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天涯孤独の、ふたりだから  作者: 640orz
第三部 秋から、新たな日々へ
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第五十九話 知ったこと、知ってほしかったこと



 目の前に差し出された小さな紙袋を、きょとんとした目で思わず、リースは見つめている。

 袋の端々から漂うのは香ばしい、甘い。バターとクリームの香り。ポップな絵柄のロゴマークが示すのは、それが駅前の、ショッピングモール内にあるシュークリームの店のものであるということ。


「……はい?」


 意図を掴みかねて、そんな声を発していた。

 長身の、ポニーテールの少女。自身がひどい言葉をぶつけてしまった、相手。


「いや、ひとつお近づきの印。……ってやつ。えっと、海外だとこういうの、なんていうんだっけ」


 受け取れ、と。彼女は紙袋を揺らして促す。


「あ。ギフト?」

「──いや、わかるけど。そのくらいの日本語なら、気を遣わなくても」


 小首を傾げてみせるその相手にため息を吐きつつ、リースは差し出されたそれを受け取った。

 ひとつか、ふたつか。中に入っている重みがある。


「……どういった、用件かしら」

「どうも、こうも。ちゃんと話をしておきたくて」

「話?」


 駒江、不知火。ユキの新しい姉。

 彼女は他意のない、素朴な表情をこちらに向けている。


「うん。ゆきの古い友だちなら、仲良くなりたいなって、思って」


 だったら、話をしなくちゃ。──でしょ?

 人差し指を立てて、彼女は言う。

 ……正直、彼女の考えがよくわからない。

 あれだけ、辛辣な言葉をぶつけられて。そして私は彼女から、彼女の大切な妹を取り上げようとしていて。それなのに、仲良く? ……意味がわからない。

 雑踏の片隅。行き交う人々の中、彼女は手近な生垣の縁に腰を預けていて。そんな、敵対関係のはずの少女の前にリースは立ち尽くす。


「仲良くなりたいなんて、そんな。……本気?」

「うん。ダメ?」


 ダメ、とか。そういうことではないけれど。

 普通、そんな相手と敢えて友人関係になろうとはしないとは思う。わざわざ、マンツーマンの状況をつくってまで。せめて間に誰か、緩衝材となる人間を伴うものではないだろうか。


「ほら。行こう」


 先ほどまで紙袋を差し出していた指先が、今度は掌だけをこちらに突き出して、取るように促して伸びている。

 なんだ、それは。王子様かなにかに、なったつもりなのだろうか。


「……わけ、わかんない」


 その指先を、見つめながら。率直な、思った言葉を吐き出して、リースはぷいとそっぽを向いた。

 言葉や、仕草とは裏腹にしかし、その足は不知火の隣に並んで歩くべく、前に向かい一歩を踏み出していた。


「どうしたいか、知らない。どこに連れていきたいのかもわからない。でも、いいわ。付き合ってあげる」

「──あ。私、付き合ってる人、いるから」

「そういう意味じゃない」


 いささかオーバーが過ぎて、演技がかってすら見えるその少女のおどけた様子とエスプリの言葉に、日本語のそれに対してリースがそうやって容易く対応できたのは、やはり幼い頃に長くこの国に住んでいた、そのおかげなのだろう。

 

                 *   *   *

     

 ヴァイオリンで、プロを。

 目指す。目指さない。

 そのために海外に行く。行かない。

 お姉ちゃんやひかりと、一緒に。

 いる? ──いない?


