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7.愛称

 エルゼンデは、庭園の東屋に座っていた。

 暗がりの中、石のベンチの上で膝を抱え、まだべそをかいている。


「エルゼンデ」


 エドワードがそっと声をかけると、エルゼンデは泣き濡らした顔をあげた。唇を噛み締め、手の甲で目元を拭う。


「がっかりなさったでしょう」


 エドワードは少々面を食らってしまった。がっかりするも何も、まだ会って数分と経っていないのだ。落胆のしようもない。エドワードは吟味しながら、慰めの言葉を吐き出す。


「僕が縫うよりずっと綺麗ですよ」


 エルゼンデは、ベンチから足を下ろして、軽いため息を吐いた。


「いいのよ。無理なさらなくて。ここには他の人の目なんてないんだから」


 褒め言葉の裏を読もうとする女は、かなり扱いづらい。

 沈黙してしまったエドワードに、エルゼンデは改まって謝罪した。


「さっきは、あんな場所で怒鳴ったりして本当にごめんなさい」

「…いいえ」

「皆さん、見てらっしゃったわね」


 エルゼンデは「おしまいだわ」と肩を落とした。全てを諦めたのか、少女は素の自分をさらけ出していく。もう、どうでもいいと。


「わたしね。こんな性格だから、お父様とお兄様に口を酸っぱくして言われてたの。余計な口は聞くな、大人しくしおらしくしていろって。そうしたらまだ令嬢らしく見えるからって」


 エドワードはその場に立ったまま、エルゼンデの告白に耳を傾けた。彼女の父兄がエルゼンデにそう言い聞かせた心労は、ありありと想像出来た。今夜だけではない。元来、彼女はおてんばなのだろう。


「前評判も流してもらったわ。あなたも聞いたんでしょう?」

「…ええ」

「子爵家の令嬢で、大人しくて、手芸や詩が得意…ってところかしら」


 全くその通りだ。

 エドワードは降参して頷く。


「そんなお話しを小耳にはさみましたね」

「やっぱり」


 エルゼンデは膨れる。


「お兄様ってば、もう少しまともな噂を流してくださればいいのに。ああでも、刺繍が好きなのは本当なのよ、これでも。好きだけど、上手くはないだけなの」

「そうですね。僕なら少なくとも刺繍がお得意だとは申し上げません」

「…あなたも結構いい性格してるのね」


 エルゼンデがまじまじと見上げてくる。

 本当に、黙っていればか弱い少女に見えるのに、残念な令嬢だった。


「お互い様です」


 エドワードは肩をすくめる。

 エルゼンデは、堪えきれないと言った風に口元を歪ませ、ついには笑った。


「あなたも、聞いていた性格とは全然違うのね」

「おや。僕は取り繕ってなどいませんが、どんな性格だと?」

「温厚で、優しくて、おとぎ話の王子様みたいな方だってお兄様たちはおっしゃってたわ」


 誰だそれは。

 エドワードは思わず嫌そうな顔をした。

 エルゼンデは「ふふっ」と声を震わせる。


「わたしもすっかり騙されちゃった。最初はなんて素敵な人なんだろうって思っていたのに。王子様は、そんな顔なさらなくてよ」

「…王子ではないのでね」


 さすがに、過去の夜遊びや悪評までは届いていないらしい。

 まあ見合いをさせようという相手のマイナス点など、教えるはずもないが。


「でもきっと。ヒルデの言っていた通りなのよね。そうやって取り繕って偽っても仕方がないんだわ」


 エルゼンデは小さな笑みを浮かべたまま言った。その膝には、くしゃくしゃのハンカチが乗っている。エドワード好奇心を抑えられず、つい口を開いた。


「あの、聞いてもいいかな?」

「なに?」

「それは、何を描こうと…」


 言った途端、エルゼンデは少しばかりまた顔を膨らませた。


「ヒマワリに決まってるじゃない」

「…ああ」

「見てわからないの?」


 わからないから聞いているのだ。


「ヒルデはすぐにわかってくれたのに」


 ぶつぶつ言うエルゼンデは、もう侍女への怒りなど忘れてしまっていた。これは別に放っておいても良かったかもしれないと、エドワードはあきれ返る。何のために自分はこんな厄介ごとに首を突っ込んでしまったのだろう。


「じゃあ、お嬢さん。そろそろ戻りましょうか」


 そういうと、エルゼンデは「ええ」と仕方なさそうに立ち上がった。

 そうして、エドワードを眺めたかと思うと、不意に首を傾ける。


「エドワード様って。見てくれだけは聞いていた通りかっこいいのに…残念だわ」


 どんな育ち方をしたのだろう。自分のことは棚にあげて、エドワードは笑顔をひくつかせた。


「…その言葉、そっくりあなたにお返しいたしますよ」

「あら、ありがとう。わたしも、見た目はマシってこと?」

「ええ」


 面倒になってきて、エドワードは投げやりに言う。


「可愛いらしいと申し上げたのは本当です」


 本当に、そろそろ連れ帰らなければ。また、妙な噂を立てられかねない。一部始終を遠巻きに眺めていたイザベラの視線もとても気がかりだった。

 と、エルゼンデは突然言った。


「…エルがいいわ」

「は?」


 なんのことだと怪訝な顔を向けたエドワードに、エルゼンデはほほ笑む。


「親しい人は皆、エルと呼ぶの。お兄様も、妹たちも」

「…そう」


 脈絡がない。

 困惑するエドワードに、エルゼンデは笑顔を隠した。

 そうして真顔でいれば、どうしても儚げな印象が残る。目じりが垂れているからなのか、小柄な身体つきだからなのか。


 愛称で呼んでくれと、そう頼まれていることくらいは、わかる。

 だけれどこの縁談はまとまらない。親しくなってどうする。

 エドワードは気づかないふりをして、背を向けた。


 けれどエルゼンデはめげもせず、声をあげる。


「また、会っていただけませんか」と。

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