第四話 休日に、あなたと 後編
第四話 休日に、あなたと 後編
今度の日曜、一緒に出かけないか。
ようやく周りも落ち着いてきたことだし、……さ。雨宮さんがよかったら、だけど。
──たったそれだけの言葉を絞りだすのに、果たして不知火はどれほど膨大な勇気と思い切りを必要としただろう。
その夜のことを、不知火は思い出していく。
心臓が、飛び出てしまうんじゃないかと思えるくらいにどきどきしていた。
固唾を呑んで、雨宮さんの返事を待った。
「いいですよー。どこ、行きます?」
雨宮さんは暫くきょとんとして。やがてそう問い返すとともに、無邪気に笑ってくれた。
「よかったら、あたしが決めてもいいですか?」
その笑顔がただ、嬉しくて。受け容れてもらえたことでいっぱいで。
言葉だけでいっぱいいっぱいで、具体的にどこに行こうか決めていなかった自分に気付くと同時、更にあちらから提案が投げかけられる。
「いいの? 正直、出かけたいなってばっかりだったから、ごめん。なにも決めてないんだよね。土地勘もまだそんなにないし──雨宮さんに案内してもらえるなら、そのほうがたしかに助かる、かな」
「お安い御用ですよー。……うん、あたしも駒江さんと行きたいな、って思うとこ、まったくなかったわけじゃないんで」
誘ってもらえて嬉しかったです。
夕飯の食器を片付けながら、雨宮さんはしきりに頷く。
「楽しみだなぁ、日曜」
あたしたちの、初デートですね。
そして流しに立って洗剤をスポンジに、泡立てつつ。雨宮さんは背中越し、悪戯っぽく不知火へと投げかけたのだ。
デート、という響きは不知火には気恥ずかしくて、でも、なんだか胸の奥があたたかくなるような、不思議さも秘めていて。
そうだね、なんて気の利かない相槌を打つ自分がなんだか滑稽だった。
嫌な気分を、そのときの自分の不器用さに対しては感じはしなかった。
「へへっ。嬉しいな、こういうの」
雨宮さんの呟きは、同じ気持ちを不知火に届けていった。
──少なくとも不知火は、このときの自身の感情が、彼女のそれときれいに重なったように、思えていたのである。
* * *
そういう風に思えていたくせに。なんでもっと、彼女のことを考えてやれなかった。
なにをやっていたんだ、私は。
「雨宮さん……!」
既に、雨宮さんの姿は視界のどこにもない。
彼女にとっては勝手知ったる場所。でも不知火には、はじめての場所。
この人ごみの中をかき分けながらで、走り去った雨宮さんに追いつけるはずもなかった。
もちろん、だからといって諦められるわけもない。
すいません、通してください、そんな言葉を数えきれないくらいに連呼しながら、不知火は人の波をかいくぐり、雨宮さんを探す。
広い広いアウトレットモールを、なんの手がかりもなく。
必死に、目を皿のようにして、『家族』であると認識する少女の姿を求める。
見つからない。その時間が刻一刻と増していくのに比例して、吐き気をもよおすような焦りが不知火の内側に満ち満ちていく。
「あんなに雨宮さんは楽しみにしてくれてたのに……!」
だが焦れば焦るほど、どちらに足を向けるべきかわからなくなる。
人と人の行き交う合間に投げる目線が上滑りをする。
より一層、彼女への心配と。自分への焦りと幻滅が、膨れ上がっていく。
それは悪循環だった。心臓は早鐘を打っている。額や背中には汗を感じる。
だが感覚はどこまでも冷えきっている。どこに、どこにいるのか。雨宮さんがそうだったように、不知火自身もまた半ば、その心理の状況は、ひどいパニック状態に近かった。
──姉さんとも、よく来てたんですよ。
だだ広いこのアウトレットモールを、その外観を眼前に臨んで足を止めたとき、雨宮さんは感慨深げに不知火に、そう言った。
──姉さんとの、思い出の場所。その、ひとつです。
言いながら、懐かしげに。そして少し寂しげに、微笑んでいた。
彼女を今、独りにしていてはいけないと思う。
思い出の場所を共有したいと願ってくれた彼女を、彼女と『家族』でありたいと思うならば。
彼女と『家族』でいたいと思うなら、見つけ出せ。探し出してみせろ。
焦燥の中、不知火はモール内を駆けずり回る。
一緒に食べた、パスタ店の前。
ペットショップの中も覗いた。
映画館の、上映時間の待合いのソファベンチに座り込んでいやしないかと、見て回った。
硬めのパンプスで走り回ったせいで、両足が痛かった。けれどそんな痛みさえ、構っていられない。
雨宮さんを、探し続ける。
だけれど、いない。
いない、見つけられない。
どこだ、雨宮さん。どこにいるの──……?
