10.弱点
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メアリーと別れ、エルゼンデと結婚する。
それが伯爵家に生まれた己の責任であり、必然の選択だ。
ギルバートに全てを打ち明けられ、メアリーに情けない姿を晒した翌日。
エドワードはエルゼンデへの手紙を書きあげると、デスクの端にあるベルを揺らした。直後、ニックが姿をあらわす。エドワードは立ち上がり、蝋封をしたばかりの手紙を渡した。
「出しておいてくれ」
そうして自分は上着を脱ぎ、椅子に投げる。ドレッシングルームへ入ろうとした瞬間、ニックのひとりごとのような声が届いた。
「…決心されたのですね」
扉に手をかけたまま、エドワードは立ち止まり、ニックを振り返る。ニックは不安と安堵がないまぜになったような表情でエドワードを見つめ返していた。
「旦那様も、兄上もお喜びになられることかと思います」
「…ああ」
迷う余地などもとよりない。
シャツを脱ぎ捨て、衣装棚からいつもの生成りのシャツを取り出す。これを着るのも最後か。メアリーと会うためだけに買ったそれに腕を通し、ボタンを留めていく。
心を決めた以上、関係を続けるわけにはいかない。
それでも、最後があれではあんまりだ。
出かけようとするエドワードに、ニックが不満を漏らす。
「…わざわざ会いに行かれずとも」
「そうだな」
エドワードは靴を履き替えた。
「このまま僕がなにもしなければ、関係は終わるだろうな。メアリーは、僕のことをなにも知らないから」
エドワードが動かなければ、会うことはないのだと。そんな一方的な関係だったことを、いまさら思い知る。
メアリーは、どうするだろう。
泣いてくれるだろうか。
探してくれるだろうか。
けれど、住んでいる場所も職業もわからない男など、どうのしようもない。
メアリーは遠からず、エドワードを諦めるだろう。
それで、終いだ。
「お前の言うとおりだ、ニック」
関係を終わらせるなら、エドワードはなにもしなくてよかった。わざわざ別れを告げに向かうなど、ただの手間でしかない。
それでも。最後にひとめ会いたいとそう思ってしまったのだ。
「-なにが売り物にならないって?」
気づけば、口を出していた。
メアリーの店に入る寸前に聞こえた、メアリーと若い男の怒鳴り声。
不穏な空気に、聞き耳を立てる。
(…ったく。あんたは趣味の延長かもしれないけど?こっちは商売なんだよ。客がいるの。しっかりしてくれよ)
メアリーの声は小さくて聞き取れない。
けれど男の声は確かに、エドワードの不快感を煽っていった。メアリーにと買った花束を握る手に、知らず力が籠っていく。
(とりあえず。これ、ちゃんと直せよ。それからしばらくは給料も下げることになる)
-給料?
エドワードは眉をひそめた。
金銭のやりとりをしているのだろうか。
メアリーは手芸が得意だと言っていた。細かい作業くらいしか、取り柄がないと。だから…。
(当たり前だろ。こんなの、売り物にならない…)
売り物。そういうことか。
黙っていられたのは、そこまでだった。
「なにが売り物にならないって?」
当初の目的も忘れ、気づけば、そう口を出してしまっていた。
眼を丸くするメアリーと、片眉をあげる妙に良い身なりをした男。
ふたりの間に入り、エドワードはメアリーが手にしているドレスに目をやる。
「メアリーの作品なら僕が買うよ。どれ?」
メアリーの瞳がみるみる潤んでいく。
先日の自分のひどい態度を思い出して、エドワードはなんとか笑みを作ってみた。ちっとも自信なんてなかったけれど。
「エドワード」
同じように微笑みを返され、エドワードは思い知る。
この笑顔に、自分は、とても、とても弱いのだったと。




