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天涯孤独の、ふたりだから  作者: 640orz
第二部 夏から、秋まで
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第四十八話 私たちの、居場所

 

            第四十八話 私たちの、居場所



 ──え。

 駅前で、星架さんと待ち合わせをして。彼女が連れていきたいという場所に向かうべく、一緒にバスに乗って。

 降り立ったそこにあったもの。

 見上げたその建物に、思わず不知火は、間の抜けたそんな声を出した。

 調子外れな声色そのまま。取り繕うこともできず、短いその言葉を、つい発してしまっていた。

 

「……なによ。なにか、文句あるの」

「え。ああ、いや。別に、ないですけど。──どうして、ここに」

 

 行き交う、家族連れ。カップル。後者に関しては不知火たちだって立派に、その範疇に含まれる。

 そこはすごく見覚えがあって、ついこの間にも、星架さんと──まだ、単なる先輩と後輩の関係性であったそのとき、ばったり出くわした場所。

 向こう側には入場チケット売り場が見える。そう、それはこの間にやって来たばかりの、水族館。

 

「い、いいでしょ。来たかったんだから」

 

 不知火の問いに、年上の彼女は頬を染めながら、ぷいとそっぽを向いて言った。

 身長差から彼女を見下ろして、不知火が戸惑っているとやがて、

 

「……だって」

「え?」

「……仕方ないじゃない。真波と詩亜のデート、いいなって思っちゃったんだから。雪羽ちゃん、羨ましくなっちゃったんだから」

「──え」

 

 どうしても来たかったんだもん。

 私だって、不知火と。水族館に。わがままだって、わかってるわよ。

 そう口を尖らせて、観念したように目を伏せ、告げた。

 朱に色づいていた頬をより、真っ赤にしながら。

 羨ましくなった──ウラヤマシクナッタ。なに、そのかわいい響き。

 来たかったんだもん。──キタカッタンダモン。なんだ、そのかわいい拗ね方。

 恥ずかしがってくれているその仕草がたまらなくって、不知火は思わず、ふっと頬を綻ばせる。

 

「行きましょ、星架さん」

「え。あっ」

 

 もじもじしている彼女の手を取る。

 一瞬驚いたように声を上げた彼女を引っ張って、歩き出す。

 

「ちょっと、不知火。そんないきなりっ」

 

 いとおしく思うから、エスコートをしたくなる。

 

「ここまできて、いきなりもなにもないでしょ。それに、そういう反応する星架さんのほうが悪いんです」

「え、ええっ?」

 

 そんな恥じらいを見せられたら、意地悪だってしたくなる。

 なにより、満喫をしたくなる。もとよりそのつもりだったとしても──この人が、自分の大切な人であるというこの状況を。

 

「私も今日、楽しみにしてたんですから。楽しみましょうよ」

 

 いっぱい、めいっぱい。

 家族としては、既にこの水族館にやってきた。

 だから、今日は──、

 

「恋人として」

 

 息を呑んで、上気した頬も真っ赤に、恥ずかしげに──でも綻んだ表情で俯く星架さんの手を引く。

 不知火のほうは躊躇なんてしない。星架さんにだってしてほしくなかった。

 彼女の欲求に、なにもおかしなことなんてない。

 好きな人と、ここに来たかった。それだけで理由としては十分すぎる。

 だって、ふたりは互いのことが好きで。

 今日は、デートをしにきたのだから。


                 *   *   *

 

「ごめんなさい、お待たせしましたっ」

 

 その場所に。ああ、これでいい。そう思って納得し頷ける位置へと花瓶の花を置いて、さあ次、と思った瞬間にどたばたと駆けこんできたのは、彩夜だった。

 

「すいません、ケーキの生地の膨らみに時間がかかってしまって──すぐ、手伝いますから」

 

 大きな紙袋を提げた彼女はそれを置くと、慌てたように自身の肩掛けカバンと、すぐさま脱いだその上着を手近な椅子へと下ろす。

 

「いーよ、そんなに慌てなくって。ありがと、彩夜。無茶言って頼んだのは、あたしなのに」

 

