交差する世界の裏側
本を読む以外の方法で覚醒させろ、早急に。
それは神崎が下した命令だった。
自分が物語に関わった時には神崎は覚醒していた。
高等部の図書室にあるファンタジー作品が現実に起きている。
初めて耳にした時は、自分の反応を試されていると思うくらい馬鹿げていると思った。けれど、不思議と否定できない感覚と神崎の嘘だと言っていない目、何より実際に感じた出来事に否定することはできなくなっていた。
窓ガラスに映った黄金色の瞳、自分ではない誰かの記憶、聞いたことがないはずなのにずっと前から知っていた言葉や名前。
すぐに全てを肯定することはできないが、否定するとこでもなかった。
WONDER WORLDという物語を知り、SF映画で見るような異形の怪物や、言葉や現象が頭の中で浮かび上がり、それが魔術であると認識していった。
情報処理の臨時教師としての日常の中で非現実な日常を受け入れなければならなくなった。
驚いたのは生徒会役員全員が物語に関わる能力者であったこと。
偶然か、神崎が人選したのかは分からない。それに関して問い詰めたことはあったが、神崎ははぐらかしているので答えは出ていない。
本を読むようになり、登場人物の関係性、物語の展開、誰がどの能力を持ち、どの程度の力か分かってきた頃、マリスの能力を持つ者が一年生の中にいるかもしれないと何かの話のついでに出てきた。
マリスは物語の中で神崎が力を持つロティル側についている人物だ。
不確定ではあるが、探しておくだけでも今後に繋がるだろう。
しかし、図書室にある本を読まなければ物語に関わることができない。
そう思っていた神崎は結城に命令したのだった。
どこで調べさせたのか見てきたかは分からないが、マリスの力を持つかもしれない生徒の名前は月代聖樹と言う。
月代は図書室に足を運ばない。どうやら、授業以外で図書室に行かないようだ。
早急に、というのは唐突だが、確かに本を読まなければ物語に関わることはできない。読んだとしても適応するのか定かではない。
そうだとしたら、まだ知らない能力者がいても見つけることはできない。
その少年、月代を覚醒させるにはどうしたら良いか。
そもそも、そんな簡単に案が浮かぶならもっと簡単に覚醒させていただろう。
そのことを頭の端に置きながら日常は過ぎていく。
冬休みを前に期末テストがあり、今年から舞冬祭という行事が行われることになった。
発端は体育を担当し、ダンス部の顧問を務める中西だ。
全員参加ではないが、授業以外にも躍りの楽しさを知ってもらいたいという趣旨だ。
中西の発案は正しい。
勉強しなくてはいけないということではなく、身体を動かす楽しさ、躍りの種類や音楽の楽しさ知って欲しいのだろう。
自分の実力を発表する場として、クラスメイトとの思い出作り、将来のため、きっかけはなんでも良いらしい。
何でも強いるより自分から興味を示したほうが身につきやすい。
舞冬祭の趣旨はさておき、月代に躍りについての情報はない。体育の授業は平均であるが、興味の有無までは本人に聞かなければ分からない。
そう考えていた矢先、タイミングが良いのか悪いのか、月代は期末テストで追試を受けることを知った。
教科は情報処理。恐らく、神崎か私が担当するだろう。
追試を受ける生徒は舞冬祭を見ることはできないが、追試と補習があるなら近づきやすい。
舞冬祭当日、五階の情報処理室では補習と追試が行われた。
舞冬祭を見たいという生徒のために開始時間を遅くしたが、それも好都合だった。
今日の天気は晴れ、日が沈めば満月が出る。
補習と追試を受け持ったのは私だが、主に情報処理の授業を受け持つのは神崎だ。もうすぐ終わることを報告するために、一時、情報処理室を抜けた。
その後、計画を実行する。
結果、本を読まなくても覚醒させることに成功した。
あの時、月代に何が見えたのかは分からない。懐かしむような怯えた目でラグマと呼んだからにはそれが見えたのだろう。
私にとってそれは重要視することではない。
神崎の野望のための手段の一つに過ぎなかった。
月代はどうなるのだろう。
何を終わらせたかったのだろう。
何にしても心の隙を突かれて意識を乗っ取られてしまったのは事実だ。
今、目の前を歩くのは月代であって月代ではない。
屋上にいた月代に声をかけて戻ろうとした時、背後から突き刺さるような力を感じて振り返った。