「あれ? 駒江さん? ……ですよね?」
そうやって、どこに行けばいいのかがわからなくなって、途方に暮れそうになった頃合いだった。
不意に、呼びかけられた。
聞き覚えは僅かにあった。だけれどすぐにはっきりと誰だ、と言いきれるほどには明瞭に思い出せるものではない、希薄な記憶と印象の先にある、声。
「え?」
振り返っても、瞬時には自身を呼んだその声の主を、相手の顔を判別しきれない。相手がこちらを認識している以上は、それはとても失礼なことだったけれど。
二度、三度。視線を巡らせて。自分の中の見覚えに行き当たる。
少女がまっすぐにこちらを見ていることに気付く。
独特な色彩の光沢をした、きれいな髪の女の子。彼女はたしか、雨宮さんの幼なじみの。
「えっと。白鷺さん?」
一度、簡単にとはいえ紹介をされた相手の名を忘れてしまうほどには、不知火の失礼も極まってはいなかった。
こうして面と向かって言葉を交わすのは、雨宮さんに紹介されての初対面以来だ。
「なんでここに?」
「あ、はい。弟と買い物に来てて」
弟。そう、弟、いるんだ。
「どうしたんですか? なんか慌てて。今日、雪羽ちゃんと一緒のはずじゃ?」
怪訝そうに、その少女はきょとんと首を傾げてみせる。
きっと雨宮さんから聞いていたのだろう、彼女の疑問も、今日のふたりの事情を知っていたならばもっともだといえる。
でも、説明は。
なんて言ったらいい。
「駒江さん?」
自分の不注意のせいで、雨宮さんが飛び出して行ってしまった。探すのを手伝ってくれ。……違う、そんなことを直接に、彼女の親友に伝えていいのか。大変なのはお前じゃあない。雨宮さんだろう。なんて、情けないんだよ。
違うだろう。自分が伝えて、白鷺さんに願わなければならないことは──たったひとつ。
「白鷺さん」
不知火は意を決して、白鷺さんに歩み寄る。
両手を伸ばして、しっかりと真正面からその両肩を抱く。一瞬びくりと、怯えたような反応が返ってくるのは仕方がない。
本来まだ、自分には彼女とのコミュニケーションが不足しすぎているのだから。でも、構っていられない。
振り払わずにいてくれただけ、喜ぶべきだ。
「お願いがあるんだ」
「え?」
彼女に求めるべきは、自分への助けじゃあない。
「雨宮さんを、助けて」
* * *
誰でもよかった。
自分はきっと、助けてほしかったのだ。姉さんを。
今更すぎる? わかっている。もっと早くに実感をし、気付くべきだったのだ。この辛さに。感情に。
こんなにも、不意に破裂するくらい、膨れ上がってしまう前に、だ。
「……っ……!」
胸の内に、いろんな色がごちゃ混ぜになったような、不快な、かたちの定まらない塊が蠢いている。
それはただただ、火傷しそうなくらいに熱くて。吐き出せるものならば吐き出してしまいたい。でもどう対処すればいいかさえもわからなくて。そんな、どうしようもないもの。
自分が、どうしたいのか。
どうすればこの気持ちは晴れるのか。
わからないまま、人ごみを抜けて、その感情から逃げるように雪羽は駆ける。
「ねえ、さん」
ただ、わかっていることもある。
今までわかっていなかったことが、わかってしまったということ。
遅かれ早かれ、いつかやってくるはずだったことが、ずしりと重く、骨身に沁みて身体の奥底に痛感としてやってきた。
あれは、姉さんの曲だ。姉さんが一番たくさん練習をして、一番好きだった曲。
モーツァルトの、アイネ・クライネ・ナハトムジーク。
姉さんが好きで。あたしも、姉さんの演奏するその曲が一番大好きだった。
演奏をしていた人のことは、知っている。
直接に会ったことはないけれど、姉と同じ音楽大学の先輩で。姉にもいろいろとお世話をしてくれていた人だ。
