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天涯孤独の、ふたりだから  作者: 640orz
第一部 春から、夏まで
14/74

第十四話 雪羽からの、贈り物

           第十四話 雪羽からの、贈り物

 

 

 またいつでもいらっしゃい。

 ひかりはお前たちにも、もうひとりの家族といっていい存在なんだから。

 そう言ってふたりを見送ったレイアは、ひかりをその両腕に抱えて、ふたりが見えなくなるまでベランダに出て、小さく手を振ってくれていた。

 

「あー、食べたねぇ」

 

 肩からかけた鞄を揺らし、ちょっと大げさに両手を前後に振りながら、雪羽が一歩前を歩いていく。

 

「いやあの量食べきるの無理でしょ、って思ってたけどレイアさん、ほんとに全部食べちゃったね」

「それがレイアだから。昔から、よく食べるんだ、ほんとに」

 

 帰り道。楽しげに雪羽は笑う。こちらを振り返る屈託のない彼女の様子に、不知火も釣られる。

 昼間歩いた道を、澄んだ星空の下、逆に歩いていく。

 少し歩行速度を上げて。雪羽に並ぶ。

 雲ひとつない、透き通った黒の夜空を見上げて、数えきれない星たちに目線を移ろわせていく。

 

「いい、誕生日だったな」

「え?」

 

 その中でぽつりと、ふと言葉が出た。

 

「なんだか不思議で、おもしろいなって。こんな誕生日もあるんだな、ってさ」

 

 素朴な実感が、そうさせた。

 

「ここ何年かは、兄さんとも別々に暮らしてたし、寮暮らしだったりだったから。もちろん兄さんも、プレゼントは毎年贈ってきてくれてたけど、レイアだってもう海外にいたし。こんな風に何人もに祝われたのってなんだか久しぶり」

 

 懐かしくって。同時に、新鮮。

 そっと、右側の髪を留めている銀の髪飾りへと触れてみる。そう、これだって、誕生日の贈り物だった。

 

「とくに今年は、兄さんがあんなことになって。こんなに穏やかに、満たされて過ごせる誕生日がくるなんて思ってもみなかったよ」

 

 つくづく、思う。

 もちろんこの生活に、この場に、兄や義姉が一緒にいてくれたらどんなによかったろう。

 けれど、ふたりの望んでくれた、遺していってくれたこの暮らしはほんとうに居心地がよくって。その中で自分は、誕生日を迎えられた。

 ふたりが大切な存在と思っていた幼子とも、巡り会えた。レイアが連れてきてくれた。

 世界を異にしたふたりに見守っていてもらうには、申し分ないくらい、幸福な様を見せられていると思う。安心、していてくれると思うのだ。

 なにより、この暮らしには。隣に彼女がいつだっていてくれる。

 

「ほんとに、感謝しかないよ。ありがとう、雪羽」

 

 雪羽がともにいてくれる生活がこんなに満たされていて、豊かだから。

 自分はこうして笑っていられるのだと思う。失いたくないって思える。

 目を伏せて、微笑を浮かべて。やがて不知火は、妹のほうを向く。

 

「なーに、それ」

「──? ゆき、は?」

 

 ……より、雪羽のほうが速かった。

 思っていたよりずっと間近に、目の前に。なんだか拗ねたような顔で、雪羽がいる。上目遣いに、じっとこちらを見つめている。

 

「え、なに。どうしたの?」

「どうしたのじゃないでしょー。いい誕生日だったって、なにもう一日終わったつもりになってんの」

「え」

 

 だって。一日、レイアの家で誕生会をやって。今まさにふたり並んで、帰るところじゃないか。

 困惑気味に見下ろす不知火に、雪羽は呆れたように深々と溜め息を吐いて。

 

「まだ、全然だよ。言っとくけどあたしはまだ全然、終わるつもりなんてないんだからね、お姉ちゃん」

「え。え、……どういうこと?」

 

 肩から提げた愛用の鞄が斜めに通って、雪羽の均整の取れた、滑らかなボディラインを強調している。その鞄を揺らして、雪羽は不知火の手をとる。

 

「ね、ちょっと寄り道しようよ。いいでしょ? そんなまだ、遅い時間じゃないんだし」

 

 雪羽に引っ張られるまま、不知火は彼女のあとについて歩く。

 寄り道、ったってどこに?

