第十六話 あの『蒼』を、目指して
第十六話 あの『蒼』を、目指して
その蒼に、目が留まった。
街並みの中、こんなところにあったのかとはじめて気付いた、熱帯魚専門のペットショップ。
その店先に並んだブルーの水槽と、泳ぐ小魚たちが、不知火の目線をそこに追わせる。
「いや、もっと」
もっと、だ。私の知っている『蒼』は、もっと鮮明で、透き通っていて。青空より、蒼く。
瞳を奪われた。時間を、忘れた。
「あの島の、あの海の、蒼。きっとまだ、あるよね。兄さん」
思い出の中の蒼は、なによりも美しく。
なにより大切な人に、見せたいもので──……。
* * *
昔は、もっとよく一緒に遊んだ姉弟だった。
じゃあ今はどうか、と問われれば、別に関係が悪化したとか、互いに嫌いあっているとかいうことなんて、けっしてない。
ただ、姉弟といってもやはり性別だって違うし、やりたいことも、趣味もまるで違う。忙しさの方向性も、これまた異なるわけで。
ごく自然と、自然な距離での付き合い方になっていっただけだ。
時間が合えば夕飯だって一緒に食べるし。
店の、『白夜』のシフトが重なればともに立ち働く。
時折、一緒に休日に出かけたりもする。ほんの些細な買い物や、映画や──お互いほんとうに、気が向いたら。
機会が減ったのは、互いに互いの独立した生活が、幼少期からティーンに進んでいくに従って確立されていっただけのこと。
それぞれに友人も出来、同性のそういった友人たちが遊び相手として第一になっていったのである。
今は高校と中学とに、一学年の差とはいえ分かれてしまったというのも大きい。
そしてそれはなにも彩夜と弟だけにかぎったことではない。
姉弟同然に育った雪羽との間にしろそうだし、不知火もふとした雑談の折、「やっぱり男兄弟とは、どこもそういうもんだよね」と、兄を持っていた身としてしみじみと頷いていた。
「不知火さんって、どこか具合悪いの」
「え?」
その、弟が今、彩夜の部屋にいる。
珍しく、訪ねてきて。なにするでもなく夕矢は携帯を玩んで、しばらく所在無さげにだまりこくっていた。
夏休み、お互い自室にいることは学期中より多いけれど、夕矢が部屋に来るのはほんとうに久しぶりだった。
家にいる間は殆ど彼は、自室にこもって、中学で友人たちと組んでいるバンドの、楽器の練習をしていることが多かったから。
彩夜も彩夜で執筆中の小説が、ちょうど筆の乗ってきた頃合いだったし、弟が口数少ないこともわかっていたから、敢えて積極的には会話を向けることもしなかったのだけれど。
不意に、そんな弟が口を開いた。
「え?」
「不知火さん。今日、大学病院で見た。同じクラスのやつが盲腸で入院してて、見舞いに行ったけど、待合室にいた。間違いなく不知火さんだった」
ぎしり、と勉強机の椅子を軋ませて、彩夜は振り返る。
弟は携帯を眺めながらこちらを見るでも、それ以上言葉を自ら続けるでもなく、彩夜のベッドを背もたれに、そこに腰を下ろしている。
「大学病院? ユウくん、行ったの? どこの?」
「ほら、あそこ。姉ちゃんの手術やった」
「──ああ、あそこ」
そこならば、彩夜にもよく見知った場所だ。入院も通院もしたことのある、良くも悪くも馴染みのある病院。そしてそれなら、不知火がいたということについて彩夜も、心当たりがある。
「それなら、たぶんレイアさんに会いにいったんじゃないかな」
「レイア……って、こないだ子ども連れてきてた人のこと? 父さんに挨拶をって言って」
「そう、その人です。あの病院の、大学のほうに今は勤めてるって言ってたから。レイアさんに用があったんじゃないかな」
「そっか」
母や、接客業の影響でごく自然に、敬語を使いがちな彩夜である。けれどさすがに弟にはこうやって当たり前に、口調からして砕けている。いつもなら夕矢も同じように気楽な感じを返してくれるのだけれど──。
今日のユウくんは、なんだか少し違った。
「ユウくん? どうしたの? なにか、ありました?」
「いや、……うん。あのさ、姉ちゃんは不知火さんと仲いいよね」
「? うん、友だちだよ?」
なぜか今更すぎる問いを向けてくる。
ぎこちなく、目線をこちらに向けようともせずに口の中でぶつぶつやりながらに、だ。
なんだか、はじめて見る弟の様子だった。こんなユウくん、記憶にない。
熱でもあるんじゃないだろうか?
