第十四話 雪羽からの、贈り物
第十四話 雪羽からの、贈り物
またいつでもいらっしゃい。
ひかりはお前たちにも、もうひとりの家族といっていい存在なんだから。
そう言ってふたりを見送ったレイアは、ひかりをその両腕に抱えて、ふたりが見えなくなるまでベランダに出て、小さく手を振ってくれていた。
「あー、食べたねぇ」
肩からかけた鞄を揺らし、ちょっと大げさに両手を前後に振りながら、雪羽が一歩前を歩いていく。
「いやあの量食べきるの無理でしょ、って思ってたけどレイアさん、ほんとに全部食べちゃったね」
「それがレイアだから。昔から、よく食べるんだ、ほんとに」
帰り道。楽しげに雪羽は笑う。こちらを振り返る屈託のない彼女の様子に、不知火も釣られる。
昼間歩いた道を、澄んだ星空の下、逆に歩いていく。
少し歩行速度を上げて。雪羽に並ぶ。
雲ひとつない、透き通った黒の夜空を見上げて、数えきれない星たちに目線を移ろわせていく。
「いい、誕生日だったな」
「え?」
その中でぽつりと、ふと言葉が出た。
「なんだか不思議で、おもしろいなって。こんな誕生日もあるんだな、ってさ」
素朴な実感が、そうさせた。
「ここ何年かは、兄さんとも別々に暮らしてたし、寮暮らしだったりだったから。もちろん兄さんも、プレゼントは毎年贈ってきてくれてたけど、レイアだってもう海外にいたし。こんな風に何人もに祝われたのってなんだか久しぶり」
懐かしくって。同時に、新鮮。
そっと、右側の髪を留めている銀の髪飾りへと触れてみる。そう、これだって、誕生日の贈り物だった。
「とくに今年は、兄さんがあんなことになって。こんなに穏やかに、満たされて過ごせる誕生日がくるなんて思ってもみなかったよ」
つくづく、思う。
もちろんこの生活に、この場に、兄や義姉が一緒にいてくれたらどんなによかったろう。
けれど、ふたりの望んでくれた、遺していってくれたこの暮らしはほんとうに居心地がよくって。その中で自分は、誕生日を迎えられた。
ふたりが大切な存在と思っていた幼子とも、巡り会えた。レイアが連れてきてくれた。
世界を異にしたふたりに見守っていてもらうには、申し分ないくらい、幸福な様を見せられていると思う。安心、していてくれると思うのだ。
なにより、この暮らしには。隣に彼女がいつだっていてくれる。
「ほんとに、感謝しかないよ。ありがとう、雪羽」
雪羽がともにいてくれる生活がこんなに満たされていて、豊かだから。
自分はこうして笑っていられるのだと思う。失いたくないって思える。
目を伏せて、微笑を浮かべて。やがて不知火は、妹のほうを向く。
「なーに、それ」
「──? ゆき、は?」
……より、雪羽のほうが速かった。
思っていたよりずっと間近に、目の前に。なんだか拗ねたような顔で、雪羽がいる。上目遣いに、じっとこちらを見つめている。
「え、なに。どうしたの?」
「どうしたのじゃないでしょー。いい誕生日だったって、なにもう一日終わったつもりになってんの」
「え」
だって。一日、レイアの家で誕生会をやって。今まさにふたり並んで、帰るところじゃないか。
困惑気味に見下ろす不知火に、雪羽は呆れたように深々と溜め息を吐いて。
「まだ、全然だよ。言っとくけどあたしはまだ全然、終わるつもりなんてないんだからね、お姉ちゃん」
「え。え、……どういうこと?」
肩から提げた愛用の鞄が斜めに通って、雪羽の均整の取れた、滑らかなボディラインを強調している。その鞄を揺らして、雪羽は不知火の手をとる。
「ね、ちょっと寄り道しようよ。いいでしょ? そんなまだ、遅い時間じゃないんだし」
雪羽に引っ張られるまま、不知火は彼女のあとについて歩く。
寄り道、ったってどこに?