そこには背徳の王と呼ばれる者が笑っていた。
彼は私のことなど気に留めることなく横を通りすぎて校舎に入ろうとした。
危険だ。
そう感じた時には彼の後ろを歩いていた。
屋上を出て廊下を歩いていくと、背中にある白い翼から羽が抜け落ちていることに気づく。
それは、まるで自分がここにいると示しているようだ。
月代の意図なのだろうか。
何故か過去のことを思い出していると、目の前を歩く彼は立ち止まった。
「何やら良からぬことを考えているようだな?」
このまま背徳の王に乗っ取られ、何故か月代が消えてしまうような気がしたのだ。
一人の生徒として、何かあっては後味が悪い。
そう考えていたのが顔に出ていたのかもしれない。
声は月代だが、話し方や雰囲気は月代ではない。
彼は私を見て鼻で笑う。
「この器が壊れようとも精神さえあれば我は生き長らえる」
この非日常がいつまで続くのか検討もつかないが、これが続いている以上、背徳の王は存在し続けることができるのだろう。
読めない。
表情や視線から相手の考えを読むことをはできるが、彼が何を企んでいるのか読むことができない。
「何もせずについてくるなら殺しはしないが、どうやらそうではないようだな」
背徳の王が不敵に笑う。
ほんの一瞬だった。
瞬きをした時には私の目の前から彼の姿は消えていた。
正確には私が彼の前からいなくなっていた。
「ここは…」
次に目を開けた時には見たことがない場所に立っていた。
広くも狭くもない、ちょうど廊下の幅くらいの道が目の前に広がっている。
「(どこかに囚われたわけではないな)」
あれは月代の力ではなかった。
時の属性を持つ自分が転移されることを防ぐこともできなかった。
防ぐこと、対処しようとする時間さえなかったという感覚の方が近い。
結城は辺りを見渡す。
何もない薄暗い道しかないし、この場所全体から強力で禍々しい力を感じる。
今、これができるのは彼だけだろう。
結城はそう思いながら状況を整理して気配を探ろうとした。
もしも、物語の通りになれば彼は消える。しかし、それは必ずそうなるわけではない。
物語で亡くなった者がいるが、現実では亡くなっていない。反対に物語で生きていても、現実では物語の能力を封印されている者もいる。
月代の死。
最悪のケースは免れたい。
「この器が壊れようとも精神さえあれば我は生き長らえる」
結城は先程の彼の言葉を思い出す。
彼の言葉が気になった。
物語の世界が終われば、月代が卒業すれば、彼の精神だけを滅ぼせば、これは終わるのだろうか。
「(考えていても仕方ない)」
今、解決できないのなら現状を把握したほうがいい。
彼を見つけなければならない。
そう思いながら結城はあることに気づく。
重々しい空気は身体や魔力に影響を及ぼすようなものではないが、今までに感じたことのないないものを感じる。
僅かに流れるものを読み取り足を進めていると、突然、地鳴りが起こり、思わず足を止める。
僅かに流れる気配が弱まったのは、新しい力に気づいたからだった。
月代でも彼でもない強大な力。隠すことなんてしない、悪く言えば単純、良く言えば純粋な心の持ち主。
そう思っていると、結城の目の前の空間が音を立てて裂けていく。
裂けた空間から現れたのは鳴尾だった。
「(やはり鳴尾か)」
結城は驚かなかった。
自分が知っている中で、ここまでの力は鳴尾だけだと思ったからだった。
「…誰かと思えば結城先生か」
結城とは反対に鳴尾はほんの少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに結城を見て笑う。
「物凄くでっかい力を感じたけど、まあ、いいや」
鳴尾は探していた。
去年の学園祭前、図書室横の階段で見た月代は別人のようだった。
言葉にすることができない、月代に対しても今までに抱かなかったほんの僅かな驚きと恐怖を感じたのだ。
気づいたら眉をひそめてその場所を睨んでいたくらいだった。
月代に会ってその力を確かめたい。
そう思っていて、やっとその力を感じることができたのだ。
面倒なことが起きる気がする。
それに対して、結城がそう感じたのは鳴尾の目つきだった。
好意的ではなく好戦的な目だ。
鳴尾がにやりと笑う。
「結城先生、手合わせしてもらえませんか?」
