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天涯孤独の、ふたりだから  作者: 640orz
第二部 夏から、秋まで
40/74

第四十話 唄の熱さに、祝福と拍手を



            第四十話 唄の熱さに、祝福と拍手を



 やわらかく煮込んだクリームシチューのニンジンは我ながらよくできていて、小さな子の咀嚼力にぴったりにほろりと崩れて、スプーンの先で簡単に小さく切ってしまうことができた。

 丸っこい先端の、小さな幼児用スプーン。その上に白いスープごとひと口ぶん掬い上げて、幼子の口許へ運んでやる。

 キャラクター柄のよだれかけを着けたひかりはいやいやをすることもなく、素直におとなしく、小さな口をめいっぱいに開いて、雪羽の与えたシチューを頬張っていく。

 

「うん、感心感心。好き嫌いせずに食べるのはいい子の証拠だよ、ひかり」

 

 テーブルの上には、ふたりぶんの朝食。トーストのパンと、サラダと、昨日の残りのシチュー。これから出かけることを考えての、お手軽メニューだ。

 それが、雪羽自身と、ひかりのぶんだけ。ささやかな量のそれらで、今朝の朝ごはんはすべてだった。

 不知火の姿は部屋にはない。既に家を出て、出掛けている。

 なにしろ今日は、彼女がステージに立つ日。

 

「見ててよ、ひかり。不知火お姉ちゃん、きっとすっごくかっこいいから」

 

 今日は、夕矢たちの文化祭の日だ。

 それは即ち、雪羽にとっては姉と、弟分の晴れ舞台の日でもある。そこには期待がたくさん、不安がちょっぴり。

 大丈夫かな。ちゃんとお姉ちゃん、アガらずに歌えるかな。

 夕矢のやつ、あいつの演奏聞いたことないけど。どのくらいうまいのかな。きっちり、弾けるように練習、できたのかな。そんな微笑ましい心配が心に浮かんではまた去っていく。

 それはついぞ抱いたことのない、心地の良い不安。期待感あるからこその──こそばゆいもの。

 亡き姉の演奏を目前にしたときは、これは味わうことのなかったものだ。

 生前、実姉の演奏はいつだって完璧で。少なくとも雪羽くらいの腕前の演奏者からではその粗なんてとても、見出せないものだったから。

 全幅の安心と信頼があった。ただただすごくて、圧倒された。

 だからこれはきっと、はじめての感覚。

 それゆえの不安と、楽しみさの同居なのだ。

 

「え、へへっ」

 

 見ててあげてよね。姉さんも。お義兄さんも。心の中、亡き大切なふたりの人物へ語りかける。

 そのうちに、インターフォンのベルが鳴るのを聞く。

 

「はーい」

 

 応答に出ると、液晶に映るのは友人たちの姿。

 そう、今日は皆で観に行く。聴きに行く。

 雪羽と、ひかりと。

 歌奈と、詩亜と、彩夜とで。

 姉と、弟の。──大切な舞台を。


                 *   *   *


「不知火さん」

 

 舞台袖の、裏手。箱馬の上に腰を下ろして、不知火はイヤホンから流れてくる、演奏予定の曲のメロディに耳を傾けている。

 どうにも落ち着かなくて、そわそわしている自分が自覚できる。

 ステージ前で緊張している、のだと思う。

 だから忘れようと、曲に意識を集中させていた。そう、試みていた。

 その緊張の渦巻く心境の只中に、こちらに歩み寄ってくる夕矢くんの姿と声とを認識する。

 楽器を抱えて、スタンバイを整えた姿の彼がやってくる。

 隣、いい。そう訊いて眼前に立つ年下の少年に、不知火は同意を頷き返す。

 ひとつ隣の箱馬に、彼も座り込む。長身の男女がひとつずつ、隣り合って並ぶかたちになる。

 

「緊張してる?」

 

 口を開いたのは、彼のほうから。

 

「……うん。そりゃ、まあ。してるよ。はじめてだもん、こういうの」

 

 誰かの前でバンドで、歌うなんて。

 こんなステージに立つのだって、幼稚園だか小学校だかの学芸会以来だ。

 

「でも、水泳の大会とかで緊張には慣れてるんじゃ?」

「プールと舞台じゃ全然違うよ。それにあっちは自分の記録と、目の前の水をかき分けてくことだけ考えてればいいし」

 

 そのためにどうするかに没入できる。もちろんリレーのときみたいにそれ以外の要素が頭に入ってくることもあるけれど。

 基本、目の前のことだけに専念していればいい。誰かとあわせるとか、観客のみんなをどうやって楽しませるとか。……喜んでもらえるかな、楽しんでもらえるかな、とか。そういう──そう、エンターテインメント性、みたいなことを考える必要はないから。