 そんなに、気を遣わせちゃって。なんだか、悪いね。

 くすりと笑いながら、雪羽は親友の慌てぶりに感謝の念を禁じ得ない。

 

「それより、大丈夫かな? だいぶん大掃除もして、換気もしたんだけど。埃っぽさとか、ない?」

 

 周囲を見回しつつ、友に訊ねる。

 小柄な幼なじみはお菓子作りの得意なその敏感な嗅覚を以て、雪羽同様にあたりを見回して、ぐるりと天を仰ぎ見ていたけれど、しばし後、

「──大丈夫だと、思います。もちろん多少は古めかしい、乾いた感じのない匂いもしますけど。なんだか懐かしい、たとえば楽器の蓋を開けたみたいな──そんな感覚があります」

「そっか。よかったー。埃まみれで大変だったんだよー。大掃除。いくら四人がかりとはいえ」

 

 そう言って、微笑んだ。

 

「詩亜ちゃんたちは?」

「んー、客席のほう。いやあ、家事の鬼がふたりもいるってデカいわ」

 

 すごく、助かってる。

 すごく、助けられている。

 

「南風先輩は広いとこの掃除にも慣れてるし。……甘えちゃってるなぁ、あたし」

 

 くしゃくしゃと髪をかき上げ──ようとして、掃除に汚れた手に気付き、苦笑とともに下ろす。

 いかん、いかん。皆が手伝ってくれてるのに、自分が台無しにしようとしてどうする。

 

「でも、重ねてですけど、よかったんでしょうか。ここに彩夜たちが入っても」

「うん?」

「だってここは、雪羽ちゃんだけしか──……」

「あー。大丈夫、大丈夫」

 

 似たようなことを、詩亜も言っていた。

 そう、この場所を告げたのは雪羽だ。そしてここを知るもうひとり、姉には完全に、内緒にしている。

 ふたりだけが知る場所。特別な場所。

 詩亜も彩夜も、そんな部分に気を回したのだとわかる。

 だけど、今まさに自分自身で言ったように、……大丈夫だと、思う。

 ここに皆を呼んだからって、それが正当な理由ならお姉ちゃんは傷つかないし、怒ったりもしない。そう、血のつながらぬ姉のことを、雪羽は信頼している。

 

「ありがとね、ほんとに」

 

 来てくれて。手伝ってくれて。

 いつかを、今にするために。

 あたしの幼なじみ。

 あたしの、一番古くからの、親友。

 思いながら、彩夜を伴って、重い木造の扉を引き開く。

 

「そだ、今日はここ、開けておこうかな。外の入り口も開け放ったままで」

「え。でもそれだと」

「いいじゃん。だってさ、」

 

 今日は風が、気持ちいいよ。

 気持ちのいい風がきっと、メロディをどこまでだって、運んでくれるから。

 そういうのって、素敵なんじゃないかな。

 この劇場の外までも。

 どこまでも。


                 *   *   *

 

 バニラ・アイスクリームを浮かべたアイスティ・フロートをひと口すすって息を吐くと、ようやくひと心地、ついたような気がした。

 まだちょっと鼻の奥がつんとする感じがあるのは、それはもう、酷い目にあったから。

 少し目尻がまだ熱くって。そこに溜って、流れたものが乾いていった感覚が残っている。

 

「──だからそんなに、笑わないでくださいよってば」

 

 以前にも、ゆきとともに来た、水族館内の喫茶室。

 向かいに座る恋人は、さも愉快そうにくすくすと口許を指先で隠しながら、自身のハーブティのカップを置く。

 

「ごめん、ごめん。苦手なホラーに付き合わせちゃって、悪かったわね」

 

 文化祭のときといい、ほんとにダメなんだね、怖いの。

 言って、星架さんは不知火がさんざ浮かべたそれとは異なる、ひとしきり笑ったがゆえの目尻の涙粒を指先で拭って、それでもなお楽しげにもう一度笑う。

 

「仕方ないじゃないですか。苦手なものは苦手なんだからっ」

「ああ、ほら。拗ねないでったら。ここのお代、奢ってあげたでしょ」

 

