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秘密の花園

授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

「片付けが済んだ人から終わってください」

大きな黒板の前に立つ教師が美術室を見渡して声をかける。

その声と同時に一人の男子生徒が椅子から立ち上がった。

「起立、礼」

いつもより気持ち早く聞こえた号令に、麗も皆と同じ椅子から立ち上がって頭を下げる。

日直の生徒がいつもより落ち着かない理由は何となく分かっていた。

美術の授業は六時間目だから清掃して早く帰りたい。

今日と明日に限っては部活に行くのは自由だ。

その理由は、麗達、二年生がこの時期にある行事のためだった。

「水沢さん」

椅子より大きな直方体の台に乗った花瓶を片付けようとしていると、後ろから声をかけられる。

麗が振り返ると、そこには二人のクラスメイトがいた。

二人は大きな直方体の台を持つと、そのまま教室の隅に移動させようとする。

「明後日だね」

「もう準備した?」

二人は待ち遠しそうな顔で笑っている。

「学校が終わったら妹と駅前のショッピングモールへ買い物に行くよ」

麗もにこやかに答えた。

明後日から修学旅行なのである。

いつもより早く起きなきゃいけないのは辛いけど、寮生限定で学園から空港までバスで送迎してもらえる。

クラスは違うが、二学期からこの学園に編入した双子の妹の凛と一緒に行くことができるのは嬉しい。

同じグループに梁木はいるし、他のクラスには大野と佐月もいる。

皆と行く修学旅行を楽しみにしていた。

ちょっと前までは学園祭の準備で毎日が忙しかった。

演劇部に所属するクラスメイトの柿本の代わりに舞台に出ることになり、しかも、相手役の生徒の代役に選ばれたのが高屋だった。

劇の最中に結界が張られ、麗と高屋は結界の中に閉じ込められた。

どれくらいの時間が経ったか分からなかったが、敵と戦った後、結界は解かれてそのまま劇が終わった。

柿本も他の演劇部員の生徒も舞台は成功したと言っていたが、あの時の出来事は覚えている。

同じ能力者である梁木は麗と高屋が結界の中に閉じ込められたことを知らなかった。

結界の範囲がどのくらいか分からなかったが、講堂の中に他の能力者はいたはずなのに、覚醒して結界の中に閉じ込められたのは麗と高屋の二人だけだった。

敵に襲われた時、高屋は麗を庇って大きな怪我を負ってしまった。

物語の能力は不思議なもので、傷を治す魔法を使うと一瞬にして傷が治ってしまう。

けれど、その時の痛みや恐怖が無くなるわけではない。

麗は自分を庇って怪我をした高屋を気にしていた。

同じ能力者であり、高屋は主人公のレイナを狙うルトの能力者だ。

自分は覚えていないが、今までに二回、高屋の能力によって操られてしまった。

「(高屋さんはルトの能力者で、私を操って…。敵のはずなのに…)」

物語と同じ敵同士なら自分を庇う理由がない。

それに、二人きりなら操ることだってできたはずだ。

高屋が敵か味方なのか分からない。

片付けが終わって机の上に置いてある筆記用具とスケッチブックを持って教室に戻ろうとした時、麗は教室の隅に置いてあるものを見つける。

「(あれは…)」

教室の隅には幾つかのイーゼルとキャンバスが集められていた。

イーゼルにかけてある一枚のキャンバスに見覚えがあった。

約一週間前、演劇部の劇に出る前に学園祭を楽しんでいた麗が一階の廊下を歩いている時だ。

美術室は半地下にあり、その上にある一階の廊下には美術部の作品が展示されていた。

キャンバスには真っ白なワンピースを着た女の子が描かれている。女の子の身体に蔓が絡まり、そこから蕾や花が咲いている。一際目立つのは頬の部分にある大きな花。

決して美術の成績が悪いわけではないが、絵に詳しくない麗はそれを不思議に思う。

何かの抽象画なのだろう。

麗は特に気に留める様子もなく、階段を上がって美術室から出ていく。

「………」

廊下の影が動く。

その視線の先にはクラスメイトとお喋りしながら歩く麗がいた。


教室に戻り、ホームルームと清掃を終えた麗は凛のいる教室に行こうとした。

教室から出ようとした時、自分を呼ぶ声が聞こえる。

「水沢さん、ちょっといい?」

麗が振り返ると、先程、美術室で喋ったクラスメイトがいた。

