初めまして、よろしくですわ
グラナド城は、王都の最南部にあった。
住居としては王宮の方が大きい、けど、ぐるりと囲む城壁は高く、分厚い。
そんな白亜の城を、馬車の小窓から見上げて、わたくしは思わず呟いた。
「……初めて来たけど……なんだか、物々しいかんじですわね……」
「当然だ。ここはもともと要塞なんだから」
座ったまま腕と足を組み、リヒャルト兄が言う。なぜか、フンと鼻を鳴らしつつ得意げに。
「今でこそ王都内で外れのほう、ここより南も王国領だけど、建立当時はここが国境であり戦争最前線だったのだ。王都を護りつつ侵攻の拠点、ディルツの盾であり矛がこのグラナド城なのだよ。物々しくて当たり前さ」
あら、リッキお兄様ったら、珍しく長く喋るわね。そんなことを思いながら、わたくしは首を傾げた。
「でも、その城主のグラナド公爵は、王弟でしょう? だったら居城は、王宮並みに豪奢で快適に作られるはずじゃありませんの?」
でないと、わたくしが今後過ごしにくい……と続けたかったのに、お兄様は全く、どうでもいいところに食いついた。
「ジークフリート・グラナド・ディルツ辺境伯。グラナド公爵の位を戴くのは戦後」
「……あ、そう。で、その辺境伯は王族なのですから――」
「ディルツ王家は長男が国王、次男以降は軍団長に就くのが古来よりの慣わし。ジークフリート・グラナドは物心ついた頃から騎士団宿舎で戦闘訓練に明け暮れていた本物の武闘派だ。華やかな暮らしなんてしたこともないんじゃないかな」
「……じゃあ戦後でも、お城を可愛らしくリフォームしようかなっていう発想」
「はぁ!? なんてことを言うんだレイミアあるわけないだろ! グラナド城は質実剛健、軍事的な実用性すなわち機能美を追求してるんだからそんなもったいないことっ!」
突然、兄の声が大きくなった。鼓膜がビリビリし、わたくしは思わず両耳を塞いだ。それでもリッキ兄の絶叫、もとい講釈は止まらなかった。やれ材質だの廊下の幅だの天井高だの、耳を塞いでもうるさいくらいに大声だし早口だし、こっちの相槌を一切待たない。
「ちょ、ちょっとお兄様っ?」
「そもそもディルツは軍国だからな! 古代から飛び抜けた戦闘力を持ち、国土を耕すより農業国をまるごと占拠することで農地を得て豊かになっていった!」
「ええ、分かりましたわ。もう結構――」
「二百年戦争は東部最大の豪族シャデラン家を支配して兵糧が安定したから出来たとも言われてる。酪農を荘園に丸投げすることで、ディルツは税を兵力に集中させられた。すなわち荘園が軍を支え、王弟グラナド伯の剣がこの王国領を作り上げたとも言える――」
「てぇいっ!」
「ぎゃん!」
わたくしはリッキ兄の脇腹に手刀を差し込んだ。悲鳴を上げうずくまるお兄様。やっと静かになったので、わたくしは彼に相槌を打った。
「わたくし、そこまで聞いておりません」
「……痛い……」
「痛いのはわたくしの鼓膜です」
ああ本当に、耳がヒリヒリしますわ。
耳たぶをモミモミしながら、わたくしは車室の扉を開いた。
城門の目の前である。扉を開くとすぐに、人間がいた。王宮付きの御者ではなくグラナド城の門番だ。
「こんにちは。ようこそ、グラナド城へ」
わたくしとさほど変わらぬ年だろう、小麦色の髪に素朴な顔立ち、軽い武装をしている。警備兵というよりはただの受け付けらしく、わたくし達をにこやかに出迎えてくれた。
わたくしはドレスの裾を抓んで広げる、簡易的な挨拶を行った。
「こんにちは、グラナド城の門番さん。伯爵にお目通し頂きたいの。ここを通してくださる」
「旦那様でしたら不在ですよ」
「えっうそ、なぜ!?」
叫ぶわたくしに、門番さんはむしろ不思議そうに小首を傾げた。
「キュロス・グラナド伯爵は、ここの城主であらせられると同時に、グラナド商会の大旦那様です。どちらかというとお仕事に出ていることのほうが多いんですよ。何か、お約束されていたのでしょうか?」
そう言われてハッとする。そ、そうか、事前に連絡しておけばよかったのね。わたくしも国王や王太子ライオネルもいつも王宮にいるから、お留守という発想がなかったわっ。
むうっ、どうしたものかしら……。
俯いたわたくしを、門番さんは気遣ったらしい。明るい声で提案してくれた。
「夜には戻られるはずですから、城内で待たれます? マリー様ならいらっしゃるし」
マリー? というとキュロス様の婚約者、もとい田舎男爵の泥棒猫娘――
……これは、むしろ好機かもしれない!