 水族館の内装は以前来たときと殆ど変わってはいなかったけれど、──当然といえば当然だ、まだ前回からひと月も経っていないのだから──、その中でつい先日始まったばかりだという企画展示が目を引いた。

 というか、それを見つけたとき、星架さんの目は輝いて。逆に不知火はそこを通りがかってしまったことを、後悔した。

 それは沈没した、古びた幽霊船をモチーフにした特別展示。

 ホラーハウスと恐怖の魚たちのコラボレーション、なんて銘打たれたそこには、特殊メイクの役者さんや、CGや。精巧な人形のゾンビたちがうじゃうじゃいて。

 サメや、ウツボや。ほんとうにこんなかたちの魚がいるのかと思えるような様々な深海魚たちが水槽に泳いだり、こちらに向かって迫り襲い掛かってくるCGが映し出されたりする、代物だった。

 星架さんはキャーキャー言いながら、大いに盛り上がっていた。

 不知火は、生きた心地がしなかった。

 じゃあ入るなよ、外で待ってろよと、歌奈あたりからは言われるかもしれないけれど、不知火としては「守ってくれないの?」と一緒に入りたがる恋人に対し、遂に断ることが出来なかったのである。

 むしろ実際には、半泣きになってしゃがみこんでしまった不知火の手を引いて、どんどん進んでいく星架さんに、一方的に守られる側になってしまっていたのだけれども。

 

「でも、なかなか迫力あって楽しかったよね。もう一回行っとく?」

「行きません。……無理です」

 

 勘弁してください。頭を抱えるようにして頬杖をついて、深く深く、息を吐き出す不知火。もうちょっとここで、休憩をしていたい。

 とくにあの巨大ザメのゾンビと、和服ゾンビの挟み撃ちが無理で、もう絶対無理で──いや、自分自身この表現がもう語彙を失っていることはわかっているのだけれど、ほんとうにそのくらいに無理で。

 

「ありがと。無理してでも付き合ってくれて、──惚れなおした」

 

 そういうところ、かっこいいよ。

 いっぱい、かわいいところも見れて嬉しかったよ。

 星架さんはそう言って、……すぐそういうことを言って、不知火をどきりとさせてくるから、ずるい。

 

「なんか、掌の上だなぁ、って思います」

「そりゃそーよ。こちとら一年、長く生きてるんだから」

 

 いくら好きあってる同士だからって、そう簡単にころころ転がされるわけにはいきませんなぁ。彼女の言葉が、カップから漂う穏やかなハーブティの香りとともに、不知火のもとにまで届く。

 

「そういえばさ。……その、あなたの目のこと。未来のこと。もう例の彼……夕矢くんには、言ったの?」

 

 弟、なんでしょ。彼女は不意に、そんな問いを投げかける。

 

「私からは、なにも。──でも、白鷺のおじさんたちには伝えましたから。そのときに、夕矢くんにもどうするかはお任せします、と言ってはあるので」

 

 そう口の軽い人物ではないから、おじさんたちのことは信頼している。

 だから、任せることにした。どちらにせよ、自分から夕矢くんへの愛情は変わらない。姉として、彼を大事にしていきたいと思う。

 

「それに、気を遣わせるかな、とか。心配させるな、とか。そういうことで隠しごとをするのはもうやめようかな、と思って」

「へえ?」

「私の周りには、恵まれすぎなくらいにたくさん、天涯孤独の身になってもまだ、たくさんのやさしい人たちがいる。だからそこに対して自分のことで、遠慮や沈黙はよそうって思うんです」

 

 ゆきや、星架さんが望んでくれたように。もちろん、なるべくそうできたら、ではあるけれど。

 皆に支えられての私がいる。だったら包み隠さずいることがその人たちに応えることじゃないのかと、最近とみに思うようになった。

 

「あ、もちろん『かまってよ』とか、『気遣えよ』とかそういう図々しいこと言ってるわけじゃないですよ。ただ隠すってことが自分の中で重要じゃなくなっただけです」

「そう。そっか」

 

