16.いっときの感情
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その一週間、エドワードは、出来うる限りの友人知人を当たって、資金をかき集めた。
傾いた伯爵家を立て直すだけの資金を。
父とギルバートを説き伏せるのに一番手っ取り早く、効果的な方法はそれしかない。結局、エルゼンデとの縁談も持参金が目当てなのだから、同額かそれ以上の金が手に入るのなら、ルートなどどこからでも構わないのだ。
エドワードは悪友たちに初めて感謝していた。愉快気に話に乗ってきた彼等もまた、暇と金を持て余す自分の同胞に違いなかった。
明日には、メアリーを迎えに行ける。
エドワードは緩む口元を引き締めながら、書斎へ向かったのだった。
「駄目だ」
そう、きっぱりと言い切ったのは、ギルバートではなく、父だった。
呆気にとられるエドワードに、父は、厳しい顔を寸分も崩すことはない。
「しかし、父上…」
「駄目だ。この資金は大いに助かる。が、縁談の話は別だ、今さら断るなど許さん」
そこにいたのはいつもの穏やかな表情をした父ではなく、伯爵家の当主の顔をもつ男だった。
意気揚々とエドワードは資金を手に、父とギルバートを書斎へ呼び出した。これで、ようやく認めてもらえるはずだと思っていた。
しかし。
エドワードがかき集めた金を、父は当然と言わんばかりに受け取ったうえで、破談の話には首を横に振ってきた。ふざけるな、とエドワードの息が荒くなる。
「エルゼンデとの婚約ならすでに断りをいれました」
「先方はそうは思っておらん」
「いえ、確かに断りの連絡をいれました」
エドワードは丁重な断りを、申し入れた。父は言う。
「その後、わたしから直接話をつけにいった。明日また正式な見合いを設けることになっている」
「明日?聞いていません」
「今初めて伝えたからな」
父は別人のように冷徹だった。微塵も固い表情を緩めず、淡々と話しを進める。
「一度は受けた話だろう。お前もいい加減に覚悟をしなさい。子供でもあるまいし」
「父上…」
「エルゼンデがどれだけ傷つくと思う?お前が見合いを受けたと話した時、あの子がどれほど歓喜していたか」
知ったことかとエドワードは首をふる。
「エルゼンデとは結婚なんて出来ない」
「では、誰とならいいと言うんだ?」
エドワードは口ごもる。
と、それまでじっと黙って壁に背を預けていたギルバートが身じろぎした。
「下町のメアリーという娘に、求婚をしたそうだな」
エドワードははっと顔を向ける。
「なぜそれを…」
「お前という奴は…本当に。勝手にも程があるな」
頭が痛くなる、とギルバートは額に手を当て、俯いた。
父がかぶせるように身を乗り出す。
「エドワード、悪いことは言わん。いっときの感情で動くべきじゃない」
「いっときの感情なんかじゃ」
「いっときの感情だよ。お前、今までどれだけの女性と付き合ってきた?わたしが知らないとでも思っていたか?」
「…それは」
「遊びなら構わん。だが結婚は別だ。お前は義務がある立場だ。この資金繰りは見事だと思う。が、それだけがお前の役目ではない。お前は遊びほうけてはいたが、阿呆ではない。そのことは、わかっていたんだろう?だから一度はエルゼンデとの婚約も受け入れたじゃないか」
「ですが」
「その娘には本気だと?」
「ええ」
そうです、とエドワードは父の目を捉える。
「これまでとは違う。メアリーとはずっと一緒にいたいと、そう思えてならないのです」
「庶民のお嬢さんとでは、これまでと違うのも当たり前だ」
父は言った。
「…エドワードお前、わかっているのか?相手のお嬢さんの人生も巻き込もうとしているんだぞ」
「まき、こむ…?」
「そうだ。彼女と結婚して、お前はどうするつもりなんだ?伯爵家に引き入れるのか?そんなことはわたしもギルも許さない。それとも、お前が下町に住むとでも?」
「彼女と暮らせるなら、住む場所などどこでも構いません」
「そうしてまた、飽きたら放り出すのか?」
飽きる?彼女に?
「…ありえません」
エドワードはもういいと立ち上がった。このままでは、手が出てしまいそうだ。
「とにかく僕はエルゼンデとは結婚なんて出来ません」
「許さんよ」
「許されなくて結構です」
「…家を出ていく気か?」
「それもいいですね。ここにいても、僕は役立たずのようですし」
エドワードは口の端をあげて歪に笑う。
恥さらしものになっても、庶民に身分を落としても、この家にいるよりはずっとずっとましだと思えた。
「…エドワード」
と、父の表情がわずかに陰る。
「なんです」
「そんなに、その娘に惚れているのか?」
「…」
「わたしは何も、お前憎くてこんなことを言っているのではない。それだけは、わかって欲しい」
「父上…」
「親ばかと言われてもいい。お前が可愛くて仕方がないんだよ。だから、お前が幸せになれる道をなんとか作ってやりたかった」
エドワードは、皺だらけの節くれだった父の手に目を落とす。
この手に何度も頭を撫でられてきた。
ずっと、甘やかされてきた。
望むものは与えられ、嫌なことはせずともよいと。
それが愛情だと、この男も、エドワード自身も信じて疑わなかった。
エドワードは息をついて、もう一度だけ腰を下ろした。少し取り乱し過ぎたかもしれないと。
「…父上。僕も、父上が好きです。だから家を捨てたくはありません。兄さんの役にも立ちたくて、手探りですが、財政状況も確認しました…」
「エドワード」
「これだけの資金があれば、やり直せるはずです」
「結婚は…やはりだめか?」
「…だめです」
父は落胆しつつ、ギルバートに目を向けた。ギルバートが小さく頷く。
「分かった」
「…父上?」
「そのお嬢さんが伯爵家へ入ってくださるのなら、お迎えしよう」
「…本当ですか」
「ああ。約束する」
根負けしたように父は笑った。
「…ありがとうございます、父上、兄さん」
瞬時に、心が軽くなった。
ギルバートがやれやれと首を振る。
「父上は、甘すぎる」
「エドワードがここまでしてくれたんだ。突き放すのもかわいそうだろう」
穏やかに笑って父は煙管に火をつけた。ようやく、いつもの父に戻った。
つられて笑うエドワードに、ギルバートが釘を刺す。
「これ以上勝手なことは許さんぞ」
「ええ、わかっています」
「明日の夜、エルゼンデと父上がいらっしゃる」
「…はい」
ギルバートは緊張を走らせる。最後の難関は、まだ残っていた。
「お前の仕事だ、わかるな」
エルゼンデはまた、癇癪を起すかもしれない。
面倒だが、致し方ない。
エドワードは気を引き締めた。
***
その頃。
フェリス雑貨店には、ひとりの男性が訪れていた。
客人かと出迎えるメアリーに対して、男は丸い眼鏡を光らせる。
「突然のご訪問、失礼いたします。少々お時間をよろしいでしょうか?」
男は、名前をニックと名乗った。