前よりは言葉遣いは良くなったが、その好戦的な目つきと隠さない本心は変わらない。
鳴尾と共に彼を探すなんていう選択肢はないが、鳴尾も彼を探すことが優先だと思っていた。
しかし、それは違っていた。
どんな状況でも自分の本能が先なのかもしれない。
結城が問題としているのは鳴尾の性格だけではなかった。
それは鳴尾が持つ骸霧という大きな剣だ。
物語でヴィースが使うのと同じで、少しでも切られたり衝撃波を受けると眩暈や貧血に似た感覚に襲われ、体力を奪われる。
治癒魔法や状態回復魔法で緩和できるものの、治すには鳴尾の覚醒を解くくらいしかない。
ヴィースが魔法を使う描写がないように鳴尾も魔法が使えないようだ。
けれど、それを差し引いても鳴尾の滞在能力はかなり高く、骸霧の力は自分達にとっても驚異である。
無理矢理付き合ったという表現のほうが正しいが、過去に鳴尾に手合わせを挑まれた時に痛感している。
「はあ…」
彼を探すことが先だが、手合わせせざるを得ないようだ。
結城は呆れたように溜息を吐く。
鳴尾に手を抜く、見逃すという言葉はないだろう。逃げるか気絶させるか、どちらかしかない。
諦めた結城が鳴尾を見つめると、鳴尾はそれを手合わせすると感じてにやりと笑った。
強いやつと戦える。それだけで気分は高揚する。
鳴尾が右手を広げると右手が光り、赤と黒の混ざった幅の広い剣が現れた。
その間、表情に出さないものの結城は考えていた。
鳴尾は骸霧の衝撃波を利用して戦うより、直接、身体を動かして戦う。つまり、接近戦になるだろう。
魔法のほうが扱いやすいだけで剣術が苦手なわけではない。
ただ、鳴尾はまるでそれを前から知っているように扱っている。それくらい手に馴染み戦い慣れている。
何度か相手をしてやったことはあるが、その時とは違う力と気迫に圧されそうになる。
こうしている間にも彼は水沢麗達と対峙するだろう。
鳴尾に時間を割けない。
結城の真下に青い光が生まれ、光と光が結びついて魔法陣が描かれていく。
鳴尾が骸霧を握って地面を蹴るより早く、魔法陣から無数の氷の柱が現れ鳴尾に襲いかかる。
「へへっ」
自分に向かって加速する無数の氷柱に臆することもなく笑う鳴尾は骸霧の柄を強く握った。
衝撃波で無数の氷柱を消すつもりだ。
そう感じた結城は鳴尾の動きを封じるために言葉を紡ごうとする。
しかし、結城の背後から生まれた気配と魔力に言葉を止めた。
それと同時にどこからか現れた炎の渦が結城の横を通りすぎ、鳴尾に向かっていく。
「!!」
鳴尾の目に怒りが宿る。
結城の後ろを睨んだ鳴尾は骸霧を大きく振り回す。炎の渦は骸霧によって消し飛んでしまう。
結城の背後から足音が近づき、少しだけ後ろで立ち止まった。
「高屋か」
結城は驚かなかった。
自分の思い当たる中で能力者は少なく、わざわざ鳴尾の邪魔をしてまで加勢するものはいない。
邪魔をすればどうなるか、それを分かっていて魔法を放ったのだろう。
「高屋!!邪魔すんじゃねえ!!」
思っていた通り、鳴尾は高屋を睨んで怒りをあらわにしている。
例え、どんな状況でも鳴尾は自分の邪魔をされるのを嫌う。
「…赤竜士、今はそんな状況ではないでしょう?!」
高屋もそれは分かっていた。
邪魔をすれば、標的の矛先が自分に向く。現に、鳴尾の敵意は自分を向いている。
ただ睨まれるだけなら怖くはないが、今は敵意と殺意が剥き出しだ。
思わず怯みそうになってしまう。
けれど、今はそんな時ではない。
突然、禍々しい魔力が生まれた。それは以前、感じた背徳の王と呼ばれるも者の力だった。
物語の通り、月代の身体を乗っ取り麗を殺してしまうかもしれない。
物語の通りにならないかもしれない。けれど、もしものことがあってはならない。
人の死、それも彼女の死なんて見たくもない。
しかし、鳴尾の反応はある意味、予想通りだった。
「そんなの俺の知ったこっちゃねえ!!」
鳴尾が吠えるように叫び、次の瞬間、高屋の目の前には骸霧を構えた鳴尾がいた。
鳴尾の瞳孔が開いている。
魔法を発動させることも逃げるのも不可能だろう。
殺される。
それでも高屋が行動しようした時、目の前で何かがぶつかった音がした。
「まあ待てって」
ぶつかった衝撃で風が吹き荒れ、高屋の身体はほんの僅かに後ろに動いてしまう。
思わず目を細めてしまったが、高屋は目を見開いた。
鳴尾は攻撃を仕掛けなかった。
