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天涯孤独の、ふたりだから  作者: 640orz
第一部 春から、夏まで
6/74

第六話 泣いて、いいんだよ

          第六話 泣いて、いいんだよ

 

 

 ちょっと、ふたりに。ううん、四人だけにしてもらえますか。

 姉がその言葉を発したのは、自身ら以外に対し状況を閉ざそうとしての、そんな頑なな意図によっての理由からではない。

 

「お姉ちゃん?」

 

 ともに目の前の墓標に向かい合っていた人たちを、排除しようとするような人ではない。

 雪羽も、彩夜も。雪羽たちにとっても保護者の立場にある、彩夜のお父さんも。皆、今更そのことくらいわかっている。

 彼女の言った四人とは、故人ふたりを含めていて。

 血の繋がった者たち同士だけで、済ませなければならない必要な儀式がある。だから、彼女は願ったのだ、と。

 だから、白鷺のおじさんは頷いて、墓標の前から踵を返した。

 彩夜もまた、一瞬躊躇するそぶりを見せながら、雪羽の向けた無言の目線に、やはり彼女も頷いて距離を置いた。

 高校の。制服姿の姉妹、ふたりがそこには残された。

 互いを姉妹と呼ぶようになって、間もないふたりだけがいる。

 ふたりがふたりを喪って、ふたりきりとなって。それは、四十九日目の、情景。

 その数字を以て表される儀礼の日。四十九日の、法要。

 あたしにも、お姉ちゃんにも。姉さんや、お義兄さんとの間にきっと、儀式が必要なのだ。ここから始めるためにも。雪羽は、思う。

 

「──兄さん。小雨、お義姉さん」

 

 隣で、細くてきれいな指先が、雪羽の左手に触れていた。

 彼女の発声と同時、雪羽はそれを握る。指と、指とを絡めるように。ふたりの絆がけっして、離れていかないように。その気持ちが故人たちにも伝わるように。

 

「雪羽と一緒に、私はいるよ」

 

 この子と一緒に、こうしてここにいる。

 

「これからずっと。私が雪羽のことを見続けていられる限り、ずっと。そうしてたい」

 

 今、雪羽の隣に生きている姉は、実姉の眠るもの言わぬ墓石に向かい、語りかけていく。

 ずっと、と言った。でも永遠にとは言わなかった。

 喪われてしまった者たちに対して、喪って間もない者の口から言うにはきっとそれは、歯が浮く表現でしかないからなのだろうと、雪羽は思う。

 永遠に一緒なんて、きっと生者たちの間ではかなわない。

 死して、ともに永遠となってしまったふたりならばともかく。

 

「私にできるだけ。精一杯。雪羽を護っていこうと思うんだ」

 

 お義姉さん。あなたの大切な、妹を。

 大事に、します。

 兄さん。きっと兄さんも、そうしたはずだから。──言って、義姉となった少女は目を伏せる。

 

「雪羽と。ふたりの前で、きちんと言っておきたかったんだ。……ちょっと、自分に酔いすぎかな」

 

 そしてぎこちなく取り繕うように、身長のぶん、少し上から彼女は雪羽を見下ろし、苦笑気味に言葉を向ける。

 照れているように。どうかな、と問うているように、だ。

 

「雪羽と姉妹をやっていくよ、って。今日のひと区切りに、あらためてふたりに伝えたかったんだ」

 

 姉妹、というその単語を、敢えて彼女は強調することをしなかった。

 正直まだ、お互い噛みあいきれてない部分はある。当たり前だ、まだ出来立ての、そうなることを選んで間もないふたりの、姉妹という関係性なんだから。

 でも、いちいちもう、取り立てるつもりもない。それで、いいんだ。

 その必要性が既に、姉にとって存在しないことを雪羽は理解する。そしてその理解が──雪羽の心に、こそばゆいあたたかみを浸透させていく。

 

「不知火、お姉ちゃん」

 