「斉藤さん、これ忘れて部活行っちゃったから、届けてもらえない?」

クラスメイトが差し出したのは修学旅行のしおりだ。

ホームルームが終わってから修学旅行についてグループで話をしていた時にしおりを開いていた。

斉藤も麗も同じグループで、しおりの表紙には斉藤と書かれている。

話し合った後、すぐに部活に行ってしまったのだろう。

「いいよ」

明後日に備えて凛と一緒に買い物に行くだけだ。凛には下足場で待ってもらうよう伝えればいい。

「ありがとー」

「また、明日ね」

そう思った麗はしおりを受け取り、手を振って教室から出ていった。

教室を出た麗は凛がいる教室へ向かい、凛に先程のことを話すと、途中まで一緒に階段を下りていく。

一階で別れて美術室に向かうと、ちょうど美術室に向かう生徒がいたので声をかけて呼んでもらった。

声をかけて美術室に入ることは可能だが、集中して作品を作っていたり、話し合っている時だったら雰囲気を壊してしまうと思ったからだ。

ほんの少しだけ待っていると、階段の下から声が聞こえた。

「水沢さん」

「斉藤さん、教室に忘れてたよ」

麗は手にしていたしおりを差し出す。

斉藤と呼ばれた生徒は驚くと、やや急ぎ足で階段を上がってくる。

どうやら、しおりを忘れていたことに気づかなかったようだ。

「ありがとう」

「明日でもいいけど大事なものだから渡しに来たんだ」

明日も授業があるので休まなければ会うことはできる。

けれど、準備や確認のためにしおりを見るかもしれない。

斉藤がしおりを受け取った時、背後から声がした。

「失礼、通してもらえないかな?」

少しとげのある声を聞いて麗が後ろを振り返ると、そこには一人の男子生徒がいた。

いつの間にか入口の前に立っていたようだ。

「あ、すみません」

「………」

麗が慌てて避けると、男子生徒が麗を一瞥してから階段を下りていく。

眼鏡をかけていて、やや長めの髪を一つに結んでいる。前髪は目にかかっていてあまり顔を見ることができなかったが、睨まれるというより呆れていたように見えた。

男子生徒に見覚えはない。

入口を塞いでいたことに声をかけられただけ。そう思っていると、斉藤は麗に顔を近づけて聞こえないように話す。

「三年の美園(みその)先輩。今でも部室で絵を描いてるんだけど、最近、ちょっと苛々してるんだよね」

麗は部活動をしていないが、この時期、三年生は引退して部活に出ることがほとんど無いと聞いたことがある。

絵を描くなら、材料が揃ってる美術室のほうがやりやすいのかもしれない。

それに、とげのある声も呆れたような顔も、自分が入口を塞いでいたのもあるが、何か思うところがあって苛々してるのかもしれない。

「じゃあ、私、帰るね」

人のことを気にしていても仕方ないし、入口を塞いでいたことは次から気をつければいい。

麗は凛を待たせていることを思い出すと斉藤に声をかけて美術室から出ていく。

「ありがとう。また明日ね」

斉藤は手を振って見送り、階段を下りていく。

麗が下足場に向かって歩こうとした時、何かに気づいた。

硝子越しに美術室の階段から美園が麗を見つめていた。



次の放課後。

明日から修学旅行ということもあり、授業はいつもより一時間早く終わった。

事前に買い物して準備はほとんど済ませてある。これで、後は目覚まし時計をセットしていつもより早く寝ればいい。

ホームルームが終わり、帰ろうとした時、麗はふと、クラスメイトの声を耳にする。

「…美術室?」

「そう、いなくなっちゃうんだって」

教室にいる以上、誰かの声は聞こえる。

授業や恋愛の話、昨日見たテレビや雑誌の話、とにかく、色々な話が飛び交っている。

美術室、いなくなっちゃうという単語は結びつかず、麗は何となく足を止めた。

「あ、水沢さんは知ってる?」

麗が足を止めたことにより、話を聞きたいと思った女子生徒は麗に声をかける。

「最近、聞いた話なんだけどね」

「女子生徒が次々に消えちゃう噂」

「次々に、消えちゃう…?」

麗は首を傾げる。

人がその場からいなくなることはあっても、消えるなんて聞いたことがない。

人によっては、その場から消えると言う人もいるかもしれない。

消えると聞いて、夏の風物詩とも言える怪談を思い出す。

透遥(とうよう)学園は元は大きな医療施設であり、リネン室と書かれた札はその名残で、教室の向かいに教室があったり、西階段だけにある半地下の倉庫は霊安室などという噂がある。

