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天涯孤独の、ふたりだから  作者: 640orz
第三部 秋から、新たな日々へ
71/74

第七十話 お姉ちゃん、だから

 

 

 私を襲った子と、話せないかな。

 自分の言ったその言葉が、聴く者に動揺をさせることが、自覚できぬ不知火ではない。

 病室を訪れてくれた白鷺のおじさんも。

 ひと足先に、同じく見舞ってくれて既にそこにいた、レイアも。

 吐き出したその言葉が戸惑わせ、困らせてしまうことくらい、不知火にだってわかっていた。

 

「不知火くん。それは──さすがに」

 

 さすがに、賛成できない。言葉を濁したおじさんも、息を呑むばかりだったレイアもきっと同じように、そう思ったのだろう。

 

「不知火、あちらの家族についてはもう、警察から勝手に近づかないよう通達をしてもらっている。今更こちらから歩み寄る必要なんて」

 

 やがてレイアが、黙りこくった白鷺さんの言を引き継ぐように、言う。

 知っている。それも、わかっているよ。レイア。

 皆が不知火自身のことを想って、そう対応をしてくれた。不用意に、不躾にあちらから近寄ってくることのないように──それが双方にとって必要なことだと、理解している。

 

「……うん、わかってる。わかってて、言ってる」

 

 わかっているけれど、敢えて言う。

 

「それでも、会ってみたい。話を、してみたいんだ。わがままだってことはわかってる。あっちから拒絶されるかもしれないし、警察から止められるかもしれない。全部、理解してるよ」

 

 でも、それが必要だと今は、思うから。

 

「今の私にできることってきっと、それくらいだから」

「お前に──できること?」

 

 そうだ。眼が、見えなくても。話すことはできる。

 恨んで当然のはずなのに、恨みきれない。憎みきれない、少女と。話す。そうすることくらいは自分にも、できるはずだから。話すべきだ、きちんと話さなければならない──思う、自分がいる。

 

「でも、何故。不知火、きみは彼女のせいで光を奪われたというのに。赦す、つもりなのか」

 

 言っては悪いが、彼女の両親が病院まで押しかけてきたのは、そのすべてがこちらに対する謝罪や申し訳なさによるものというわけではないはずだ。

 謝ることで娘の過ちを赦してほしい、なかったことにしてほしい。そういった要求の感情だって、少なからずあったはず。

 同じ、親という立場だからわかる。親というのは疚しさを持ち得ても、結局子のために動いてしまうものだと。彼女らのその都合のために、こちらを巻き込もうとしてしまうものなのだ──『父親』であるところの白鷺のおじさんは、不知火に考え直すよう促すが如く、それら言葉を投げかける。

 わかっている。自分がしたいと願っていることの、その性質が一般的ではないというその事実を。

 

「会いたいんです」

 

 それでも不知火は繰り返す。

 

「あちらが嫌でなければ。会ってみたい。話して、みたいんです」

 

 迷惑も、心配も。

 かけることは重々、承知しています──。


                 *   *   *

 

 楽器の、レッスン室。

 ピアノの上に置いたスマートフォンの鳴動に気付いて、リースは手に取る。──そこにはレイア先生からのメッセージが届いていた。

 そちらはどうか。妹の治療計画になにか進展は。

 無論医療チームの一員であった人間として、レイア先生自身、情報は必要十分な範囲で、他の医師から得てはいるだろう。医学的な見地からの情報量なんて、絶対的に患者の家族などより、医師のほうが多いに決まっている。

 遥か遠く、地球の裏側、日本からこのようなメッセージを敢えて送ってくるのは、そういうことだけが理由でないと、リースもまた察せられる。

 同じ、日本という国に深く接した者同士だから。

 そしてミラージュと同じ運命を持っている少女を、知る人だから。

 気にかけてくれている。リースとミラージュの、姉妹のことを。

 同時、不知火のためにも有益となる情報を少しでも、求めている。彼女のそんな、善意と必要性のふたつからやってくる行為の理由が、わかるようにリースには思えた。

 

「──ありがとう、レイア先生」

 

 それらふたつの理由に対し、感謝をリースはした。

 アメリカを離れ、物理的な距離において遠く離れても自分たちを変わらず、気にかけてくれた前者に。

 自分の大切な旧友と、そのかけがえのない姉のことを傍らにて思いやってくれる、後者に。

 左手に握っていたスポーツタオルを頭から被って、練習後の汗を拭う。

 

「私も、信じています。ユキは音楽を、ヴァイオリンを嫌いになんてならない」

 

 開いたままの楽器ケースを見遣る。愛用のヴァイオリン。きっとユキも、自分から放したりなんか、しない。

 小雨がその才能を信じ。

 不知火がその心を信じた、彼女の音楽はこんなところで消えてしまったりは、しない。

 