 そうだ。あたしだって、伝えなきゃ。

 節目の、四十九日目。この日に。喪ったふたりが、今向こう側に、ほんとうに旅立っていくのだから。今日は、そういう儀礼なんだから。

 

「──姉さん。小雨、姉さん」

 

 きっと今まで、見てたよね。

 あたしのこと。お姉ちゃんの、こと。これまでの全部、生前みたいに飄々と笑いながら、愛した人と一緒になって。

 姿はもうどこにもなくて、見えなくても。きっと見てたと思う。

 あたしとお姉ちゃんはまだ百パーセントは噛み合ってなくって。きっとまだまだ、姉妹としては粗削りで。いろんなところがぎこちなくって、順序だって滅茶苦茶な、そんな姉妹だ。

 姉さんとの関係のようにはいかない。そんなの、当たり前だ。

 姉さんとは違う。だから、──姉だけど、「お姉ちゃん」。お姉ちゃん。

 今はまだ、それでいい。

 姉さんと違って、異なったお姉ちゃんとの「特別」がそこにあるんだから。

 

「あたしも、ここにいるよ」

 

 これからの、こと。お姉ちゃんと呼ぶ、その相手と紡いでいくこと。

 その世界が目の前に広がっているから、自分は大丈夫だと。見守ってなくったって、大丈夫だよ、って。伝えなくちゃ。

 

「お姉ちゃんと一緒だから、大丈夫。……晴彦、お義兄さん」

 

 えと、その。はじめて呼ぶその名に、何度か言葉に詰まる。雪羽自身、少し緊張を覚える。

 

「不知火さんは──お姉ちゃんは、あたしが、支えていくから、さ。あたしに、できるだけ」

 

 だから。

 そう、だから、あのね。

 

「姉さんのこと、お願いします。末永く、大事に」

 

 ふたりで、いってらっしゃい。そっちで、待っててください。あたしたちも、ふたりで頑張るから。

 そう紡いだとき、姉の腕が雪羽の肩を抱き寄せてくれた。

 ああ、そうだ。この人があたしを護ってくれるなら。

 自分はこの人を支えよう。未だ、喪失を想い涙をこぼしたことすら見たことのない、この姉を。

 強いのかもしれない。気丈、なのかもしれない。

 でもきっと、彼女にとってつらい、心折れそうな瞬間はやってくるはずだから。

 お義兄さんのこと。

 雪羽が、亡き姉への想いに砕けそうになったとき、彼女がそうしてくれたように、自分も支えよう。

 その想いとともに、抱き寄せてくれる姉へと、傾けた体重を雪羽は預けていく。

 

「お姉ちゃん、……大丈夫?」

「……なにが?」

「……辛かったら、いいんだよ。泣いちゃっても。あたしはいっぱい、お姉ちゃんの胸で、泣かせてもらえたんだから」

 

 それはいつかの夜、交わしたやりとりだった。

 もしかしたら、そのとき予測した、その瞬間が訪れるのかもしれないと思った。

 だとしたら、見られたくないかもしれない。だからそっと双眸を閉じる。

 息を呑んだのが聴こえた姉はやがて、深く深く、その呑み込んだそれを、吐き出して。

 ありがとう、と囁くように、言った。

 その声は少し震えていたけれど。

 それでも、涙声ではなかった。

 

                  *   *   *

 

 泣いちゃってもいいんだよ、……か。

 雪羽のぬくもりが未だ残る、彼女を抱き寄せた掌を見つめながら、不知火は思う。

 自分は、泣かなかったのだろうか。

 それとも、泣けなかったのだろうか?