麗は高等部から編入したから中等部や大学部は分からないが、高等部の中では割りと知られている噂話だ。

「放課後、女子生徒が突然、吸い込まれるように美術室に消えていくらしいよ」

「でも、そのまま帰ってこないっていうわけじゃなくて、校門が閉まる前には戻ってくるって」

クラスメイトは顔を見合わせて頷いている。

噂話に積極的ではないが、突然、消えるとしても根拠がないし、彼女達は能力者ではない。

能力者であれば瞬間移動があっても不思議ではない。

物語に関わり不思議なことが不思議だと思わなくなって約一年。麗はなるべく現実にありそうなことを考える。

「それって、部活動に行ってる生徒なんじゃないの?」

部活動があれば遅くまで残る生徒もいるし、最近は学園祭があり、毎日のように残って準備していた。

学園祭の前なら美術室に残って絵を描いたり作品のために残ることはあるだろう。

麗も頼まれたとはいえ、演劇部の練習は残った。

麗が答えると、クラスメイトの一人が顔をしかめる。

「それもあるけど、部員じゃない人もいなくなるみたい」

「…部員じゃない人も?」

それを聞いた麗は不思議に思う。

美術部員に用事があって美術室に行くのかもしれないが、門が閉まるまで留まる理由があるのだろうか。

次々に、ということは一人や二人ではないだろう。

美術室は一階にあり、調理室の向かい側にある。

半地下になっていて窓側がほとんどガラス張りなので思っていた以上に明るいし、全部ではないが一階の廊下から見下ろすことができる。

廊下側に限られるが、何かあれば気づくことができるのではないか。

実際に見ていないので考えることしかできないが、クラスメイトの言葉によって考えることが変わった。

「本当、魔法みたいだよね」

それを聞いた麗ははっとする。

それは能力者の仕業なのではないか。

そう思うと同時に、麗は視線を感じてやや横を向く。

離れているがクラスメイトの話し声が聞こえる距離から梁木が見ていた。


「なるほど、そんなことがあったのですね」

麗と梁木のやや後ろで佐月が呟く。

「僕も噂話と思っていたのですが、何か引っ掛かりました」

最初は噂話だと思って聞き流して帰ろうとした。

しかし、聞いているうちに能力者のせいではないかと思ったらしい。

麗と梁木が教室を出て階段を下りようとした時、佐月と会い、経緯を話したところ佐月はついていくと言ったのだ。

「せっかく一時間早く終わったのにね」

明日は待ちに待った修学旅行。一時間早く終わったから、明日に備えて早く帰ろうとした。

そのまま帰ることもできたが、能力者として気になってしまった。

階段を下りて一階に着くと、廊下から一人の女子生徒がふらふらと歩いてくるのが見える。

「あれって…」

麗は女子生徒に気づく。

女子生徒はまっすぐ歩くと美術室の前でピタッと足を止める。ゆっくりと美術室の扉を開けると中に入って階段を下りていった。

一階の廊下の窓ガラスから階段を下りる女子生徒が見える。

その瞳に光はなかった。

「見た?」

「はい」

「見ました」

麗の言葉に梁木と佐月は頷く。

少し前に聞いたばかりの話を思い出す。

美術室に消えていく女子生徒。

それと同時にあることに気づいた。

現実世界で起こらない現象。瞳に光が消え、梁木達にも覚えがある。

今年の春、麗に同じことが起きた。

「高屋さん…」

女子生徒は操られている。

それは、物語の能力に関係していて、それができるのは今は高屋しかいない。

偶然の出来事とはいえ学園祭の時は劇を成功させようと協力した。

劇の最中に結界が張られ敵に襲われそうになった時、助けてくれた。

敵なのかそうじゃないのか分からない。

そう考えたが、今は考えるのを止める。

高屋が操っているとしたら、今は覚醒してるはずだ。

