12.立派な決断
改めて見ても、メアリーの作品は素晴らしかった。
どれも縫製はしっかりとしているし、落ち着いた色遣いは多くの年代に好まれそうだ。比べるものでもないのかもしれないが、先日、エルゼンデのハンカチを見てしまったせいで、余計にそう感じてしまっていた。
「エドワード様、お考え直しください」
エドワードは、テーブルに並べたメアリーの作品を見下ろしつつ、片手を顎に当てた。
-どこかで、見かけたことがある。こういった、穏やかな色遣いのなにかを。
「エドワード様」
ニックはずっと喚き立てていた。
「今ならまだ間に合います。せっかくご立派な決断をなさいましたのに」
「うるさいな」
エドワードは考えるのを中断した。
「いいから、早く郵便屋に行ってきてくれよ」
早くしないと閉まってしまう。
エルゼンデに婚約の返事が届いてしまったら、もっと面倒なことになる。
あんな手紙、書くんじゃなかった。とエドワードは後悔した。
「旦那様とギルバート様にはどう申し開かれるおつもりですか」
「そこが最大の難関なんだよ」
エドワードは、テーブルの上に並んだクラッチバッグを手にとった。女性がパーティーなどに用いる小さめのバッグだ。中は狭く、せいぜいハンカチか口紅程度しかはいらない。そもそも、パーティーに出席する女性は荷物など持たないのが普通だ。つまりクラッチとは、ネックレスやイヤリングと同じ装飾品のひとつであった。
「最悪、僕は勘当だろうな」
「ありえません」
しかし、メアリーのそれは、中をのぞくと思いのほか広がりを見せた。これなら、小さなポーチや鍵を追加でいれることも出来そうだ。実用的だと、エドワードは感心する。
令嬢たちにとっては、確かにバッグなど装飾のひとつでしかないだろう。だが、それに付き添う侍女たちは別だ。何かしらこうして持ち歩けるものがあれば、便利だろうと思えた。
「旦那様には、エドワード様が必要なんです」
「生け贄に?」
しかし全く、こんなものをどうやって作るのだろう。外側の生地と、内の生地は別物だった。留める金具は金属でできているし、可愛らしい花形のチャームまで付いている。細かすぎて、エドワードには理解不能だった。
「エドワード様、口が過ぎますよ」
「じゃあ、犠牲だ」
クラッチバッグをテーブルに戻し、エドワードは言った。
「いい加減になさってください、おいくつのつもりなんですか」
悲愴な声をあげるニックに、エドワードは静かな視線を投げた。
ニックが憤るのも、無理はない。
エドワードがこのまま婚約を破棄すれば、伯爵家は困窮する。すなわち、彼も路頭に迷うのだ。彼だけではない。この屋敷に仕えている人々も、全てが職を失う。
エドワードが進もうとしているのは、周りを巻き込む、破滅への道だ。
ニックが言う。
「…家をお捨てになるのですか」
「ニック」
「勝手にも程がございます」
遊び呆け、贅沢をむさぼったくせに、義務も果たさず好いた女と一緒になろうとしている。ニックの目はそう映るだろう。
エドワードは、顔をしかめてくる従者に向き直る。こうして蔑まれることも、反対されることも、覚悟していた。
「捨てないよ」
覚悟した上で、決めた。
「父には感謝しているし、兄さんには申し訳ないと思っている。いい歳して、何にも知らなかった自分が情けなかったし、恥ずかしかった…だからせめて、結婚くらいはしてやろうと思った」
「ならばなぜ…」
問いかけ、ニックは息を吐いた。
「メアリーさんですか」
元凶は。指摘され、エドワードは観念した。
「…飽きないんだよ。全然。別れたそばから、また会いたいと思う」
次はいつ会えるのか。なにをしようか。メアリーはなにをしたいだろうかと考えてしまう。彼女が困っているのなら、力になりたいとさえ思った。
「暇つぶしではなかったのですか」
ニックはきつく握りしめていた拳をほどいた。そうして、諦めたように言う。
「ですから、お会いになられない方がいいと申し上げたのです」
「…まったくだね」
ニックは仕方がございません、とまだ悔しそうにではあるが、首を振る。
「それで、その手芸品で、どうなさるおつもりなんですか。この状況を」
すでにエドワードの考えなど見透かしているのだろうに、ニックはわざとらしくメアリーの作品に近づいた。そうして、物珍しそうに手に取る。
「…これは、なかなか。エルゼンデ嬢にはお見せできませんね」
「だな」
笑ったニックは作品をテーブルに戻すと一歩下がった。手紙を、回収してまいります、と。
***
エドワードの私室を出たニックは、足早に廊下をすすむ。
掃除をしていたメイドと角でぶつかりそうになり、舌打ちをこぼす。
「気をつけろ」
最悪の展開だ。
目指すは、屋敷の主人であるオルグの私室だ。執事長でもいい。とにかく、味方を。
エドワードが間違った道へ進もうとしてしまっている。
今ならまだ、間に合う。
あの娘をエドワードから遠ざけなければ。
ニックは、必死な思いで辿り着いた部屋の扉を叩いたのだった。