 雪羽からその言葉を向けられた瞬間、決壊していたってなにもおかしくはないはずだった。

 あの、ふたり熱に浮かされた夜。

 たしかに雪羽と一緒ならば大丈夫だ、と思った。そして伝えた。

 彼女を護っていくこと。自分がつらく、しんどい瞬間には一緒にいてほしいこと。自分も、やがてくるその瞬間を乗り越えていきたいから。

 その瞬間が、本来ならば今日この日、ほんとうの、兄たちとの別れの節目の日だったのではないか。なのに。

 

「姉だ、護る、だなんて言って」

 

 自分自身の今の精神状態がわかっていないあたり、ひょっとすると雪羽よりも自分のほうが、ずっとまだ子どもなのかもしれない。

 肉親の死を実感し、理解したという点では。

 あの雨の日、雪羽のほうがひと足先に、歩み始めたのだから。これではどちらが姉だかわからない……。

 

「不知火くん? どうしたね?」

「え。──あ、すいません。少し思い出して、考えごとを」

 

 その人と向き合って、不知火は座っている。

 口と顎に髭を蓄えた男性。既に礼服のスーツ姿ではない──不知火たちとともに故人らを送り出してくれた人。白鷺さんのお父さん──雪羽の表現を借りるなら、白鷺のおじさん。その人が、お互い湯気の立つコーヒーカップを前に、不知火の正面に座っている。

 今日の法要も殆どすべて、この人が手配をしてくれた。感謝をしてもしきれない、世話になりっぱなしの相手。

 そして同時に、こうして面と向かってふたりきり、接するのは二度目。雪羽との同居生活を始めるにあたり、その意志を伝えた際に同じようにテーブルを挟んだ、不知火にとってはそれきりであった人である。

 彼の経営する喫茶店に、即ちかつての雪羽の家でもあった場所に、不知火はいる。やはり、入るのはこれで二度目。空調の良く利いた、静かなその店内で、名目上は保護者であり後見人であるその人物と、不知火は相対する。

 ああ、そうそう。息子さんも。つまり白鷺さんの、弟さんの姿もはじめて見た。夕矢くん、だったっけ──……。

 

「雪羽のこと。お姉さんのことで以前、すごく泣かせてしまった。だけど私は、雪羽みたいにまだ──なんだか、泣けていなくって」

 雪羽の父親代わりでもあったその人は、不知火の言葉に僅か、眉根を寄せる。その表情に、心配をかけてしまうような言い回しだったと、不知火は失敗を悟る。

 

「ああ、違うんです。泣けてないから、別にまだつらくはないんです。多分、今はまだ」

「……そうかね」

 

 大丈夫なら、それでいいのだが。

 後見人の、その人は完全には納得したそぶりもなく、曖昧に頷く。

 

「あの。ほんとうに、今日はありがとうございました」

 

 いいや違うな。今日は、じゃない。今日も、だ。

 言葉を発してから、不知火は自分の発言の誤りに気付く。

 こうして面と向かって会話を交わすのは、まだほんの二回だけれど。一体何度、雪羽からこの人のことを聞かされたろう。

 曰く。

 雪羽の、姉妹の亡き両親の親友として、雨宮姉妹を支え、受け容れ続けてきてくれた。

 同じ家に住まわせ。娘や息子と分け隔てなく接し。

 そして姉妹に、万が一に備えての永続的な収入を与えた。

 

 ──「え? もともと、雪羽たちの住んでた家を? 人に貸して?」

 ──「うん。借家に出して、リフォームまでしてくれて。姉さんが独立したいって申し出たときに、このときのための貯蓄だ、って。毎月の家賃を貯めた通帳、渡してくれて」

 

 今でも、その家にはほかの家族が住んでいて。

 毎月きちんと家賃収入を、雪羽にもたらしてくれている。けっして雪羽が最低限、金銭的に困ることのないように。

 だから姉ひとり妹ひとりのひ弱な生活基盤であっても、姉は夢を叶えることが出来た。姉を、小雨さんを、雪羽は送り出すことが出来たのだ。

 そうやって雪羽とそのやりとりをした際、驚いたのを覚えている。

 親友の娘たちを護るためとはいえ、その家屋敷を手放させるなんて、そう簡単に決断し、行動に起こせるものではない。世間体や、字面というものもある。

 事実、雪羽が知る限りでも、訳知り顔の赤の他人から、「亡き友人の娘たちから家を奪った人でなし」などと口さがなく、少なからぬ非難を受けていたらしく。

 

