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天涯孤独の、ふたりだから  作者: 640orz
第一部 春から、夏まで
22/74

第二十二話 蒼い海での、告白 後編

 

           第二十二話 蒼い海での、告白 後編

 

 

 お姉ちゃんの言っていることが、わからない。

 雪羽はただ、混乱している。姉が言っている言葉によって。そのひとつひとつを、飲み込めずにいる。

 

「ごめん。突然、こんなことを伝えて。困らせてしまって、ごめん」

 

 でも。でもね。姉は言う。

 

「それでも私は、ゆきに伝えたかった。知ってほしかった。……伝えなきゃいけない、って思ったんだ」

 

 ゆきと一緒に暮らしたい、そう願った自分がいつか背負わなきゃいけない、それは責任だと思ったから。

 

「自分がそうなるってわかっていて、私はゆきを望んでしまった。兄さんたちと始めるはずだった暮らしを、ゆきと一緒にやることを。ゆきにも望んでもらえた。だからいつか、きちんと伝えなくちゃ。これは義務なんだ、って」

 

 今更になって、言って。ごめん。

 ひどいお姉ちゃんだよね。ごめん。

 姉は幾度も、「ごめん」を繰り返す。

 違う。違うよ。そんなの──いらない。話を、勝手に進めないで。

 お姉ちゃんが、あたしには今、わからない。

 世界を喪うって、そういうことなの。

 陽光に照らされる、水着姿の姉が、遠い。

 その、笑顔も。その、穏やかな声も。

 

「あなたのことが、大好きだから。こんな不確かな未来しかない私でも、それは胸を張って言い切れる。だから、伝えたんだ」

 

                  *   *   *

 

「大丈夫? ユッキー」 

 

 結果的に、大人が一緒でよかったのだと思う。

 

「……ごめんなさい。ありがと、レイアさん」

 

 雪羽にとって、目の前の状況は明らかに、その情報の処理が追いつくものではなかったから。

 姉の前に呆然と立ち尽くすばかりだった雪羽の肩に右手を載せて、オッケー、ちょっと落ち着こうか。そう言ってくれたのは、ほんとうにありがたい配慮だったと思う。

 彼女からひかりを任された、姉と観月さんは幼女を連れて、波打ち際でその砂遊びに付き合ってやっている。

 そうすることで、広げたレジャーシートの上、腰を下ろして、レイアさんは雪羽に付き添ってくれていた。

 レイアさんの渡してくれた、コーラのペットボトルが──クーラーボックスでキンキンに冷えた──、雪羽の手の中で汗をかいて、ひんやりと自己主張をしている。

 その冷たさが、少しずつ、混乱した脳裏の思考を落ち着かせてくれているように思えた。

 

「なにしろ、突然だもんな。予想できるようなことでもない」

「……はい」

 

 レイアさんは、知ってたんですよね。

 問う雪羽の言葉に、レイアは小さく頷いて、自身の手の缶コーヒーを呷る。

 

「相談も受けてたし。付き合い、長いからね。この年月って部分だけは、ユッキーよりワタシのほうがずっと、ずっと」

「……ですね」

「正直、どう思った? 全然まとまってなくていいからさ、率直に、吐き出してみなよ」

「──わからない、です」

 

 はっきりいって、実感がない。衝撃が。唐突さが、あまりに大きすぎて。

 

「でも、この「わからない」って気持ちには、すごく身に覚えがあります。──姉さんが、死んだときのこと。その報せを受けたときと、なんだかすごく、似ていて」

 

 言いようのないもどかしさと、不安と。胸の奥にぐねぐねと、渦を巻いているのを感じている。それだけで鼓動を速めてしまうような、不快な、圧迫感に満ちた感覚。それが、ある。

 

「姉さんのときと同じように、今度もまた時間差で、またひどく辛くなっちゃうのかなって。今は、……ごめんなさい。怖い、です」

 

 お姉ちゃんのこと、きちんと理解しなくちゃいけないのに。

 コーラのボトルを置いて、自身を外界から守るように、雪羽は水着から露出した、自らの両膝小僧を抱える。

 

「お姉ちゃんはきちんと、伝えてくれたのに。あたしは戸惑っていて。お姉ちゃんと繋がれないでいる。そんな状態が、落ち着かなくて」

 

