嘘
目を開けたら違う場所にいた。
それが最初に感じたことだ。
落ち着くために一呼吸すると、トウマは辺りを見回す。
「(礼拝堂から少し離れたとこか…)」
見える範囲に十字架がある。声や音は聞こえないがすぐに行ける場所に立っている。
「(…俺は、どうなってる?)」
一番、気になっているとこは今の自分がどうなっているかだ。
近くに鏡やガラスがないので瞳の色を見ることはできないが、一つ分かることがある。
皆のことを思い出すことができる。つまり、自分はまだ能力者だ。
計画は成功した。少なからずそう思う。
去年の夏に佐月と出会った。
佐月は大天使ユルディスに仕えていたフィアの能力者で、物語の過去でフィアはスーマを逃がすために転移魔法を使って居城の外へ転移させた。
それを思い出した時、佐月の能力も切り札になると思った。
何故かは分からないが、能力を封印する言葉は自分と高屋だけが使える。
物語の能力なら物語の能力で対処できないものか。
カズとフレイだけが使える無効化魔法、大野の祈りの言葉、佐月の転移魔法、それらのどれかが働けば、高屋の封印の言葉から逃れられるかもれないと考えたのだ。
「(あの時、確かに高屋は俺に触れた…)」
高屋に触れられ、言葉を発動させた時に力を発動させろ。四人にはそう伝えてある。
いつ高屋と接触するか分からないし、失敗する可能性は十分にある。
失敗すれば自分は物語の能力を失い、覚醒してからの記憶を失ってしまう。
それが怖いと思ったのはいつの頃だろうか。
それくらい、架空の物語を通じて出会った麗達が大切だと思うようになったのだ。
結果、計画は成功した。
計画が成功したことを伝えたい。
けれど、その気持ちをぐっと堪えた。
今、合流することはできる。麗達はまだ礼拝堂の近くにいるだろう。けれど、高屋や神崎、結城達に計画が知られ、同じ手が使えなくなってしまう。
これは切り札だ。
敵に手の内を見せたくない。
トウマは走り出そうとした足を止め、一呼吸の間を置く。
「(あいつらの困った顔を見ることになってしまう)」
これから、一番大きな嘘を貫かなくてはいけない。
能力を封印され、知らないふりをする。
「(レイや大野は泣くかもしれないな)」
結界を張られてしまえばそれで終わりだ。
自分が能力者であることがばれてしまう。
不思議なことに、大学部の敷地と学園外では覚醒したことがないが、大学部と高等部を繋ぐ並木道では覚醒する。
そこは気をつけなければならないが、後は必要以上に高等部に近寄らなければい。
「(彰羅にもばれないようにしないと)」
鳴尾は勘が鋭い。外れることもあるみたいだが、自分の嘘を隠しきれるか分からない。
そこまで考えると足早に高等部から離れようとした。
しかし、トウマの足は止まってしまう。
「相良」
その声が誰か知っている。
今、一番会いたくない人物だった。
無視をしても仕方がない。
そう思ったトウマはゆっくりと振り返った。
「実月…」
見つかりたくない相手に見つかってしまった。
実月は誰の力を持っているか分からないが、自分達とは違う何かの力を持っていることは間違いない。
こんなことで冷静さを欠いていてはいけない。
トウマは実月の横を通りすぎようと歩きだした。
「内緒にしておいてやろうか?」
実月のその一言で、不覚にも足を止めてしまった。
それは、実月の言葉に反応したことになる。
トウマは実月を睨む。
「俺はお前に貸しを作るつもりもない」
何かを得るには何かを失う。
これは小さい頃から家で言われていることだ。
特に相手は自分の手を見せない実月だ。
トウマは顔には出さないようにしているものの、実月に対して警戒していた。
警戒している相手に貸しを作ることはしたくない。
トウマの様子を気に留めず、実月は呆れた表情で溜息を吐く。
「一応、大人には敬語を使えよ」
「自分のことを明かさない、人の反応を見て笑っているような奴にしたくないな」
トウマは学生で、実月は保険医だ。周りに能力者がいなければ年上として敬語は使うし、それなりの態度を見せる。
しかし、今は自分と実月しかいない。
「能力者の中でお前が一番、怪しい」
敵なのか味方なのか分からない。
それに、何をしたいかも分からない。
「素性を明かしてないから、まあ仕方ないよな」
トウマの言葉に特に反応を示さず、実月は苦笑する。
理由があって敬語を使わないのも、また一つの考えだろう。
「俺はただ、面白そうだから黙っておいてやるっていうだけだ」
何かが起きたのは間違いない。
トウマは自分を見て焦りを見せた。それは自分に会ってしまったこと、ここに留まってはいけない何かが起きたということだ。
実月はそう考えていた。
「相良。お前にも考えがあるように、俺にも考えがある」
瞬き一つ、たったそれだけだった。
「…え?」
実月の瞳は海のような深い青色に変わっていた。
それと、いつの間にか、実月の右肩に一羽の烏が留まっている。瞳は紅蓮のような赤色だ。