「どこだっていいよ。ふたりで、ふたりっきりでいられる場所。あ、そういえばそこに公園あったよね。ちょっと、座ろうよ」
「こ、公園?」
猶更、困惑する不知火。ちらと目線だけでこちらを振り見た雪羽は、今度は可笑しそうにくすりと笑う。
もー。ほんとに朴念仁だなぁ。怒った風もなく、口調だけ、口を尖らせて呟く。
「だって、やっと。やっとなんだよ」
あたしだって、本当に。ずっと待っていたんだから。
お姉ちゃんだって、朝言ってたじゃない。
今日という日。
この日から始まる、二か月のこと。
「お姉ちゃんがほんとうに、年齢的にも「お姉ちゃん」になってくれたんだから。「お姉ちゃん」と「妹」にはっきり、分かれたんだもん」
同じことを考えてたんだって、嬉しかった。
──雪羽がそう言ってくれた瞬間、不知火だってどきりとした。
「だからまだ、終わりじゃない。終わらせなんかしないよ。今日を」
これから、ふたりきりなんだから。
「もっと今日を、楽しもうよ」
せっかくの、誕生日なんだからさ。
言って雪羽はもう一段、歩くスピードを上げた。
* * *
「──はい。はい、そうなりました。当分は、ワタシが預かって育てていこうと思います。──ええ、そのように」
後ほど、本人たちからも連絡は行くと思いますから。
そのあたりは、しっかりしている子たちですから。良くも悪くも、子どもらしくもなく、ね。
「あの子たちが望んで、任せてくれたんだから。大人のワタシがきちんとやってあげなくちゃいけませんからね」
はい。それじゃあ。
寝入っているひかりを横目に見つめながら、レイアは通話を切る。
スマートフォンの相手は、不知火たちの後見人にして保護者代わりである、白鷺氏だった。ユキハの古くからの知人とは聞いているし、何度もこうしてやりとりをしてきた。既にもう、レイアにとっても特に警戒せずに付き合える年長者といっていい。
薄く開けた窓から入ってくる風が、心地よく頬を撫でる。
日本の夏は昼夜問わずうだるような暑さだと経験上、知ってはいたけれど、今夜に限っては蒸し暑さもさほどではなく、十分に過ごしやすく思えた。
「──責任、重大だな」
レイアは独り言ちて、微かに笑う。
来訪者たちの帰った部屋は、その広さもあって、覚醒し立ち歩く者がレイアひとりである現状、しんと静けさに満ちている。
ひどく、だだ広く感じる──まだけっして住み慣れた家となっているわけではない、という自分自身の場所への浸透の薄さも、そこにはあるのだろう。
「大丈夫。慣れていくさ」
不知火たちだって、新しいふたり暮らしに慣れていったんだ。ワタシにだってできる。
あいつのいない世界でも、支えあって笑いあえるようになったんだから。
ワタシにだってやれる。大丈夫。
「……だろ? 晴彦」
意識して、レイアは滑らかに、かつての想い人の名を発音した。
すっかりもう、自分が自然に呼べるイントネーションが定着してしまったけれど。出会ったばかりの頃はこうやって、きちんと呼ぼうと試行錯誤をしたものだ。
「あいつらのことは、任されたからさ」
不知火だけじゃない。
雪羽も、自分が守っていってやらなくちゃと思えるくらいにいい子で、好感が持てて。晴彦たちの代役を担おうと、意識できる。
「不知火と雪羽。ふたりが一緒にいるかぎり。同じものを見ていられる限り、ワタシがそばにいるよ。見守り続けているよ」
不知火を。
雪羽を。
──ひかりを。
「そうでなくならないように、支えてやるのがワタシたち、大人の役目だから」
ああ、神様。
どうかふたりが、ふたりでなくなる、互いを喪うその瞬間が遥か遠くのことであればいい。そう、願う。
一分でも、一秒でも、遠く。
永遠にこないでくれ、なんてことが不可能だとしても。
いつかは、いつかのままであってほしい。
「あの姉妹には、そうあってほしい。お前ら夫婦もそう願ってるはずだろ?」
