表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/21

5.貴族の義務

*


「縁談?」


 エドワードは、ニックの老けた顔を見上げた。

 本人は二十五だと言い張っているが、どう見ても三十は超えていると思う。黒髪に混じる白髪も、分厚い眼鏡も、年寄りの印象を拭えない。


 哀れに思いつつ、エドワードはあやふやな記憶をたどった。そうして、訝しみながら口を開く。


「それなら…断ったはずだ」


 いつ、どのようないきさつだったのか、はっきりとは覚えていない。

 けれど、断ったのは確かだ。

 というか、エドワードは全ての縁談を蹴っている。

 結婚など地獄だと知っていたから。


 結婚は貴族の義務-そんなことは、放蕩息子と陰口を叩かれるエドワードも承知している。

 地位と特権を得る代わりに、いつかは必ず支払わなければならない代償だ。いつまでも逃げられるものではない。


 ただ、若いエドワードには決心がつかなかった。

 家庭という重圧も、妻という鎖も、想像するだけで息が詰まった。

 逃げと認識しつつ、正式な見合いは一件も受けたことがない。

 見合いを受ける。それはおおよその場合、婚姻を意味していたから。


「ええ、お断りはしましたが」


 ニックが低い声を上げる。


「旦那様が、ひとめ会うだけでもとお誘いになられたようです」

「父上が?」


 エドワードは眉を寄せた。

 なおのこと、不可解だ。


「まさか」


 失笑するが、ニックの表情は変わらない。


 父親のオルグ伯爵は、エドワードにひどく甘かった。

 欲しいと言えばすぐに与えられ、嫌なことはせずともよいと頭を撫でられた。

 ただ、健やかであればよいと。

 エドワードはそんな父親が好きだった。利益よりもエドワードの心を大事にしてくれる、甘い甘い父親が。

 縁談の件もそうだ。

 エドワードが渋っていることを知っている父は「まあまだ若いしな」と引き下がってくれていた。

 そんな父が、縁談を強引に進めるとは、なんとも解せない。


「本当か?」

「ええ…半分は」


 ニックの曖昧な言葉尻に、勘のよいエドワードはすぐに納得した。

 ギルバートの所業だと。

 厳格で、生真面目で、少しも面白味のないあいつが手を回しているのだろう。次期当主であるギルバートは伯爵家を栄えさせるために、日々尽力している。

 ギルバート自身も、少しも好いていないであろう女と家のために結婚をした。今も彼は、冷えきった夫婦生活をそら寒く送っている。エドワードが結婚にいい印象を持てないのは、そんな兄の結婚生活を目の当たりにしている為でもあった。

 あんな窮屈な暮らしは御免だ。

 先程のギルバートの態度といい、この急な縁談のすすめ方。

 つまりは「いい加減、お前も義務を果たせと」そういうことなのだろう。


 エドワードは肘掛に体重をかけながら、やれやれと立ち上がった。


「で?そのエルゼンデ嬢は、どんな女性なんだ?」

「ハイヴェラルグ子爵家のご令嬢ですよ。北に領地を拝しておられます」 


 子爵家とは大きくでた。

 どうせエドワードに爵位は継げない。その代わり、娘の莫大な持参金を得ようという魂胆だろう。

 いかにもギルバートの考えそうな縁組に、かえって笑いが零れる。


「兄さんの思考回路は単純すぎて心配になるよ」

「…エドワード様にお幸せになって欲しいのですよ」


 ニックは諭すように声を落とした。


「エルゼンデ嬢は大変お美しく、可愛らしいご令嬢とのことです。先日社交界にデビューしたばかりですが、すでに求婚が絶えないのだとか。それを、ギルバート様と旦那様がここまで話しをつけてくださったのです。せめて、お会いになるだけでも致しませんと…」

「分かった、わかったよ。エルゼンデ嬢は、さぞ魅力的な資産をお持ちなんだろう?」


 両手を顔の横にあげて降参の意を示す。


「安心しろ、逃げやしないよ」

「エドワード様…お受けになるのですか?」


 エドワードはシャツを脱ぎ捨てる。


「会うだけだよ。それでひとまずは兄さんも落ち着いてくれるだろう」

「どうか。判断を誤りませんように。お立場をお考えくださいませ」


 メアリーの存在を示唆しているのを悟って、エドワードは顔を背けた。

 暗に、遊びを止めろと言いたいのだろう。


「とにかく、今夜は行くしかないんだ。早く着替えを」


 エドワードは、ニックに手を差し出す。


「どうせ、なるようにしかならないさ」


*


その夜会は、とある新興の貴族家が主催していた。

 派手好きな女主人の趣味にあわせた華やかな会場には、いたるところに豪勢な華が飾られており、近隣諸国の要人も招かれていた。


 ギルバートと連れ立って会場を歩くと、久しぶりに公の場に姿を現したエドワードに注目は集まった。挨拶を交わしつつ、エドワードは兄に耳打ちした。ギルバートの妻の姿が見当たらない。