 

「どこだっていいよ。ふたりで、ふたりっきりでいられる場所。あ、そういえばそこに公園あったよね。ちょっと、座ろうよ」

「こ、公園?」

 

 猶更、困惑する不知火。ちらと目線だけでこちらを振り見た雪羽は、今度は可笑しそうにくすりと笑う。

 もー。ほんとに朴念仁だなぁ。怒った風もなく、口調だけ、口を尖らせて呟く。

 

「だって、やっと。やっとなんだよ」

 

 あたしだって、本当に。ずっと待っていたんだから。

 お姉ちゃんだって、朝言ってたじゃない。

 今日という日。

 この日から始まる、二か月のこと。

 

「お姉ちゃんがほんとうに、年齢的にも「お姉ちゃん」になってくれたんだから。「お姉ちゃん」と「妹」にはっきり、分かれたんだもん」

 

 同じことを考えてたんだって、嬉しかった。

 ──雪羽がそう言ってくれた瞬間、不知火だってどきりとした。

 

「だからまだ、終わりじゃない。終わらせなんかしないよ。今日を」

 

 これから、ふたりきりなんだから。

 

「もっと今日を、楽しもうよ」

 

 せっかくの、誕生日なんだからさ。

 言って雪羽はもう一段、歩くスピードを上げた。

 

                  *   *   *

 

「──はい。はい、そうなりました。当分は、ワタシが預かって育てていこうと思います。──ええ、そのように」

 

 後ほど、本人たちからも連絡は行くと思いますから。

 そのあたりは、しっかりしている子たちですから。良くも悪くも、子どもらしくもなく、ね。

 

「あの子たちが望んで、任せてくれたんだから。大人のワタシがきちんとやってあげなくちゃいけませんからね」

 

 はい。それじゃあ。

 寝入っているひかりを横目に見つめながら、レイアは通話を切る。

 スマートフォンの相手は、不知火たちの後見人にして保護者代わりである、白鷺氏だった。ユキハの古くからの知人とは聞いているし、何度もこうしてやりとりをしてきた。既にもう、レイアにとっても特に警戒せずに付き合える年長者といっていい。

 薄く開けた窓から入ってくる風が、心地よく頬を撫でる。

 日本の夏は昼夜問わずうだるような暑さだと経験上、知ってはいたけれど、今夜に限っては蒸し暑さもさほどではなく、十分に過ごしやすく思えた。

 

「──責任、重大だな」

 

 レイアは独り言ちて、微かに笑う。

 来訪者たちの帰った部屋は、その広さもあって、覚醒し立ち歩く者がレイアひとりである現状、しんと静けさに満ちている。

 ひどく、だだ広く感じる──まだけっして住み慣れた家となっているわけではない、という自分自身の場所への浸透の薄さも、そこにはあるのだろう。

 

「大丈夫。慣れていくさ」

 

 不知火たちだって、新しいふたり暮らしに慣れていったんだ。ワタシにだってできる。

 あいつのいない世界でも、支えあって笑いあえるようになったんだから。

 ワタシにだってやれる。大丈夫。

 

「……だろ? 晴彦」

 

 意識して、レイアは滑らかに、かつての想い人の名を発音した。

 すっかりもう、自分が自然に呼べるイントネーションが定着してしまったけれど。出会ったばかりの頃はこうやって、きちんと呼ぼうと試行錯誤をしたものだ。

 

「あいつらのことは、任されたからさ」

 

 不知火だけじゃない。

 雪羽も、自分が守っていってやらなくちゃと思えるくらいにいい子で、好感が持てて。晴彦たちの代役を担おうと、意識できる。

 

「不知火と雪羽。ふたりが一緒にいるかぎり。同じものを見ていられる限り、ワタシがそばにいるよ。見守り続けているよ」

 

 不知火を。

 雪羽を。

 ──ひかりを。

 

「そうでなくならないように、支えてやるのがワタシたち、大人の役目だから」

 

 ああ、神様。

 どうかふたりが、ふたりでなくなる、互いを喪うその瞬間が遥か遠くのことであればいい。そう、願う。

 一分でも、一秒でも、遠く。

 永遠にこないでくれ、なんてことが不可能だとしても。

 いつかは、いつかのままであってほしい。

 

「あの姉妹には、そうあってほしい。お前ら夫婦もそう願ってるはずだろ?」

 

 お前と、奥さんの。──ユキハのお姉さんの、忘れ形見のふたりなんだから。

 気安く、連れて行ったりしないでくれよ。

 