麗が梁木と佐月の顔を見ると二人の瞳の色は変わっていた。

「能力者がいますね」

梁木が美術室の扉を見つめている。

「行ってみましょう」

佐月は麗の前に立つと扉を開く。

興味があるわけではない。何かあった時に自分が早く動けるかもしれないと思ったからだった。

誰かがいる。

突然、攻撃されたり魔法によって罠を仕掛けられるかもしれない。

三人は警戒しながらゆっくりと階段を下りていく。

まだ昼過ぎなのに教室は薄暗い。

下りていくと、何人かの女子生徒の足元が見えてくる。

女子だと分かったのはスボンを履いていなかったからだ。

男子生徒だったらズボンが見えるだろう。

誰かが倒れている。

麗はそう思ったが、慌てずに進んでいく。

「これ…」

階段を下りた三人は驚いて立ち止まった。

美術室の床には真っ赤な魔法陣が描かれていた。

美術室に女子生徒が倒れているかもしれない。

けれど、実際には違った。

そこにいたのは複数の女子生徒で、彼女達は誰かの膝にだらしなくもたれかかっていたり、足元に横たわっていたのだ。

もたれかかっているのは誰かの足で、スボンを履いている。

麗達は少しずつ視線を上に向けていく。

昨日、美術室で見た美園が椅子に座っている。

美術室にある椅子ではなく、違和感があるくらいのしっかりとした豪華な椅子だ。

それにも驚いたが、更に驚いたのが美園が昨日、見た時と別人のように雰囲気が違っていた。

美園の足元で女子生徒達はうっとりとした目で見ている。

よく見ると、女子生徒全員の目は虚ろだった

美園もまた彼女達を見て嬉しそうに笑っていたが、自分に向けられた視線に気づくと顔を上げた。

「君か」

美園はにっこり笑う。

昨日、聞いた声と違って柔らかく自信のあるような声だ。

敵意はないように見えるが、彼の瞳は乳白色であり、瞳の色が違うということは能力者で間違いない。

しかし、横たわる女子生徒達が能力者なのかは分からないし、ただ操られているかもしれない。

そう思えるのは、今年のバレンタインの時、当時のクラスメイトだった倉木が能力を使ってクラスの男子生徒を操った時と似ていると思ったからだった。

それと、美園は能力者としてここにいるだけで、女子生徒達を操ったのは高屋かもしれない。

美園の瞳が麗を捕らえる。

麗は条件反射で顔を反らした。

高屋と同じなら視線を合わせたら操られてしまう。

けれど、眠気が襲ってきたり意識が遠退く感覚にはならなかった。

そのことに安心したが、今、自分達の置かれた状況を思い返す。

ここは結界の中であり、自分達の周りで唯一、物語の能力を封印することができるトウマはいない。

彼がトウマや高屋と同じで能力を封印する力を持っていた場合、自分達の能力は封印されてしまう。

だが、三人いればここから逃げることや結界を壊すことができるかもしれない。

操られているだけの彼女達を傷つけることはしたくない。

トウマがいれば。

そう考えるのは梁木と佐月も同じだった。

トウマがいなければ結界を壊して逃げるか能力者を倒すことしかできない。今、この場がどうにかなっても能力を封印しない限りは何度でも襲われるかもしれない。

麗達が考えているとは知らず、美園はただ麗を見つめていた。

「一目見た時から君は僕の芸術に相応しいと思ったのさ」

最初に梁木と佐月の顔は見ていたが、今は二人のことは眼中にないように麗だけを見ている。

「ここにいるということは、君も能力者だ。警戒しなくていい」

敵意も殺意はまだ感じない。

彼が誰の能力者か分からない。名前がない登場人物かもしれない。

油断はできない。

美園の目つきが変わっていく。

「この僕の作品になってもらう」

美園は自分の膝にもたれかかる女子生徒の手を取ると、自分が立ち上がる時に合わせて手を引いた。

