3.出来た弟
*
それが、二ヶ月前。
交際は、順調に続いている。あの白昼夢からまだ覚めない。
「メアリー?何考えてるの」
「え」
低い声にはっと顔を上げると、エドワードの碧い瞳が不満気に細められていた。紅茶はすっかり冷めてしまっている。
「話聞いてた?」
「あ…ごめんなさい」
謝ると、エドワードは軽く息をつく。その顔はもう緩んでいた。
「今夜、食事でもどうかなって。いいお店知ってるんだ」
「ええ…でも弟が待ってるから」
「わかってるよ。早い時間に予約してあるから、大丈夫」
エドワードは言って、珈琲を飲み干す。
「行こうか」
手を差し出され、立たされる。
いつ会計を済ませたのか、そのまま店を出る彼に、店員はただお辞儀をするのみだった。
*
夢見心地で帰路についたメアリーは、鼻歌をうたう。
その胸元には、貰ったばかりのネックレスが輝いていた。小粒の透明な宝石は、月明りを受けて控えめに反射している。
先ほど、レストランでエドワードから受け取った時、そのシンプルなデザインに、メアリーは思わず「可愛い…」と声をあげてしまった。
エドワードは「喜んでくれてよかった」と肩をすくめる。
以前、彼に贈られそうになったネックレスは、あまりにも高価に思えて、もったいないと断ってしまったから。メアリーは反省した。せっかく相手が好意をもって用意してくれたものなのだ、本当はあの時も素直に受け取るべきだったのかもしれない。似合わないとか、つけていく場所がないからとか、言い訳をしないで。
大切にしよう。
それに、お礼もしたい。なにがいいだろうか。
このネックレスだけじゃない。その前は時計、その前は腕飾りと、メアリーは貰ってばかりだ。
そうして改めて思う。自分は、なにも返せてない。こんなことで恋人と呼べるのだろうか。
軽やかだったはずの歩みはいつの間にか、とぼとぼと重くなっていた。
*
「ただいま」
雑貨屋の二階が、メアリーの住居だった。
奥から、とたとたと弟のベイルが駆けてくる。
「お帰り姉さん。デートどうだった?」
けほけほとベイルが咳をこぼす。
「ベイル、具合悪いの?」
メアリーは慌ててベイルに駆けよった。
ここ数週間は体調が良かったのに。
寝ていなさい、とメアリーは薬箱を取り出す。医者に貰った薬瓶の中身は、残りわずかになっていた。また貰いに行かないと。少し高額だけれど、この薬がベイルの身体には一番合う。
メアリーは薬を湯に溶かし、ベイルに渡した。
「ありがと、姉さん」
ベイルの額に手を乗せる。
少し熱っぽい。
「遅くなってごめんね、ベイル」
項垂れるメアリーに、ベイルは首を振った。
「早いくらいだよ。もっとゆっくりしてきて良かったのに」
薬を飲み干したベイルは、ぼうとしながら壁に背を預ける。
エドワードと楽しんだことが、罪悪に感じられた。
「姉さんの恋人、どんな人なの?僕も会いたい」
「とっても優しい人よ」
「だろうね。普通、こんな時間に帰してもらえないよ」
ベイルがからかうように口の端をあげた。
「エドワードさんは紳士なの」
「ますます会ってみたい」
言いながら、ベイルがまた咳を繰り返す。その背をさすりながら、メアリーは寝室へ誘導した。
「寝てなきゃだめよ。あのね、お夕飯、エドワードさんがあなたの分もって包んでくれたの。部屋に持って行くわ」
「ん」
ベイルは喉を擦りながら大人しく背を向けた。
「あ、そうだ。姉さん」
「なに?」
「夕方、ロルフさんが来たよ。そこに仕事置いていった」
玄関脇には生地や糸の束が置いてあった。
これでメアリーはレースを編んだり衣服を作る。それを、ロルフが売りさばくのだ。どんな商法かは分からないけれど、その収入は大きい。
これといった特技もないメアリーだが、幼い頃から手芸だけは好きだった。その腕を買って、ロルフが作品を販売してくれている。それも、店先で並べるよりも高値で。
「姉さんの商品、人気なんだね」
「…そうね」
どさりと入っている注文書の束はいつもより多い。次のエドワードとの約束までに終わるだろうか。
今夜は何時に眠れるかしら。メアリーは材料の束を抱えあげた。