「ワタシだって。お前を喪っただけでも、いっぱいなんだからな」

 

 そう簡単に手放してなんて、やるもんか。

 

                  *   *   *

 

「はい、どーぞ」

 

 公園のブランコを臨みながら、その目の前の手すりに腰掛けている。

 雪羽が差し出したのは、自販機で買ったペットボトルのミルクティ。同じものをふたつ。ひとつは、彼女が手に取って。向かいのブランコに、座る。

 

「誕生日プレゼント。あたしのおごり」

 

 ぱきりと音を立てて、キャップを回す。不知火もそれに従う。

 けれど。

 

「……え。これ、誕生日のプレゼント? ほんとに?」

 

 まさかうそでしょ、という風に言ってみせると、彼女も当然、とばかりに破顔して笑う。

 

「じょーだんだって。ちゃーんと、用意してるから」

 

 当たり前じゃん。笑ってそう言う雪羽は、ほんとうに楽しそうで。

 

「なんだか、すごく嬉しそう。雪羽」

「そりゃ、そうだよ」

 

 不知火の言葉にも、満面に笑う。

 

「だって、やっとあらためて、言えるんだから」

「え?」

 

 雪羽はゆっくり、ブランコを引いて。

 揺れる。足を離して、きぃ、きぃ、と漕いでいく。

 激しくはない。そよ風に揺れるくらいに軽く、だ。

 やがて彼女は、静かにその前後の動きを、自身の足のブレーキで止めて、よっこいしょ、なんて言いながら立ち上がる。

 大きな、大きな深呼吸のあと、彼女は告げる。

 

「──お姉ちゃん。誕生日、おめでとう」

「あ……」

 

 こちらは、手すりに腰を預けている。ちょうど両者の身長差が埋まって、目線は同じだった。

 雪羽の笑顔が、そのまっすぐな目線が。一直線に、こちらと向き合っている。

 

「まだちゃんと、言えてなかったから。やっと、言えた」

 

 誕生日おめでとう、お姉ちゃん。

 再び、彼女は声にする。そして自身の鞄をまさぐって、ひとつの、掌より少し大きいくらいの包みを取り出す。

 きれいなラッピング。薄いコーヒー色のブラウンに、白いウサギの模様が水玉のように描かれた、そんな包装が可愛らしい。

 

「お姉ちゃん」

 

 そっと差し出されたそれに指先を伸ばそうとしたそのとき、雪羽が言った。

 

「あたしのお姉ちゃんになってくれて、ありがとう」

 

 だから一瞬、その動作がぴくりと止まった。いや、世界が止まった気がした。

 街灯の明かりだけの暗がりの公園。なのにその中で、声を発した雪羽の笑顔はあまりにも、眩しくて。

 

「大好きだよ、お姉ちゃん」

 

 ふたりきりだから、きっと言えた言葉なのだろう。

 言いたかったこと。ずっと、我慢して、我慢して。ここぞと待って。溢れ出した言葉。そうわかった。

 だから。

 だからきっと、こんなに、──沁みるのだろう。

 雪羽のその感情があまりにまっすぐで、純粋で。

 自分の疚しさを、痛感させられるから。

 

                  *   *   *

 

 それはレイアの家でのこと。

 雪羽が、トイレに立って。なにげなく、ベランダに出てみて。そこにふらりと、レイアもサンダル履きで、出てきた。

 

「そういえば、さ。ユキハたちには、どうなの」

「どうなの、って?」

 

 レイアの手には、相変わらずのアイスティがあった。

 もともとお酒好きのレイアだ、こんな日くらい呑めばいいのに、と思ったけれど。本人は「誰かを育てるって責任があるうちは禁酒する」といってきかない。

 いいことではあるよね、──うん。

 

「そりゃもちろん、お前のことだよ。不知火」

「私? 私のこと?」

 

 なにが言いたいのか、よくわからない質問だった。

 ……などと言えれば、どんなによかったろうか。わかっていてとぼけている自分を、不知火自身、わかっていた。

 

「そうだよ。お前のこと。ユキハたちはどのくらい、もう知ってんのかなって」

「……それ、は」

「ちゃんと、伝えられてるのかなって、ふと思ったんだ」

 

 雪羽たちに。いや、雪羽に伝えるべきこと。

 伝えなくてはいけないこと。それを抱えている。言えずにいる。その自分を知っている。

 