「義姉さんは?」


 ギルバートは前を向いたまま口だけを動かす。


「具合が悪いんだと」

「それは心配ですね」

「…出かけ間際になるといつもそうだ。大したことはない」


 ギルバートはむすりとしながら、エドワードのそばを離れる。


「父上を探してくる、そろそろ着くころだ」


 父、オルグ伯爵は遠方へ旅行に行っていた。

 その帰りに、直接この会場へ来る手筈になっている。

 エドワードは頷く。


「かしこまりました」

「…妙な行動はとるなよ」

「ええ」


 無闇に女性には近づくな。

 ギルバートはそう言い残して、身を翻し、人込みの向こうへ消える。


 エドワードはやっと息が出来たような心持ちで会場を見渡した。

 よくもまあこれだけ人を集められたものだ。

 泡立ちの良いシャンパンを給仕から受け取り、エドワードは壁際によった。


 夜会は、見栄でもある。

 どれ程豪勢に出来るか、どれ程の人物と繋がりがあるかを見せつけることで、権力を誇示し、地位を明確にする。

 その点でいけば、この夜会は成功と言えよう。


 広い会場には間をおかず、立派なお仕着せの使用人が配置されており、客人をもてなしている。異国料理も美味であるし、顔ぶれも豪華だ。古い王侯貴族、話題の女優、作家、と著名人が並んでいる。


 だが、それでもやはり、エドワードは退屈に襲われていた。

 どれもこれも見たことのあるような景色で、聞いたことのある会話だ。

 既視感に、うんざりする。


 早く帰りたい。

 ため息をつきそうになったエドワードは、その代わり映えのない景色の中に、見知った顔を見つけた。


「あらエドワード。ご無沙汰ね、生きていたの」


 嫌味と共に、イザベラ夫人はほほ笑んだ。

 四十も年上の夫を亡くしたばかりの寡婦である。妖しい美貌と不幸を背負った彼女は、まだ二十数年しか生きていないくせに、他を従わせる貫禄があった。


 エドワードも笑みを返しながら、その手をとり恭しく指輪に唇を落とした。


「おかげさまで」

「あなた、深窓のご令嬢に捕まったと聞いていたけれど」

「僕が?ご冗談を」

「残念。あなたを骨抜きにした女性を見てみたかったのに。今夜は連れていらっしゃらないの?」

「居もしない人を、どうしてご紹介できましょう?」


 イザベラは三日月のように両目をしならせ、扇で口元を隠した。


「あなたが出し惜しみするなんて。本当に興味が沸くわ」


 虚言は通じない。

 エドワードは苦笑して「本当にいませんよ」とごまかした。

 面倒な女に捕まったものだ。軽く中身のない会話は楽しいけれど、秘密を探られるのは好きではない。


「そうだわ。探偵でも雇おうかしら」


 エドワードは口の端をあげる。


「妖精を捕まえるようなものですよ。金と時間の無駄だ」

「無駄でないことなんてこの世にあって?」


 くすくすとイザベラは笑う。

 そうして、切なげに視線をダンスホールへ向けた。紳士淑女がくるくると音楽にあわせて踊っている。いつもと同じ光景。


「毎日退屈なのよ、わたくし。なにかおもしろいことが起きたらいいのに」

「…同感です」


 エドワードが頷くと、やっぱり気が合うわね、と満足そうにイザベラは笑った。

 彼女は若い、そして美しい。

 その気になればいくらでも恋人は出来るだろうに、結婚はしたくないと言った。

 もうこりごりだと。

 そんな人だから、エドワードはたまに彼女と話したい気分になった。この虚無感をわかりあえる相手として。


 と、そこへよく響く声が届いた。


「エドワード」


 暖かい声に、エドワードは振り返る。


「父上」


 人をかき分けながら、父がこちらに向かっていた。

 また少し太ったような気がして、エドワードは仕方がない人だな、と息をつく。父は、己にも甘い。医者に止められている甘味を、こっそり食しているに違いなかった。


 エドワードは胸に片手をあて、イザベラに頭をさげた。


「では、イザベラ様。よい夜を」

「ええ、よい夜を」


 別れを告げ、エドワードは父の方へ向かう。

 その後ろには仏頂面のギルバートがついている。そうして、もうひとり。

 ギルバートの陰に隠れるようにして、背の低い令嬢がこちらを窺っていた。


「彼が、エドワードですよ」


 帰宅の挨拶もそこそこに、父は上機嫌で少女の手を引いた。

 その影から姿を現した少女は、可憐という言葉がよく似合っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