引っ張られるように立ち上がった女子生徒を引き寄せると、右手で女子生徒の頬に触れる。

『!!』

それを見た麗達は驚いて目線を反らしてしまう。

美園は女子生徒の左頬に口づけしたのだ。

見慣れないものを見てしまって恥ずかしくなったが、次に起きたことによって恥ずかしい気持ちはなくなっていた。

女子生徒の頬に床に描かれているものと同じ赤い魔法陣が浮かび上がり、そこからつるが伸びて実がなり、赤い花が開いていく。

茎はゆっくり下りていくと床に根づいた。

それを見た梁木と佐月は驚いて美園を見る。

能力者としてある程度のことは経験してきたつもりだし、図書館にある本も読んでいる。けれど、今の力はまだ見たことがなかった。

本を読んできて、その力を使う人物は書かれていないはずだ。

その考えの他に麗はそれに見覚えがあった。

昨日、美術室で見た絵と同じだった。

あの絵を描いたのは美園だ。

そう思っていると、魔法陣が描かれている床が剥がれ、そこから巨大な茎が生え始める。

音をたてて床を這う巨大な茎の先端が麗達を指すと、鞭のようにしなやかに動いて麗達に襲いかかる。

「来ます!」

梁木が呪文を唱えるより早く、麗は意識を集中させ虚空から剣を生み出す。

しかし、それより先に動いたのは佐月だった。

麗と梁木の前に立ち、スカートが揺れたのを押さえるような自然な動きで太股を触れる。

「忌むべき影の猛き叫び…シャドウショット!!」

佐月の両足の太股にはベルトがつけられていて、外側には幾つもの細い針が刺さっていた。指と指の間に挟むように引き抜くと、襲いかかる巨大な茎の影に向かって投げた。

細い針は巨大な茎の影と美園の影に突き刺さる。

「……ん?!」

狙いが外れたと思っていた。

だが、美園の疑問はすぐに解決される。

「これは…身体が動かない」

微かに動かすことはできるが、腕を上げることができない。

それに巨大な茎の動きが止まった。

「そうか。これは危害を加えるというより、動きを止める術なんだね」

美園は慌てる様子もなく冷静に分析する。

「もう少し光が強ければ!」

佐月は美園と巨大な茎の影を見つめる。

美術室は薄暗い。

影はできているが、もっと強く現れなければ効果は出ない。

佐月が呪文を唱える前に、すでに梁木は呪文を唱えていた。

「空の一雲薙ぎ払う瞬く光よ、輝く刃となり風を弾け…ライトエッジ!」

梁木の目の前に光り輝く魔法陣が描かれ、そこから無数の光の刃が飛び出した。

無数の光の刃が巨大な茎に近づき、影が濃くなっていく。

それまで僅かに動いていた巨大な茎の動きが止まり、光の刃が巨大な茎を切り刻んでいく。

梁木に続いて麗が剣を構えながら走り抜ける。

「はっ!!」

力を込めて剣を振り下ろし、巨大な茎を斬り倒した。

初めは高屋が操っていると思ったが、他に人の気配をは感じない。

女子生徒を操っているのが美園なら、気絶させて結界を解くしかない。

能力を封印することができるトウマがここに来る可能性は少ない。

麗達が考えていると、床に描かれた魔法陣が光り、巨大な茎が再び現れる。

薄暗い場所では効果が期待できないと思ったのか、佐月は別の行動に出ようとする。

影が薄くなって美園の影が消えると、美園は力を込めていた腕を動かした。

「影が消えれば動くことができるんだね。しかし、何度も同じことが起きては僕の作品に意味がなくなってしまう」

美園がそう言うと、椅子の回りにいた女子生徒が起き上がった。

彼女達の手を取ると立ち上がらせ、手を引いて左の頬に口づけをしていく。

彼女達の頬に次々と赤い魔法陣が浮かび上がり、そこからつるが伸びて実がなり、赤い花が開いていく。

「さあ、行っておいで」

美園が微笑むと、女子生徒達はゆらゆらと揺れながら麗達に近づいていく。