その人が、弾いていた。姉の追悼イベントが行われる、その場で。
姉のいない会場に。
そこには姉を最も思い起こさせる曲が響く。
姉が、どこにもいないのに。
そう。もう、どこにもいない。姉は、この世のどこにも。
全身を突き抜けていったのは、その実感だった。
「……っ、ね、ぇ、さん……っ」
胸の内側の熱さに、焼け焦がされそうなのに。全身の震えが止まらない。
零れる涙を、自分でコントロールできない。
俯きながら、行くあてもなく走る。
助けて。……誰か、助けてよ。どうしたら、いいんだろう。
吐き気と悪寒とを必死に噛み潰し、漏れ出る嗚咽に自ら苦しみながら、雪羽は自動ドアを潜る。
方向なんてもう無茶苦茶で、自分が今どこかなんてわからない。
朝には晴れ渡っていたはずの空からは、小雨がぱらついている。その中を、広大な駐車場を横切るようにして、駆け抜けていく。
そして、その事故は必然として、雪羽の前に姿を見せる。
「!」
鳴り響く、クラクション。急ブレーキに軋むタイヤの音が、悲鳴を上げている。
当然だ。周りなんてみていなかった。完全に、こちらの不注意が引き起こした代物でしかない。
雨粒に濡れた雪羽の眼前には、既にすぐそこに、一台の車のボンネットが見えていた。
更に、その先。
豆粒ほどに小さくだけれど、遠くに鳥居がひとつ、聳えているのが見える。
それは雪羽を納得させるに足る、そんな場所。
ああ、そうか。
あたしは、あそこに行こうとしていたのか。
駒江さんと、ほんとうなら行くはずだったのに。結局今日は行く勇気、出せず仕舞いで終わるのかな、ともちょっと思っていたのに。
そっか。あの、神社は。姉さんとの思い出の詰まった場所。
自分自身では、意識もしなくても。向かう先に──姉さんとの場所を、無意識に選んでいた。
あと、もう少しなのに。
ひどく断片的な思考が、迫る車体を前にして、走馬灯のように駆け巡る。
* * *
「神社?」
白鷺さんと、小走りにモール内を駆けていく。
全力疾走でないのは、あまり体力のないほうだという彼女を置いていかないために。独りで突っ走ってどうにかなるはずもないことは、もはや不知火自身とうに自覚していた。
「はい。このモールの東側。駐車場のはずれに、小さな神社があるんです」
バリバリの運動部員との並走に、それでも既に白鷺さんは息切れ気味だった。けれど健気に、不知火に合わせようとしてくれている。
申し訳なくて、不知火は僅かばかりその走るペースを落とす。
「行きたいと思ってか、無意識かはわかりませんけど。事情を聞いたかぎり、雪羽ちゃんが行くとしたらきっとそこだと思うんです」
「神社……でも、なんで?」
だってそれは、雪羽ちゃんにとって一番の、思い出の場所だから。
お姉さん。小雨お姉ちゃんと一緒に、そこに行くにはいつも一緒だったから。
「ここ、アウトレットになる前はもともと、遊園地だったんです。彩夜や雪羽ちゃんが、小学校に入るまでくらいは。そのアトラクションなんかの安全祈願の神社だったんですけど、そこがまだ残っていて」
毎年、雪羽ちゃんと小雨お姉ちゃんはそこに初詣に行っていたんです。
お姉ちゃんが、日本を離れてからもずっと。毎年、必ず。
──俯きがちに、白鷺さんは、不知火の知らない事実を伝えていく。
「ふたりの両親が生きてた頃。小雨お姉ちゃんにとっても、ご両親に連れて行ってもらった思い出のある場所が、ここ。遊園地だった頃の記憶があった。だからきっと、小雨お姉ちゃんも雪羽ちゃんとの年一度の決まりごとを、その神社にしたんだと思います」
「お姉さんとの……思い出の神社……」