お前と、奥さんの。──ユキハのお姉さんの、忘れ形見のふたりなんだから。
気安く、連れて行ったりしないでくれよ。
「ワタシだって。お前を喪っただけでも、いっぱいなんだからな」
そう簡単に手放してなんて、やるもんか。
* * *
「はい、どーぞ」
公園のブランコを臨みながら、その目の前の手すりに腰掛けている。
雪羽が差し出したのは、自販機で買ったペットボトルのミルクティ。同じものをふたつ。ひとつは、彼女が手に取って。向かいのブランコに、座る。
「誕生日プレゼント。あたしのおごり」
ぱきりと音を立てて、キャップを回す。不知火もそれに従う。
けれど。
「……え。これ、誕生日のプレゼント? ほんとに?」
まさかうそでしょ、という風に言ってみせると、彼女も当然、とばかりに破顔して笑う。
「じょーだんだって。ちゃーんと、用意してるから」
当たり前じゃん。笑ってそう言う雪羽は、ほんとうに楽しそうで。
「なんだか、すごく嬉しそう。雪羽」
「そりゃ、そうだよ」
不知火の言葉にも、満面に笑う。
「だって、やっとあらためて、言えるんだから」
「え?」
雪羽はゆっくり、ブランコを引いて。
揺れる。足を離して、きぃ、きぃ、と漕いでいく。
激しくはない。そよ風に揺れるくらいに軽く、だ。
やがて彼女は、静かにその前後の動きを、自身の足のブレーキで止めて、よっこいしょ、なんて言いながら立ち上がる。
大きな、大きな深呼吸のあと、彼女は告げる。
「──お姉ちゃん。誕生日、おめでとう」
「あ……」
こちらは、手すりに腰を預けている。ちょうど両者の身長差が埋まって、目線は同じだった。
雪羽の笑顔が、そのまっすぐな目線が。一直線に、こちらと向き合っている。
「まだちゃんと、言えてなかったから。やっと、言えた」
誕生日おめでとう、お姉ちゃん。
再び、彼女は声にする。そして自身の鞄をまさぐって、ひとつの、掌より少し大きいくらいの包みを取り出す。
きれいなラッピング。薄いコーヒー色のブラウンに、白いウサギの模様が水玉のように描かれた、そんな包装が可愛らしい。
「お姉ちゃん」
そっと差し出されたそれに指先を伸ばそうとしたそのとき、雪羽が言った。
「あたしのお姉ちゃんになってくれて、ありがとう」
だから一瞬、その動作がぴくりと止まった。いや、世界が止まった気がした。
街灯の明かりだけの暗がりの公園。なのにその中で、声を発した雪羽の笑顔はあまりにも、眩しくて。
「大好きだよ、お姉ちゃん」
ふたりきりだから、きっと言えた言葉なのだろう。
言いたかったこと。ずっと、我慢して、我慢して。ここぞと待って。溢れ出した言葉。そうわかった。
だから。
だからきっと、こんなに、──沁みるのだろう。
雪羽のその感情があまりにまっすぐで、純粋で。
自分の疚しさを、痛感させられるから。
* * *
それはレイアの家でのこと。
雪羽が、トイレに立って。なにげなく、ベランダに出てみて。そこにふらりと、レイアもサンダル履きで、出てきた。
「そういえば、さ。ユキハたちには、どうなの」
「どうなの、って?」
レイアの手には、相変わらずのアイスティがあった。
もともとお酒好きのレイアだ、こんな日くらい呑めばいいのに、と思ったけれど。本人は「誰かを育てるって責任があるうちは禁酒する」といってきかない。
いいことではあるよね、──うん。
「そりゃもちろん、お前のことだよ。不知火」
「私? 私のこと?」
なにが言いたいのか、よくわからない質問だった。
……などと言えれば、どんなによかったろうか。わかっていてとぼけている自分を、不知火自身、わかっていた。
「そうだよ。お前のこと。ユキハたちはどのくらい、もう知ってんのかなって」
「……それ、は」
「ちゃんと、伝えられてるのかなって、ふと思ったんだ」
雪羽たちに。いや、雪羽に伝えるべきこと。
伝えなくてはいけないこと。それを抱えている。言えずにいる。その自分を知っている。