 お姉ちゃんとの距離が、怖い。

 照り返す夏の海の太陽に焦がされ、汗ばんだ、自身の素肌に目を落として雪羽は俯く。

 

「そっか。……そうか」

 

 ごめんな。

 ぽつりと、レイアさんは言って。

 

「それ、なんでレイアさんが謝るんですか」

「なんでかな。こう、あいつの保護者として、的な?」

 

 弱く苦笑すると、彼女もまた苦い笑いを返してくる。

 

「ほんとうはさ、こないだユッキーがひとりで来てくれたとき、伝えようかどうしようか、迷った。けっこう口がむずむずしてた」

 

 あのとき予め、伝えられていたら。もう少し穏やかな気持ちで今日を迎えられたのかもしれない。

 レイアさんの告げるそれは、仮定だ。もう意味をなさなくなってしまった、過去にあった「もしも」でしかない。

 

「でも、あいつが伝えようとしてたから。外野が手出しすべきじゃないって思ったんだ」

 

 不器用なコミュニケーションしかできない、あいつが、さ。

 

「そのことでユッキーが苦しんでるなら、すまない」

「……だから、謝らなくって大丈夫ですって」

 

 レイアさんの言葉に、もうひとつ、苦笑を漏らす。

 

「わかってます。お姉ちゃんが望んだことだって。お姉ちゃんが、不器用だってことも知ってますから」

 

 それはきっと、お互い様のコミュニケーション下手だ、と雪羽は思う。

 家族というかたちが不完全な中で、埋め合わせてくれようとする人たちに恵まれ、囲まれている日々を過ごしてきたふたりだから。

 欠損は、してないと思う。それでもまるきりきれいな円を描いて、形成されてはいないだろう。

 そんな、不器用同士のふたりだから。

 ふたりがひとつになるまで、『姉妹』から姉妹へとなっていくために、ある程度の時間を要したのだ。

 波打ち際の、姉を見遣る。

 それはいつだって、雪羽の姉であろうとしてくれた人だ。水着姿のその人は、きれいで。

 屈託なく、ひかりに笑いかけている。

 小さなシャベルを手に、一緒に砂遊びをしてやっている。観月さんと、お城をひかりの前につくってみせてやっている、光景がある。

 これから先。

 確定事項として喪失を突きつけられているというのが、嘘のように。姉は、笑えている。

 なぜ、あんな風に笑えるんだろう。

 なにもかも、見えなくなる。世界を失ってしまうのに。そのことを突きつけられて──それでもなお。

 

「あたしは姉さんを。お姉ちゃんは、お兄さんを喪いました。そういうふたりだからこその、重なって、通じ合ってる部分があった」

 

 そう、喪った者同士だった。

 いつだって通じ合えていると、心のどこかで思っていた。

 はじまりはきっとそこだった。だからこそ根底にそれがあった。

 ふたりが、姉妹になっていくにつれて。それを意識することも少なくなっていったけれど。

 

「はじめて、なんです。お姉ちゃんと、ほんとうに姉妹になった、って実感できてから。お姉ちゃんが、こんなに遠いのは。こんなに──お姉ちゃんが、わからないのは」

 

 お姉ちゃんは言った。

 なんでもないことだから。平気だから、って。

 ほんとうに、そうなの? お姉ちゃん、ほんとうに?

 どうして、笑顔でいられるんだろう……?

 

「あいつだって、はじめから平気だったわけじゃない。その辺はワタシより、観月のほうが詳しいけど。あいつが全部を聞かされた、その日に一緒にいたのは観月だから」

「そう、なんだ」

「はじめは、見てるのもつらいくらいだったって。ワタシは、知ったのはもっと後になってからだから」

 

 時間をかけて、受け容れられるようになっていっただけだ。

 ユッキーが混乱して、受け止められずにいるのは無理もない。当然の反応だよ。

 髪を撫でてくれながら、レイアさんは静かに告げる。

 

「まだ、わからなくていいんだ」

「……はい。──あの、レイアさん」

「うん?」

 

 そう言ってくれる彼女は、医師である。ほかの誰よりも、姉のことを知っていて。その知識だってある人。

 だからその部分だけは、問う勇気を出せたのかもしれない。

 

「どうにも、ならないんですか」

 

 そして、

 