「信じて、待っているから」

 

 あなたたち、姉妹のことを。きっと、ミラージュに会いに来てくれる。同じ時間を、共有できる。

 携帯電話を胸に抱いて、リースは目を伏せる。

 だから、ふたりを見守っていてあげてね。コサメ。

 あなたが今、大切な人とふたりきりでいるように。

 大切に想いあう、ふたりのことを。──そう、願って祈りながら。


                 *   *   *

 

 なんだかんだ、しっかり学校来てるじゃん。

 ふと向けられたその声に、紙パックのいちご牛乳を啜っていた顔を、雪羽はなにげなく持ち上げる。

 前後の机をくっつけての、お昼ご飯。弁当のあとの、エア・ポケットのようななにもない一瞬の時間帯。

 日直の彩夜は先に食べて、既に教室を留守にしている。向かい合った歌奈とふたりの、ぼんやりとした時間だった。

 

「──え?」

「だから、学校。テスト終わったらしばらくサボるって言ってたじゃん」

「別に、サボるとは。必要があるから、休むってだけで」

 

 歌奈は、空っぽのお弁当箱をまだ広げたまま。雪羽も雪羽で、食べ終わったパンの袋がまだ、机の上に残っている。

 

「サボりじゃん」

「そりゃあ、休むとは言ったけどさ。でもそれはお姉ちゃんとアメリカに行くつもりだったからであって」

 

 サボりと言われるのは心外だ。──いや、実質的にはたしかに、そうかもしれないけど。別に面倒だからとか、そういう理由じゃなくて。

 自分たち姉妹には、必要なことで。

 その予定がなくなってしまったからには、学校を休む理由なんてない。必要がなくなってしまった。というか──……、

 

「……お姉ちゃんからも、することのない自分に張り付いてるくらいならしっかり学校行けって言われたし」

 

 アメリカ行きもなくなったんだから、って。

 

「なんじゃ、そりゃ。自分が大変でもしっかりお姉ちゃんをやってるわけだ、不知火のやつ」

「そう、お姉ちゃんなの」

「そっか」

 

 歌奈は、ペットボトルのポカリをひと口呷る。

 そんな彼女の様子に、つい雪羽は首を傾げる。やけに物憂げというか、なんだかテンションが低めというか。もちろんこんなことを思う雪羽自身、それほどに元気いっぱいという気分でもないのだけれど──……。

 

「なんかさ、歳って関係ないんだなって思うんだ」

「歳? 年齢?」

 

 そー。アタシらの、歳。椅子の背を軋ませて、その足を浮かせながら、歌奈は続ける。

 

「うちのねーさんも。不知火も。……ゆーやクンと店やってるときの彩夜もだけど。すごく、立派に『お姉ちゃん』やってるんだよね」

「──あ」

「みんな、同い年だよ? 不知火に至っては、もともと妹でむしろ、アタシや雪羽の側の人間だったわけじゃん?」

 

 だけど、今はしっかり、お姉ちゃんとして妹を──雪羽のことを見ている。

 

「なんかさ、かなわないなーって。思っちゃってさ。ちょっと悔しい」

 

 ねーさんや、不知火や、彩夜。

 あいつら、『お姉ちゃん』なんだな、って。

 

「妹としては悔しいわけですよ。……悔しくない?」

 

 うーん、と伸びをして、歌奈は雪羽のほうを見遣る。

 わかる。……うん、わかるよ。その気持ち。

 

「お姉ちゃんは、いつだってお姉ちゃんだもんねぇ」

「そ。同い年のはずなのにこんなに違うのかーって、考えさせられちゃう。不知火だって、今滅茶苦茶大変なはずでしょ」

「……うん。だよね。あたしの心配なんか、してる場合じゃないだろうに」

「くやしーよね」

「……うん、悔しい」

 

 窓から、グラウンドを見下ろす。

 甘えてほしいって、求めてって、言ったのに。むしろお姉ちゃんはどこまでも雪羽のことを気にかけていて。

 あたしの、気持ちのこと。

 あたしの、将来のこと。ヴァイオリンのこと。そんなところまで、姉は考えてくれている。

 護られている。見守られているって、実感させられる。

 

「あたしにできること。……なんだろうって、考えちゃうな」

 

 支えるってこと。妹としてできること。同い年なのに、姉とは随分違う。

 いったい、なにがやれるんだろう。

 わからないまま、音を立てていちご牛乳を、雪羽は最後まで飲み干した。


                 *   *   *

 

 それから、学校を終えて。『白夜』にひかりの様子を見に行ってから、雪羽は病院に顔を出した。

 おじさんは『白夜』にはいなかった。──病院に、見舞いに行っているということだから、一緒になるか、もしかしたら入れ違いになるかもしれない。

 そう思いながら、病院の廊下を歩いていた。

 