攻撃を仕掛けることができなかったのだ。
骸霧はどこかに消え、誰かが鳴尾の頭を押さえつけていた。
その後ろ姿に見覚えがあった。
「貴方は…」
その人物が高屋の声に気づくと鳴尾の頭を押さえつけたまま後ろを振り返る。
去年の秋頃、火の精霊サラマンドラが現れた時、突然、屋上に現れた人物だった。
見た目は四十代くらい、体格の良さと背の高さから若く見える。
薄い橙色の瞳はどこか鳴尾に似ていた。
「…し、師匠?!」
鳴尾は自分の頭を押さえつけている相手を見て我に返る。
開いた瞳孔が元に戻っていき、先程まで見せていた好戦的な表情がみるみると崩れていく。
自分が握っていた骸霧が消えていることに気づくと辺りを回した。
「げっ!!!」
そこで鳴尾はもう一度、驚いたのだ。
どこかに消えたと思っていた骸霧は鳴尾のやや後方に突き刺さっていた。その突き刺さっている骸霧の切っ先に足をかけている人物がいる。
腰まで伸びた髪の長い四十代くらいの男性の目つきは鋭く、深い青色の瞳は滝河を思い出す。
「人の顔を見てそんな顔しなくてもいいだろ」
力を乗せていれば足は切れてしまうはずだが、男性は切っ先に足を乗せたまま平然と笑っている。
骸霧によって顔色が悪くなっている様子はない。
「彰羅、落ち着け。お前の性格は分かっているが、今はあいつを探すことが先だ」
鳴尾の目の前にいる男性は呆れたように息を吐く。
それから、自分に向く視線に気づいたように顔を横に向けると結城を睨んだ。
「まあ、多少は遊んでやってもいいがな」
「暁」
鳴尾の目の前にいる男性、暁と呼ばれた男性は自分の名前を呼ぶほうを向く。
「お?静は反対か?」
暁はにこやかな表情のまま髪の長い男性、静と呼ぶ人物を見る。
「我々は制定者だ。強い者が手を下すと調和が乱れる。それに、光がある限り希望は失われない。だが…」
静と呼ばれた男性は切っ先に乗せていた足を下ろすと、軽く足首を回した。
「遊ぶくらいの時間はあるだろう」
そう言うと、自分に向く視線に気づいて高屋を睨んだ。
今まで様子を伺っていた高屋は察した。
明らかに不利な状況である。
暁と呼ばれた男性は以前、屋上で火の精霊サラマンドラの言葉を紡いだ人物だ。鳴尾が師匠と呼ぶということは、物語でヴィースの師匠であるファーシルの能力者だろう。
もう一人は見たことがないが、彼がファーシルの能力者ならマーリの師であるブロウアイズの能力者の可能性が高い。
鳴尾が動揺しているのを見るに、あの二人の力は鳴尾以上だ。
恐らく結城か、それ以上と推測する。
鳴尾が殺意や戦意を隠さないに対して、目の前にいる二人は隠しているものの、鋭く突き刺さるものを感じる。
それは自分と結城に向けている
加えて鳴尾がどう動くか分からない。
結城の力は自分より強い。本気を出したところを見たことがない。
しかし、今の状況が有利だと思えなかった。
呪文を詠唱する余裕はないし接近戦に持ち込めば形勢は一気に傾いてしまう。
魔力の消費は大きいものの、それしか方法がない。
考える時間は限られていた。
時間はない。
この状況を打開しなくてはならない。
結城はこの状況を把握した上で困惑していた。
鳴尾一人だけなら、どうにかねじ伏せることができるだろう。しかし、暁と静という人物が現れたことによりそれが難しいと判断した。
うまく隠しているが、その力は鳴尾と高屋より強い。
それに、鳴尾が大人しくしているはずがない。
魔力の温存をしながら戦うなんてことは不可能に近い。
戦いながら罠を仕掛ける余裕があるか分からない。
それに、接近戦は不利になるだろう。
思考は時に判断を鈍らせる。やるしかなかった。
「おい」
短い時間にそこまで考えていた結城はそこから聞こえるはずもない場所から誰かに呼ぶ声が聞こえ、意識を向けた。
「考える時間はできたか?」
その声がしたのは自分の目の前で、相手は自分の視線よりやや下にいた。
ほんの一瞬だった。
「!!」
突き刺さる殺意に目を見張り一歩後ろに下がるより先に、顎に激痛が走り、結城は蹴り飛ばされていた。
受け身を取ることもできないまま蹴り飛ばされた結城は背中を強打して倒れてしまう。
「!!」
一瞬の出来事に高屋は驚いて結城を見ようとしたが、結城に意識が向けば次は自分が奇襲されると判断したのと同時に、周りの空気が冷えて結城が魔法を発動させるということに気づき、意識を集中して右手を前に突き出した。