「次、いつ来るの。うちの店に」
「え。……さあ、そこまでは」
なんじゃそりゃ。来ちゃ、ダメなの?
弟はなにか、彼女に含むところでもあるのだろうか。
意図を掴みかねる問いを重ねられ、首を傾げつつ応える。
「ただ、しばらくは来れないかも、です。お盆で雪羽ちゃんも一緒に忙しいし、ほら、雪羽ちゃんもシフト入ってないでしょ? それに不知火ちゃんの生まれ故郷にふたりで行くんだ、って言ってたし」
「故郷? 実家?」
「親族はもう誰もいないって言ってたから、実家かどうかはわからないけど。長崎の小さな島だって」
帰省、か。弟はぽつりと呟くように言った。
「ユウくん? ……ひょっとしてユウくん、不知火ちゃんのこと、苦手?」
「そんなんじゃないよ」
やおらに、夕矢は立ち上がる。
ありがと。もうすぐ晩飯、できるってよ。
そう言い残しながら、きょとんとする彩夜を部屋に残しながら。
急に、なんだか焦ったように、弟は部屋を出て行った。
* * *
「いやいやいや、なんでその解釈になるのさ」
「え」
毎月定期購読をしている、小説の投稿雑誌を受け取りに、彩夜は歌奈たち姉妹の本屋を訪れていた。
その、レジでのやりとりである。
店名のロゴが刻まれたビニールに入れてもらったその雑誌を渡されて、世間話に、友へと弟のことをなにげなく、話したのである。
「え、……なにが? です?」
「なにがじゃないでしょー。そりゃアタシ、ねーさんほど勘鋭くはないけど、さすがにこれはわかったなー。ていうか、なぜ姉のアンタがわからない、彩夜」
「???」
大袈裟な身振りを交えて、友人は彩夜に向かい演説をしてみせる。
いや、なにかおかしなことを自分は言っただろうか?
「どうかしましたか?」
「詩亜ちゃん」
「あー。ねーさん、聞いてよー。なんかおもしろいことになってるよー」
「?」
店の奥から、コピー用紙の束を抱えた詩亜がひょっこり顔を出す。
かくかくしかじか。といった風に、これまた大袈裟に、歌奈は姉である少女へと、たった今彩夜と繰り広げたやりとりを聞かせる。
ふむふむ、と軽く頷きながら聴いていた詩亜は、
「それ、しーちゃんのこと好きなんじゃないんですか?」
最後まで聞き終えると、おもむろにそんなことを言う。
スキナンジャ、ナイデスカ。……って、なんだっけ。
きっかり五秒ほど、頭の中で詩亜の言葉が反響して、彩夜の中の思考が停止して。理解が立ち止まる。
「え、ええっ? そんな、まさか。ユウくんがそんな、ありえないですよ?」
そして認識と同時、発生したプチパニックにあわあわと、身ぶり手振りを交えて混乱をする。
「いやいや、わからんぞー?」
「だ、大体。不知火ちゃんとユウくん、そんなに絡みないですしっ」
「あ。でもこないだ言ってましたよ。うちにももらったオレンジ、しーちゃんも夕矢くんから受け取ったって」
「それは単なるおすそ分けでー……!」
「ひとめぼれってやつかもよ?」
いや、ダメだから。
ユウくんはまだ中学生で。そういうのはお姉ちゃんとして、うん、不許可。ダメ。なしです。
こういうのはしっかり順序を踏んで、段取りを重ねないと。
お互いをよく知らないと。
歌奈の予想自体を否定していたはずなのに、いつしか寧ろそれを前提として動揺しまくっている、自分がいる。
「なになに、ブラコンかー?」
「ち、違いますよぅっ」
彩夜はただ、弟のことを案じているだけで。