そんな大切なところに、あの子は私を受け容れようとしてくれていたのか。
私と行きたいと思っていた場所、って。
「駒江さんと来たかったのも、だからなんじゃないでしょうか」
「……雨宮さん……」
不意に、白鷺さんは立ち止まる。
「白鷺さん?」
気付けば、彼女の頬には汗が珠となって流れ落ちている。息も、肩を大きく上下させていて。
「だから、……はやく、行って、あげてください。わたしに歩幅なんて合わせなくて、いいですから」
そしてまっすぐにこちらを見つめて、その真剣な眼差しを外さぬままに、不知火へと頷いてみせる。
「駒江さんは、もっともっと急げるでしょ。もっともっと、早く、雪羽ちゃんのところにたどり着けるはずだから」
彩夜のことは、置いて行ってください。
そして──、
「そして、雪羽ちゃんのことを──……、」
* * *
逃げて。逃げて、……逃げてばっかりだ。
「……ひどい、や」
間一髪で、向かってくる自動車を避けることはできた。
大きく転倒して、したたかに身体をぶつけながら。おもいきり、嫌な方向に足首を捻りながら。
痛みを押し殺して立ち上がり、急停車した車の運転手にひたすら頭を下げて、野次馬たちの目線を避けるように、その場を去った。
強まる雨脚に、ずぶ濡れになりながら、鳥居を目指した。
「ほんと、最悪だよ。姉さん」
お気に入りのパーカーは袖のところが、大きく破けてとれかかっている。
スカートは泥だらけで、ニーハイは伝線してしまっていて。転んだときに脱げたスニーカーは片方、どこかにいってしまった。
せっかくのよそ行きだったのに。
捻った足首はひと足ごとに痛みを増していく。転倒時にアスファルトにしたたかに打ちつけた掌も、擦りむいてしまって、痛かった。
裸足の、片足を引き摺りながら、雪羽は神社の境内を進んでいく。
目指す先には、樹齢何年かもわからないほどの、太く古めかしい幹をした神木が聳え立つ。
「姉さん」
濡れそぼった、震える指先で、その表面にそっと触れる。
姉と何度、この神社にやってきただろう。
毎年こうやって、一緒にこの木に触れて、「今年もよろしくお願いします」とやる。それが習慣で、当たり前だった。
だけど。
「もう、姉さんはいない」
いないんだ。あたしには、もう姉さんと一緒になにもできない。
自身を抱きかかえるようにしながら、立っていられなくて、雪羽は膝を折る。大樹の根本の土がぬかるんで、ニーハイの両膝にねっとりとまとわりつく。
「姉さん。小雨、姉さん」
姉さんと一緒に、ここにもう来れない。
姉さんのヴァイオリンを、聴くこともない。
姉さんの、アイネ・クライネ・ナハトムジークを。
姉さんは、いない。
嗚咽はやがて、獣のような泣き叫ぶ声に変わる。意味のある言葉や単語などもはや発せられない。
ただ溢れる感情が、号泣となって、降り注ぐ雨粒に混じって落ちていく。雪羽はひたすらに、子どものように声を上げて、雨音に負けないほどに、泣く。
あたしは、独りだ。それを実感してしまった。今更。あるいはようやく、遂に。
離れていても、小雨姉さんは今まで「いて」くれた。
だけどもう今は、「いない」。たったひとりの、姉さん。もうどこにも。
泣けたらいいな、なんて思った自分の浅はかさを想う。理屈ではない。肉親の喪失はただ重く、ただ辛く。実感となった今、雪羽は圧し潰されてしまいそうで。
「──……!?」
不意に伸びたその両腕が抱きしめてくれなかったら、そのままほんとうに消えてなくなってしまったかもしれないと、そう思えた。
「……っ……」
しゃくりあげる中に、たしかにその感触は雪羽の身体を包み込んでいる。
「ごめん」