高屋の周りに赤い光が生まれ、半球状の壁となり高屋を覆う。
静に蹴り飛ばされた結城の右手から青い魔法陣が浮かび、そこから数多の氷の針が飛び出し、不規則に動いてて静と暁に向かって襲いかかる。
しかし、静と暁は焦ることなく、まるで虫でも払うような動きで数多の氷の針を撃ち落としてしまう。
結城が無差別な攻撃を仕掛けると思い、高屋は魔法で防ごうとしたが違っていた。魔法で作った防御壁を解くと小さく呪文を唱える。
結城の身体が淡い光に包まれてスッと消えていく。上半身が微かに動くとゆっくりと立ち上がった。
「………」
高屋は言葉が出なかった。
咄嗟に魔法を発動させたとはいえ、自分より強い結城の魔法を片手で撃ち落とした。
同等の魔法で打ち消すのではなく、撃ち落とした。
手に魔力をこめているのかもしれないが、表情を変えることなく容易く撃ち落としたように見えた。
今までそんなことをする人物を見たことがなかった高屋は更に警戒する。
暁と静の強さは思っている以上だ。
「(速さは精竜士や神竜以上…思ったより苦戦しそうだ)」
自分がそれなりの力を持っていると思っていても目の前にいる二人に傷をつけることは難しい。そう判断したのだ。
奥歯を噛み、眉をひそめる。
静は高屋を見て笑っているが、暁は気にする様子もなく鳴尾を見ていた。
「彰羅、この状態で私達に向かってくるか?」
暁はこの状況を見せつけた上で鳴尾に戦う意思を聞いた。
自分と静の強さは身に染みているだろう。更に結城と高屋がどう動くか分からない。
そう考えての言葉だった。
「……」
それに対して鳴尾は即答できなかった。
鳴尾自身にとって、覚醒してからも考えることをするということがほとんどなかったからだ。
ただ本能のままに動いてきた。
敵か味方か、物語がどうなるか、そんなことはどうでも良かった。
膝をついて倒れても血を吐いても戦う。さっきもそのつもりだった。
だが、それができないのだ。
暁はファーシルの能力者であり、自分より強い。
何度も挑み、その度に地面に背中を打ちつけられていた。痛みも恐怖も何度も経験した。
悩み、思考する。
戦えばまた同じことになるだろう。
けれど、ここで何もしないという選択肢はなかった。
「そんなん決まってるだろっ!!!!!」
鳴尾は唸るように叫んだ。
その時、鳴尾の周りに衝撃波のようなものが噴き出し、鳴尾の後方に突き刺さっていた骸霧が霧のように消えていく。
消えた骸霧はいつの間にか鳴尾の手の中にあり、それを両手で力強く握るとそのまま地面に突き刺した。
突き刺したところから禍々しい黒い衝撃波が吹き出し、目の前にいた暁は驚くことも避けることもせず衝撃波を受けてしまう。
「!!」
それを見た結城と高屋は驚いたが、それより早く黒い衝撃波は結城と高屋の横を通り過ぎ壁にぶつかってしまう。
「うっ……!」
気づいた時には遅く、結城と高屋に異変が起こる。
全力で走ったような疲れと激しい目眩、胸を締めつける強い痛みが襲いかかる。
強い痛みに思わず膝をついてしまう
骸霧の効果は何度も体験していたが、この痛みはそれ以上の苦しさだった。
「えっ…」
なんとか立ち上がった二人は更に驚くものを目にした。
辺りが黒い霧に覆われた中、鳴尾と暁は剣を交えていた。
暁が握っている剣は骸霧と似たようなものだったが、大きさは普通の長剣より少し大きいくらいだった。
それに、骸霧から放たれた黒い衝撃波を直に食らった暁が平然として鳴尾をあしらっている。
鳴尾と暁から離れた場所で静観している静も平然としている。
「…あの二人には効果が無いのか?」
結城も高屋も唖然とした。
鳴尾が持つ骸霧は剣を交えたり、剣から放たれる黒い衝撃波に当たったり触れたりするだけで激しい貧血のような感覚に襲われる。
能力を封印されてしまったが、あの神崎でさえ骸霧の力の前で苦戦を強いられていた。
治すには鳴尾の覚醒を解くことか気絶させること。それしか無かった。
しかし、暁と静は苦しんでいる様子はない。
今まで骸霧の効果が無かった者はいなかったのだ。
今は静観しているものの、静がいつ動くか分からない。それに、いつ鳴尾の矛先が自分達に向けられるかも分からなかった。
鳴尾は戦いの邪魔をされるのを嫌う。それが自分から挑もうが、巻き込まれようが、相手が眼中になくても変わらない。