 ちょっと、別の類だと思う。

 

「そういうもんなんだ」

「うん、そういうもんなの」

 

 苦笑とともに、緊張で凝り固まった肩をほぐす。

 

「意外と気、小さいんだ?」

「ははっ。よく言われる」

 

 身長はめいっぱいでかいくせに、みたいな。

 ──でも、まあ。

 

「今回は余計に、ね。夕矢くんたちの大切なステージだから。私が壊すわけにはいかないもん」

「そんなオーバーな」

「ううん、全然オーバーじゃないよ」

 

 だって、夕矢くんの誘ってくれたステージだから。

 雪羽にとっての彼がそうであるように、不知火にとっても彼は大切な、弟同然の存在で。彼のバンド仲間たちもいい子たちで──、

 

「私のことを好きだって言ってくれた子の、頼みだからね」

 

 そりゃあ、頑張りますよ。

 敢えてこのタイミングでそういう言い回しをするのは告白された側として卑怯だろうか、とも思った。

 彼は一瞬目を見開いて、息を呑んで。こちらの向けた視線から、目を逸らす。

 初々しくてぎこちない少年のリアクションが、年上としての不知火の感性には微笑ましく映る。

 今。応え──答えまで、伝えてしまうべきだろうか?

 

「……それは、あの。迷惑でした?」

「ううん、全然。迷惑なんかじゃないよ、どっちも」

 

 穏やかに細めた瞳で、不知火は少年を見つめる。

 少年の心に浮かんだ困惑と期待とが、彼の幼さからその表情に隠しきれることなく、不知火には把握できた。

 彼からは悟られているだろうか? 自分がステージ前の緊張とは別枠で、鼓動が大きくなってしまっていること。

 

「夕矢くん」

 

 ──ごめん、待たせてしまって。心の中、すまなく思う。

 

「もう少しだけ、待ってほしい。答えはきっと、出すから」

 

 心の中には既に、あるから。自分にとっての彼が、どういう存在か。

 それが間違っていないか。そうすることが正しいか。自分自身に納得出来たら。これでいいと自信を持って頷けたら、そのときはきっと。

 彼に返事を伝える。その瞬間はそんなに遠くない。

 胸の中の自分が、そう頷いている。

 

「今日は、いいライブにしよう」

 

 ゆきの弟へと、手を伸ばす。

 年長者として労わるように、彼の頭を撫でてやる。

 年頃の少年としては気恥ずかしい行為だったかもしれない。けれど彼は、そんな不知火の掌を振り払わないでくれた。

 純粋な、他意のない。年上からの素朴なスキンシップであったと、肌で理解してくれた──の、だと思う。

 雪羽や彩夜たちがせっかく見に来てくれるライブだ。精一杯、やろう。

 箱馬から腰を上げて、少年を見下ろす。

 もうすぐ。もうすぐだ。行こう。頷いて、言外にそう伝える。

 彼もまた頷き返して、やがて立ち上がる。

 文化祭のステージ。そこはこのバンド、それだけのためにあるのではなくて。

 吹奏楽。コーラス。演劇部に、ほかにもいろいろ。ぎっしりとスケジュールが詰まっている。

 だから不知火たちに与えられた時間は、たった四曲。四曲ぶんの、ほんのささやかな時間。それが年下の子たちの、輝くための時間だ。

 短いからこそ、けれど濃密に。全力を出そう。

 右隣へ、軽く握った拳を差し出す。

 一瞬目を遣った夕矢くんもまた、彼の左手を握り、応じてくれて。

 小気味よく、ふたりは拳を打ちつけあった。


                 *   *   *


 ライブ会場だという体育館は、殆ど満員にごった返している。

 

「おお、すごいね。いっぱいだ」

 

 中学の、正門のところで合流をした南風先輩は、遠くを見るように手を翳して、面白そうにきょろきょろと辺りを見回している。

 

「こういう文化祭みたいなイベントなら、当然でしょ。みんな、出し物を見たり、盛り上がったり。イベントそのものに参加することが目的でやってきてる人ばかりなんだから」

 