 素敵だね。言って、星架さんはやさしく、笑ってくれた。

 そこそこに客の入っている水族館の喫茶室に、中央の柱に備え付けられた壁掛け時計の鐘が鳴り響く。

 星架さんはそれを受けて、利き腕にはめた自身の腕時計を、掌の側に向けたその文字盤を見遣る。

 ストラップも、文字盤も仄かにピンク色がかったシルバーの、ちんまりと細長い、こざっぱりしたデザインの、女性の細腕によく似合う腕時計だった。

 

「──四時か。不知火、まだ時間大丈夫?」

「え? ああ、はい。もちろん」

 

 そのために今日はおでかけしてきているのだ。丸一日、ばっちり空いていないわけがない。

 

「よし。じゃあ、そろそろいいかな。……それじゃ、もうちょいしたら行こっか」

 

 デートの、続き。

 硝子のテーブル上に置かれた、ワイングラスの中の蒼や、水色のビー玉の装飾を指先でつんつんしながら、彼女は言う。

「あと、一か所。もうひとつ、付き合ってほしいところ、あるんだよね」


                 *   *   *

 

 備え付けの鏡台の前で、髪を。メイクを整えて──こういうのが得意ではない雪羽だから、こまごましたところは詩亜と彩夜に手伝ってもらって。

 これまた、遺されていた姿見の前に立ち上がって、くるりと回ってみては、袖を通した着衣の具合を確認する。

 

「──うん。大丈夫そうだね」

 

 自分で見ても、おかしなところはないと思ったし、詩亜も、彩夜も満足げに、無言で頷いてくれている。

 こんこん、と扉をノックする音。

 どうぞ、と言うと、扉の隙間からひょっこり顔を出したのは、南風先輩で。

 

「どう、首尾は──……って、準備ばっちりみたいだね」

「はい」

「こっちもオッケーだよ。さっき、星架からメッセージが来た。五時前には到着できるだろう、って」

 

 この人にも、感謝をしなければならないだろうな、と雪羽は思う。

 本来、さほど繋がりとしては自分と彼女の間には、濃いものはないはずなのに。

 彼女の親友が、姉の恋人というだけ。

 彼女の恋人が、雪羽の友人というだけ。

 直接的なものではない。にもかかわらず、こうして雪羽の願いを聞き入れてくれ、力を貸してくれている。

 

「ありがとうございます」

 

 思わず、言葉が漏れる。

 一瞬目をぱちくりさせた先輩は、微笑とともに軽く、親指を立ててみせる。そしてまた、扉のむこうへと引っ込んでいく。

 テーブルの上を振り返る。そこにあるもの。今日のこの日に、必要なもの。

 

「うちの両親も、もうすぐ来るって言ってます。ユウくんと、ひかりちゃんと」

「──うん」

 

 彩夜も。みんなも。ありがとう。

 ああそうだ、あとはあたし自身が、頑張ること。

 お姉ちゃんの今日という日を、最高の日に、するために。

 少しだけ、緊張がある。そして心には、高揚がある。


                 *   *   *

 

 水族館の前にたどり着いたとき以上に、もしかしたら、という気持ちは、電車を降りたそのときから続いていた。

 まさか、という思いと。

 なぜ、という不思議。

 それらをもたらしたのは、人と場所。その両方。

 

「お待ちしてましたよ。おふたりとも」

「──詩亜。歌奈。……真波先輩」

 

 三人が、その場所には待っていた。

 それはどうして三人が、自分たちの訪れた先に、という以上に。

 どうしてこの場所に三人がいるの。この場所を、知っているの。そういう気持ちが強く。

 

「なんで」

 

 また、どうして星架さんはこの場所に自分を案内してきたのか──先導してくることが、できたのか。疑問が心を占めていく。

「なんでみんなが、ここに。どうしてここを、知って」

 そして、どうしてここを、こんなに──きれいに。

 この場所を知っているのは、私と管理をしてくれているおじいさん以外にはひとりだけ。白鷺のおじさんたちにだってまだ、教えてはいなくて。

 私の、兄さんの大切な場所。ゆきとともに訪れた場所。

 この、小さな旧い劇場には。この存在を誰も、知るはずがない。

 しかもこんなに、小ぎれいにしてくれて。

 