鳴尾が狙われた場合、手出しすることが躊躇われるのだ。
二人がそんなことを思っているとは知らず、暁と鳴尾は剣を交えていた。
剣と剣がぶつかり合い、鳴尾は力の反動で少し後ろに下がり骸霧を振り下ろす。
すると、剣を振り下ろした場所から衝撃波のような黒い刃が幾つも現れて暁に襲いかかる。
「僅かに躊躇っているが自分より強い者に挑む精神は悪くない」
暁は戸惑う様子もなく目の前で剣を振り下ろすと、襲いかかっていた黒い刃は真っ二つに裂かれて消えていってしまう。
「骸霧は大きい。大きな武器は威力はあるが、その分、動きが遅くなる」
暁の前には黒い刃が次々に襲いかかり、それを切り捨てようとしたが、表情を崩さず剣を構えまま後ろを振り返った。
剣と剣がぶつかった。
「っ!!」
鳴尾は眉間に皺を寄せている。
死角を狙って背中を切りつけるつもりだった。
しかし、気配と殺意を隠していない鳴尾の動きは暁に読まれていた。
暁には骸霧は効かない。
動きも、力も、骸霧の力も目の前でにやりと笑う暁には敵わない。
それでも戦うことは止められない。
開いた瞳孔は暁を見据えている。
骸霧の衝撃波から吹き出した黒い霧が辺りを覆っていく。
それまで鳴尾を見て笑っていた暁は呆れたように溜息を吐いた。
「彰羅、教えたことの半分、いや、ほとんどできてない。私は呆れている」
暁も鳴尾を見据えているが、暁が握っていた長剣が消えていくことに気づく。
結城はそれを見逃さなかった。
「骸霧の意味を理解しろ」
暁が鳴尾を睨む。
まるで、暁の殺意が突き刺さるようだった。
「っ!」
殺気を感じたのか、鳴尾は一瞬、怯んでしまう。
それは何度も身体で覚えさせられたものだった。
それと同時に、鳴尾が握っていた骸霧が紫ががった黒い霧となって消えていってしまう。
次の瞬間、結城と高屋は目を疑った。
いつの間にか骸霧は暁が手にしていたのだ。
「!!」
暁が骸霧を持ち直すと、全身から炎のような蒸気が噴きだし巨大な竜の形に変わっていく。
瞬きをする間もなく、目に見えない速さで暁は鳴尾の目の前にいた。
「サラマンドラ」
薄い橙色の瞳が鳴尾を捕らえる。
暁がその名前を呼び、次に見えたものは灼熱の炎を纏った骸霧と肩から腰にかけて切られ、後方に吹き飛ばされた鳴尾だった。
地面に倒れた場所に赤い円が描かれ、そこから炎が噴き出した。
炎によって鳴尾の姿は見えなくなり、炎がおさまった時には全身に傷を負った鳴尾が倒れていた。
倒れた鳴尾の身体から血が流れ、鳴尾の顔が青ざめていく。
暁が握っていた骸霧は消え、辺りを覆っていた黒い霧もゆっくりと消えていく。
「はぁ…暁、やりすぎた」
静は溜息を吐くと右足で軽く地面を鳴らした。すると鳴尾の身体は淡い光に包まれ、血は止まり傷口が塞がっていく。
「さ、邪魔なのは片付けた」
暁は鳴尾の様子を心配するわけでも静の行動にも気に留めず、鳴尾を一瞥した後、結城と高屋のほうを向いた。
強さの質が違う。
鳴尾が手も足も出ないくらいの強さで、更に火の精霊サラマンドラを召喚した。
召喚する早さ、サラマンドラの威力、今までに見たことがなかった。
暁の強さは高屋も警戒しているだろう。
結城はそう感じながら、自分また焦っていることに気づく。
静観している静もまだ手の内を見せていないだろう。
暁の視線が結城に向けられる。
考える時間はない。
結城がそう考えていたその時、どこからか現れた短剣が静の影に突き刺さった。
結城が少し振り返ると高屋の右手が動いていた。
恐らく短剣を投げたのは高屋だろう。
静は少し手足を動かして、それが魔法によって動かないことを察した。
「影縛りか」
それは物に魔力を宿し、影に撃つことによって動きを封じる魔法だ。
解除するには影を縛るものを取るか、影を消す方法しかなかった。
「動きを封じている間にどうにかするつもり…」
静がほんの少し自分の影に意識を向けていた時、ドンという大きな音が響き、地面に打ちつけられるような重力が圧しかかる。
「ほう…」
暁と静が反応を示したのはそれだけではなかった。
二人の両足には重力を圧縮させたような足枷がつけられていたのだ。
「…重力を操るか」
「これでは動きが鈍くなってしまうな」
暁と静はそれが何か、誰が発動させたか、分かった上で驚くこともなく両足を一瞥した。
「(今のうちだ)」