 出し物をやっていればそこに自然と集まって、入ってくる。客席が埋まらないわけ、ないでしょう。

 幼なじみに呆れたように指摘をする、真沢先輩。──彼女もまた、雪羽たちに誘われてここにやってきた口だ。

 南風先輩は、詩亜が。

 そして真沢先輩は、ほかならぬ雪羽自身が誘った。

 お姉ちゃんがライブに、助っ人として出るんです。よかったら先輩も一緒にどうですか、って。

 学校でそう告げたとき、先輩は不思議そう且つ、また意外そうで。

 あれ、ひょっとしてお姉ちゃん、言ってなかったのかな。だったらちょっと説明不足だったかな。少し、そう思って逡巡をした。

 

 ──「知ってる」。

 

 先輩が短く、そう言ってくれて。あなたから誘ってもらえるって、意外だった。そう付け加えられて、先輩の困惑の理由を、雪羽も納得をした。

 お姉ちゃんの晴れ舞台だから。お姉ちゃんへのサプライズです。言うと、一瞬遅れて、なるほどと先輩も笑った。

 だから真沢先輩は今、ここにいる。来てくれている。

 雪羽たちと並んで、体育館の壁に背中を預けて。目的のライブの開演時間をもう間もなくに、待ち続けている。

 南風先輩の右に、真沢先輩。左側に、詩亜。

 真沢先輩の隣に雪羽で、右に向かって歌奈と彩夜が並んでいる。

 

「ひかりんの抱っこ、代わろうか」

 

 隣の歌奈に言われ、少し考えて、まだ大丈夫、と首を振る。

 入場開始時にはまだ座席も空いていたし、もっと前列に並んで座ることもできたけれど。ひかりのことも考えて、遠慮して後列に立つことにした。

 あんまりステージが近すぎて、ひかりを驚かせてしまってはいけないし。

 前列側でもしひかりがぐずってしまったら、周囲の迷惑にもなる。だからこの位置がちょうどいいと思った。

 中途半端な場所にいるより、ステージ上から見渡したとき、姉も自分たちの存在に気付きやすいのではないか、という打算もいくぶんあったけれど。

 ひかりを抱いて、ライブの開始を待つ。けっこう、悪くない。

 

「でもさ、案外おとなしいよね」

「うん? ああ、そうだね。ひかりん、この歳で人ごみにも物怖じしないって、大物なんじゃない?」

「いやいや、そうじゃない。あんたのこと言ってんの、歌奈」

「え? アタシ?」

 

 なんでさ。前のめり気味に首を傾げる友の仕草が可笑しくて、雪羽はくすりと笑いを漏らす。

 そして少し、声を潜めて──、

 

「だって。もっと露骨に不機嫌そうにしてるかと思ってたから」

「あ。……あー。あのねぇ」

 

 南風先輩が、一緒で。

 微かな唇の動きだけで、声を出さずに伝えると、彼女は心外そうに頬を掻いて目を逸らす。

 

「そ、そりゃあ。こういう日だし。アタシだってわきまえますよ」

「へー。大人なんだ」

「だって、先輩が悪い人じゃないってのはもうとっくにわかってるし? ねーさんが仲良くしたいって相手がいい人だなんて、妹としてはそんくらいの信頼はしてるつもりだし」

 

 言いながら、歌奈は若干焦り気味に、しどろもどろだった。

 

「そっか」

「あーもー。なんかその余裕たっぷりな反応。腹立つなぁ」

 

 そんな、クラスメート三人同士のやりとり。

 

「ん?」

「だー、もう。こっちの話! ねーさんはそっちでおとなしく、先パイたちをエスコートしてなさい」

「???」

 

 南風先輩と談笑していた詩亜がなにげなくこちらを見て、歌奈はそれを強引に誤魔化す。

 

「あ、はじまるみたいですよ」

 

 舞台スタッフを担当する生徒たちなのだろう、楽器のセッティングを行っていた、その腕章をつけた男子だちが舞台袖へと消えていく。

 はじまりを予感してか、ざわついていた客席が少しずつ、静まり返っていく。

 

「楽しみですね、雪羽ちゃん」

「うん」

 

 広げていたパンフレットを、体育館の出し物のプログラムページを閉じて、彩夜とともに舞台上へ視線を注ぐ。

 そして、──開演のブザーが鳴った。

 

                 *   *   *

 

 ちょっと、トラブルがありまして。僕ら、──今日の本番、ほぼ一か月前くらいに、ボーカルがいなくなっちゃったんです。

 ──三曲目のあとのMC。

 ドラムの子が、マイクを握って。体育館に集まった観衆に向かい、語りかけている。

 学校のイベントで、時間も限られている。演奏以外のこういう演出もやっていいものなんだな。開演前、三曲目のあとにMCを挟む、マイクの時間を入れるとメンバーから告げられたとき、不知火は素朴に不思議に思ったし、また驚いた。