いつ変わったのか分からなかった。
烏の瞳の色が変わっているということは、この烏も物語に関わっているということだ。
トウマが唖然として思考を巡らせていると僅かな違和感に気づく。
はっとして後ろを振り返ると、そこには人が立っていた。
「(いつの間に俺の背後に…?!)」
気配は無かった。
背後に立たれたら気づくはずだ。
それに気づいたと同時にトウマは一歩後ろに下がって名前を呼んだ。
「エイコ!!!」
トウマの声に反応してトウマの影から腕が伸びる。
影から伸びた腕はトウマの背後に立つ人物の足を掴んだ。
けれど、次の瞬間、信じられないことが起こる。
「影が、消えた…?」
空は雲一つ無いし、この場所は校舎の影は差し込んでいない。
それが異常じゃなければ、何かをしない限り、さっきまであった影が無くなることなんてない。
それは立っているのに、影が消えている。
伸びた影は戸惑っているようにゆっくりと元に戻っていく。
驚いて判断が遅れたが、トウマはそれを見る。
くちばしのように少し先の尖った仮面つけていて、短い黒髪でやや背が高く男性にも女性にも見える。
その人物の瞳の色も、実月の肩に留まる烏と同じ色だった。
「こいつも…」
トウマは察する。能力者か召還したものだろう。
実月はトウマを見ていた。
咄嗟の判断は間違っていないし、トウマには物語と関係ない特別な力を持っている。
その力こそ非日常だと思っている。
実月はトウマの後ろに立つ人物を指さした。
「そいつは鵲。物語に関係している。で、俺の肩にいるのが鈴丸」
今はまだ語る時ではないが、名前くらい教えても問題ないだろう。
教えたところで誰かに言える環境じゃなくなりそうだ。そう思ったのだ。
「お前が何を考えているか、何を企んでいるかは俺の知ったことじゃないが、お前がこの状況を周りに知られなきゃいいんだろ?」
実月の言葉にトウマは口を閉ざす。
間違っていないからだ。
「(実月は俺の計画を知っていたのか…?いや、あいつらは誰にも話していない)」
実月が礼拝堂を見てきたわけでもなさそうだ。
それに、計画を知る四人が他に言わないだろう。四人のことは信用している。
「(それより、ここから離れるのが先だ)」
実月と鵲という名前の烏、トウマの近くにいる鈴丸という人物の目を見れば、結界の中にいて、自分もまた瞳の色が違ったままだということだ。
麗達がまだ礼拝堂付近にいるとしたら、気配で自分がここにいることに気づいてしまう。
「話すことはない」
例え、自分の言動が実月の想定内だとしても手の内は見せない。
そう考えたトウマは立ち止まった足を進め、足早に去っていく。
この場所から離れないと、自らの足で麗達のところに行ってしまいそうだった。
絶対なんてない。
けれど、生徒会が油断するまで麗達に嘘をついていなければいけない。
「(耐えられるかどうか、だな…)」
大きな嘘は、重く深くなっていくだろう。
この辛い気持ちを押さえ続けるのは困難だ。
人の気配を察知しながら逃げるように高等部から離れていく。
その翌週、大学の教授に頼まれて高等部に赴き、二階の廊下で大野と遭遇してしまうことなど思いもしなかった。
相良は自分の背中についた黒い羽根に気づかなかった。
鈴丸の力が早々に気づかれるとは思っていないが、些細な力に気づかないくらい何かあったのだろう。
そう思いながら、実月はトウマを呼び止めることなく、去っていったほうを見つめていた。
鵲の姿が消え、肩に留まっている鈴丸が空に向かって一声鳴く。
「(恐らく、水沢達に関係してる)」
いつの間にか肩に重みを感じなくなったと思ったら鈴丸の姿も消えていた。
誰かの気配を感じたのは間違いないが、何が起きたかは分からない。
覚醒した実月を見て、動揺を隠した。そして、自分の後ろに視線を向けていたのはその場から離れたいと考えることができる。
「響一様」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには伊夜が立っていた。
「私が様子を見てきましょうか?」
伊夜は実月が思っていることを先読みして問いかける。
実月が考えていることが分かるようだ。
「(俺の思考を読んで出てきたか)」
伊夜が出てきたことに特に驚く様子もなく実月は答える。
「いや、いい」
「そうですか…」
実月の言葉に伊夜はほんの少し俯く。
「落ち込むな。まあ、俺の意思を読むのは当然として、…何でも知ったら面白みに欠ける」
伊夜が自分にとってどんな存在かは十分に理解している。
ただ、今は何もしない。それだけだ。
「それに…大人があれこれ言うより、自ら悩んだほうがいい」
自分で考えて、悩み、それによって何かを得るだろう。
物語はまだ終わりが見えない。
大きな動きもない。
「悩むのも考えるのも人生だ」
それが他の能力者と同じ感覚かどうかは分からないが、実月は今を楽しんでいた。
結界を解くと、実月は後ろを向いて校舎に向かって歩き始めた。