「でも、ふたりが並んだらお似合いですよね。どちらも背、高いですし」
「詩亜ちゃんまでっ」
あわあわの続く彩夜と対照的に冷静に、同じ姉である少女は考え込むようにしながら言う。
「ただ」
「ん? ただ?」
「わたしたちのはあくまで又聞きからの予測、一般論にすぎませんから。ただ、……正解だったら」
もしもその場合は、弟さんは。夕矢くんはきっと、大変だろうなって思います。
大変。──大変、だって。その二文字を、詩亜の声に続いて、彩夜は心の中に呟いてみる。
「今、しーちゃんの心のまん中にいるのは。その心の大半を占めているのはきっと、たったひとりしかいないはずですから」
「あ……」
「雪羽ちゃんのことを、しーちゃんはほんとうに大切に、かけがえなく。誰より大切に思ってるはずだから。そのために抱えているものだってあって。そんななかで自分を見てほしいって思うとしても、ほんとうにそうなるのはすごく、難しくて大変だと思います」
自分の願いと。
誰かの想いはなかなか、重ならないものだから。
反目をしていたり、嫌っていたりなどいない。たとえ相手が好ましい存在だったとしても。
……静かに語りきって、詩亜は背中を、自身が顔を出した扉の柱に寄せる。その両腕に、コピー用紙の束を抱えたまま。
彼女も自分も同じ『姉』なのに、彩夜の目には詩亜のその考え方が、はっきりとしたその思慮が、ひどく深くて。大人びて、見える。
「ま、あくまで予想よ、予想。べつにねーさんの勘だって百発百中ってわけじゃないんだし? 見守りましょーや。ね、彩夜」
「……うん。です、ね」
そしてその妹である歌奈の、身も蓋もないような言葉でもからりと笑って、嫌味なく伝えられるその性分と雰囲気も、好ましいものに映った。
「ありがとう。詩亜ちゃん、歌奈ちゃん」
* * *
「おお、来たね。いらっしゃい、ユッキー。急に連絡くれたからびっくりしたよ」
レイアさんはマグカップのコーヒーを片手に、自身の名を刻まれたプレートのはめ込まれた扉の向こう側に佇んでいた。
いつの間にあだ名、つけられたんだろう。こないだはまだ違ったよね? まあ、いいか。
──ここは、彼女の研究室。八月の、午後。雪羽は電話口で訊ねたこの場所に、独り訪れた。
「今日はひとり? 昼間はだいたいここにいるし、別に不知火に訊いてくれたら教えてくれたと思うけど。アポなんていらないしさ。勝手に顔出してくれてよかったのに」
研究室といっても医学を扱う場所だからか、全体的にどこか、その印象は診察室とか、そういうものに近い。大学の部屋がどんなものかなんてここではじめて見たのだから、研究室というやつはだいたいこんな感じなのかもしれないけれど。
完全にというわけでもないものの、割合に片付いてもいる。
デスクの上に山積みというほどでもなく多少書類が重なっていたり、パソコンに付箋が貼ってあったり。そんな、生活臭のする程度に、だ。
「コーヒー、飲むかい? ま、仕事で本格的なのを淹れてるコに出すにしても生憎、インスタントしかないんだけど。いいかな?」
「いただきます」
「オッケー。そこ、座ってて」
レイアさんは戸棚を開けながら、キャスターつきの椅子を示す。
スカートをなおしつつ、雪羽も頷いて腰を下ろす。
「ミルクと砂糖は?」
「あ、どっちもたっぷりで」
「ん。不知火と同じだね」
こないだのパーティのときも思ったけど。好み、似てるんだね。昔から?