「星架先輩っ?」

 

 病室の前にきて、そこに佇む年上の少女の姿を見とめたのは、それら思考に頭の中のリソースを割きながら、目線をそろそろ見えてくるであろう扉に映した頃合いにてだった。

 彼女が病院に来ていることそれ自体は、何ら不思議ではない。

 雪羽と同じに、こちらのことは気にしないでください、と姉から、姉の想い人たる彼女は伝えられていた。それでも来てしまう、どうしたって気になって、足が向いてしまう。そんなところも、一緒。星架先輩の場合は部活を終えたその足でやってきたのだろう。だから雪羽と到着が、重なってしまった。

 学校帰りの、制服のまま。鞄を手に、何故だか彼女は病室に入らずに扉の前へと立ち尽くしている。

 雪羽のかけた声に、一瞬ひくりと肩を竦めて。こちらに気付き振り返った彼女はしかし、無言に人差し指を立てて、「静かに」のジェスチャーをしてみせる。

 

「?」

 

 知らず足音を忍ばせつつ、彼女の仕草に従うようにそっと、雪羽はそちらへ近づいていく。

 

「中、行くの。ちょっと待って」

 

 やや片言気味になりながら、無声音で先輩は告げる。

 そんな彼女に、袖を指先で引かれつつ。扉の小窓から、雪羽は病室の中の様子を窺ってみる。

 見えたその先、部屋の中にいたのはふたりきり。

 お姉ちゃんと、レイアさん。やはり既に病室をあとにしているのか、おじさんの姿はそこにはなかった。


(──『どうして、あんなことを頼んだんだ』)


 か細く、しかしどうにかふたりのやりとりの声が、扉の向こう側から漏れ聴こえてくる。

 頼んだ。──いったい、なにを?

 レイアさんの表情はすぐれず、そして言葉は姉に対しなんだか、詰問をしているようで。同時に、怒っているというより、測りかねているという感情のほうが強く、そこには表れているように聴いていて感じられた。

 あんなこと、とは。


(──『赦すな、とは言わない。だがお前がされたことを考えれば、襲ってきた側に歩み寄る必要もないだろうに』)


 えっ。思わず、そう声が出そうになった。

 ふたりが真剣な様子で会話をしているから入るに入れなくなっていたのであろう、星架先輩が小さく頭を振って、堪えるよう示す。

 襲ってきた側──相手、だって。


(──『ユッキーだって、止めると思うぞ』)


 そうだ。レイアさんの言うとおりだ。

 歩み寄るって、なに。

 お姉ちゃん、なにをしようとしているの?

 今にも、病室に飛び込んでいきそうだった。けれどそんな雪羽の手を、星架先輩は強く握って。

 その手で、引き留めてくれた。

 互いの掌に、互いの汗を感じながら、不知火を想うふたり、ただ部屋の中のやり取りに耳をすませていた。


                 *   *   *

 

「──うん、わかってる。ゆきがこのことを知れば、いい顔はしないだろうなってことくらい」

 

 心配させてしまうと思う。

 戸惑い、心迷わせてしまう。そのくらいは、不知火にもわかっている。

 自分が求めたこと、必要と感じた行為が。それはたとえ、レイアや白鷺のおじさんの反応をみるまでもなく、その以前からわかりきっていたことだ。

 おじさんは、困惑をし、躊躇をしながらもしかし、警察に相談はしてみる、とは言ってくれた。この部屋をあとにするその最後に背中越し、本当にいいんだな、と念を押して。

 

「別に、事件を起こしたその子を赦すとか、赦さないとか。そういうところが大事で言ってるわけじゃないんだ」

「……どういうことだ?」

「──えっと。……姉バカって、笑わない?」

「は?」

 

 見えてはいない。けれど、瞼と包帯の隠す向こう側にいるレイアはきっと、不知火の漏らした、予想だにしない場違いな単語を測りかねて、きょとんとした顔をしているはずだ。

 

「このままだと、きっとゆきは気にし続けるから」

「ユッキーが?」

「──うん。そのせいで、自分の大好きな楽器まで投げ出そうとしてる。それは、いやだなぁって」

 

 自分のせいで、妹の未来が変わってしまうのは。

 この、眼のときもそうだったけれど。

 やっぱり、嫌なんだ。だから。

 

「だから、できることをしたい。私はゆきの、お姉ちゃんだから」

 

 

           (つづく)

(お詫びとご連絡)

毎度、読んでいただいてありがとうございます。

今回の第七十話ですが、作者体調不良のためデスクに向かう時間があまりとれず、内容・文章量ともに練り込みきれていない部分があるかと思います。

後日、本筋はそのままに、ブラッシュアップをした改訂版をアップする可能性がありますのでご了承ください。

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