「──全部は、まだ」
言わなくちゃいけないと思いながら、そうできずにいる。
だからレイアの問いへと、そうやって言葉を濁さざるを得なかった。
「不安か? 伝えるのは」
「──うん。いや、半分、かな」
「半分?」
「もう半分は、きっと雪羽なら受け容れてくれる。手を取ってくれるんだろうなっていう、信頼と。そうなると思えるからこその申し訳なさ、みたいな気持ち」
不知火の抱えているもの。今までのこと。これからのこと。
きっとひかりについて、雪羽はただ純粋に悩み、考え、選ぼうとしたのだろうと思う。
けれど不知火は百パーセントという部分では、そうではなかった。
その抱えているものが躊躇させた部分も、たしかにあった。
「雪羽はきっと受け容れてくれる。でも、そうなったら。私はあの子にとって、ひどく重いものに、荷物になってしまう」
たとえ今は違っても。
いつかの将来、きっと。負担になる。なりたくない。
「それがわかるから、いつ、どう言おう。そう思って悩んでるんだよ。喪うのが怖い私と、そうやって甘えることに疚しさを覚える私がいて」
わかってて望んだのに。
今、ここにある世界が居心地が、よすぎて。
「──ユキハの隣が、幸せなんだ? 不知火」
レイアは、肩を抱いてくれた。一緒にベランダに立って、風に吹かれて。
「……兄さんたちに、不孝かな。喪ったばかりなのに。私ばっかり」
「なに言ってんだ。あいつの性格は一番お前がよく知ってるだろ。……だからこそ、雪羽と一緒に暮らしたいって思ったんだろ」
「……うん」
伝えられていないことがある。
いつかは、伝えなくてはならない。誕生日だからこそそれは、痛感させられて。目を背けてもいた。
幸せだから。今がすごく、満ち足りているから。それだけを考えていたかった。
空の上から見ているだろう兄さんたちに見せて、なにも恥ずかしくない。自分たちの幸福を見せられていると、思うから。
だから、終わりを認識するのが、つらい。思いたくない。いつかやってくる、それを。
「そんな顔すんな。いいんだよ、子どもは今をめいっぱい楽しんだら。心配したり、どうにかしたりをするのは大人の役目だ」
今日はお前の誕生日だろ。
誕生日なんだから、笑え。
「せっかくの誕生日を楽しめないなんて、ダメだ。ひかりのことにも答えを出してくれたお前を、ワタシはほんとに、心から祝福したいんだよ」
今日はそういう日。お前の生まれてきたことを、祝福すべき日なんだから。
「──そう、だね」
ありがとう。返したその言葉はけれど、ニュアンスの中に「ごめんね」を含んでいて──……。
* * *
そして今、同じように祝福してくれる雪羽が、目の前にいる。
最愛の妹が、彼女の精一杯の心が込められたプレゼントを、不知火の前に差し出している。
「──ゆき、は」
震えてや、しないだろうか。心のゆらぎを、悟られないだろうか。内心へとその不安を抱きながら指先に、包みを受け取る。掌にそっと、握ってみる。
「ありがとう」
引き寄せたそれの表面を撫でる。
雪羽の、心が尽くされたそれが自分の掌に収まっている。それだけでなんだかもう、胸がいっぱいで、溢れそうで。
「嬉しい。開けてみても、いいかな」
悟られぬよう願いながら、雪羽の頷きを見遣る。ラッピングを、解いていく。
中には二つ折りの、ブックカバーのように閉じられた箱が入っていて。それを開く。そこに納められたものを、見る。
「これは」
「え、へへ。ひとつに、決めきれなくって。どっちもいいなぁって、思ったんだ」
左右の面に、それらはひとつずつ。
「姉さんに、似合いそうだなぁって思ったんだ。いつも、結んでるでしょ?」
きれいに折りたたまれた、皴ひとつない真新しいリボン。白地に──五線譜が描かれている。
「ほら。きらきら星って歌、あるでしょ。あの曲の楽譜なんだ。あたしや姉さんが最初に教わった、最初に弾けるようになった曲。その譜面の、リボン」
