11.求婚
*
「つまり、さっきの彼は幼馴染で、今はオーナーなんだね?」
「ええ」
メアリーは顔を下げたまま頷いた。
怯えさせたいわけではないし、説教をしたいわけでもない。それなのに、メアリーは先程から中々目を合わせてくれない。
先日の愚行が尾を引いているとしか思えなかった。
エドワードは自分自身に苛立ちながら、メアリーの作品だと言う白いドレスを眺める。
それは、冗談抜きに一級の品だった。
高級店にも引けを取らぬ見事な裁縫に、流行に遅れていない鮮やかなレースの飾り。ところどころがほつれ、汚れているのが気にはなるが、それを抜きにしても一流品と呼ぶのに遜色はなかった。
これを、メアリーが。
「……あんまり、見ないで」
恥ずかしがっていると取るには、メアリーの表情は暗すぎた。エドワードはどう伝えればいいだろうと、思考しながら言葉を紡いでいく。
「僕は、服作りのことは良くわからないけど、でも、このドレスはとても綺麗だと思う」
「…でも、あなたがお金を払うようなものじゃないわ」
「彼には価値が分からないんだよ、きっと。可哀想に、商売人としては致命的だね」
エドワードは笑ってみせるけれど、メアリーの表情は浮かない。
やはり、先ほどの、ロルフとのやりとりもまずかったのだろうか。
エドワードは心の中で舌打ちをする。
あの、男。
*
ロルフは。
-メアリーの雇用主だとふんぞり返ったロルフは、さもエドワードが邪魔だと言わんばかりの態度をとってきた。
「失礼。今僕はメアリーと大切な仕事の話をしているんですよ。申しわけありませんが、逢引ならまた後日にしていただけませんかね。わたしも多忙なもので」
「…仕事の話?」
エドワードは腕を組み、ロルフを見下ろす。
「彼女を罵倒しているようにしか聞こえませんでしたが」
エドワードはメアリーを背後にかばいながら、ロルフの前に立った。メアリーを怒鳴り散らしている時の声も不愉快だったが、わざとらしい丁寧な話し方は別の不快感を煽ってきた。彼の言葉遣いは、社交界では通用しない。成り上がり者によくある、勘違いな庶民だった。
まあそれはどうでもいいとして。と、エドワードは、ドレスに目をやる。
「それにこれも。十分売り物になると僕は思いますが」
率直な感想を述べると、ロルフははっと笑い飛ばしてきた。
「全く、素人が何を。部外者が口を出すのもいい加減にしてくれませんか?こっちはね、祖父の代から商家を営んでいるんです。こんなもの、バザーにも出せやしませんよ」
「…そうですか」
エドワードは抵抗を止めた。
この男には何を言っても無駄だ。時間をかけること事態が馬鹿馬鹿しい。
懐に手を入れ、固い革の財布を取り出す。
「わかったなら、お引き取りを…」
ロルフの言葉を遮り、エドワードは所持していた全ての紙幣を差し出した。
「でしたら、僕が買います」
「エドワード…っ」
メアリーの驚愕する声に、大丈夫だよとエドワードは目を向けた。
正直なところ、これで足りるか心配でもあった。このドレスが本来いくらで売買されていたのかは分からないが、エドワードが今差し出せる金は、普段自分が購入する服のいくらにも届かない。
足りなければ、一度屋敷に戻らないと…。
と、そう思ったのだが。
「…そんなに気に入ったのでしたら、どうぞ」
紙幣を前にしばし逡巡した後、ロルフは思いのほか簡単に金を受け取った。
「でも、直しは必要ですよ」
負け惜しみのようなセリフに、エドワードは失笑した。
「直接彼女に頼みますので、ご心配なく。ああ、これでお仕事のお話終わりましたよね、お忙しいんでしょう?お役に立ててよかったですよ」
早く立ち去れと裏を込めれば、ロルフは険しい顔のまま思い通りに動いてくれた。「また来る」と、やはり負け犬のような捨て台詞を残して。
*
あいつ、嫌いだな。
心底そう思いながら、エドワードは浮かない顔をするメアリーの手をとる。せっかく邪魔者を追い出して、二人きりになれたというのに。
あんな奴にメアリーが雇われているのかと思うと、虫唾が走った。
なんとか、解放してやりたい。