「見てみなよ、それ」

 

 劇場の外見は、大きくはなにも変わっていなかった。古めかしい大きな、重い扉が開け放たれて、新鮮な風を取り込んではいるけれど。中の絨毯には埃は残されてはいなかったけれど──それでも刻まれた年季は、変わっていなくて。錆が浮いた部分や、どうしても落としきれなかった年月による衰えは、ちょっと見ただけでもわかる。

 ただ、その入り口の周囲には香気鮮やかないくつもの花たちが、飾られている。

 そして歌奈が指し示したのは、それらの傍らに佇むイーゼルと、そこに掛けられた一枚の、黒板を煉瓦模様の中心にはめこまれた、メッセージボード。

 筆記体の流れるような英語の文字が、その盤面には躍る。

 

 ──『today`s concert. For my sister. And, all my loves』

 

 簡潔で明瞭な言葉が、すべてを伝えている。

 お姉ちゃんの、ために。

 そして大好きな、すべての人たちのために。高校生の、英語だってそんなに得意でないはずの妹の字だと──すぐに、不知火にはわかる。

 

「いつかじゃなくて、今がいい。そう、思ったんだ」

「──ゆき」

 

 そして開け放たれた扉の向こう側から。その暗がりの先からゆっくりと歩み出てくる姿は、かけがえのない、最愛の妹。

 かつて、彩夜に対し曲を贈ったときと同じドレス。そこに、いくつもの白い、輝くような美しいレースのリボン装飾を重ねた衣装を纏った、雪羽が、不知火の前に立っている。

 

「ごめんね。勝手にみんなに、この場所のことを教えて。でも、いつかなんて先じゃなく、今、このときがいいと思った。お姉ちゃんがたくさんのことに、前向きになってくれた今だから」

 

 曲を。演奏を、贈ろうと思ったんだ。

 小脇に抱えた愛用のヴァイオリンを手に、妹はやさしく、不知火へといつも通りに笑いかける。

 

「お姉ちゃんの、いつかだと思っていた夢。今、ここで叶えさせてもらっても、いいかな」

 

 彼女のうしろからは、白鷺夫妻がひかりを抱いて。ひかりの小さな腕の中には、彼女の両親となるはずだった、義姉と兄の写真立てが。

 更には夕矢くんが、真波先輩が顔を覗かせる。

 まいったな。みんな、集合じゃないか──これでレイアや、みっちゃんまでいたら完璧すぎるってくらいに。

 すっと差し出された妹の掌を見つめ、堪えきれなくなって、不知火は思わず天を仰ぐ。

 

「──ずるい、な……っ。不意打ち、だよ、こんな、の」

 

 切れ切れに言葉を詰まらせながらも、ただ胸に抱くのは溢れるほどの感謝と、感激と。ひたすらにあたたかな気持ち。

 ああ、ここだ。ここにずっと、私はいたい。

 ここが私の居場所なんだ──そんな、深い深い、認識。

 星架さんが、静かに不知火の背を押す。ちらと向けた視線同士が繋がって、頷きあう。


「めいっぱい、お掃除したよ。精一杯、きれいにしたつもり」

「こんなの、泣いちゃうに決まってるよ」

 

 喜びの泣き笑いの表情を、くしゃっとさせて、不知火は妹の手をとる。

 引かれるまま、姉妹は劇場へと歩み進んでいく。

 ふたりが入り、そのあとに星架さんが、皆が続き。扉の向こうへと順番に姿が消えていく。

 ほどなく、音色が舞った。

 開け放たれた扉から、やさしく。聴く者すべてを癒すように。

 その演奏は、音の色彩たちは美しく。

 ただ、美しく──古びた劇場から、街並みへと溶けて、広がっていく。

 

 

            (つづく)

お待たせしました。なんも告知してなかったですが実は今回が第二部、最終話にあたります。

次回より第三部、「秋から、新たな日々へ」編へと入っていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

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