カラッポ姫に紅を引け (前編)
夏の暮れ。いつもの昼下がり、いつもの「釦屋ノーマン」、いつもの日常。
あたしにとって特別でも何でもないその日……ちょっと珍しいお客様が来た。
「ごめんあそばせ! わたくしとある方から紹介されてきましたの! お時間頂戴できますかしらっ!?」
と、扉を開くなり高らかにまくし立てたのは十五、六歳ほどの少女だった。
白銀色の髪に「可愛い」と「愛嬌がある」の間のような顔立ち。身につけたアクセサリやドレスの仕立てで、相当なお家柄の令嬢だと見て取れる。その後ろには侍女らしい、これまた正装の女性が荷物を持って控えている。
「……あ、はい。ではちょっと待ってくださいね」
あたしはその時、カウンターでブローチの細工仕上げをしていた。小さな宝石粒を金属の土台にそっと載せ、ツメを巻き込むことで固定する。接着剤を使うと石の輝きが濁るからだが、しっかり締めておかないとポロリと取れてしまうのだ。ここは気が抜けない作業だった。
「釦屋ノーマン」は、元来、店ではない。工房だ。新規客の接客よりも、先に受けた仕事をきちんと仕上げることが最優先。たとえどんなに金持ちでも大貴族でも。あたしはノーマン爺にそう教わったとおり、ご令嬢を待たせることにした。
細いツメを一本一本、さらに細いペンチで摘まみ、じっくりと圧をかけて巻いていく。完了したら指ではじき、逆さにして雑に振る。よし、落ちてこない。完成だ。
「お待たせしました。えっと――」
顔を上げると、令嬢と至近距離で目が合った。令嬢は待たされて怒るどころか、まじまじとあたしの作業を見つめていたらしい。子犬のようにまんまるの目がキラキラしている。思わずあたしの頬が緩んだ。おっといけない……あたしはぶっきらぼうな口調を作る。
「なんの紹介だって? 既製品の釦ならたいていのものを置いてるけど、仕立てるならちょっと時間をもらうよ。職人のノーマン爺は今、入院中だからな」
「あら、あなたが作るのではなかったの?」
「オイラは見習い。ただの店番さ」
「ふうん? でもその細工は見事ですわ。十分プロの職人のように思えますけど」
いとも簡単にそう言う令嬢。あたしは歓声を上げそうになったのを慌ててこらえる。帽子を深くかぶり直し、そっぽを向いた。
「お世辞はよせやい。これはただお得意さんの依頼で……オイラはここに来てまだ半年――いや実家でも古着を寄せ集めて仕立ててたから、このくらいの手直しはできるけど。でも専門は衣服の縫製だから」
「ああやっぱり、衣服の仕立てはあなたなのね。なら、マリーに聞いていたとおりだわ」
マリー? ……って、妹のマリー・シャデランのことよね。ということはこのご令嬢、グラナド家ゆかりの娘なのかしら。
キョトンとしているあたしを放って、令嬢は侍女に合図をし、鞄から紙束を取り出させた。数十枚はある上質紙を広げ、あたしの前に突きつける。あたしは目をぱちくりさせた。
「こ、これは?」
「デザイン画でございます。お嬢様がお描きになりました」
侍女が応える。立ち姿からしてまだ若そうだが、顔の半分を隠す長い前髪に大きな丸眼鏡、編み込みをひっつめにした色気のない出で立ちの侍女は、口調もまた、愛想のかけらもない。なんのことやら……生返事を返すあたしに、令嬢はさらに声を高くした。
「そう、わたくし頑張りましたの! とある機会にあなたがデザインしたという衣裳を見て以来、もう取り憑かれたように頭から離れなくて!」
「はあ?」
「立場上、わたくし自身はこれを着ることが許されません……けど、わたくし専属の侍女ならたくさんおりますわ。制服にすれば毎日の景色がバラ色でしょう? そう考えたらいてもたってもいられなくなって、発注用にデザインを描き始めたらますます止まらなくて――」
「……はあ」
数枚、手に取ってみる。モデルは女性……なのだろう、たぶん。赤毛の髪が生えた丸太棒の胸あたりがモリッと膨れており、リボンやらフリンジやらがついた煌びやかっぽい服のようなものを着けているのは分かる。これは紋章かな? 踏まれて潰れたカエルみたいだけど、翼を広げた鷹のようにも見えなくはない……。
「だけどなかなか、頭にあるものを絵に出来ませんでしたの。絵画の授業を、これまでサボタージュし続けたのを深く後悔しております……」
しゅん、と見るからに落ち込んで肩を落とす令嬢。ふむ……。
「……ごめんなさい。こんな下手くそな絵では、注文書になり得ませんわよね……?」
「いや? これでもなんとなくは伝わるし、別に絵にしてもらわなくても大丈夫ですよ。こっちが一回ラフを出すから、それ見て修正してほしいとこ言ってくれたら」
あたしが言うと、パッと顔を輝かせる。喜怒哀楽の激しいお嬢さんである。
あたしは工房のデスクからスケッチブックを取ってきて、令嬢の前でザッと数枚、ラフにデザインを描いてみせる。
「色合いは白ベースでいいですか? 黒や深紅、青色ってのもありますけど」
「わわっ、わあ早っ――」
「いずれにせよ肩のフリンジは金糸ですね。ゴテゴテ重そうにすると格好いいですが、華奢な女性が着ると無理やり感がでて、かえってたおやかに見えてしまいます。だから肩幅を盛るよりもむしろウエストを締めることで、逆三角形の凜々しい背中に……完成図はこんなかんじで」
「ああっ、あっあっあっ……!」
「現在、王国で女性用のズボンといえば乗馬用しかありませんが、屋内での仮装用ならば見目重視でスリムなものを……ヒール付きのニーハイブーツと合わせると……」
「あああああ」
うなぎ登りのテンションで、「理想の具現化ですわ!」だの「あなたはわたくしのココロが読めるんですの!?」だの、「夢のようです!!」だの叫び続ける令嬢。そんな調子だから、デザインはすぐに決定した。令嬢はそのキラキラした目で、決定稿とあたしの顔とを何度も何度も往復して見つめる。
「素晴らしいです! では、これで十着! 最速だとどのくらいで出来そうですのっ?」
「待って、これはそれぞれ体に合わせた裁断が必要だから、侍女さんたちの採寸をしなきゃ」
「ああそうですわね、では近いうちにみんなを連れて」
「この工房に十人も入らないよ。オイラがそちらを訪ねようか。一着、サンプルとして仕上げたらそれを持っていくよ」
「そんな……先生にご足労いただくなんて恐縮です。最高のお茶とお菓子を用意してお待ちしておりますわ」
せ、先生……?