「あたしに、できることは」

 

 その二点だけは。

 問いながら、雪羽は目線を逸らさなかった。

 レイアさんは一瞬沈黙をして。でも、彼女もまた雪羽の向けた眼差しから、交差した双眸の光を外すことはしないでくれた。

 

「ない」

 

 前者については。

  

「少なくともワタシや、あいつの兄貴がずっと調べて、探してきたかぎりは。現代医療では、いまのところどうにかする方法は──、ない」

 

 妹の目の行く末をなんとかするために医者になったやつが、一生必死こいて探し続けてた結果として見つかっていないんだから、これは現状、「ない」としか言えない。

 

「今後はわからない。でも現段階では、どうにもならない」

 

 そして、後者は。

 

「あいつに、ユッキーがそう思ってくれるのは嬉しいよ。でもな、……うん。ユッキーには、自分にできること、こうすべきことじゃなくて。自分がしたいことをやってほしい。不知火のやつも、そう思ってる」

「あたしの、したいこと……?」

「そう。ユッキーがこうしたい、って思うこと。あいつに、こうしてやりたいって願うことを、素直にやってあげてほしいんだ。そのことを、忘れないでほしい」

 

 それが一番、あいつも喜ぶ。

 ワタシも、そうしてやってほしいと思うし、ユッキーにもそうあってほしい。

 

「雪羽は不知火の妹だろ。ワタシにとってももう妹みたいなもんだよ。どっちもワタシは大事だ」

「レイアさん……」

 

 できることではなく、したいこと。

 やるべきことでなく、してあげたいと願うこと、か。

 姉に、あたしが──……。

 

                  *   *   *

 

「やっぱり私は、歪なのかな」

 

 いびつ、という発音が少しぎこちなかった。

 ふと目を遣った水面は変わらず透き通るような美しいブルーで。

 そこに眩く陽光が輝いている。雪羽が紡ぐ言葉を見失ったそのときと、まるで同じに。

 ゆきの心境を変えてしまったのは、不知火のせいだけれど。それでもそこに、その蒼はまだ、不知火の瞳の中に美しく描き出されている。

 

「なにが?」

 

 みっちゃんが、崩し気味の両脚の、太腿の上にひかりを置いて首を傾げる。

 

「ゆきのこと。私の将来を言って、苦しめて。なのに自分は笑ってる。大丈夫だからって、なんでもないから」

 

 なんだか、ロジックがぐちゃぐちゃなことを言っているようにも思えるくらい、とめどなく散文的な台詞を吐いたな、と自覚できた。

 

「なーに。後悔してるの、雪羽ちゃんに伝えたこと」

「いや、そうじゃないんだ。そうじゃなくって」

「なんてね。わかってるってば、雪羽ちゃんが心配なんでしょ。不知火自身の問題なくせに」

 

 けれど幸い、みっちゃんにはおぼろげに、不知火の気持ち自体は伝わってくれたようだった。

 

「ゆきが悩むようなことじゃないんだ。その時が来たらわからない。でも今はほんとうに、私にはなんでもないことで」

「知ってる。でも、悩むかどうかは他人にはどうしようもない領域じゃないの?」

「でも、私のせいで」

「不知火だって立ち直るまで時間かかったでしょ。同じように雪羽ちゃんも時間が必要で、当然でしょうが。深刻じゃないって伝えたいなら、そういう態度してなきゃダメでしょ」

 

 あの頃、ほんとに見ててはらはらしたのよ。みっちゃんは口を尖らせる。

 その節は、支えてもらってばっかりだったな、と不知火も述懐する。

 

「だって。当時小学生だよ? それで将来、目が見えなくなる。世界が突然目の前から消え失せる、なんて言われて、すんなり受け容れられるわけないじゃない。大人だって無理でしょ、きっと」

 

 大げさな身振りを交えて、みっちゃんに言う不知火。

 その言葉と、仕草とを受けた彼女はひとつ、大きなため息を吐く。

 

「まあ、今の徒然なるままに受け容れちゃった感じもどうかとは思うんだけどね」

「うん、それも自覚はしてる」

 

 でも、その「今」も、これまでの積み重ねがあってこそだから。

 そううそぶくと、またひとつ、みっちゃんは深々とため息。

 ほんとに、不安はないの。大丈夫大丈夫って、カラ元気で強がってないよね。──そう、言ってくれる。

 