「──全部は、まだ」

 

 言わなくちゃいけないと思いながら、そうできずにいる。

 だからレイアの問いへと、そうやって言葉を濁さざるを得なかった。

 

「不安か? 伝えるのは」

「──うん。いや、半分、かな」

「半分?」

「もう半分は、きっと雪羽なら受け容れてくれる。手を取ってくれるんだろうなっていう、信頼と。そうなると思えるからこその申し訳なさ、みたいな気持ち」

 

 不知火の抱えているもの。今までのこと。これからのこと。

 きっとひかりについて、雪羽はただ純粋に悩み、考え、選ぼうとしたのだろうと思う。

 けれど不知火は百パーセントという部分では、そうではなかった。

 その抱えているものが躊躇させた部分も、たしかにあった。

 

「雪羽はきっと受け容れてくれる。でも、そうなったら。私はあの子にとって、ひどく重いものに、荷物になってしまう」

 

 たとえ今は違っても。

 いつかの将来、きっと。負担になる。なりたくない。

 

「それがわかるから、いつ、どう言おう。そう思って悩んでるんだよ。喪うのが怖い私と、そうやって甘えることに疚しさを覚える私がいて」

 

 わかってて望んだのに。

 今、ここにある世界が居心地が、よすぎて。

 

「──ユキハの隣が、幸せなんだ? 不知火」

 

 レイアは、肩を抱いてくれた。一緒にベランダに立って、風に吹かれて。

 

「……兄さんたちに、不孝かな。喪ったばかりなのに。私ばっかり」

「なに言ってんだ。あいつの性格は一番お前がよく知ってるだろ。……だからこそ、雪羽と一緒に暮らしたいって思ったんだろ」

「……うん」

 

 伝えられていないことがある。

 いつかは、伝えなくてはならない。誕生日だからこそそれは、痛感させられて。目を背けてもいた。

 幸せだから。今がすごく、満ち足りているから。それだけを考えていたかった。

 空の上から見ているだろう兄さんたちに見せて、なにも恥ずかしくない。自分たちの幸福を見せられていると、思うから。

 だから、終わりを認識するのが、つらい。思いたくない。いつかやってくる、それを。

 

「そんな顔すんな。いいんだよ、子どもは今をめいっぱい楽しんだら。心配したり、どうにかしたりをするのは大人の役目だ」

 

 今日はお前の誕生日だろ。

 誕生日なんだから、笑え。

 

「せっかくの誕生日を楽しめないなんて、ダメだ。ひかりのことにも答えを出してくれたお前を、ワタシはほんとに、心から祝福したいんだよ」

 

 今日はそういう日。お前の生まれてきたことを、祝福すべき日なんだから。

 

「──そう、だね」

 

 ありがとう。返したその言葉はけれど、ニュアンスの中に「ごめんね」を含んでいて──……。

 

                  *   *   *

 

 そして今、同じように祝福してくれる雪羽が、目の前にいる。

 最愛の妹が、彼女の精一杯の心が込められたプレゼントを、不知火の前に差し出している。

 

「──ゆき、は」

 

 震えてや、しないだろうか。心のゆらぎを、悟られないだろうか。内心へとその不安を抱きながら指先に、包みを受け取る。掌にそっと、握ってみる。

 

「ありがとう」

 

 引き寄せたそれの表面を撫でる。

 雪羽の、心が尽くされたそれが自分の掌に収まっている。それだけでなんだかもう、胸がいっぱいで、溢れそうで。

 

「嬉しい。開けてみても、いいかな」

 

 悟られぬよう願いながら、雪羽の頷きを見遣る。ラッピングを、解いていく。

 中には二つ折りの、ブックカバーのように閉じられた箱が入っていて。それを開く。そこに納められたものを、見る。

 

「これは」

「え、へへ。ひとつに、決めきれなくって。どっちもいいなぁって、思ったんだ」

 

 左右の面に、それらはひとつずつ。

 

「姉さんに、似合いそうだなぁって思ったんだ。いつも、結んでるでしょ?」

 

 きれいに折りたたまれた、皴ひとつない真新しいリボン。白地に──五線譜が描かれている。

 

「ほら。きらきら星って歌、あるでしょ。あの曲の楽譜なんだ。あたしや姉さんが最初に教わった、最初に弾けるようになった曲。その譜面の、リボン」

 