魔力を最大限まで高めた重力の足枷は動くことも困難だろう。
そう思っていた。
暁と静がほんの一瞬、視線を合わせた時、本能が危険を察知した。
「なっ……!!」
結城の表情に焦りと不安が見える。
気づいた時には結城の周りを覆う風の壁が生まれ、高屋は静によって蹴り飛ばされていた。
「お、気づいたか」
炎を纏った暁の剣は風の壁にぶつかり爆風が巻き起きる。
爆風の隙間から暁が見える。
さっきから表情一つ崩していないように見えるが、薄い橙色の瞳は殺気で溢れていた。
大きく反応していないが、結城は驚いていた。
魔法によって動きを封じたと思っていた。
しかし、暁と静は先程とほぼ変わらない速さで動いている。
「(魔法が効かないのか?)」
骸霧の力も効かない。魔力を高めた魔法も効いていない。
次の手を考えようとして、止める。
爆風に紛れて絶叫が聞こえたからだった。
「ぐあぁーーーーーーー!!!!」
爆風が薄れた場所からそれを見てようやく気づく。
高屋を蹴り倒した静は高屋の右肩を踏みつけていた。
「高屋!!」
驚いた結城は声を上げる。
普通ならそこまで痛くはないだろう。しかし、結城の魔法によって重力がかかった足で踏んでいる。痛みも負荷も違う。
魔法は効いているのだ。
結城は右腕を払うように動かした。
すると、結城を覆っていた風の壁から無数の鋭い刃が生まれ静に向かって加速していく。それと同時に暁と静の周りにある重力が消えていく。
結城の動きを予想していた静はにやりと笑うとその場から瞬時に離れて暁の近くに移動する。
「大丈夫か?」
結城も高屋の近くに移動すると高屋を気遣う。
人のことを見ている余裕はないが、自分の魔法の強さが働いた結果でもある。
「……」
高屋は右手を地面につけて立ち上がろうとして動きを止めた。
それを結城は見逃さなかった。
「(動かすのが困難だろう)」
強い力で右肩を踏まれたんだ。骨折や脱臼、痺れなどもあるだろう。
結城はそう思いつつ、左手を地面につけて立ち上がる高屋を見ていた。
「…大丈夫です」
絶叫して声が出にくいのか、高屋は咳払いをすると肩で息をしながら答える。
結城は暁と静を睨む。
こうしてる間にも二人が攻撃を仕掛けてきてもおかしくはない。それなのに、動かない。
それは余裕があるのか、わざと隙を作っているのかは分からない。
更に魔力を使うことになるが、二人に遭遇する前まで時間を動かそうと考えていた。
意識を集中して魔法を発動した時、それに気づいた。
「発動できない…?」
驚きのあまり開いた口が塞がらない。
そんなことがあるはずがない。それくらいのことだった。
時を動かすことができない。
結城ははっとしたのを見て、暁と静が口を開く。
「我々が何も知らないと思っていたら、それは間違いだ」
「時を動かすことも止めることもできない」
暁と静に気を取られ過ぎていた。
今までの自分だったら、他のことを考えながら意識を向けることができるはずだ。それができないのは目の前にいる二人のせいだけではない。
月代の命がかかっていたからだ。
物語の通りになるとは限らないし、人の命が関わっているかもしれない。
この空間にもう一つの力が流れている。
「実月…」
結城は焦りと怒りが混じった声で小さく呟いた。
自分以上に時の魔法を使う相手は一人しかいなかった。
考える隙を与えない。
力を使うための言葉を紡ぐ時間はない。
魔力の消費は大きいし、一つでも間違えたら自分がやられてしまう。
「ディーネ」
静がその名前を呼ぶと、静から霧のような蒸気が吹き出して人の形に変わっていく。
水のように透き通る身体に揺れる髪と尖った耳。氷のような法衣を纏ったディーネが姿を現した。
辺りの空気が冷えていく。
それを肌で感じた結城と高屋は身構える。
「高屋、一瞬でも気を抜くな」
結城の声が、暁と静を睨む目つきが変わる。
高屋を気にかける余裕はないだろう。
暁はサラマンドラ、静はディーネを呼び出すことができる。
今までに呼び出した誰よりも早く、強い力を放っている。
力ある言葉を発動させたものだけが強い力を示すことができるのだろう。中西、大野がそれに該当する。
こんなに戸惑うことがあっただろうか。
額から汗が流れる。
冷気が満ちてきたのか、頬をつたう汗でさえ凍ってしまうくらいだ。
「さあ、少しでも立っていろよ?」
「面白くないからな」