「……そりゃあ、いたいよ。一緒にいたい、傍で過ごしたいに、決まってる」


 バイトの合間の、作業と作業のすきまに空いたエア・ポケットのようなわずかな時間。

 きれいに布巾で水気をふき取ったティーカップを置いて、雪羽は考える。

 姉に言われ、選択権を委ねられて。ずっと、考えていた。

 なにが自分にとって一番いいのか。どうしたいか、どうしたいと思うことが一番いい未来をもたらすのか。

 選ばなくてはならない。そのためにも、考えろ。決めるための材料を探せ。

 考え続けて、いる。

 凝り固まらないで。未来をひとつに閉ざしてしまわないで。そう言った姉の表情はほんとうに優しかったから。

 姉だって、雪羽と、ひかりと三人でずっと一緒にいたいと思ってくれているはずだ。その程度の己惚れは、自分と姉との絆に対し雪羽は持ち得ていた。

 だから、考える。

 リースのこと。

 小雨姉さんのこと。

 不知火、お姉ちゃんのこと。

 ひかりのこと──。

 楽器に向かっても答えはでなかった。学校でも、家でもやはり、考え続けている。それでも、見つけきれない。

 どれもがなにかに対して正しくないように思えて、なにかを置いていかねばいけなくて。選びきれない。

 たしかなこと。

 自分が、姉を。ひかりを大切に思っていること。ふたりとともに在りたいと、思うこと。

 自分が、ヴァイオリンを好きなこと。それが打ち込める対象たり得ること。

 曖昧なこと。

 自分が、楽器演奏の舞台を生業としたいか、ということ。嫌ではない。興味もないわけじゃない。ただかつて、見切りをつけた舞台でもある。

 リースとともに音楽を学びたいか、ということ。

 姉にあんなことを言ったとしても、やはり彼女は自分にとって旧い友人であることは変わらない。その誘いを無下にしていいものか、わからない。

 自分の未来はこうだ、と決めていた頃ならともかく、今となってはついていくのが正しいのか、残るべきなのか。


「……優柔不断だなぁ、あたし」


 布巾を畳みながら、苦く笑む。

 夕方、『白夜』の店内にお客さんは三組。

 常連の、競馬新聞を広げたおじいさん。

 早めの夕飯に訪れた、これも常連の老夫婦。

 そして──最近時折やってくるようになった、学生なのか、フリーターなのかわからない、若い男性客がひとり。

 ピークの時間まではもう二、三十分はあるだろう──長い経験則から、雪羽はもう少し、この物思いに耽るひとときが続くことを予測する。

 どこかほっとするようでもあり、実時間に対する体感がひどく長い時間に感じられるようでもあった。


「お悩みみたいですね?」

「彩夜」


 倉庫に、コーヒー豆の在庫を見に行っていた彩夜が、裏口を開けて戻ってくる。向けた表情にはどうやら、物憂げさと迷いとが隠しきれず、滲み出ていたようで、開口一番、小首を傾げて彼女は微笑む。

 心配してくれている。元気を出せ、と言ってくれている。そんな微笑だ。

 事情をわかってくれている彼女だから、言葉にしてああしろこうしろ、なんて口うるさく言ってくることはない。

 ただ、


「思った通り、したらいいんですよ、きっと。そんな雪羽ちゃんを、不知火ちゃんは望んでくれたんだから」

「──うん」


 背中だけを、押してくれる。ありがたい、率直にそう思う。


「雪羽ちゃんには、そうすることのできる力があるんですから。雪羽ちゃんが、不知火ちゃんと一緒に、自分のできることに向かって進んでいけることが、わたしも嬉しいです。わたしの身体はもう、自分にはできないことがはっきりしてしまっているから」

「あ……」


 卑屈でなく、悲愴でもなく。彩夜は少し苦笑気味に眉根を寄せる。

 彼女の肩は、アキレス腱は──もう。彼女が幼き日、持っていたバスケットボールの才能に進むことは、ゆるされない。

 その言葉が、受け取り方次第では嫉妬や寂寥の色を含んだものにも捉えられかねないものだとは、吐き出した彩夜自身にもわかっていたのだろう。声を発してすぐ、ちょっとオーバーな動作で彼女は肩をぐるぐる、回してみせて。破顔した笑顔を、雪羽に向ける。


「雪羽ちゃんが、嫌なものと好きなもの、や。嫌なものと嫌なもの、から仕方なく選ぶんじゃなくって。大事なものふたつから選べること、そうやって恵まれていられることが、すごく幸福なことだと思うから」