 いったい、なにを話すんだろう。メンバーの紹介とかかな。中学生のやることだから、恰好をつけたようなこと、言うのかな。

 前者だったら少し、気まずいかも。

 なにしろ私はステージに立つ中でひとりだけ、高校生。どういう顔をして反応していいやら、私も観客の人たちも、ちょっと困惑するんじゃなかろうか。触れずにそっとしておいたほうがいいんじゃないか。全部終わった後に、「そういえばあの人誰?」程度に首を傾げられるくらいで、ちょうどいいのではないか。

 けれど少年の、よく通る声が語っていく言葉は、不知火のそんな心配を杞憂に変えていく。

 ライブ直前、ヴォーカルがいなくなったこと。

 全員で、あの手この手で探したこと。

 そして、夕矢の知人。姉の友人である不知火が、引き受けてくれたこと。

 

「──え」

 

 そこまで言って、ドラムの子が立ち上がった。

 夕矢くんが、つばきちゃんが。各々がこちらを向いて、まっすぐに見つめて、佇んでいた。

 ──この場を借りて、言わせてください。なにからなにまでほんとうに、ありがとうございました。

 そうして、呼吸をあわせるように。中学生のバンドマンたちは深々と、不知火に向かって頭を下げた。

 

「え、……いや、そんな。いや、別に」

 

 あらたまって、お礼を言われるようなことじゃないし。

 ていうか、まだステージ中。こんな不意打ちみたいに、この場でしなくったって。──こういうものなの???

 想定外の事態に、三曲歌って、スポットライトに灼かれて紅潮し既に汗だくだった不知火の頬が、一層に熱を帯びて紅く染まっていく。

 自分に向かい下げられた中学生たちの頭頂部を落ち着きなく、交互に視線入れ替わらせては見比べていく。

 最初は、散発的に。客席からもささやかながらの拍手が聴こえて。次第にそれが観衆全体へと広がっていく。そちらに目を向けて──気付く。最後尾。

 体育館の、扉のところ。よく見知った顔が六つ並んで、ほかの人々に同調するようにやはり拍手を送ってくれていること。

 妹の腕の中に、幼い姪子がいること。

 ……来てくれたんだ、みんな。先輩たちまで。そういうあたたかい気持ちが胸の中に広がり、同時、思う。

 やめてよ、ゆきたちまで。──恥ずかしいじゃないか。

 そんな羞恥に満ちた気持ちが、溢れていく。

 

「と、とりあえずみんな、顔あげてっ。まだ、終わってない」

 

 どぎまぎしながら、皆を促す。

 くしゃっとした笑顔を向けながら、メンバー一同自分の配置に戻っていく。

 そう、まだ終わってない。あと一曲、最後の一曲が残っている。

 ステージ上がスタンバイに入りつつあるのを見てか、客席の拍手が、ざわつきの波が少しずつ、開演時のように静まりゆく。

 深く、深く。不知火は息を吸う。

 ここまでの三曲。それらはすべて、このバンドのオリジナル曲だった。

 自分より年下、中学生なのに。楽器をやってるとこんなにもきちんと、曲も歌詞もつくれるものなんだ──最初知ったとき、驚かされたものだ。

 けれど最後の一曲は、敢えて違う。

 

「──聴いて、ください」

 

 たった一曲。一曲だけの、カヴァー曲。

 音楽に興味のない不知火でも、一応の名前くらいはおぼろげ程度には知っている、古いアーティストの歌。

 その人は、私の生まれるより前にとうにこの世を去っていて。

 私やゆきどころか、亡き兄夫婦ですらきっと、実像として実感を持って、その存在を目にしたことはない。

 あるいは亡き両親なら、その世代なら──熱中したこともあったのだろうか?

 ドラムが鳴り響く。そこにベースが、ギターが重なっていく。

 それは、長い。長い曲だった。


                 *   *   *


 時間にすればそれは、十分以上はあったとおもう。

 最後の一曲。力強くて、熱気のこもった。

 演奏と、歌声と、曲。長くて熱い歌。それは炎天下の、白熱した展開の陸上競技の決着を見るかのようで。

 完走した。そう、形容したっていいようにさえ思えた。

 

「──随分、昔の人の曲ね」

「え」

 

 歌いきった姉が周囲のメンバーを振り返り、笑顔を見せている。やりきったのだ、ということがそれらの仕草から伝わってくる。

 その光景が誇らしくて、あたたかかった。

 視線を注ぐその只中に、ふとぽつりと、ハーフアップの髪の先輩が呟いた。

 