わたくしの後ろで、リッキ兄がやれやれと肩をすくめた。
「会って楽しい相手じゃないな。仕方ない、出直そうレイミぁ痛ッ!?」
兄のスネを蹴って黙らせてから、わたくしは門番さんに微笑んだ。
「マリー・シャデラン様ですね。ええぜひお会いしたいわ! もともとわたくし、彼女に用があってきましたの!」
「マリー様に? では恐れ入ります、お名前と、ご用件をお伺いします」
「ああ、申し遅れましたわ。わたくしの名前はレイラ。マリー様お付きの侍女となるべく、研修で参りましたのよ」
「――は!?」
叫ぶ兄の足を踏む。
「いぎゃ」
「お兄様、わたくしに話を合わせてくださいまし!」
門番さんに聞こえないよう、耳打ちで叱る。
事前に何も聞いていない門番さん(当たり前だ、わたくしが今考えたのですもの)、不思議そうに首を傾げた。
「侍女? 研修?」
「ええ、こちらは同じく従僕見習いのリッチモンド、わたくしたち王宮から派遣されて来たのですが、何か行き違いがあったようですね」
「王宮から派遣って、またルイフォン様の紹介ですかね。……あのハンナとイルザの後釜か……」
ラッキー、何か前例があったみたい。わたくしの弁を信じたようなのに、門番さんは簡単には中へ入れてくれなかった。むしろ警戒心を強めたようだ。
「うーん。今キュロス様も、侍従頭のミオ様も留守でして、勝手にお通ししていいものかどうか」
「あらどうして? わたくしはマリー様の侍女になるのよ。マリー様じきじきにご審査いただき、気に入らなければクビになさるでしょ」
「ん、んんん……どうかなあ大丈夫かなあ……」
思考の海に沈んでいく門番。何よ、まだるっこしーですわ!
苛々を押し殺して待つわたくしに、兄がコソコソ囁いた。
「どういうつもりだいレイミア、なぜ王女の身分を隠すのだ」
「相手はキュロス様の現、婚約者ですわ。わたくしが恋敵と知られては、どんな意地悪をされるか分かりませんもの」
「だからその、恋敵に会ってどうするんだよ」
「ふっふっふ、そこがわたくしの賢いところですわ。聞くところによればシャデラン家は、田舎の貧乏男爵という底辺貴族。娘のマリーはどうにか令嬢の体裁を保っても、使用人の前では気を抜いて、化けの皮が剥がれるはず……そこを、キュロス様に進言して差し上げますの」
「なるほど。相手のミスに付け込んで密告るのだな。さすがレイミア、陰湿だが良策だ」
……。合ってるけど、なんとなく気に障ったので、わたくしはもう一度、兄の足を踏んでおいた。
「しかしこっちも使用人のフリなんて、うまく出来るのか? おれは生まれてこの方、父母と兄上以外に頭を下げたことがないぞ」
「だ、大丈夫ですわ。普段、侍従を見ている通りに真似ればいいのですわ……」
兄との相談が終わっても、門番さんはまだ決心しかねるようだった。なぜこんなに警戒しているのだろう? 本当に熟考の末、ぺこりと頭を下げてきた。
「やっぱり、ごめんなさい。僕だけの判断で通すわけにはいきません。ただの来賓ならばともかく、新しい侍女の審査となると……あの方は、お優しいひとだから」
えっ、断られた!? 優しいから? どういうことだ?
わたくしは説明を求めたけど、門番さんはもう頑として譲らなかった。毅然と首を振り、最大級の譲歩として、城塞の客室を用意するという。そこでキュロス様か侍従頭の帰還を待てですって。冗談じゃないわ!
どうにかして、キュロス様達より先にマリー・シャデランと出会わなければ……。
その時、門番さんの真後ろ――城のほうから、涼やかな声が掛かった。
「トマス? なにかご用事中?」
門番さんは振り向くと、背筋を伸ばしつつ、ぱっと顔を明るくさせた。
「マリー様!」
えっ、マリーですって?