そう問われて、考えるまでもなく再び頷く。好きなもの、お互いよく似ていると思う。
「そっか。いいことじゃない」
「でも、けっこう違う部分もありますよ。あたし、カナヅチだし。チャリンコ乗れないし」
「チャリ……ああ、自転車。え、そんなの不知火だって乗れないよ」
「え。そうなんですか」
「うん。何度か練習付き合ったけど無理だった。補助輪っていうの? あれついてても危うかったくらい」
「おおー……おんなじだ」
「マジ? キミたちなんで乗れないわけ?」
なんでって。
そりゃあ、乗れないもんは乗れないから。としか言いようがない。
「ひかりは?」
「大学の敷地内に、職員用の保育所があってね。そこで見てもらってる」
あとで会っていくかい? 訊かれ、頷く。
姪になるはずだった子の顔だ。あとで、せっかくだから見ていこう。
「それで、用件は?」
目の前に、カップが置かれる。
飾り気のない、実用重視といった風情のアルミのマグカップだ。
エアコンの効いた室内。湯気の立つコーヒーの、茶色いその水面にしばし目線を落として、やがて。雪羽は意を決する。
「お姉ちゃんのことを、知りたくて」
こちらを見下ろす金髪美人の、きれいな瞳をまっすぐに見据え、伝える。
「ほう?」
「あたしが知らないお姉ちゃんを、もっと知りたいと思ったんです」
姉妹だから。
そうして姉妹となる前の、姉のことを。
姉の大切な場所へと姉は誘ってくれた。雪羽に知ってほしいと、思ってくれたのだから。
「あたしからだって、たくさん知りたいと思う」
お姉ちゃんはいっぱい、雪羽のことを知ってきてくれた。これまで、いっぱいの言葉を交わして。耳を傾けてきてくれたのだから。
望まれるまでもなく、雪羽自身だってそれは同じこと。
「知りたいんです。大好きな、お姉ちゃんのこと。もっともっと、いっぱい。たくさん、知っていきたい」
どんなことだって、知りたい。受け容れたい。
だから。
一番姉のことを知る彼女から、聴かせてほしい。
姉のこと。ずっとずっと、前から。なんだっていい。姉とともに、流れてきた時間と日々とを、雪羽も体験したいのだ。
きっと姉はまだ、なにか抱えている。
そのことくらいは雪羽にだって、わかるから。
「だから、教えてください」
お姉ちゃんの、こと。
雪羽のその言葉に、レイアさんは無言で。
ぬるくなっているだろう、自身のコーヒーを、ひと口だけ嚥下する。
* * *
不知火が帰宅をしたとき、家の中はしんと静まり返っていた。
一瞬、ただいま、と言いかけて、そういえば雪羽も午後から出かけるって言っていたっけ、と思い出す。
夕飯は外食にしよう、とふたりで決めたのは今朝だった。最近オープンしたと話題の洋食屋さん。雑誌で見たそのミックスフライがやけにおいしそうで。店で直接合流しよう、となっていたはずだ。……なんて、思い出しながらサンダルを脱ぐ。
ジーンズに、タンクトップだけのラフな格好だ。
手には買い込んできた、買い物袋。ほんのちょっとだけ、雪羽には内緒にしておきたいもの。
裸足にスリッパをひっかけて、荷物を置きに自室に戻る。通りしな、居間の時計を横目に見ると、もう六時近い。この時間ならもう雪羽は店の前にいるかもしれないな──そんなことを、思いながら。扉だけ開けた自室に、ベッドの上に、買い物袋を放る。
さしあたってはこれでいい。小さく、頷いて。
広げた掌を、見つめる。
「──うん。まだ、大丈夫」
軽く扉を引いて、閉じて。なにげなく目線の先に映るのは、兄と義姉の、ピアノの部屋。