「……まったくのゼロじゃないよ。ときどき、悪夢に見たりもする。それで目覚めて。見えなくなったら、夢はどういう風に見えるのかな、なんて落ち込んだりもするし」

 

 ただ、時間の経過のおかげで、必要以上にそこに拘ったり、そのせいで沈みこんだりはしなくなっただけ。

 

「運命を受け容れたから……みたいに?」

「うーん。運命、とか言っちゃうとはじめから決められてたみたいで、ちょっとイヤかな。もっと、降ってわいたっていうか。そんな感覚だったから」

 

 もっと、軽い表現がいいな。

 

「軽いって、あんたね。人生にかかわる問題なんだから」

「うん、もちろんそれもわかってる」

 

 だからこそ、無理にゆきを付き合わせられないってことも。わかってるから、伝えたんだ。

 

「もし、そのときがきたら。ゆきをきっと悲しませる。困らせてしまう。私もきっと、甘えたくなってしまうと思う。だから……少しでも、今伝えることでそうなる前に理解をしてもらえたら、って」

 

 そうなったら、私はたぶん、ゆきのもとにはいられない。

 ゆきを巻き込むわけにはいかないって、思うから。

 悲しませてしまうなら、せめて。困らせることだけはしないように。

 

「……ほんとに、いいの」

「私はゆきの、お姉ちゃんだから。姉として、妹に甘えてばかりはいられない。自分のハンディを背負わせるわけには、いかないって思う」

 

 呆れたようだったみっちゃんの表情はいつしか顰めた眉の下から向けられる、真剣なものに変わっていて。

 

「細かいことはまだなにもわからない、決めていないけど。お荷物になったそのときは、私はゆきの前から消える。ゆきに、負担をかけたくないんだ」

 

 ゆきに、笑っていてほしい。

 幸せでいて、ほしいから。そこに影を落としたくはない。

 

「それで、雪羽ちゃんは納得するのかな」

 

                  *   *   *

 

 不知火なりに考えて、考え抜いて出した結論だった。

 雪羽を、愛しているから。大切だから──どうすれば、自分のこれから先に巻き込まずに済むのか。

 どうするのが、彼女を傷つけたり、悲しませたりする総量を最も少ないものにできるのかを。

 こういう結論にしか至れなかった。

 納得してくれるかどうかはわからない。でも、こうすることが一番傷つけずに済むと、思った。

 タイミングも、事実を伝えてすぐに、とはしなかった。

 パニックに、させたくなかったのだ。

 

「──え」

 

 なのに。……だ。

 

「ゆ、き?」

 

 不意に、頭上から落ちた影法師が、不知火へと外界を認識させた。

 そこに佇む相手を、不知火は見上げた。

 そして、背筋をぞくりと、冷たさが突き抜けていった。

 

「今、なんて」

 

 灼熱の太陽が照りつける、真夏の海だというのに。

 その人は、血の気の失せた、蒼白な顔でこちらを見下ろしている。その寒々しい表情に、……不知火もまた、凍りつく。

 

「ゆき。あの、その。今のは」

「お姉ちゃん……いなくなっちゃう、の?」

 

 そして、しないはずだった後悔をした。

 きちんと、すべてを始めに、伝えなかったことを。

 自分の意志はもう少し彼女が落ち着いてからでいいと、ひととき妹をそっとしておくことにした、自身の誤りを悟った。

 

「ゆき。あのね……っ」

「なんで。なんで、そんなこと言うの。どうして、いなくなるなんて結論、出ちゃうの」

「雪羽ちゃん」

 

 みっちゃんも、不知火と同じく雪羽を見上げて、しまった、と表情を硬くしていた。遠目に見える、レイアもきっとそう。思わず、立ち上がって。砂浜に身を乗り出しているから。

 

「なんで」

 

 鈍感な不知火にだって、わかってしまった。

 これ以上──いや、これ以下というものはないというほどに、ゆきを。愛する妹を、傷つけて、悲しませてしまったということ。

 不知火の告白を受けて混乱していた彼女へ、とどめを刺してしまったこと。

 

「そんなの、いやだ」

「ゆき。聞いて。ゆき」

「あたし、そんなのいやだ。そんなの、望まない。いやだよ」

 