美園の周りで蠢いている巨大な茎が再び麗達に襲いかかった。

驚いた佐月は意識を中断させる。

魔法を発動させようとしたが、今、発動させようとしたのは範囲が広く、そのまま発動していたら女子生徒まで傷つけてしまっていたからだ。

襲いかかる巨大な茎を魔法で蹴散らすことはできるが、魔法をコントロールしなくてはいけないし女子生徒達が危ない。

結界の中の出来事だから結界が解かれたら元に戻るかもしれないが、できることなら関係のない人が傷つくのは見たくない。

「あっ!!」

女子生徒に気をとられていて気づかなかったが、足元から細い茎が生えて足元に絡まっていた。

「しまった!」

細い茎は麗達と足と腕に絡まり、きつく締めつける。

剣は握っている。

無理矢理身体を動かせば動けないわけではない。

魔法を使ってこの茎を切り裂こうと考えた。

目測を誤り自分自身が傷を負うことになるが、後で治癒魔法を使えばいい。

麗は呪文を唱えようとした。

しかし、ゆらゆらと近づいていた女子生徒達が麗達にしがみついて動きを止めてしまう。

今、魔法を発動させたら関係のない女子生徒が怪我をしてしまう。

浄化魔法を発動させようとした梁木は抱きついてきた女子生徒に狼狽えている。

「麗様!」

なりふり構っていられない。

佐月は魔法を使ってでも麗を守ろうとした。

だが、女子生徒は梁木と佐月の口を塞いでしまう。

それまで何もせず見ていた美園は満足そうに頷くと、動けなくなった麗を見る。

「君は真っ白な百合のように可憐で愛らしいのに、…どうして不似合いな赤い花が見えるのかな?」

「えっ…?」

彼には何かが見えてるのだろう。

麗には分からなかった。

その瞬間、どこからか突き刺さるような視線を感じる。

「!!!」

喉元に大きな刃物を突きつけられた、または、急に首を絞められるような感覚だ。

冷や汗が流れ、今までに感じたことがない恐怖に思わず振り返った。

だが、他の人の気配もなければ、背後に誰もいなかった。

「(誰もいない…?)」

「どうしたの?」

怖い、という感情しかなかった。

気のせいと思えない。

麗が急に振り返ったことに美園は疑問を抱く。

「美しいものは閉じ込めたい。君が僕の作品になれば、この苦しさから解き放たれる。…もっともっと僕の創造の泉は溢れ返るだろう!」

美園はうっとりとした目で麗に語りかける。

自己陶酔しているようだ。

「さあ!この花達と一緒に僕を引き立たせてくれ!」

美園はゆっくりと麗に近づく。

麗は必死に身体を動かしてこの場から離れようとするが、茎にある棘が刺さって思うように動けない。

梁木と佐月は口を塞がれていて言葉を発することができないが、必死に身体を動かしている。

麗の前に立ち、美園が麗の頬に触れようとしたその時、美術室が炎に包まれた。

『!!!』

目に見えているのは美術室を埋め尽くすくらいの炎で、燃え上がる音も聞こえるが全く熱さを感じない。

「(…熱くない?)」

はっとした麗は梁木と佐月を見る。

二人も熱さを感じていない様子だ。

炎の燃える音しか聞こえない。

しかし、美園だけは違った。

「あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

麗に触れようとした右手が炎に包まれている。

それが炎だと意識した瞬間、身体の中から焼かれるような痛みと熱さが襲いかかる。

美園は絶叫した。

炎で息ができない。

熱い。

痛い。

叫ぶことしかできない。

涙も汗も蒸発して消えてしまいそうだ。

美園の目の前に影が現れ、ゆっくりと姿を見せていく。

美園の前に現れたのは高屋だった。

高屋はあからさまに不快な顔で美園を睨んでいる。

「僕の標的(もの)に触れるな」