「えっと……白鷺さん? 選曲やセットリストって、弟さんがつくってる?」

「あ、はい。今回はユウくん……弟だって言ってました。この曲も、うちの弟の好きなアーティストで」

「ふうん。けっこういろいろ、聴きこんでるんだ」

 

 音楽に詳しいんだね、弟さん。先輩の言葉に、一同きょとんと目を瞬かせる。

 

「だってこの曲。この歌手の人。私たちが生まれる前の曲で、私たちの生まれる前に亡くなってる人よ」

 

 従兄弟のお兄さんがこの人、好きで。小さい頃、よく聴かされてた。

 

「二十代で、若くして亡くなるまで。全力で駆け抜けて、常に声がかれるくらいに全霊を込めて歌って。自分自身や周囲の環境に、つまづいたり転んだりしながら歌い続けた人だ、って言ってた」

「──二十代で……?」

 

 若くして喪われた人の歌を。

 これから先、若くして光を失うかもしれない姉が歌う。

 その符合が雪羽に与えたのは、不思議な感覚だった。

 不穏さでも、不安でもなく。まったくそれが含まれていないとはいわないにせよ、それがけっして第一義ではなく。

 あの夏までの姉の生き方に、どこか重なる気がした。同時に、正反対であるように思えた。

 自分の終わりに、向かっていくこと。その歌手がどうだったかは知らない。けれど姉は知ったその終わりに向けて、いろんなことを型にはめて、決意を繰り返して。生き急いでいるように思えた。そこで、終わりだからなのだと──。

 一方で、知っていたが故の諦めが、彼女を支配していたとも思う。

 だから雪羽を愛していてくれながら、終わりのその先を求めなかった。自分の終わりのその先へ、付き合わせようとはしてくれなかった。姉に、この歌のような熱量はなかったのだと思う。

 なのにこんなに今、姉はステージの上で歓声を受けて、この歌を歌いきった。

 雪羽に望んでくれた、あの夏を越えて。

 周囲に、そして自分自身に全霊の熱を望み、全うした姉がそこにいる。

 暑苦しくて、男臭くて。激しい曲で、歌だった。自分たちのような世代とは違う、古い時代の歌だというのも頷ける。

 それはかつての姉に欠けていた、激しいくらいの熱量を詰め込んでいる。

 ともすれば、姉の歌声とはまるきりかみ合わない、悲惨なステージになっていたかもしれない。

 なのに身内びいきを抜きにしても、音楽に触れてきた人間として、雪羽は姉のパフォーマンスを素晴らしかった、かっこよかったと思える。

 あんなに、汗だくになって。全霊を出し切って。

 肩で息きらせて──バンドメンバーたちと、ハイタッチなんか、交わしている。

 

「悔しいな、なんか」

「星架?」

「白鷺さんの弟くんに。一歩、リードされちゃったみたいで悔しい」

 

 くしゃりと前髪をかきあげた真沢先輩を、いたわるように南風先輩が肩を抱く。がんばれ、って。幼なじみ同士、彼女の抱く熱量を応援するみたいに。

 

「こんな、あの子を熱くさせられる彼がうらやましいなって、思う」

 

 姉を、そうさせてくれた。

 バンドに、ライブに誘ってくれた──夕矢。

 そうやって姉を熱量に巻き込んでいった彼を嫉妬してくれる、真沢先輩。

 姉が皆に、諦めではない熱量をみせてくれたように、そんな姉へと自身の熱を向けてくれる人たちがいる。

 変わりつつある姉へと、そうやって接してくれる人たちがいる。

 好きだと言ってくれたふたりがいる。

 

「うれしいよね、ひかり」

「? ひかりちゃんが、どうかしましたか?」

 

 詩亜の傾げた首に、微笑を浮かべて誤魔化す。

 これはあたしが、──この気持ちは、お姉ちゃんの妹であるあたしだけが抱ける特権だ。

 がんばれ、お姉ちゃん、って。この人たち、大切にしないとダメだよ、って。

 どんな結論を出したって、お姉ちゃんを支えるのはあたしだ。

 

「いや、ただ」

 

 あたしが世界で一番、お姉ちゃんを大好きだって。その熱量ならふたりにだって負けないって自身があるから。

 

「ただ、お姉ちゃんかっこよかったな、って。──ね、ひかり」

 

 あたしにとって、最高のお姉ちゃんだから。

 

 




              (つづく)

第四十話、お送りしました。

やけに描写具体的なので察せられるかとは思いますが今回不知火の歌った歌には明確なモチーフがあります。怒られると嫌なので敢えて何かまでは言いませんが。

 

楽しんでいただけたら幸いです。

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