わたくしは慌てて横にずれ、マリーと呼ばれた女の姿を確認した。
そして、ガッカリと肩を落とす。
……なんだ、使用人か。
マリーは、この王国で一、二を争うくらいにメジャーな名前、同名の他人がいても何も不思議なことはない。
だって仮にも伯爵夫人、男爵令嬢が、こんなずたぼろのわけがありませんもの。
背の高い女性だった。年の頃は二十歳前後――いやもう少し若いかしら。切れ長気味の目に細い鼻、尖った顎という愛嬌のない顔立ちに、そばかすがいっぱいで年齢が分かりにくい。すっぴんらしい……化粧をすれば美人かも? いや、ないわね。頬に土が付いているような女、着飾ったところでたかが知れてるわ。
女は、全身がずたぼろだった。
職業は庭師だろうか。クセのある赤毛は雑に結ばれ、モッサリとした毛玉みたいになっている。長袖長ズボンの作業着は泥だらけ、しかもあちこち裂けたように破れていて、やはり汚れた手には、これまた小汚い猫を抱いている。猫は興奮状態で、女の赤毛にじゃれついていた。
門番さんはクスッと笑った。
「何やってるんですか、そんな泥だらけになって」
「ふふ、ヨハンと一緒に芋掘りしてたの。そこにずたぼろがジャレてきて、転んじゃった」
「農作業はベリー摘みくらいにしておきましょうよ。そんなにドロドロになって、チュニカさんに叱られますよ」
「チュニカに見つかる前に着替えるわ。これはあなたへの口止め料」
そう言って、女はポケットから、土の付いた芋を取り出した。眉を垂らした門番に、さらにもうひとつ、ふたつ、みっつよっついつつ……門番はとうとう吹き出し、破顔した。
「あはははは、いくつ持ってきたんですか、僕こんなに食べられませんよー」
「ほかの門番にもひとつずつ分けて。これヨハンが長年、品種を掛け合わせて作った新種らしいの。期待通りたくさん採れたから、味の感想を聞かせてちょうだい」
と、話しているところで芋がひとつ、地面に落ちた。すかさずジャレつく猫。女は慌てて芋を拾い、猫から護るように、土まみれの芋を胸に抱いた。それを見てまた笑う門番さん。
…………なんか……平和ね?
いかつい城塞の背景とのギャップで、わたくしはポカンとしてしまった。嬉しそうにグラナド城の兵力を語っていたリッキ兄も、気が抜けたに違いない――と思ったら、馬車の陰に隠れてぷるぷるしていた。そうかお兄様、女性とあらば、あんな泥だらけの庭師でも駄目なのか。
「はあーあ、もぉー……」
わたくしは盛大に溜め息をついた。
それで、女は門番さんの陰にいた、わたくしの存在に気付いたらしい。ギョッと目を剥いた。
「! トマス、お客様がいらしてたの!?」
「あ、ああ忘れるところだった。ええとその……なんというか」
モゴモゴ、なにか誤魔化すように視線を泳がせてから、ふと微笑む門番さん。
「いや、やっぱりもう、大丈夫かな、うん……。マリー様、この方、と、もうひとりあっちにいるのは、新しい使用人候補です。侍女のレなんとかさんと、従僕のリッチなんとかさん」
「侍女!? 従僕!?」
芋を持ったまま首を左右に振り回し、挙動不審になる女。庭師は、侍女とは同じく使用人といえどその身分ははるか下。畏まってしまうのも当然ですわね。
わたくしは貴族令嬢らしい、優美なお辞儀を行って、庭師女への配慮を見せた。
「ええ、突然の訪問、ごめんあそばせ。わたくしの名はレイラ。キュロス・グラナド伯爵の婚約者、マリー・シャデラン様お付きの侍女として、これからお世話になりますわ」
「えっ!? ……え、ええ。そ、そうなんですか? ええと――」
チラチラと門番に視線を送る庭師女。門番がキョトンとしているのを見て、なにか諦めたように息を呑む。
そして、ゆっくりを膝を曲げ、腰を落とした。王侯貴族式の、正式なカーテシーだ。
庭師女マリーは、背が高い。そうすることで、わたくしとちょうど視線の高さが合う。
そばかすだらけのすっぴん、泥の付いた顔。わたくしをまっすぐに見つめる山吹色の瞳――
「レイラ様……ですね。畏まりました。ようこそ我がグラナド城へ。こんな格好でのお出迎えとなり申し訳ございません。初めまして。マリー・シャデランと申します」
「……へ?」
思わず、ひどく素っ頓狂な声で聞き返し、わたくしは目をぱちくりさせた。




