14.遊びなら
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考えるまでもなかった。
イザベラと別れたエドワードは、巨額の資金を手にしたその足で、下町の一角へ向かう。
夜も更けていたけれど、そんなことは関係ない。
一秒でも早く、メアリーとあの男を引き離したい。エドワードを突き動かすのは、それだけだった。
下町の一角に聳える、三階建ての石造りの家屋。
町一番の豪商、ヴォーグ家の屋敷だ。
エドワードは外套を脱ぐこともなく、その扉を叩いた。屋敷の窓のいくつかからは灯りが漏れているというのに人の出てくる気配はない。
「くそ」
扉をたたくのが面倒になって、乱暴に蹴り飛ばす。時刻は深夜に差し掛かろうとしていた。
背後でニックが「明日にしては」と止めにかかった。が、エドワードは扉をたたき続ける。
もたもたしている時間はないのだと。
暫くして。
根負けしたのか、億劫そうに扉が薄く開かれた。
「なんだい、あんた」
深夜の厄介な訪問客に、ヴォーグ家のその召使はさも迷惑だと言わんばかりの視線を投げかけてきた。
「夜分に失礼。急ぎ、ご主人に取次を願いたい」
「主人にって…」
とんでもないとあきれ返る下働きの男には、ニックが前に進み出た。そうして、伯爵家の人間だと名乗る。と、男は解りやすく態度を一変させた。
「ど、どうぞこちらへ!」
ニックを伴い、エドワードは案内された貴賓室に入る。
そこは、一介の商人が建てたにしては立派な屋敷だった。エドワードは部屋の中央に据えられた布張りのソファに腰かける。座り心地は良いが、柄が気に食わない。
部屋を彩る調度品もそうだった。金色ばかりの置物が点在していて、まったく落ち着かない。
この屋敷の主人とは気が合いそうにないな、とエドワードは安堵した。
二度と、訪れることはないだろう。
と、ややあって、扉がノックされた。
「これはこれは、オルグ様。お待たせを致しました」
へらへらと頭を下げながら屋敷の主人だというその男はやってきた。あの、ロルフの父親だ。
慌てて整えたらしい髪にはべったりと整髪料がついており、きつい匂いがエドワードの鼻をかすめた。
「このようなところにおいでくださるとは、本日はどういったご用件で」
まあまあいっぱい、と男は召使に酒を持ってくるようにせっつく。
「いえ、アルコールは結構です。すぐに済みますから」
片手で制したエドワードに、男はおろおろとまごついた。
本当に、どうして突然エドワードがやってきたのか、皆目見当もつかず、困り果てている。それはそうだろう。
「…あのう」
「本日は、折り入ってお話があり参りました」
「はあ」
男はまだ不安そうにエドワードをうかがってきた。
「それは、あの、どういった…?」
「フェリス雑貨店の経営権利を譲って頂きたいのです」
「フェリスの…?」
男は怪訝な顔つきになる。
そうして、「あ、ああ…!」と大きく頷いた。思い出した、というふうに。
「せがれが勝手に買ってきた、あの雑貨屋の…!」
「ええ。そうです」
「はあ…なるほど」
そう言いながら、男はやはり合点がいかないらしく、いや、より一層理解しがたいように表情を渋めた。
「構いませんが…なぜ、あんな店を」
「良かった、売っていただけるのですね。ではすぐに締結を」
理由を説明する義務などない。
エドワードは強引に話を進める。
「金額は、こちらで宜しいでしょうか」
エドワードが提示した金額に、男はぎょろりと目を光らせた。一気に商売人の目つきになる。相場の倍の金額だ。食いつかないわけがない。
「え、ええ。わたしは構いませんとも。オルグ様が宜しければ、すぐにでも契約を」
「では、権利書をこちらへ」
エドワードがせかすと、男は召使を呼びつけて権利書を用意させるように告げた。
こうして待っている間に、エドワードの気が変わりはしないか。男は、そんなことを気にするかのように、時計を見たり、しょうもない世間話に興じる。
「いや、うちのせがれも自分勝手な奴で。あのフェリス家の雑貨屋も、わたしになんの相談もなしに突然買ってきましてね。困った奴なんですよ。時に、オルグ様も商売にご興味が?わたしで宜しければこれからもご相談に乗りますよ」
「結構です」とにべもなく断るエドワードに、男は汗を垂らす。
と、そこへ荒々しい足音が近づいて来た。
「親父!」
ロルフだった。
寝間着姿のまま部屋に入り込んできたロルフは、ソファに悠々と構えるエドワードを目にし、顔を真っ赤にさせた。
「貴様、何しにきた」
「フェリス雑貨店を頂きに」
「あ…?」
エドワードは腰かけたまま、ロルフを見上げる。
「お父上とは話はつけた。彼女の店は、僕が貰う」
「お前…っ」
ロルフが、エドワードの胸倉を掴む。
男が止めろと必死に間に入った。
「オルグ伯爵のご子息だぞ!」
「はく…しゃく?」
初耳だと、ロルフは呆ける。
「ああ、なんとお詫びすればいいのか」
男は、乱れたエドワードの衣服をせっせと直そうとする。それをエドワードは避けるようにして、自身で戻した。
ロルフは、信じられないと呟く。
「伯爵家…?あんたが?嘘だろ」
「本当だよ。だからメアリーのことは安心して任せてくれ」
「でまかせだ」
「君、しつこい奴だな」
エドワードは苛々と息をつく。
「あのね、メアリーの店はもう僕のものなんだ。二度と近づかないでくれ」
「…ふざけてる」
「どちらが。メアリーを不当にこきつかって…」
ロルフの唇が動きを止める。
エドワードは勝ち誇り、笑った。
「知っているよ。君、メアリーの作品を高値で売り捌いてるんだろう」
「…それは」
「僕の友人が教えてくれたよ」
と、そこへ召使が権利書を手に戻ってきた。
エドワードは立ち上がり、ひったくるようにそれを確認すると、懐へしまう。ロルフが叫ぶ。
「おい、本当に売ったのか、親父」
男は、ロルフに怒鳴りつける。
「いい加減にしろ!さっきからなんだ、お前の態度は。オルグ様はな、あんな負債を買ってくださったんだぞ。ここは感謝すべきだろう」
「親父…」
ロルフは、歯を食いしばる。背を向け、さっさと出て行こうとするエドワードに走り寄った。
「…あんた、メアリーをどうする気なんだ。遊びなら、手加減してやってくれよ」
エドワードは掴まれそうになった腕を払う。
「君には関係ない」
「…伯爵家の人間ってのは、本当なのか」
エドワードは応えず、出口へ向かう。
その背に、懲りないロルフの声が投げかけられる。
「愛人になることのどこが幸せなんだ」
「…愛人?」
「ちょっと気に入ったからって、こんな、金で囲うような真似して…あいつはペットじゃない」
ため息も出なかった。
「もう僕たちのことは、放っておいてくれないかい?頼むから」
エドワードは今度こそ歩みを止めず、ヴォーグ家を出た。
暗い夜道の中、待たせていた馬車に戻る。
懐には、メアリーの店の権利書がしっかりと入っていた。
エドワードはようやく人心地ついて、目をつぶる。
これでまたひとつ、メアリーに近づけた。




