gift4 努力の正しい始め方
【師匠視点】
「師匠! 僕は強くなりたんだ!」
「無論知っとる」
「何ですぐに訓練しないの?」
「それで言われるがままに辛い訓練をして……お主は続いたのか?」
「……!?」
「強くなれたのか?」
「……なれなかったね」
「仮に今、我武者羅に始めたとしてじゃ。その試みは確実に終わる」
「え?」
「断言しても良い、訓練は続かぬ」
「えぇ……」
「なればこそじゃ、まず儂はお主の感覚と対話する」
「感覚と……話?」
「そうじゃ」
「……どうやって?」
「フォーッフォッフォ、質問に答えてくれればそれで良い。ではまずは聞こう。これより腕立て伏せを二百回行う! 無論毎日じゃ! お主にはそれが出来るか!?」
「えぇ……、そ、それは……無理……かな」
「良し、では百ではどうじゃ?」
「え? そ、それもちょっと……」
「よろしい、では五十は?」
「……えっと頑張れば出来る……かな」
「絶対の絶対、100%毎日じゃ!」
「えぇ……、えっと、無理……かな」
「三十なら?」
「うーん、100%はちょっと……」
「十五回なら?」
「……絶対出来る」
「良し、腕立て伏せは十五回とする!」
「少ないよ!! そんなんじゃいつまで経っても強くなれない!!」
「馬鹿を申すでない、強うなれる。儂を見てみい。お主から見た儂は弱かったか?」
「え? ……つ、強かった」
「これはな、昨日今日で強うなった訳ではない」
「知ってるよそんなの……」
「お主も同じじゃ」
「……!?」
「ちょっと外に出るぞ、家の前じゃ」
「うん」
「ほれ、儂の家が見えるな? 何気に塔みたいになっとる。五階くらいの高さの儂の自作じゃ」
「え、凄い……」
「そこはまぁ良い。それより。あの家の屋上に登るとなると、お主はどうする?」
「え? 階段を登るよ?」
「そうじゃろうて。努力とはそういうものじゃ」
「……?」
「お主の言っとる事は、屋上に登るのにいきなり屋上を目指して外壁から登ろうとしておる様なもの。直接屋上へと一気に登れると思うか?」
「無理だよ……」
「本能的に知っておるのじゃ、屋上に登るには階段を一段ずつ踏み締めていくしかないと」
「……!?」
「お主にとって二百回の腕立て伏せは外壁から屋上を目指す様なもの。幾ら夢見た所で、いつまでも同じ場所から屋上を眺めておるに過ぎぬ」
「……そういう事か」
「そうじゃ、お主のやるべきは階段を登る事。そしてお主にとっての一段とは、腕立て伏せ十五回。そういう事なのじゃ」
「僕は……出来ない事をやろうとしてたんだ」
「それを知る事が大切なのじゃ」
噛み砕いた説明で少年ソルダードに届く様に伝えたが、実際の所これはもっと複雑な話なのじゃ。
腕立て伏せなどやろうと思えば子供でも出来る。それを何を難しく考えるのか……と思う者もおるかもしれん。この先の話を聞いても尚、そう言えるかどうかじゃ。
人の脳は大きく分けると三つに分類出来、それぞれをこう称しておる。これは覚える必要などない。感覚として知っておるのが大切なのじゃ。
大脳基底核、これは本能や習慣を司る部分。
大脳辺縁系、これは欲と恐怖を司る部分。
大脳新皮質、これは理性と意志力を司る部分。
この腕立て伏せを如何に始めるか、というのはじゃ。
理性の大脳新皮質の力を使い、恐怖の大脳辺縁系をすり抜け、習慣の大脳基底核に届けるという。
正に脳科学的な内容となっておる。
断じて、根性論などではない。
そうじゃの、分かりやすく例えるなら。
【口の窄まった壺】を想像して貰いたい。
まず、その壺に入れるべき物が【腕立て伏せ】。
これを壺の中になんとか入れようと頑張るのが大脳新皮質じゃ。つまり意志力じゃな。
そしてその入れる物のサイズが大き過ぎれば、壺の口からは中に入らぬ。デカイ塊を壺にいくら押し当てたところで中に入る訳などあるまいて。
この拒絶する壺の口の部分が恐怖の大脳辺縁系。大き過ぎる二百回という塊を危険と判断して壺の口が拒否するのじゃ。
それ故に百、五十と減らし、少年ソルダードにとっては恐怖の大脳辺縁系が拒絶しないサイズじゃったのは十五回。それをもって漸く脳が許容出来るサイズとなった。
つまり、壺にスポンとすんなり入った訳じゃ。
そしてその壺の中こそ習慣の大脳基底核。
如何にして恐怖の大脳辺縁系をすり抜け、習慣の大脳基底核に届けるのか。これこそが努力における根底的な考え方なのじゃ。
この恐怖の大脳辺縁系が拒絶する状態のまま無理やり始めた努力というのは、とんでもない意志力が必要になってしまう。
毎回壺の口に必死に捻じ込み続けるなど瞬間的には可能であっても、ちょっとした疲労や寝不足によって簡単に拒絶されてしまう。捻じ込むのはしんどいのじゃ。
故に、得てして続かぬ様に出来ておる訳じゃ。
そしてその理由は先も述べた通り。その人にとってはその変化が危険な変化と脳に判断されたからじゃ。脳は死のリスクを覚えるレベルの変化を許容する訳にはいかぬ。そしてその様に脳に拒絶されては人に抗う事など出来ぬのじゃ。
それ故に、大切なのは最初から脳が許容出来るサイズで提供してやる必要がある、という話になるという訳じゃ。
「でも師匠、十五回だと意味ないって。もっとやらないとさ」
「フォーッフォッフォ、他にもやる事はあろうて。腕立て伏せは十五回で十分じゃ」
「えぇ……」
そして、厄介な事に人にはもう一つ努力を封殺する特性がある。それは、【意味の無い、無駄な動作を脳は許容出来ない】という特性じゃ。
これは逆転の発想から来ておるのじゃが、人の脳は効率を求める様にプログラムされており、これに反する事を本能レベルで極端に嫌う。
故に小さいサイズの努力には意味を感じられず脳が許容出来なくなってしまい、その無駄であるという意識から努力のサイズを大きな物へと変貌させる。
努力を始めよう!