 だから、笑って。


「笑って、選んで。笑って進んでいける決断が出来たら、それはとても素敵だと思います」


 そのときはやっぱり、彩夜も、嬉しい。

 キッチンシンクに向かい、洗剤の残りの具合を確かめながら、背中越しに彩夜は言ってくれた。


「恵まれる? ──恵まれる。……そっか」


 あたし。恵まれてるんだ。

 父も、母もいない。実の姉も喪った、けれど。

 そんな、過ぎ去っていった人たちが遺してくれたものがたくさん、あたしの周りには溢れている。

 父母の遺してくれた、自分自身。

 その友であり、親代わりとしてずっと変わらず傍に居続けてくれた白鷺のおじさん、おばさん。

 彩夜に、夕矢──きょうだい同然に育った、ふたりもそう。

 亡き姉は、ヴァイオリンを。そして新しい家族を遺していってくれた。

 選びとり、進むべきいくつかの道。そこを歩んでいけるだけの才能と、修練の量と。ともに歩みたいと言ってくれる友を。

 そして、雪羽の帰ってくるべき場所。ともに生きる家族という居場所を、つくってから旅立っていった。

 不知火という姉と。

 ひかりという、護るべきいとし子を。

 帰ってくる場所が、こんなにも輝くたからものに満ちて、ここにある。

 天涯孤独だったはずの、あたしと、お姉ちゃんの立つ場所に。生きる、世界には。たくさん、たくさんあるんだ。

 くよくよなんてせずに生きていける。そうしていられるくらい、たくさん。


「──うまくできる自信なんて、ないけど」


 でも、もしダメだったとしても。あたしの才能なんて高が知れていて、リースについていけなくて、挫折をしたとしても。

 全力で走って、疲れ切った心身を、きっとこの居場所はまた、雪羽を受け容れてくれる。

 そして走るということ。道を選び、突き進むということは雪羽自身の、ただそのためだけではなくて。

 あたしが、支えるべきもの。あたしが、見守っていくべきもの。

 あたし自身が、その人たちの帰ってくるべき居場所であるために──その包容力を、強く広くするために、きっと必要なんだ。

 そのときようやく、雪羽は、なにかがすっと腑の奥底に落ちていったような実感を抱いた。

 見つめた自身の掌を、握ってみる。

 それは漫然と握ったのではなく。今このときははっきりと思惟の力を宿して、強く強く握れたように思えたのだった。


「──あ。お客さんです。……うん? あれは──響さん?」

 

 ドアベルを鳴らし、店の扉を開くスーツ姿の男性。ふたりのよく知る、それは響さんのそれに相違なく。

 視線を注ぐ雪羽たちに気付いてか、彼は軽く手を上げて、そして──なんだか曖昧な表情をつくる。やあ、と。短く声を、彼は発した。

 

「いらっしゃい。どうしたの、こんな半端な時間に」

 

 青年は、奥まった席を選んで腰を下ろす。ちょうどキッチンからもちょっと声を出せば、やりとりのできる、その程度の距離だ。

 

「ああ、ちょっとね」

 

 はて。早めの夕飯?

 それとも、遅すぎるお昼ごはん?

 どちらにせよ、仕事まみれのはずの彼にはあり得ることだと思いつつ、雪羽はメニューと、新しいウォーター・グラスに水を注ぐ。

 

「雪羽。白鷺さん……オーナーは?」

「おじさ──店長? 今はちょっと外に出てるけど?」

「ああ、そう」

 

 響さんはしきりに外を気にしている。それと、自身のスマートフォンと、時計と。それらの間を交互に視線を動かしては注意していて、その三か所への意識を頂点とした三角形をそこにかたちづくる。

 問いはともかく、雪羽の言葉への応答も、半ば生返事に近かった。

 

「それじゃあ、夕矢くんは?」

「へ? ゆーや? あいつはバンドの練習だけど。どーして?」

「いや、それも。ちょっと」

 

 だから。ちょっと、ってなんだ。

 

「ああ。あとそれと、不知火くんは今、呼び出せる?」

 

 更に今度は、お姉ちゃん? いったい、どういう組み合わせだ。その三人を響さんが、一度に気にするなんて。

 

「連絡って。お姉ちゃん、今日は遅くなるかもって言ってたしなぁ。だからまだひかりもおばさんのところに預けっぱなしだし」

 

 バイトあがりにそのまま、雪羽が連れて帰るつもりだった。

 果たして今から連絡をして、姉は捕まるだろうか?