美園に対して怒りを見せている。

瞳は血のように赤い。

美園は高屋の目を見てしまう。

痛みと熱さに襲われながらも、美園は高屋に問いかける。

「君は僕と同じはずなのに、何故、周りに花を囲わない?」

彼も能力者であり、直感で自分と同じ習性を持っていると判断したのだ。

彼も異性を操る能力を持っているはずだ。

「一緒にしないでもらいたい」

高屋はそう吐き捨てるように言うと、手を伸ばして美園の胸元に手を当てる。

「……え?」

高屋の赤い瞳が怪しく光る。

「交差する世界で眠れ」

その言葉と同時に高屋の手が光った。

美園から乳白色の気体が吹き出すと瞳の色が元に戻り、美園の姿は次第に消えていってしまう。

美術室を覆う炎が次第に消えていくと、いつの間にか巨大な茎や女子生徒の姿は消えていた。

「あれ?動ける…?」

「覚醒も解かれてます」

「あの人も女子生徒もいない…」

美術室が炎に包まれたことは覚えていても、何が起きたか分からない。

三人が顔を見合わせると、誰かがいることに気づく。

麗が階段のほうを見ると、そこには高屋がいた。

梁木と佐月も高屋の姿に気づく。

覚醒は解かれたがまだ終わっていない。

三人は警戒したが、高屋は特に何をするわけではなく階段を上っていく。

途中で何かを思い出したのか、足を止めて振り返る。

「明日から修学旅行なのに大変でしたね」

高屋は麗を見つめると溜息を吐いて苦笑する。

「へ?」

再び結界が張られて戦うかもしれないと思っていた麗は驚いて気の抜けた声をあげてしまう。

「修学旅行、楽しんできてください」

麗の表情が面白く見えたのか、高屋は苦笑して階段を上がってどこかに消えていってしまう。

「何だったのでしょうか…?」

「あたし達と戦わなかった?」

警戒していた梁木と佐月も高屋が覚醒して力を使わなかったことに驚いている。

「高屋さん…」

やっぱり、敵かそうじゃないか分からない。

麗はしばらくの間、階段を見つめていた。



その頃、月代は屋上にいた。

明日から待ちに待った修学旅行。楽しみで、夜、寝られるかどうか分からない。

そんな気分のはずなのに、不安に似た違和感が起こるようになった。

きっかけは学園祭の後。

初めは学園祭で出演したライブの達成感だと思っていた。

けれど、たまにとてつもない睡魔に襲われたり眠くないのに意識が途切れていることがある。

これは物語と何か関係があるのか。

物語に登場するマリスに何かあるのか。

考えても仕方ないが、屋上に立ち寄ってから帰ろうと思ったのだ。

初めて本を読んだ時、漠然とマリスが自分に似ていると思った。

剣を握ったこともなければ魔法も使ったことはない。翼が生えるなんて現実に絶対起こらない現象だ。

月代の中で小さく残っている疑問。

それは、物語の過去でどうしてラグマは傷を治さなかったのか。

ふう、と溜息を吐くと背後から声が聞こえる。

「月代」

聞き慣れた声に反応して振り返ると、出入口には結城が立っていた。

「結城先生」

名前を呼ばれただけなのに月代は嬉しくなって結城に近づく。

「せっかく二年生は一時間早く終わったのに帰らないのか?」

月代達二年生は明日からの修学旅行のために、いつもより一時間早く授業か終わった。

部活に行くのも残るのも本人の自由だが、ほとんどの二年生は下校していた。

「あ…」

考え事をしていただけで屋上にいても不思議ではないが、何かあったと思われたらしい。

今、考えていることは解決できないかもしれない。

それでも、このもやもやしたのをどうにかしてから帰りたい。

「あ、あの…」

「何かあったのか?」

月代の言動を見て、何かあったと判断したのか結城は月代に尋ねる。

自分は今、どんな顔をしているのか。

