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17.交換条件

***


 オルグ伯爵家の召使だというニックは、メアリーを連れて街のとある飲食店へ入った。どうしても「エドワードについて話したいことがある」と。


 そこは、品のよいホテルのようなレストランで、エントランスには大きなシャンデリアが二つもつりさげられていた。集う客人たちも上流階級の人々が多く、男性はスーツに女性はドレス姿ばかりだ。

 急なことで着替える暇もなかったメアリーは、仕事着の白ブラウスにスカートのままだった。こんな格好で良かっただろうかと申しわけなく思いながら、メアリーはニックのあとを追う。


 ニックは勝手知ったる様子で案内もなくレストランを二階へ上がると、その中の一室へ入っていった。

 そうして中央に据えられたテーブル奥に座ると、メアリーにも「どうぞ」と腰かけるように勧める。メアリーがおどおどと、向かいの席に座った。

 エドワードのことって、なんだろう。


 と、ニックは、ジャケットの懐から何かを取り出すとスっとテーブルの上に置いた。


「どうかこれで、身を引いて頂けないでしょうか」


 メアリーの目の前に差し出されたのは、分厚い封筒だった。

 え。


「あの…これ、は」


 中を改めるまでもなかった。

 封をされていない袋からは、札束が覗いている。見たこともない程、大金の。


「どういう…」


 問いながらも、検討はついてしまっていた。

 高級店に、目の前の札束に、伯爵家の召使だと名乗るニック。

 エドワードは身分のある、人間なのだ。


「私はエドワード様付きの従者です。メアリーさん、あなたはこの数ヶ月、エドワード様と交際をされていらっしゃいましたよね」


 声を詰まらせるメアリーに、ニックは続ける。


「先日、求婚もされたましたよね?」

「え…ええ」


 エドワードが金に困っているように見えないとは、思っていた。どちらかと言えば、裕福な方なのだろうと。しかし、伯爵家とは。


「申しわけありません。主人の遊びに付き合わせてしまって」


 ニックが、深々と頭を下げてくる。


「…遊び?」


 身体の芯が冷えていくようだった。

 ニックは申しわけなさそうに眉間に深い皺を刻みながら、顔をわずかにあげる。


「ええ。以前からエドワード様は…その…女性とのお付き合いが頻繁な方でして…手慣れていらっしゃったことかと思います。メアリーさんのことは中でもだいぶお気に召されていたようで、お妾にと考えておられたようです」

「めか、け…」


 それは、愛人ということだ。

 でもエドワードは結婚をして欲しいと言ってくれたのに。


「メアリーさんには素性も隠しておられたようですし、勘違いされては申しわけないと、まいったしだいです」

「そう、なんですか」


 そう言うのが、やっとだった。

 理解が追い付かない。

 エドワードは伯爵家の人間で、自分とのこの数ヶ月は、遊びだったと。そういうことだろうか。

 ニックは、テーブルの上の封筒をメアリーへ押し出す。


「こちらは、慰謝料としておおさめください」

「いえ、こんな…いただけません」


 メアリーは咄嗟に手を引いていた。

 ニックは首を振る。


「どうか、お受け取りください」


 ニックは、どうあってもメアリーに金を受け取らせる気でいた。


「実は、エドワード様には正式な縁談があがっておりまして。ですが、エドワード様はいくら私たちがお止めしても、貴女を囲うつもりでいらっしゃるのです。メアリーさんもそのようなこと本意ではないでしょう?」


 そう言って、もう一枚、紙切れを取り出してきた。

 ぼんやりする視界の中、メアリーはなんとか焦点をあわせる。


「誓約書です。以後、エドワード様に関わらないことをお約束頂きたいのです。お互いのために」

「…関わらないこと」

「ええ、簡単でしょう」


 ニックの手から、メアリーの傍にペンが転がされた。


「あの」


 メアリーはペンをとらずに、言った。


「安心なさってください。わたし、元々断るつもりでいましたから」

「…本当に?」


 信じていないらしく、ニックは首を傾げてきた。


「なぜ?」


 目の事を話してしまおうか。

 そう思ったけれど。

 ニックさんには関係のないことだ、とメアリーは口をつぐんだ。


「エドワードさんといるのは、とても楽しい……いえ、楽しかったんですけど、釣りあわないなって、思っていましたから」

「だったら一緒でしょう。お金はあって困るものではありません。サインをして、お受け取りなさい」


 確かに、お金はとても助かる。だいぶ、助かる。

 けれど。

 受け取りたくなかった。

 これが矜持というものなのだろうか。

 これを受け取ってしまえば、エドワードとの三ヶ月が、本当になかったことになるような気がした。

 馬鹿なことをしていると思う。ベイルのことや、己の目の事を考えれば、受け取るのが一番なのに。


「いいえ。サインだけはしますから。それではいけませんか?」


 ニックが困るのだろうと思って、メアリーはそう提案した。

 ニックは渋々引き下がる。


「…いいでしょう」


 メアリーは受け取ったペンのキャップを取って、用紙に顔を近づける。そうしないと、文字がよく見えなかった。

 医者に行ってからの一週間。

 メアリーは寝る間も惜しんで作品作りに没頭した。

 少しでも目が見えるうちに働いておかなければと。

 そのせいか今日はとても見えづらい。


「出来ました」


 ニックは誓約書を受け取ると、丁寧に折りたたみ、懐にしまった。


「主人がご迷惑をおかけいたしました」

「…いえ」


 ニックは用は済んだとばかりに立ち上がる。


「では、私はこれで。ああ支払いはこちらで持ちますから、どうぞお好きなものをお召し上がりください」


 最後にメニューを渡されメアリーは豪華な個室にひとり、取り残された。

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