 

「ちょっと、その三人に話があってね」

「なに、あたしの留学のこと? それだったらまだ──」

「いいや」

 

 きみじゃない。やんわりと、響さんは首を左右に振る。

 

「今日、オレが来たのはその件じゃない」

「え?」

 

 普段柔らかな物腰と、文科系の感性を思わせる口調の彼は興奮すると、一人称が「オレ」になる。雪羽も知る彼の癖が、耳を打つ。

 

「ふたりに、用があるんだ」


                 *   *   *

         

「ごめん。やっぱり私、あなたの意図がわからない」

 

 雪羽の「姉」に連れられて巡った街並みは、ただリースの困惑をひと足ごとに増幅させて、今に至る。

 リースの知る風景と変わらぬものが、多く目に映った。

 また、リースの知るものから変化を遂げた街並みも、少なからずあった。

 時間をかけて、ゆっくりと。不知火はリースを案内し、先に立ち歩いていった。

 そして、今。

 

「なにか、言いたいことがあるんじゃないの。私もなにか言われるつもりで、今日あなたと会うことにして、身構えてきたのよ」

 

 待ち合わせ場所でそうされたのと同じ構図で、目の前に差し出されている。

 ホットの、缶のミルクティ。ひとつは彼女が手元に握って、もう一方を受け取れと示している。

 その態度に対決姿勢のようなものは、ない。

 

「え。……嫌い? ミルクティ」

「そうじゃない」

 

 この娘の奇妙な感覚なら、コーヒーでも買ってきてまた渡してきそうだという笑えない想像が脳裏に浮かぶ。

 訪れた先は、街のショッピングモール。

 その裏手にある、小さな神社──その入り口の傍らの、自販機の前。

 

「なんなの。私に、どうしたいの。どうして、ほしいの」

「どうって。べつに」

 

 指先で、缶紅茶を彼女は振ってみせる。半ば乱暴に受け取って、口をつけるでもなくリースは、それを出してよこした相手を見据え続ける。

 

「私は、ただ。あなたに、私と出会ってからのゆきを知ってほしいな、って思っただけ」

「え……?」

 

 リースの掌に缶紅茶が収まったことで、ひとつ満足げに頷いて。ポニーテールの少女はぱきりと音を立ててプルトップを開き、自身のぶんの紅茶を口にする。

 夕方、遅くなりつつある時間帯。そろそろ夜風が冷えてくる。仄かに白く染まった息をほうと吐いて、彼女は懐かしむように言葉を紡ぐ。

 

「その、シュークリーム。はじめて私がゆきに買って帰った、お土産なんだよ」

 

 今日歩いた場所も、そう。

 ゆきのよく行くCDショップ。

 スーパーに、買い食いするたこ焼き屋さん。たぶん、あなたがこの街に住んでいた頃にはなかったもの。私の知っている、「今のゆき」。

 

「今の、ユキ……?」

「そう。それで。このショッピングモールと、この神社もそう」

 

 胸の内側へと、不思議な拘束力を以て、締め付けるように入ってくる言葉たちがそこにあった。不知火はリースに、そんな言葉たちを紡ぎ、投げかけていく。

 

「私がはじめて、ゆきを傷つけてしまった場所。ゆきが、小雨さんの死を心の底から、実感してしまった場所」

 

 それが、あのショッピングモール。傷ついて、逃げ出した彼女を私は、引き留められなかった。一度は見失ってしまった。

 

「雨の中、この神社に蹲って、ゆきは泣いてた。私が無神経だから、彼女を泣かせてしまった。止められなかった」

 

 不知火の頬が仄か、上気している。そのときの光景を、「リースの知らない」その瞬間を思い出して当人も知らず知らず、感情が昂っているのだろう。

 

「そんなゆきを、この神社で私ははじめて抱きしめた。はじめて、彼女の名前を呼んだ」

 

 心の底から、彼女を護らなくちゃ、護りたい、そう思った。

 

「あの日。あの瞬間に私はゆきの姉として、ほんとうの一歩をはじめて、踏み出せたんだと思う」

「ユキの──姉と、して」

 

 それはリースにとって、目の前の少女を意味する言葉ではない。

 少女の側からも、そのことはもう重々、わかっているのだろう。だからきっと、敢えてこの場所に連れてきた。この場所で伝えた──無論、だからこそ私こそが雪羽の姉だ、などと強弁し主張するためなどではなく。

 

「そうやって、少しずつ。少しずつ、私とゆきは進んできたんだ」

 