暁の足元から炎が巻き起こり、静は肩足を開いて少しだけ腰を落とした。
暁と静も笑っている。
その気迫と殺意に気圧されることなく結城は笑う。
「(面白い)」
まだ本気を見せていない。それを見せつけてやる。
そう思わせるような笑みだった。
結城の両手から氷の刃が生まれ、風が巻き起こると氷の刃は次々に分裂していく。
辺りの空気と反応したのか冷たい空気は吹雪に変わり、視界を狭めていく。
それを見ながら高屋は一瞬だけ意識を右腕に向けた。
「(痛みはない…が、感覚がない…)」
時間が経てば戻ると思っていた感覚は変わらない。
結城の魔法によって重力の負荷がかかった足で踏まれ、今までに感じたことのない痛みを味わった。
魔法を発動させることはできるものの、咄嗟の行動で右腕を出してしまうかもしれない。それに、考える時間はない。
動かなければやられてしまう。
覚悟して魔法を発動させようとした時、高屋はあるものを見てしまう。
「尻尾………?」
思わず口に出てしまったが、吹雪や風の音によってそれが聞かれることはなかった。
結城の背中には悪魔のような鋭く尖った爪がついた翼と鋭い尻尾が見えた。
それが何なのか、高屋が考える前に力と力のぶつけ合いは始まっていた。
「ふう…」
やや大きな息を吐くと静は足元を睨んだ。
自分の足元で動かなくなった高屋を見ると、それを見計らったように空気が変わっていくことに気づいた。
「光が終わらせたな」
それに気づいた暁は口元についた血を指で拭う。
暁の足元には結城が倒れていた。
禍々しい重圧が消え始めている。
それは、暁と静が考えていたことが起きたということだった。
「そうだな」
静は辺りを見回して答えた。
彼女達が終わらせてくれる。
そう思っていても物事に絶対はない。もしもの時は自分達が出ていこうと思っていたが、それは杞憂だった。
「ん?」
暁と静が僅かに意識を別に向けた隙を狙ったのか、二人の足元で倒れていた結城と高屋の姿が消えていた。
「魔力を使い果たしたと思ったが、まだ逃げる力はあったようだ」
結城と高屋が消えてしまったことに焦りや怒りを感じることはなく、余力を残していたことに感心していた。
禍々しい力が消え、空間が裂けていく。
もう、あの力は感じなかった。
ようやく緊張を解くことができた二人は顔を見合わせる。
非現実な物語の終止符が打たれたのだ。
「この空間が消える前に我々は去るとしようか」
「ああ」
敵意と殺意が消え、暁はふと、鳴尾の存在のことを思い出した。
それほど長い時間ではないが気を失ったままだった。暁は倒れている鳴尾に近づき、しゃがみこむ、
「彰羅、行くぞ」
肩をゆすって少し経つと、鳴尾のまぶたが動いた。
ゆっくりと目を開けた鳴尾は、暁と静を見ると納得がいかない顔をして立ち上がった。
この現実が終わってしまう。
暁と静の背中と、周りを空気を感じてそう感じながら、鳴尾は二人の後を歩いていった。
文字通り、桁違いの強さだった。
背徳の王が取りついた月代の脅威は神崎の力とはまた違う。もしも、戦っていたら自分がどうなっていたか分からない。
それに、暁と静の強さ。傷を負わせることはできたものの致命傷を与えることはできなかった。
戦い方も属性も違うのに、息の合う動きに翻弄された。
最後の力を振り絞り、空間転移することはできた。
高屋がどこに転移したかは分からない。転移させるだけで精一杯だったのかもしれない。
ぼろぼろになるまで傷つき、疲弊し、屈辱と後悔を味わった。
しかし、それがどうでも良いと思えた。
腕の中には意識を失っている月代がいる。
禍々しい背徳の王の気配が消え、微かに月代の気配を感じた時、最後の力を振り絞って月代がいる場所に転移したのだ。
水沢麗が生きていたということは、月代が死ぬ未来は無くなったということだ。
もしかしたら最悪のシナリオが書かれると思っていた。
けれど、物語と同じ未来になった。
このまま何も起こらなければ、月代達は無事に高校を卒業できる。
他のことに意識を向ける力さえ残っていないと思っていたが、こんな時に自分に教師らしい思考が残っていたことにも驚きだ。
「…良かった」
屈辱や後悔、月代が生きていること、最後に見た水沢凛の悲しみが混じった不思議な顔、色々な感情が混ざりあう。
この結末に安堵しているのだ。
気づけばフッと笑っていた。
物語は終わったのだ。