↓
腕立て十五回だ!
↓
意味ない気がする。
よし三十回だ!
↓
あれ? 三十回って身体キツいな……。
↓
危険な変化だ!
やめるべきだ!
↓
今日はやめておくか。
明日やろう。
↓
うーん、もういいかな。
となる訳じゃ。
つまり人は本能的に【変化】を避ける様にデザインされておる。変化を可能な限り実現させまいと、あの手この手で邪魔をしてくる、人にはこれが本能レベルで刷り込まれておるのじゃ。
つまり、努力を拒むのはこういった仕組みから発生しておるという訳じゃ。これは最早、気合い根性で出来る出来ぬの子供の戯言などではなかろうて。
脳との、つまりは本能との戦いなのじゃ。
要するにこのままただ続けていたのでは、そのたった十五回という訓練さえも続かぬ。
三十回では危険すぎる変化。
十五回では意味のない行動。
こうして極力変化無くいこうとする脳と上手くやっていかなければ努力は脳によって封殺される。
故に、自身にこれを行いたいのであれば知識を備え、【正しい努力】として実践しなければ身に付かぬ様に出来ておるのじゃ。
そしてこれは【指導者が誰かに教えよう】とする場合も非常にデリケートな内容となってくる、実はもう一つ問題があるのじゃ。
誰かの意見を採用するというのは即ち【変化】である。故に人は簡単に人の話を聞いたりせぬし実行もなかなかしない。これは変化を受け入れてはならぬと恐怖の大脳辺縁系が拒絶の反応を示すからじゃ。
じゃがこれも、やり様によっては心理的な技術で簡単に突破する事が可能じゃ。
やり方も非常にシンプル、その名も【傾聴】というテクニック。
簡単に言うと、先に聞けば良いのじゃ。
何を思い、何を考え、そしてどうしたいのか。
それをしてやるだけでもこの恐怖の感覚は大きく緩和される。仲間であると認定されなければ受け入れられぬのは当たり前なのじゃ。
実はこの聞くというシンプルな行為は異常なまでに高い効果を発揮する事が判明しておる。
この【聞いて貰った】という行為によって脳が刺激される部分というのは、人が【お金を貰った時】に刺激される部分と全く同じじゃったのじゃ。
つまりこういう事じゃ。
【聞くという行為は金と等価である】
実に凄まじい事実じゃ。
実際にとある代表責任者の元に商品を売りに行った商人は、商品の説明を一切せず、ひたすら一時間その代表責任者の趣味の話を聞いて大いに盛り上がった。
その後、代表責任者は上機嫌で言った。
「で、何を持って来たの?」
「これです」
「ふむ、ではそれを頂こうか」
と。
人という種は話を【聞いて貰った】という付加価値だけで商品に対する何のアピールが無くとも、心は動かされて買ってしまうという、何とも不合理な生き物なのじゃ。
所謂【返報性の原理】とされている心理的手法じゃな。施しを受けたらば、返さなければならないという感覚を【聞く=お金】という状況から引っ張ってくる訳じゃ。
これを利用せぬ手はない。
そしてもう一つ使っておるテクニックがあり、これも非常に簡単な内容での。
これは【内集団贔屓性】と呼ばれる心理誘導のテクニックじゃ。
簡単に言えば【人は自分と共通点のある人の事をひいきしてしまう性質がある】というもの。
誕生日か同じ者に親近感を覚えたり。
出身地が同じ者に親近感を覚えたり。
単純なのじゃが経験があると思うのじゃ。
これは一つ一つの事象で【儂も同じなのじゃ】などと言葉の中に含む事で相手からの同意や行動意欲を引き出せるという効果があっての。
どんな有益な言葉でも、言葉は相手に届く様に出さなければ効果を発揮せぬものなのじゃ。
そしてそれは難しい事をせずとも良いのじゃ。
話し方の無駄な小手先テクニック。
立ち振る舞い。
表情の作り方。
声のトーンだのなんだのかんだの。
これらは複雑過ぎるのじゃ、パンクするのじゃ。
先に話をただ聞く事に徹して、話を決して否定せずにいればそれでオッケーなのじゃ。そして未熟を嘆く時は儂も同じじゃと言えればそれで良いのじゃ。
人は自分の持っている物の価値を他の物より高く感じる、という性質もある事から、自身の経験や考えを褒められたり認められたりすると、それだけで価値を感じ、相手を信じ易くなるという傾向がある。
話す内容の精度の高さと信憑性の高さは、勿論その相手の為にとても大切なのじゃ。そしてそれと同じくらい、自身の話を相手に聞いて貰う事も大切になってくる。
少年ソルダートが気持ち良く行動出来る様、儂としてもこれらの事は日頃から惜しまずにやっていくつもりなのじゃ。