それは雪羽と同じくらいずぶ濡れで。同じくらい雨の冷たさに凍えきっていて。だけれどその内側からは、燃え上がるのではないかというくらいに、力強くて優しいぬくもりを伝えてくる。
「独りにさせて、ごめんね」
駒江、さん。呼ぼうとした名は、声にもならない。
苦痛の涙と叫びは、安堵の滂沱へと変わり。自身を抱き寄せるその両腕を、雪羽は強く強く握り返す。
ああ。駒江さん、だ。
* * *
「ごめん。待たせてしまって」
心臓は、破裂するのではないかというくらいの長い長い全力疾走の後遺症で、未だ断続的に、早鐘を打ち続けている。
それでも、この神社の正面に立って。御神木の根元に蹲る少女の姿を見つけたとき、不知火は駆けださずにはおれなかった。
この子は、私が護るんだ。ただ、それだけの衝動によってである。
「でも、もう独りじゃない。私がいる」
感情の破裂に泣き叫び、震え。雨に打たれ続ける少女を、必死に不知火は抱き寄せた。
ふたりそろって全身ぐしょ濡れだったけれど、そんなことはどうだっていい。私がこの子を、あっためてやる。抱きしめながらずっと、いつまでだって傍にいる。
「いいよ。泣こう。たくさん、泣いていい」
それは不知火にとっても感情であり、お題目や義務感などではない。
兄の愛した女性の妹だとか。
一緒に『家族』をやってくれる相手だからだとか。そんなお題目は今はどうでもいい。
私が彼女を護るんだ。その感情しかなかった。
だから抱き寄せた。泣きじゃくる彼女を、強く強く背中から抱きしめた。
「私には、あなたのお姉さんの代わりはできない。お姉さんを生き返らせることだってできやしない」
でも。でもね。不知火は、ひとつ、大きく息を吸い込む。
そして、呼ぶ。
「──でもね、『雪羽』」
口にした『雪羽』のその名の響きは、きれいだった。
気恥ずかしさなんて、もうなかった。
白鷺さんから、「名前で呼んでやってほしい」と言われた責任感からでもない。
当たり前のように、自然に。強い力を帯びた声が、不知火の喉から少女の名を呼んだ。
呼びたかった。呼びたかったんだよ。私も。あなたの素敵な名前を。
「私は雪羽の、お姉ちゃんだから。雪羽は、独りじゃない」
だから、いっぱい泣いて。
気のすむまで、泣き疲れて、眠ってしまうまでだっていい。
「私が雪羽を独りにはしないから。私が雪羽を護り続けるから」
いつまでだって、抱きしめてあげる。
眠ってしまったのなら、おんぶしてあげる。抱き上げて、連れて帰る。ベッドで添い寝だって、してあげるよ。寝坊して、一緒に明日、学校に遅刻したってかまわない。
「いいんだよ、雪羽」
好きなだけ、泣いて。
これ以上ないくらいに、悲しんで。
私が傍で、こうして包んであげるから。あなたがまた、あんなに素敵に笑えるようになるまで、どのくらいでも付き合ってあげるから、さ。
「雪羽は私の妹だから。そんなの、いくらでもやるよ。いいんだよ」
抱きしめるその頬に、不知火も頬を寄せる。
「私は、ここにいるから。雪羽の、すぐ隣に」
滂沱と、慟哭は続く。その声を。涙を。不知火は受け止め続ける。
雨が止むまで泣き止まなくたっていい。そうすることが、彼女にとって必要ならば。
それは私にとっても必要なこと。私も、背負いたい。
悲しみによるものではない、他者を労わるが故の涙が、不知火の頬を伝って落ちていく。
しとどに濡れそぼったふたりは重なり合い、抱き合い、ともに泣く。
「この休日に、大切なあなたと。──大好きな雪羽と分かち合えることを、私はとても大切なことだと思うから」
分け合いたい。受け容れたい。
だから泣いて、いいんだよ。
いっぱい、いっぱい。私に、受け止めさせて。
──ね? 『雪羽』。
(つづく)