結城の表情を見る限り、辛い顔はしていないようだ。

今、考えていることは物語のことだし結城も能力者だ。

月代は少し俯いて口を開く。

「…物語の過去で、どうして、ラグマ様はマリスがつけた傷を治さなかったのでしょう…」

物語の過去でマリスはラグマの部下によって翼を引きちぎられ、身体は剣で切り裂かれた。

死ぬかもしれない。

そう思った時、咄嗟に風の魔法を発動させた。だが、コントロールがきかず、風の刃はラグマの目に直撃したのだ。

ラグマが回復魔法を使えないから自分の傷を治さなかったのか。

または、回復魔法を使うことができるのにも関わらず傷を治さなかったのか。

物語の中の人物のことであり、その時の心情は書かれていない。

月代の疑問に対して、結城は笑ったりはぐらかすことをせず考えた。

自分はラグマではない。けれど、自分ならどうするか。

結城はそれを分かった上で、月代に問いかける。

「例えば、何かのきっかけでお前が私に傷をつけるとする。治療する術を持っていても私はその傷を治さない。それを見てお前はどう感じる?」

疑問に対して質問で返ってきたが、月代は考える。

「俺が結城先生を傷つける…」

切り傷なら薬をつければいいし、覚醒しているなら魔法で傷を治せばいい。

治したほうがいいし、深い傷なら尚更だ。

それをしないという選択肢が自分にはない。

だが、もしも結城が治療をしなかった場合、血は止まるが傷口は残る。

目に見える場所に残る傷を見て、自分はどう思うか。

相手が結城だからというのが大きいが、きっと後悔するだろう。

「どうして傷を治さないか聞きます。…それと、後悔します」

月代は顔を上げて答える。

傷ついたら痛い。

それは誰だって同じだ。

自分がつけた傷を見続ける。

自分にとってどうでもいい相手ならそこまで深く考えなくてもいいだろう。

それが結城なら考えは変わる。

自分のせいで傷つけてしまった。

それ自体も後悔するし、傷を見れば余計にそう思うだろう。

傷口が消えたとしても、傷つけたという事実は残る。

そうなったわけじゃないのに、考えるだけでも胸が苦しくなる。

月代の答えは間違っていないだろう。

結城は推測する。

ラグマはあえて傷を治さないことを選び、自分の側に置くようにしたマリスに目に見える後悔を植えつけようとした。

それによってマリスは自分の命を拾ったラグマを意識していくだろう。

決して裏切ることのできない証を残したのかもしれない。

「いくら物語の出来事が現実に起きていても、ラグマの心情は分からない。それを確かめることもできない」

結城の目に傷はない。

覚醒した時に傷跡が浮き出るわけでもない。

「お前は私を傷つけることはしない。それで良いのではないか?」

考えても答えはでない。

それなら、自分が結城を傷つけることをしなければ良いだけだ。

傷つけることはしない、ではなく、傷つけることができないというのが正しいのかもしれない。

それでも、結城の言葉に納得してもやもやした気分が和らいだような気がする。

話を聞いてくれたことに礼を言おうとしたが、いつの間にか結城は出入口に立っていた。

「考えるのは自由だが、あまり遅くならないように」

結城はそう言うと、扉を開けて校舎に入っていく。

「結城先生…」

自分も帰ろう。

そう思った時、頭を叩かれたような痛みが襲いかかる。

俯いた月代の首には呪印のような古代文字が浮かび上がる。

彼は笑っていた。



修学旅行が終わった二日後、廊下を歩いていた麗はあるものを目にする。

「あ…」

廊下の先を歩いていたのは美園だった。

美術室で見た時と違い、背中を丸め俯きながら歩いていた。

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