2.雑貨店と雨
*
エドワードが初めて店にやってきたのは、よく晴れた午後のことだった。
仕事もひと段落つき、やりかけの刺繍でも進めようかと思っていた矢先。
カラン、と、来訪を告げるドアベルが鳴って、メアリーは扉に目を向けた。
見れば、物珍しそうな顔をした背の高い青年が、ゆっくりと店に入って来るところだった。青年はメアリーと目があうと、にこりと笑った。人好きのする、優しい笑顔だった。
「こんにちは」
「こんにちは…いらっしゃいませ」
思わず息を飲んだのは、青年の顔があまりにも綺麗だったから、だけではない。
その風貌が、店にあるビスクドールの少年に酷似していた為だった。
いや、少年が少し歳をとり、青年になった姿か。
ともかく、淡い金の髪も、ビー玉のように透き通った碧い瞳も、薄墨色のベストすら、人形と同じだった。思わずビスクドールの棚を確認してしまう。
けれど少年の人形は、相変わらずそこに座っていて、メアリーはほっとした。
「少し、見せてもらってもいいかな」
青年は店に入ると、そう断ってきた。
少し、距離が近い気がして、一歩後ずさる。
「どうぞ」
声は、上ずってしまった。
けれども青年-エドワードは気にした様子もなく「ありがとう」とまた笑んで、店内をゆっくりと見て回った。
メアリーの雑貨店に、若い男性客は珍しくない。
手編みのレースやガラス細工、アクセサリーなども取り扱うメアリーの店には、女性への贈り物を探す若者が時折やってくるからだ。
だから、きっと彼もそうなのだと思った。
気にいったものがあるといいのだけれど。
メアリーは目立たないようにこっそりと店の奥へ戻り、やりかけの刺繍を手に取った。店員につかれるのが好きではない客もいる。話しかけられたら答えようという姿勢でメアリーは針を手に取った。
店内には、開け放した窓から届く鳥のさえずりと、コツリ、というエドワードの靴音だけが響いた。陽光が暖かく、ぽかぽかとしていて、こんな日に午睡が出来たならさぞ倖せだろうと思った。
また、コツリとエドワードの靴音がした。
思いのほか、エドワードは真剣に物色しているようだった。細かな木工品に顔を近づけたり、手に取ってみたり。
なにを探しているのだろう。
どんなものを、誰に贈るのだろう。
と、その横顔が不意にこちらを向いた。その時、メアリーは自分が彼を凝視してしまっていたことに気づいて、にわかに俯く。けれど彼は、意に介すでもなく。
「ここ、君ひとりでやってるの?」
と尋ねてきた。
その質問で、彼がこの付近の人間でないことが分かった。
メアリーの雑貨店はとても古い。祖父の代から細々と受け継がれてきた店でこの街の住人ならばたいてい知っている。
「ええ」
メアリーが肯定すると、エドワードは満足そうにうなずいた。
「いい店だね。最近は、どんなものが喜ばれるのかな」
「ええと、そうですね」
メアリーは立ち上がって、エドワードのそばによる。ふわりと香水のいい匂いがした。肩が触れないように注意を払いながら、メアリーは品をさす。
「このオルゴールとか、あっちの髪飾りなんかも、人気ですよ」
「へえ」
エドワードは興味深そうにオルゴールの蓋を開けた。
「どなたに贈られるんですか?」
「…んー、妹。誕生日なんだ」
「おいくつに?」
「えーっと…いくつだったかな。十四、五くらいだと思う」
「まあ」
メアリーは思わず手を合わせていた。
「わたしの弟も、十四なんです」
「弟がいるんだ」
「はい」
可愛い弟の姿を思い出して、メアリーの頬はゆるむ。彼のためにも、仕事を頑張りたい。
それから、いくつかの候補をあげると、エドワードは最初に薦めたオルゴールを買ってくれた。
エドワードの妹が喜んでくれるようにと、メアリーは丁寧に梱包しそれをエドワードに手渡した。
「ありがとう。いい買い物が出来てよかった」
「こちらこそ」
「また、来てもいい?」
「もちろんです」
期待はしていなかった。
本当に彼がまた来てくれる可能性は薄い。
それでも、そう声をかけてもらえた自体が嬉しかった。
このところ、客足がまた遠のいている。帳簿も芳しくない。
エドワードもすぐに気づくだろう。ふたつ向こうの通りには、新しい大きな商店が出来た。メアリーの店よりうんと広くて、異国の輸入雑貨もとりそろえてある。
あと何年、この店を保てるだろう。
メアリーは久しぶりの客を淋しい気持ちで見送った。
ところが。
メアリーの予想に反して、エドワードはそのすぐ翌日、またやってきた。
しかも今度は、プレゼントを選んでもらったお礼にと花束まで携えて。
それからも、エドワードはことあるごとにメアリーの店へやってきた。
無理することはないのに、エドワードは必ずなにかひとつ商品を買って行き、あとは他愛ない話をして、ふたりで過ごした。
メアリーが恋に落ちるのに、そう長い時間はかからなかった。
気づけば彼の来店を心待ちにしている自分がいて。
エドワードと話すちょっとした会話が楽しくなっていた。
告白するつもりは、なかった。
こんなに素敵な人なのだ。
決まった女性がいるに違いない。
それに、告白なんてして彼に困った顔をされたらと思うと、好きだなんてどう考えても言えそうにない。
傷つくのが、恐ろしかった。
こうして一緒にいられるだけで良い。おこがましいかもしれないけれど、友人と呼べるぐらいにはなれたと思う。それだけで十分だと言い聞かせた。
片思いの苦しみを抱きながら、いつエドワードが来なくなっても傷つかないようにと、メアリーはひたすらに恋心を隠し続けた。
関係が壊れたのは、ある雨の日。
エドワードはずぶ濡れでやってきた。夕立に降られてしまったらしい。
「風邪ひきますよ」
椅子に座ったエドワードの濡れた髪を、その背後にたったメアリーがタオルで拭いていく。
出会って、ひと月程の頃だったろうか。
あんなに晴れてたのに
夕立ってそういうものですよ
お気に入りの服だったのに
乾かしましょうか
そんな会話を紡ぎながら、サラサラのエドワードの髪に触れる。
視線を感じて顔をあげると、壁の鏡ごしに、碧い瞳と眼があった。
ふと、会話が途切れる。
遠くで雷鳴が鳴った。
かと思うと、腰かけたまま、エドワードがゆっくりとこちらを振り返る。優しい力で手首を掴まれていた。
「ずっと、聞きたかったんだけど」
「…はい」
「僕たち、恋人?」
「…」
落としてしまったタオルを拾うこともなく、メアリーは固まった。
どこから、いつからそんな話になっていたのだろう。
「僕は、君といたい」
エドワードが立ち上がる。
見下ろしていた髪はもうずっと高いところにあった。
ビスクドールの少年に似た綺麗な顔が近づいてくる。
鼻先が触れる。
「冷たい」
メアリーはどうしたらいいのかわからなくて、もう嬉しいのか当惑しているのかさえも判断できないくらいで、考えるより先に、きつく目をつぶっていた。
「メアリー」
かすれた声が耳元に触れる。
「僕と、付き合ってください」
大切にするから、と切なく囁かれる。
メアリーはもう、頷くことしか出来なかった。