「ども、お構いなく。しかし全部オーダーメイドになるから結構な値段になるよ。お嬢さん、おうちは金持ちなんだろうけど自分のお小遣いってのはあるのかい」
イヤミじゃなく、あたしは尋ねた。実際あたしがシャデラン家にいたとき、自分用の小遣い、財布というものは持ったことがない。これはシャデランが特別貧しかったからだけでなく、貴族の娘にはよくあること。きっと家に請求することになるだろう。
おいくらですかと聞かれて、あたしはとりあえず、期待よりも高値で回答した。そこから値下げ交渉が始まるのを想定してのことだったが、令嬢はすぐに頷いて、
「安いっ! それくらいなら今すぐ、前金でお支払いいたします」
「納品の時でいいんだけど」
「サンプルを作るにも材料費が必要でしょう? 資金だと思ってまず先に受け取ってくださいまし、うちに来られたときに、残り九着ぶんをお持ちしますわ」
「へ? いや、今言ったのは十着分の総額で――」
「マオ、わたくしの財布をここへ! それからウチの住所を書いて差し上げてっ」
「かしこまりましたお嬢様」
「聞けよオイっ!」
というあたしの絶叫は、令嬢にはもちろんお付きの従者にすら無視された。
金貨とメモを受け取って、まいどーと礼を言いながら、打ち合わせ中に没となったデザイン画をスケッチブックから破く。と、丸めて捨てようとした手を、令嬢にガシッと掴まれた。……どうやら欲しいらしい。手を離すと、令嬢はその没デザインを芸術絵画のように抱きしめた。……なんだかその背景に、「感無量」の文字が見える。
「あなた様は、神ですわ……」
……本当におもしろい娘だなあ。
そのテンションにあたしは完全に置いてけぼりになったけど、正直、悪い気はしなかった。ほころびかけた頬を帽子を直すフリして隠し、立ち上がる。なにはともあれ大口の依頼、それもスミス・ノーマンのオコボレではなくあたしだけの仕事だ。それも、子どもの頃からずっと憧れていた、男装服の仕立てだなんて、ワクワクせずにはいられない。客を見送るより先に、作業に取りかかりたくて仕方なかった。
作業スペースで型紙を作り始める。
しかし、顔を上げると令嬢がそばにいた。さっき出て行ったと思ったのに、また戻ってきたらしい。
「なんだい、忘れ物か」
「あなたへの感謝の気持ちは、金銭の報酬だけで尽くしきれません。こちら、きっとあなたに似合うから使ってくださいまし」
差し出された小さな手のひらに、それよりも小さくて白い……貝殻? ブローチか小物入れかな。
「はは、ほんと至れり尽くせりだな。ありがと」
あたしは遠慮しなかった。こういう、報酬とは別の報償や土産はさほど珍しくない。軽い気持ちで受け取って、外観の意匠を眺め、蓋を開く――瞬間、あたしは目を見開いた。
二枚貝を加工したコンパクトケースには、鮮やかな赤の染料が詰まっていたのだ。おそらく真珠の粉末が入っているのだろう、虹色の煌めきを持つ化粧紅……これは小物入れではなく、女性用の、口紅だった。
「あっ――な、なんであたしっ――!」
声にならぬ悲鳴とともに顔を上げたが、令嬢はいない。来店したのと同じ唐突さで、白銀色の髪をした少女は姿を消した。
「ああもうっ、なんでだっ!?」
あたしは帽子を取り、乱暴に頭をかいた。クセの強い金髪があたしの手の中でさらにクシャクシャになる。手のひらにおでこを押しつけて、あたしは低い声で呻いた。
「くそっ……。……髪、伸びたのかな……」