ふたりの写真が、なぜだか見たかった。
今朝だって掃除をしながら、話しかけたばかりなのに。今、そうしたかったのだ。
「ただいま、兄さん。お義姉さん」
足を踏み入れたそこで、ピアノの上の写真立てを手に取る。
自身の言った言葉にちょっと考え込んで、そして。
「……小雨さん」
訂正をする。
まだときどき、どちらともつかず、呼び方が混交する。でも意識をする限りは不知火なりに、他人行儀な『お義姉さん』ではなく、名前で呼ぼうと思っていた。
演奏の椅子に腰を下ろし。背中をピアノに向けて体重を預ける。
「もうちょっと、待っててね。お盆に、お墓参り、行くから」
雪羽と、一緒に。
きれいに掃除をして、花や、供えるべきものを供えて。お線香、上げるから。
「そうしたら、四人で一緒に行こう。父さんと母さんに、小雨さんと雪羽を紹介しなくちゃ」
どこに? 決まっている。
島に、だ。
私と、兄さんの故郷に。連れていこう。
「雪羽にも、見せたいんだ。小雨さんだって、見たいでしょ? 私たちの、島を」
どうせ大事なところがいつも抜けてる兄さんのことだから。
きっとなんにも、小雨さんに伝えずじまいで、連れて行ってもいないんだろうから。きちんと父さんたちを紹介だってしてないでしょ。
そっちにいきなり行って。父さんたちだってきっと困惑してる。
だからさ。
家族四人で、行こう。
ちゃんと、船の切符もとった。
雪羽と私で、兄さんたちをあそこに連れて行くから。だから、安心して。
「怖くもあるよ。島に行けば、きっと私は全部を雪羽に言う。言わなくちゃいけないと思う。だけど、ね」
でも今は、それだけじゃない。
怖さと、半々に。
「楽しみでもあるんだ。雪羽と一緒の、この旅が。雪羽と一緒に、兄さんたちを島に連れていけることが」
脳裏に描くのは、いくつもの思い出。
「見ててよ。兄さん、小雨さん。いっぱい、雪羽と思い出をつくるから」
過ごした日々のこと。
在りし日々、送ったいくつもの場所。その島には、それらが未だ、残っている。
かつて過ごした家。学校。人々。
山に、港。森──。だけど。
なによりも、忘れないもの。それは──、
「有川島。あの海の色を、雪羽にも見てほしいから。雪羽と、一緒に見たいんだ。私が雪羽の隣で、一緒に見られるその瞬間に」
そう、できるうちに。
願うのは、海の蒼。
不知火の記憶の中でなにより鮮明で、煌めいていて。ほかのどんなものよりも美しく輝いていた、『蒼』。
「虚勢じゃないよ。ほんとに──うん、きっと」
あの『蒼』が待っていてくれるなら、大丈夫。見たいし、見せたいから。
大切な、海のある島で。
あの、なによりも美しい『蒼』の海の待つそこで、雪羽と過ごす。
「なんだって、できる」
伝えること。笑いあうこと。
会わせたい人たちだっている。
だがなによりも、自分がこれまでの人生の中で一番好きなあの煌めきの色を、雪羽と一緒にもう一度見たい。
だから行くんだ。
あの、島に。父と母も眠っている、その地に行く。
「行ってくるよ、兄さん。小雨さん」
不知火は立ち上がり、そっと写真立てをピアノの上に戻す。
その表面を柔らかく撫でて、部屋をあとにする。
ぱたん、と小さな音を立てて、背中で扉が閉じる。
携帯が、ポケットで振動をした。
その画面に表示された番号と、名前を見て──静かに、不知火は頷いた。
指先で滑らかに画面をフリックして、もしもし、と通話に出るまでのその動作には、一切の淀みはなく。
けれど仄かに、緊張もまた含まれていた。
(つづく)