 ああ。ただ、知ってほしかったのだ。

 彼女がなにより、雨宮 雪羽という少女を大切に思っているからこそ。

 リースもまた、雪羽の未来を想い、大切に思っていると。そのことをわかっているから。

 かつての、リースの知る雪羽の「過去」と。

 リースの導こうとしている雪羽の「未来」を。

 彼女が知り、リースの知り得なかった雪羽の「いま」で、繋げてくれたのだ。

 そうだ──この街に戻ってきて。伝えたいことを伝えて。でも、本質的にはまだ、私はなにも知らない。知らなかった。己が認める友の、「いま」。進行形でそこにあるものを。過去から未来へ、ひと足跳びに誘おうとしていたのではないか。

 

「リースさん」

「っ、……はい」

 

 これでは自分ひとりが進歩のない、子どもの頃のままのわがままな存在みたいではないか。沸き上がった自己への羞恥を、自らの内側に抑え込みながら、俯きかけた視線をリースは上げる。

 やさしく笑う、長身の少女に向ける。


「正直に、言うよ。私にはもう、あんまり時間がないんだ」

「え?」


 時間が、──ない?


「だから、私はゆきの未来には、一緒には行けない。見届けられない。そう思っていた」


 待って。ちょっと、待ってくれ。時間がない、って。どういうことだ。

 リースはその半ば抽象的な言い回しに、しかしその重さに混乱をする。見た限り、彼女の身体のどこにも、不具合があるようには見えず、思えなかった。


「そのときがきたら、ゆきの前から去ろう。そう思っていた。でも、それはゆきが望まなかった」


 ずっと一緒にいたいと、いてくれた。望んでくれた。

 こちらが同じ望みを持つことを、彼女の側から望んでくれた。


「だから一緒に未来に進んでいこうって、思えたんだ」


 いつ、世界を喪うかもわからない自分を選んでくれた。望んでくれた。


「世界、──を……?」

 

 どういうことだ。

 世界を、──世界を、喪う?

 

「あの子の生きる世界を、未来を。彼女の道を、それがどんなものであれ、私は応援したい、って思ったんだ。あの子を私の場所に引き留めるだけじゃなくって」

 

 リースさんが、気付かせてくれたんだよ。ひとつ、屈託なく彼女はリースに笑いかける。

 

「私も、私なりに進み続ける。私の道を。あの子の帰ってくるべき場所であり続けるために。時間を止めて、ひかりと一緒に待ち続けて、ただ遠くになるばかりじゃなくて。彼女が生きる世界で自分も一緒に、歩み続ける」

 

 あの子が選んだ道を、どんなものでも私は肯定する。

 それがあの子の幸せなら、あなたと一緒に行ってほしい。そして夢を、掴んでほしい。

 全力で、私も生き続けるから。それがたとえ、五里霧中の闇の中だとしても。

 

「私の、それが姉としての覚悟、だよ」

 

 近くても、離れていても、積み上げてきた幸せは共有できる。同じ幸福の中を、「一緒に生きる」ことはできる。私が、歩みを止めない限り。あの子に追いつける場所にいる限り。

 

「シラヌイ、あなたは……?」

 

 抱いたのは、奇妙な違和感。

 

「そう遠くなく、光を失う。世界を、喪う。それでも私は、ゆきと一緒に進みたい。ゆきの生きる世界で、ゆきが誇れる姉でいたい。私の、全霊で。そう、思うんだ」

 

 単語が。言葉が。脳裏に生まれた亀裂の中に呑み込まれていく。

 断片的なフレーズの、それは散乱でしかない。そこにリースの事情が、持ち得る状況が加わらなければ、それらによっての「まさか」すら生まれ得なかったろう。

 光。

 世界。

 闇。

 喪うこと。消えること。

 時間が、ない。

 そう、光を、──光を、喪う。

 そんな、まさか。不知火、あなたの言う、時間、って。

 

「私の眼は、二十代のうちに見えなくなる」

「……、あ……」

「たとえこの眼が、なにも見えなくなったとしても。私はあの子に手を伸ばし続けたい」

 

 そんな──……。

 嘘だ。なのか。

 やっぱり。なのか。

 あとに続くべきはずの言葉はそれ以上、リースの喉の奥から、出てくることはなかった。

 

 

          (つづく)

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