15.見える世界
***
「僕と、結婚してください」
真剣な瞳が、真直ぐにメアリーを貫いていた。
告白。
デート。
それから、プロポーズ。
一生分の幸せが、一度に訪れたような三ヶ月だった。
毎日、息の詰まるような想いだった。
けれど。
頂点を迎えた幸せは、あとは一気に下降していくだけだ。
その医者は言った。
「視力が、落ちていますね」
寝るとか、ゆっくり休むとか。
そんな時間が、メアリーの生活にはなかった。
両親の遺してくれた店を切り盛りするのと、病弱な弟の世話でいっぱいで。
だから、男の人と付き合うとか、オシャレをしたりとか、そんなことをしたいと思う暇もなかった。それを嘆いたこともなかった。
自分には可愛い弟と、大切にしている趣味がある。
それだけでも、十分だったから。
けれど。
エドワードは、もっともっと素晴らしい時間があることをメアリーに教えてくれた。
あまりにも手元が見えないと、メアリーはとうとう医者を訊ねた。
カルテに何かを書き込みながら、医者は診断結果を話し続ける。
「目の使い過ぎです、すぐにどうとはならないでしょうが、これからは、小さな文字を読んだり、細かな作業は難しくなるでしょう。視野も、狭まります」
「…え…あの」
言われたことが、上手く理解できない。
ものもらいか、何かなのだろうかと、そう思っていた。
楽観していた。
「視力は、戻らないのですか」
医者は、一瞬書き物をしていた手を止め、メアリーに目を向けた。丸い眼鏡の向こう側にぽつんと小さく並んだ黒目が困ったように細められる。ややあって、そらされた。
「眼鏡で矯正をするしかないでしょうな。なに、今は安いものも出ています」
「じゃあ」
良かったと、安堵しそうになったメアリーに、しかし医者は残酷な真実を告げる。
「ただ、そうして矯正しても、目を酷使すればまた視力は落ちていきます。しまいには、見えなくなることもある。残念ですが、あなたのように、レース編みだとか、そういった仕事をされる方には珍しくないことです」
短命な職業なのですよ、と医者は静かに告げた。
背筋が凍っていくようだった。強い眩暈を感じ、瞳を閉じる。
「そう悲観しないで。あなたはお若いですし、目をあまり使わない仕事だってあるでしょう」
視界は、黒く染まっていく。
「とにかく目を休ませなさい。わたしから見ても、働き過ぎだと思いますよ。ほとんど寝ていないようですしね」
眼が悪くなると、耳は良くなるのだろうか。
しっかりと聞こえた医者の声に、メアリーはいっそ耳を塞ぎたくなった。
他の仕事か。
どんなものがあるかしら。
病院からでて通りを歩きながら、メアリーはぼんやりと考えた。
手芸品は、結構な収入源だった。
ベイルの薬は貴重で、高価で、とてもじゃないが普通の仕事では賄えそうもない。今もやっとのことで支払えていたのに。
「…困ったな」
あと数年は、雑貨店を続けられると思っていた。
せめて、ベイルが成人するまでは。
「甘かったかしら」
まさか、自分の身体が壊れるとは思っていなかった。
メアリーはとぼとぼと、夕暮れの迫る路地を歩く。
メアリーには、もう時間がない。
そうだ。
落ち込んでいる暇もない。
今の内に、出来ることをしておかないと。
残された時間で出来る精一杯のこと。
ベイルのために、出来ることを。
決心したメアリーの歩みは早まっていった。