それは雪羽の始まりを示すもの。その刻まれたリボンが、左側にしたためられていて。
そしてもうひとつ、
「ヴァイオリン、だね」
「……うん。今つけてる、お義兄さんからのプレゼントと一緒になっても、これならおかしくないかなと思ったんだ」
銀色の、ヴァイオリン。きらきらと輝く、髪飾りがその隣にある。
「あたしも。お姉ちゃんの特別な日には、いつだってお姉ちゃんの一番そばにいたいなぁって思ったんだ」
ちょっと、気恥ずかしいこと言ってるかな。でも、本心だよ。
不知火から目を向けられた雪羽は照れくさそうに微笑をして、それからその表情を上書きするように、更に柔らかく笑う。
一番、そばにいたい。
ああ。それは……殺し文句だ。だって、そんなの。私だって同じように思っているのだから。
「……雪羽……」
するり、と不知火は自身の髪を結いていたリボンを解き、引き抜く。かわりに、贈り物の、たった今もらったばかりの楽譜のリボンを、結んでいく。
髪をまとめながら。口許に、雪羽からのリボンを、汚してしまわぬよう気を付けつつ、軽く咥えながら、だ。
そして兄の象徴の、音符記号のヘアピンの隣に、楽器を添える。
ヴァイオリンの髪飾り──雪羽からの象徴が、そこに並ぶ。
「……うん。やっぱり、似合ってる」
どうかな、なんて訊くまでもなかった。
小さく頷いて、顔を綻ばせた雪羽の反応がもう、すべてだった。
「雪羽。ありがとう」
「──ううん。誕生日、おめでとう。お姉ちゃん」
ポニーテールの具合を気にしながら、横髪を気にしながら。不知火も、手すりから腰を上げる。
お祝い。喜んでもらえてよかった。笑顔を見せる妹に向かい、ほんの数歩の距離をゆっくりと歩く。
「お姉ちゃん?」
「それでも、『ありがとう』だよ。こんな私に、祝福をしてくれて。こうして、妹でいてくれて」
このとき、不知火は決めたのだ。
大切な、かけがえのない妹を両腕の中に抱きしめながら。
「ちょ、お姉ちゃん? ……もう。ふたりきりだからってさ」
「……いいじゃない。誕生日でしょ? もうひとつ、プレゼントってことで」
「ふふっ。欲張りなんだ?」
すべてを伝えよう。行くべき場所に、ふたりで行こう。
彼女にもう、偽らなくていいように。
まっすぐな彼女に、姉としてまっすぐでいたい。
伝えること、喪うことの怖さよりも、雪羽の前ですべてを曝け出せずにいる自分であることのほうが、嫌だ、と思えた。
このぬくもりに、すべてを知ってほしかった。
たとえその結果が、不知火自身にとって重く、つらくても。雪羽には、知っていてほしい。
「欲張りついでに、行きたいところがあるんだ。雪羽と一緒に」
「お姉ちゃん?」
「この、夏休みに。あの雨の日に、雪羽がそうしてくれたみたいに──連れていきたいところがあるんだ」
雪羽のことが、好きだから。
大好きだから、伝えなきゃ。一緒に見て、聴かせて、伝えなくちゃ。
「今の私を昔からつくってきたもの。構成してきた場所を。一緒に、そこに行ってほしい──……」
脳裏には、ふたつの情景が浮かんでは消える。
それらはどちらも、古びた世界。
街の片隅。誰も見向きもしないような、埃を被った。古ぼけた、小さな。ぽつんと佇む、誰もいない場所。緞帳と客席とが、眠りについている。
そして──長閑さに満ちた、ひっそりと佇む島。
波間に揺れて見える、小さな、小さな。沖合いの遠い場所。
緑に溢れた小高い山、その切り開かれた中腹にある、石段とお墓と。その光景が、不知火には思い出される。
知ってもらうんだ、雪羽に。
あの場所を。
あの島を。ちゃんと、伝えなくちゃ。
「だから。だから今は、こうさせていて」
あなたが腕の中にいるこの幸福を、全身に満たしていてほしい。
雪羽。きみが、大好きだから。
今ここにある、この情景がみんな、雪羽からの贈り物で。不知火にとっては誕生日という幸福だった。
(つづく)