 それは雪羽の始まりを示すもの。その刻まれたリボンが、左側にしたためられていて。

 そしてもうひとつ、

 

「ヴァイオリン、だね」

「……うん。今つけてる、お義兄さんからのプレゼントと一緒になっても、これならおかしくないかなと思ったんだ」

 

 銀色の、ヴァイオリン。きらきらと輝く、髪飾りがその隣にある。

 

「あたしも。お姉ちゃんの特別な日には、いつだってお姉ちゃんの一番そばにいたいなぁって思ったんだ」

 

 ちょっと、気恥ずかしいこと言ってるかな。でも、本心だよ。

 不知火から目を向けられた雪羽は照れくさそうに微笑をして、それからその表情を上書きするように、更に柔らかく笑う。

 一番、そばにいたい。

 ああ。それは……殺し文句だ。だって、そんなの。私だって同じように思っているのだから。

 

「……雪羽……」

 

 するり、と不知火は自身の髪を結いていたリボンを解き、引き抜く。かわりに、贈り物の、たった今もらったばかりの楽譜のリボンを、結んでいく。

 髪をまとめながら。口許に、雪羽からのリボンを、汚してしまわぬよう気を付けつつ、軽く咥えながら、だ。

 そして兄の象徴の、音符記号のヘアピンの隣に、楽器を添える。

 ヴァイオリンの髪飾り──雪羽からの象徴が、そこに並ぶ。

 

「……うん。やっぱり、似合ってる」

 

 どうかな、なんて訊くまでもなかった。

 小さく頷いて、顔を綻ばせた雪羽の反応がもう、すべてだった。

 

「雪羽。ありがとう」

「──ううん。誕生日、おめでとう。お姉ちゃん」

 

 ポニーテールの具合を気にしながら、横髪を気にしながら。不知火も、手すりから腰を上げる。

 お祝い。喜んでもらえてよかった。笑顔を見せる妹に向かい、ほんの数歩の距離をゆっくりと歩く。

 

「お姉ちゃん?」

「それでも、『ありがとう』だよ。こんな私に、祝福をしてくれて。こうして、妹でいてくれて」

 

 このとき、不知火は決めたのだ。

 大切な、かけがえのない妹を両腕の中に抱きしめながら。

 

「ちょ、お姉ちゃん? ……もう。ふたりきりだからってさ」

「……いいじゃない。誕生日でしょ? もうひとつ、プレゼントってことで」

「ふふっ。欲張りなんだ?」

 

 すべてを伝えよう。行くべき場所に、ふたりで行こう。

 彼女にもう、偽らなくていいように。

 まっすぐな彼女に、姉としてまっすぐでいたい。

 伝えること、喪うことの怖さよりも、雪羽の前ですべてを曝け出せずにいる自分であることのほうが、嫌だ、と思えた。

 このぬくもりに、すべてを知ってほしかった。

 たとえその結果が、不知火自身にとって重く、つらくても。雪羽には、知っていてほしい。

 

「欲張りついでに、行きたいところがあるんだ。雪羽と一緒に」

「お姉ちゃん?」

「この、夏休みに。あの雨の日に、雪羽がそうしてくれたみたいに──連れていきたいところがあるんだ」

 

 雪羽のことが、好きだから。

 大好きだから、伝えなきゃ。一緒に見て、聴かせて、伝えなくちゃ。

 

「今の私を昔からつくってきたもの。構成してきた場所を。一緒に、そこに行ってほしい──……」

 

 脳裏には、ふたつの情景が浮かんでは消える。

 それらはどちらも、古びた世界。

 街の片隅。誰も見向きもしないような、埃を被った。古ぼけた、小さな。ぽつんと佇む、誰もいない場所。緞帳と客席とが、眠りについている。

 そして──長閑さに満ちた、ひっそりと佇む島。

 波間に揺れて見える、小さな、小さな。沖合いの遠い場所。

 緑に溢れた小高い山、その切り開かれた中腹にある、石段とお墓と。その光景が、不知火には思い出される。

 知ってもらうんだ、雪羽に。

 あの場所を。

 あの島を。ちゃんと、伝えなくちゃ。

 

「だから。だから今は、こうさせていて」

 

 あなたが腕の中にいるこの幸福を、全身に満たしていてほしい。

 雪羽。きみが、大好きだから。

 今ここにある、この情景がみんな、雪羽からの贈り物で。不知火にとっては誕生日という幸福だった。

  

                     (つづく)

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