どうすれば…。
と、エドワードは握っていたメアリーの手の異常に気付いた。
「…メアリー、この怪我」
何気に触った彼女の手には、いくつもの赤い傷があった。
刺した痕や、擦り傷もあり、そのどれもが真新しく、痛々しい。
「手当しないと」
しかし、メアリーは手を引っ込めると「なんでもない」と笑った。
「針でちょっと刺しちゃっただけ。こんなの痛くないから平気よ」
「数が多すぎるよ」
もう一度手を伸ばし、エドワードはメアリーの手を掴み、引き寄せた。メアリーが言い訳をしてくる。
「いつもはこんなに刺さないのよ…ぼうっとしてたの。最近、仕事が忙しくて」
「…ロルフさんに頼まれてる奴?」
「ええ」
「どれだけあるんだ?」
メアリーは何でもないことのように言った。
「この刺繍と、アクセサリーと、ヴェールがひとつよ」
「いつまでに?」
「三日後」
「出来るの?」
矢継ぎ早の質問に、メアリーは困ったように笑った。
「大丈夫よ」
「…メアリー」
エドワードは、メアリーの顔を覗き込んだ。目の下にうっすらと翳りがさし、疲労がありありとうかがえる。
「寝てないんだろう?」
確信をもって尋ねると、メアリーは哀しそうに見つめ返してきた。
「ちゃんと寝てるわ」
「…」
頼ってはもらえないか。
エドワードは肩を落とす。
「…エドワード?」
「ごめん。今日は突然来て」
「ううん…恥ずかしいとこ、見られちゃったけど」
「恥ずかしくなんてない。君のことをもっと知ることが出来て良かった」
ここへは、彼女に別れを告げるために来たのに。
会いに来るべきではなかったのだ。
握りしめたメアリーの手を、離せそうにもない。
「メアリー、こないだはごめん。今日はそれを謝りにきたんだ。それと」
エドワードは、最後の贈り物にしようと思っていた花束を差し出す。
「僕と、結婚してください」
「え…」
メアリーが、思っていた通り、目をまるくする。
こんなくたびれた服ではなくて、きちんとした礼装で来るべきだった。
思いつきで言ったと、思われただろうか。
「あの…え?でも」
「返事は?」
顔を近づけると、メアリーはおろおろと視線を動かした。どう答えたらいいの、と。
告白した時のように、上手くはいかないか。エドワードは笑って、メアリーの頬に唇を当てる。
「メアリー、頼みがあるんだけど」
「え…」
頬を真っ赤にしたメアリーに、エドワードは言った。
「君の作品、いくつか貸してくれないか」
「…でも」
「ブローチでも、このあいだみたいなスカートでも、なんでもいいから」
「そんなの、どうするの?」
「秘密」
メアリーはふらふらとしながら、二階へあがり、ややあって降りてきた。
服類に加えて、アクセサリーやぬいぐるみに小物と様々ある。
「…これでいい?」
「うん。十分だよ」
ドレスはいったんメアリーに預けることにして、エドワードはそれらを受け取った。
「じゃ、返事は一週間後に聞きに来るよ」
「あの…本気?」
メアリーが不安そうに見上げてくる。
「ええもちろん」
エドワードは鼻先を近づけ、キスを堪える。
「本気ですよ」
褒美は、あとにとっておくと甘美さを増すと知っていたから。
*
「エドワード様、これは…」
絶句したニックに、エドワードは手を差し出した。
「エルゼンデ宛の手紙、もう出してしまった?」
「ええ、午後の郵便屋に…」
「回収してこい」
「は…」
エドワードは屋敷に戻ると、メアリーの作品を私室のテーブルに広げた。すぐ背後にべったりと張り付いたニックは「どうされるおつもりですか!」と声を荒げている。耳元でがなるのは止めて欲しい。
「メアリーさんとお別れに行かれたのでは」
「無理だった」
「…なにをしに行かれたんですか、あなたは」
ニックはわなわなと震えている。
「エルゼンデ様とは、ど、どう…」
「エルゼンデとの縁談は白紙に。僕は、メアリーと結婚する。さっき求婚してきた」
とうとう、ニックは絶叫した。
「許されません」
「落ち着いて。血管が切れるよ」
エドワードは不適に笑う。
「ニック、お前にも頼みがあるんだ。よろしく頼むよ」




