの作業はとっくに終わっている。あの軽薄男は、軽薄なわりに仕事は真面目らしく、しばらく忙しいので引き取りは数日後と言われていた。それから、数日経っている。すなわちもうじき――もしかしたら今日にでも――。
「うーん……ん。んん?」
唸りながらテーブルの上で、首を傾げる。それからすぐに顔を上げた。
「いや、関係ないし」
あたしは席を立ち、ブローチと口紅を鷲掴みにして、釦屋ノーマンを後にした。
王都中央市場は、大きく分けて三つのジャンルで展開している。王宮にもっとも近いのが、あたしの暮らす釦屋ノーマン含む『職人街』。市街地に向かって進んだ先に、日用品や男性用衣類を主とした『道具屋筋』。そこには食べ物の屋台が多く並んでいて、あたしは頻繁に出入りしていた。ちなみにその先には、婦人服や雑貨の『婦人街道』があるけど、納品以外では用事が無い。
いつもの『道具屋筋』、お得意さんの店。いつもの屋台の串焼きにかぶりつきながら、いつものように、あたしは言った。
「ようナージ・ルー、ご注文の品を持ってきたよはいどうぞ。ところでコレって買い取りできる?」
「なんやねん、えらい早口で。やましいことでもあんのか」
馴染みの女店主は、いつものイプス商人言葉でそう言った。彼女は王国語が話せないわけではないが、あたしにはイプス語が通じると知って以来、気さくに話す。
だから今のもただの冗談……いつもの掛け合いだと分かっている。だからあたしは、やっぱりいつもの通り、ヘラヘラ笑った。
「そ、そんなのはなにも、どうでもいいだろ。それより、いいから査定してくれ」
ぶっきらぼうな仕草で、出来たばかりのブローチと、頂いたばかりの紅を渡した。
イプサンドロスの商人ナージ・ルーの店は、外観こそ粗末だけど品は一流。店主は目が利く。貝殻を模した物を見てすぐ眉を顰め、中を開けて、苦笑した。
「アーサー、あんた一体どこでこんな物を……こりゃ大変な品やで」
「上客からの心付けだよ。やっぱり高価なのか」
「心付けでもらえるもんとちがうわ、どこの貴族様やねん。なんぼうちかて、こいつ買うたら資金がカラッポや。釣り銭が無ぅなってまうわ」
「コレが売れたら戻ってくるじゃん」
「売れん売れん。コレが買える客はこの市場を通らへん。大体、うちは男物の店や」
パタパタ手を振りながら突き返される。あたしは困り果てて、もう一度ナージ・ルーに押しつけようとした。
「買い叩いていいから、受け取ってよ……なんならもう、ナージ・ルーにプレゼントする」
あたしの言葉に、ナージ・ルーはピクリと眉を顰めた。深い彫りの奥、緑の瞳がギラリと光る。いつもは気の良いおばちゃんに、ギクリとした。
「な、なに」
思わず後ずさったあたしの、紅を持つ手が掴まえられた。ナージ・ルーは、低い声で囁いた。
「ほならね、アーサー。あんたが一回、それを使いな。そしたら中古品で安ぅ売り買いできる」
「はぁっ!?」
何の冗談――いや、ナージ・ルーは笑いもしていなかった。前屈みになり、あたしの帽子の下、顔を覗き込んでいる。
「ええやん、たまにはそういう格好で外に出てみたら。なんやったらうちの化粧品や女物も貸すし」
「あっ……、あ、あほ言うなっ! オイラは男だ、変態ごっこは御免だよ!」
ナージ・ルーの手を振り払い、あたしは駆け出した。
全力疾走で市場を抜けて、工房に戻る。
入ってすぐ目の前にあるカウンターに、黒縁の眼鏡が鎮座していた。あたしは何か猛烈に腹が立って、そいつを鷲掴みにした。
「――こいつのせいでっ……!」
こんな物が、ここにあるから。
これをいつ取りに来るのだろう、明日か今日かって、考えさせるから――!
握りつぶしたい衝動、葛藤は数秒間続いた。
やがて、その手をゆっくりと開く。結局、力を入れて握ることも出来なかったらしい、眼鏡には歪みはおろか指紋すら付いていなかった。
あたしは、顔を上げた。
ゆっくり歩いて、工房の奥へ向かう。突き当たりの壁には大きな鏡がある。客の試着用であり、あたしたち職人が自分を映すものではない。そこへ、あたしは初めて、自分の全身を映した。
……ふわふわの金髪は、もう肩よりも長く伸びている。帽子を取ってしまえば青い瞳は隠しようがない。昔から、実年齢より若く見られていた。もう二十歳なのに子どもみたいに丸い頬、こぢんまりした鼻や唇も……変わらない。かつてシャデランの屋敷で、お人形のようだと讃えられていたあの時と……あたしは何も、変わっていなかった。
――少年になんか見えなかった。
あたしは、笑った。
「だめだこれ」
口に出してみると、さらに笑えた。ちょっと乾いてはいたけども、決して卑屈な笑いではなかった。
――ああ、あたし、女だ。
その事実をただすんなりと受け入れる。
なんでだろう。それが怖いことでも、嫌でもない気がしたの。
王都中央市場は、名前の通り王都の真ん中にある。
この一本筋を東へ抜けると下町、さらに進めば王都の外れ、やがて運河に行き着く。ちなみにさらに東へ行けばシャデラン領。
西に抜けると、とても広い道路になっている。この道がディルツ王都の大動脈だ。通称はそのまんま『大通り』。王都を南北に縦断しており、乗合馬車が絶えず行き来している。市場に近いこのあたりだと、金持ち向けの百貨店が並んでいた。
あたしは今まで、この大通りに出たことが無かった。いや、正確には何度かある。裸に男物の服一枚羽織って夜通し歩いたときと、グラナド城へ連れて行かれたときだ。どちらも良い思い出ではない。
それにここは人通りが多く、そしてみんな着飾っている。『薄汚れた職人』は場違いだ。
だから、オイラはこの道路が嫌いだった。
だけど、あたしは。
乗合馬車の停車場で、あたしは行列に並んでいた。周りから不躾な視線と、遠慮がちなヒソヒソ声が聞こえる。
「――声をかけるだけ……」
「馬鹿、無理だって、やめとけ。絶対お相手がいるし、そうでなくても――」
「分かってるよっ、だからホントにちょっとお話、いや声を聞いてみたい……」
あたしは振り向いた。ギクリと身をこわばらせた男達に、ドレスの裾をつまんで会釈する。
紅を引いた唇を、笑顔の形にして。
「こんにちは。少々お尋ねしてもよろしくて?」
「なんでもどうぞ!」
「どうもありがとう。こちらの馬車は、南のグラナド城そばまで行くのかしら」
「はい寄りますよ。どうぞお乗り下さい、レディ」
あたしの質問に答えたのは、男達ではなく乗合馬車の御者だった。あたしは御者と、後ろの二人にも礼を言う。
馬車に乗ろうとすると、また別の男達が寄ってたかってあたしの鞄を持ち上げ、掲げてくれた。あたしはまた礼を言いつつ、馬車から身を乗り出し鞄を取り上げる。
直後、あたしの目の前で扉が閉められた。
「これで満員ですね。出発します」
エッ、と声を漏らす男達を放置して、乗合馬車は進み始めた。急ぎのようでもあったのだろうか、何人か、走って馬車を追いかけている。
「ごめんあそばせ」
あたしが窓から手を振ると、彼らはみな笑顔で振り返し、そして遠ざかっていった。