 ──「ほんと、お父さん同然だよ。いっぱい心配かけて、いっぱいお世話になって」

 

 そう語る雪羽の言葉がすべてだった。

 幼なじみの、親友の父というだけではない。穏やかな表情を常に湛えたその男性は、雪羽にとっても長く、父親代わりだった。行動も然り。そしてなによりもの静かで、その雰囲気からして、目の前のすべてを受け容れ、包み込んでくれるような──。

 雪羽は言っていた。「あたしは父さんや母さんの顔、写真でしかまるで覚えていないけど。きっと父さんって、父親ってこんな感じなんだろうなって。ほんと、安心できるんだ」──と。

 こうして相対していて、不知火も思う。

 両親の顔を碌に覚えていないのは、不知火も同じ。そんな不知火をして、やはり雪羽と同じ感想を抱く。

 きっと父親の、父性というものがあったらそれはきっと、こういう人から発散されるものを言うのだろう。

 

「私はなにもしていないよ。雪羽と、きみが選んだ道を見守っているだけだ」

 

 すべてはきみたちの身に起こった出来事で。当事者はきみたちで。選んだのは、きみたちなのだから。

 その物言いがまるで突き放した言い様に聴こえないのが、まさしくこの人物の懐の広い、父性によるものなのだろうと思う。

 

「そんなことはないです。おじさん。あなたたち一家がいてくれなかったら、雪羽はここにはいなかった。私、あの子と姉妹になれなかったんです」

「……だが、私が言うべきようなことではないのは承知だが、きみのお兄さんは」

「わかってます。でも、遅かれ早かれ、兄にはこうなる可能性があったんです。その職業柄。……「そういう場所」に行く医師を、兄が生業としていたからには」

 

 そうだ。不知火の兄。兄は、医師だった。

 だがひとところに留まり診察をする開業医や、勤務医ではなく。

 自らが動き続ける、患者のもとに向かう──そういう医師だった。伝染病の地帯や、紛争地域にだって行く。だから常に危険だって、もちろんつきものだった。

 

「亡くなった父を兄は尊敬していました。だからなんです。生活に困らないだけのお金をいつも送ってくれて、私ひとりでも生活が滞らないよう、全寮制の中学に入れてくれて」

 

 夢を叶えて、兄は幸せだったと思います。

 私にとっても、あまり会えなくてもよき兄でした。

 

「小雨さんと。最愛の人と出会えて、兄は満たされていたと思うんです。雪羽やあなたに感謝こそすれ、恨む理由なんてありません」

「不知火くん……」

「むしろ逆に怖かった。小雨さんのこと。私は、雪羽に恨まれたって仕方ないと思ってたんです」

 

 でも、はじめて出会ったあの葬儀の日、あの子は私を受け容れてくれた。

 ううん、それだけじゃない。

 あの、雨の日。

 雪羽を妹と呼ぶ自分を、受け容れてくれた。

 そして呼んでくれた。私のことを、姉だって──……。

 

「あの子は、利発な子だよ。大丈夫、きちんとわかっているから」

 

 どこに、どういう原因があって。その出来事についてどうしてそうなったのか、誰を責めるべきなのか。ちゃんと理解して、自分を律せられる子だから。

 

「……はい。とても、いい子です。私には勿体無いくらいに」

 

 白鷺のおじさんに、不知火は心から頷けた。

 

「姉と呼んでくれるあの子に、恥じない自分でいたいと、そう思える子です」

 

                  *   *   *

 

 経営する喫茶店の、その二階と三階に、白鷺家の居住スペースはある。

 裏手の玄関から入って、階段を上って。

 廊下の、つき当たりの部屋。その扉の前で、雪羽は姉が遠慮がちにきょろきょろとしながら、階段の下から姿を見せるのを待っていた。

 

「こっちこっち」

 

 制服姿のふたりが、顔を突き合わせる。

 そして雪羽は、ドアノブを回す。扉を押し開く。

 

「ここが……?」

 