 ゆきの頬を伝っていく涙は、次第にその量を増して。

 あとからあとから、とめどなく溢れて、彼女自身を濡らしていく。

 

「また、なの」

 

 ふるふると、首を左右に振りながら。凍てついた表情の妹は、泣きじゃくる涙声を不知火へと投げつける。

 

「また、あたしから……誰かを奪っていくの。また、いなくなっちゃうの」

 

 かけがえのない、人が。

 たったひとりの、家族が。

 

「もう……奪わないで、よぉ……っ!」

 

 いなくなる。消えてしまうのは、いやだ。

 雪羽の言葉が、不知火に突き刺さる。

 

「ゆきっ! 待って……っ!」

 

 その気持ちが、痛いほど伝わる形相に、雪羽の涙顔は歪み、くしゃくしゃに崩れていく。止められない涙が、砂浜を何度も何度も、叩く。

 手の甲で、そんなひどい顔を。涙溢れる双眸を隠して、雪羽は走り出す。

 ゆきが走る。

 不知火が追いかける。それはまるで、あの日のように。

 あの日も、不知火の無神経が雪羽をそうさせた。

 これじゃあ、なにも変わらない。

 姉を喪った実感に逃げ出した彼女を、あの日自分は止められなかった。

 このまま行かせたら、なんにも進歩していない。

 今度は、自分を彼女に喪わせてしまう。

 その苦しさで、圧し潰してしまう。

 ──そんなの、ダメだ!

 

「ゆき……ゆきっ!」

 

 こうしていこう、これならこうなるはずだ、といった段取りや、お題目はもはや気にしていられる代物ではなかった。

 この海で、このタイミングで伝えて。自分の意志を、彼女に聞いてもらって、なんて。それどころじゃあない。一丁前に自己満足で格好をつけて、こうするんだってゆきに押し付けて──そんな姉、ダメすぎるじゃないか。

 

「待って! お願い……っ!」

 

 その意志が、不知火の身体に瞬発力を生んだ。

 とっさ、おもいきり手を伸ばし、両膝を伸ばす。

 彼女が走り去るより早く、その手首を掴む。雪羽に引っ張られて、立ち上がるような体勢になる──握ったその手は、けっして放すことなく。

 

「不知火! 雪羽ちゃん!」

 

 それでも妹は、駆け出そうとした。

 後ろから手を引かれた、不安定なバランスの中。足を取られる、砂浜の上で。

 案の定に、彼女は体勢を崩し、よろめいていく。

 腕を引く不知火の側にもまた、彼女を支えながら耐えきるほどの腕力の余裕はなかった。

 

「ゆ、き……っ!」

 

 一緒になって、折り重なる。

 膝と膝とを絡ませあうようにして、砂浜の上に四肢投げ出されていく。

 不知火は、雪羽へと体重がかかってしまわないよう、身体を右側へ流してずらしながら、だ。

 ふたり、砂浜に顔から突っ込む。

 一緒に倒れて、雪羽が下。その上を、不知火が包むように被さり倒れる。

 口の中に入った砂が、歯と歯の間でじゃりじゃりと音を立てた。

 

「ゆきっ! 大丈夫!?」

 

 がばりと顔を起こした不知火は、自身の下で肩を震わす妹を見る。顔は砂に埋もれたまま。漏れ聞こえてくるのは、微かな嗚咽。

 やだ。

 いや、だよ。

 たどたどしく、か細くそう聴こえた。

 

「──ゆき。……ごめん」

 

 ああ。これが真実なのだ。おぼろげに、不知火はそう理解してしまった。

 

「ごめん、ゆき」

 

 あの日も、背中から雪羽を抱きしめていた。

 そうだ。そのときは、ふたり雨に打たれて、ずぶぬれで。

 今は、ふたり揃って砂だらけ。

 

「大丈夫。どこにもいかない。私は、ここにいるよ」

 

 砂浜にともに埋もれながら。

 声を殺して咽び泣く雪羽を、不知火は抱きしめた。

 ごめん。そして、大好き。

 その、ふたつの気持ちを込めて。私だって、放したくなんかないよ。そう伝えたくて。

 お姉ちゃんのばか、なんて。雪羽はそのとき、返してはくれなかったけれど。

 

 

                (つづく)

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