 眼前に、開いて見せる。

 見ていてほしかった。知ってほしかった人に。思い出の、場所を。

 雪羽にとって、亡き姉にとってのかけがえのない場所を──現在進行形の姉に、見てもらいたかったのだ。

 だからずっと待っていた。姉が、おじさんとの話を終えて上がってくるまで。姉をはじめて案内する、この場所で。

 部屋の中には、勉強机がふたつ。座卓が、ひとつ。

 クローゼット。小さな本棚に、……二段ベッド。

 

「ベッドは、下が姉さんで上があたし。ほんと、いつ見てもなにも変わってないなぁ」

 

 ほんとうになにも、変わっていない。

 

「ここが、雪羽と。小雨さんの過ごしていた部屋」

 

 お姉ちゃんは、ストッキングの爪先を浮かせて、ゆっくりと部屋に足を踏み入れていく。

 

「そうだよ」

 

 姉さんとの、思い出がたくさん詰まった、ふたりだけの部屋。

 おじさんや、おばさんや。彩夜や。弟の夕矢が。白鷺家のみんなが、ふたりを迎え入れてくれた場所だ。

 

「もしかしたら、お義兄さんを連想させてつらくさせちゃうのかなとも思ったけど。でも、お姉ちゃんには、姉さんのことももっといっぱい、たくさん、伝えたいから」

 

 共有したいと思ったんだ。

 姉さんのこと。お姉ちゃんと。

 お姉ちゃんの兄さんが、愛してくれた人のことを。

 全部、繋がっていると思うから。だからたとえそれが、独りよがりだとしても。

 

「あたしは、あたしの肉親、あたしを含めた四人みんなを大事にしたいと思う」

 

 雪羽は姉の傍らに立って、そしてそっと、追い抜いた。

 部屋の真ん中で、踵を返して。姉に向かって差し出すように、両手を広げる。

 

「いっぱい、話をしよう。ここで。姉さんのこと、あたしのこと。たくさん、お姉ちゃんに知ってほしいんだ」

 

 姉は、きゅっと、自身の右の袖を左手に抱き寄せる。

 その表情は、なんだか切なげで。でも口許にはぎこちなくも、微笑がたしかにあって。

 

「──ああ、もう。ほんとにきみは強い子だな。雪羽──……」

「そんなことないよ。わがままなだけ」

「ちょっと、悔しい。自分だけこんな、曖昧で。宙ぶらりんで。姉だなんて、言っておいて」

 

 泣きたく、なっちゃう。涙もろく、なっちゃってるんだから。

 

「いいよ、泣いちゃって」

 

 姉は雪羽の手を取って、歩み寄って。

 背の高い彼女の顔を、雪羽の肩に預けてくれる。

 何度も抱き寄せてくれた彼女を、今度は雪羽が抱き寄せる番だった。

 両腕で抱きしめながら、両膝から力を抜いていく。

 そのまま一緒に、後ろに倒れるように。二段ベッドの柔らかいマットの上に、身を投げ出す。

 

「──聴かせて」

 

 小雨さんの、こと。くぐもった姉の声が、身体に直接伝わってくる。

 姉の穿いたストッキングの膝と、雪羽自身のニーハイの膝が、絡むように擦りあわされる。

 何度も包んでくれた体温を、今は雪羽が包んでいる。

 

「いっぱい、小雨さんのこと。私に教えてほしい。私もいつか、兄さんや私自身のこと。もっともっと、雪羽に伝えたいから。だから、今は」

 

 今、ここで。一番、雪羽と小雨さんの思い出が詰まった場所で。

 いっぱいいっぱい、教えてほしい。

 

「──うん」

 

 いいよ。

 泣いて、いいんだよ。

 肩に顔を埋めたまま、ふるふると頭を左右させる仕草をする姉が、今はただ愛おしい。

 大好きな姉との、たくさんの思い出の残るこの場所で。

 雪羽はこの、大好きな姉に。大好きな姉の記憶を今日、言葉の限りに伝えるのだ。


                     (つづく)

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