第九話
ちゆのと少年を乗せたワイバーンは、村のワイバーンを停めていた場所に勝手に戻ってきていた。ワイバーンが最後に一回、大きく羽ばたいて着地すると、意味もなく手綱を強く握り締めていたちゆのは大きく息を吐く。
「・・・・・・まったく、操縦者もいないのに飛び始めたときはどうなるかと思いましたよ。ああ、疲れた。」
ちゆのはその場に倒れ込みたい強い衝動にかられたが、それを我慢すると背後に乗っていた少年をまず地面に下ろした。ちゆのに引かれてワイバーンに乗った時から無反応だった少年は、下ろされると何も言わず、無気力に村の方へ歩いて行く。少年の手からは、どこで落としたのか木の枝はいつの間にかなくなっていた。
「あなたも危ないところをありがとうございます。お礼で助かりました。」
ちゆのは少年が村の方に行くのを確認したあと、改めてワイバーンを優しく撫でた。ワイバーンは特にその行為になんの反応も示すことはなかったが、ちゆのはある程度なでるとその場を後に、村の方へ戻ることにする。村の方がまだ騒がしくない以上、魔物が出たことにはまだ気づいていないはずだ。
「まあ、出たからといっても戦うのは一人ですからね。あまり意味はないかもしれませんが、これ以上子供が出てくると助けられませんし。」
そう言って、ちゆのが駆け出そうとすると村をはさんで向こう側、それもどうやら森の中から大きな地響きが連続して鳴る。誰が起こしたのかはわかっているが、少し揺れまで感じるのが分かるとちゆのは自然と顔を引きつらせていた。
「・・・まさか負けたりしませんよね?まあ、もし負けたとしても私には関係のないことですが。」
ふと、ちゆのは夜空を見上げた。空には、大きく広がるテアッテカイムと細々と散りばめられた星達が浮かんでいる。故郷でちゆのが何度も見た景色は、そこから離れているこの国でも変わらず輝いていた。
「帰れるんだけどなあ。でも、仕方ないよね。今の立場、逃げ出したら二度と手に入んないもの。」
ちゆのは思わず声に出た言葉にやれやれと首を振った。遠くからは、まだ地響きが断続的に鳴り響いている。その音に現実に引き戻されて、ちゆのはまた走り出す。
シノトが大きくバックステップを踏むたびに、黒い塊が地面を打ちあたりの木の葉を少しつづ散らしていく。二度、三度とどんどんと続くそれは、だんだん間隔が狭くなるがなかなかシノトを捉えることができない。
「オオッ!」
当たらないことに業を煮やしたのか、魔物が鋭く叫び、あたり一面に鋭い衝撃波のようなしびれを起こす。気合の入ったその声に、シノトは思わず足を止め魔物はその隙を見逃さない。必殺の一撃がシノトの真上に降り注ぐ。
その一撃は、シノトを完璧に捉えるものだった。が、シノトはその一撃を見ようともしない。ただ、魔物の一撃とシノトが不意に持ち上げた腕が交差したその一瞬――――――シノトは、己を中心に魔物の世界を一回転させてみせた。
魔物が地面に叩きつけられ、ひときわ大きな地響きが起こる。己に何が起こったのかわからぬ魔物は不覚にもこの一瞬動きを止め、結果シノトの一撃をモロに受け、今度は盛大に吹き飛ばされた。
「・・・四mを超えるだろう巨躯、やけに長い割にやたら早い腕の動き。黒いから夜だとかなり見づらいんだけど、やっぱりあれだよね、どう見ても。」
シノトが見つめる先、吹き飛ばされたはずの巨体が起き上がる。暗い中わずかに浮かび上がるその光沢は、魔物が全身に纏う筋肉が光を反射している証だ。魔物は再度、轟くような咆哮の後シノトに突っ込んでいった。
「―――人型っていうよりかは、ゴリラ型だよね。ここにゴリラがいるかは知らないけどさ。」
地響きとともに近づいてきたゴリラは再度、シノトに拳を振り下ろした。シノトはまたも迎撃しようと手を上にあげたが、何か違和感でも感じたのか足元を見て――――――魔物の拳が、シノトを叩き潰す。
「オオオ!オオッ!オオオオオッ!」
何度も何度も、際限なく振り下ろされる拳はシノトの居た場所をさらに凹ませ、痕跡すら残させぬと言わんがごとく魔物はその連打をやめない。そして数えて十回ほどのち、地響きは突然なりやんだ。
「・・・何度も打っちゃって、そんなにミンチにしたいのか。というかそんなに打ったら普通腕が痛くなると思うんだけどな。」
魔物が振り下ろした腕は、もはや穴と言える場所から突き出た一本の腕によって、地面との接触を阻まれていた。魔物がまた咆吼し、もう一方の腕を叩きつけんと振り上げる。が、それよりも早く魔物はその場から吹き飛ばされ、一間遅れて土まみれのシノトはその場に起き上がっていた。特に足回りにこびりついていた土を振り払いながらシノトはぼやく。
「くそう、足だけ固めるなんて頭使うなあ。火を噴いたり風で高く飛ばされたりしないから何かと思ったら、あの見た目で器用な魔法の使い方を。」
シノトがそうぼやいているあいだに、魔物は体勢を立て直していた。再度咆哮し、真っすぐに向かってくる魔物に対して、シノトは先程とは違う構えで待ち受ける。
「動かなかったら足を固められるのか。なら、――――」
シノトは気合とともに、魔物に向かって走り出す。魔物にとってそれは不意だったのか、魔物が反応できない間に魔物の頭部まで跳躍。その頭を掴むと、思いっきり地面に叩きつけた。魔物が頭を地面に打ち倒れると、すかさずその背中に飛び乗ったシノトは間髪入れずに、その背中に拳を叩き込んだ。鉄板を打ち抜いたような音が、森の闇に響き渡る。
「っく、やっぱ硬いな。」
シノトがその音に顔をしかめると、魔物が起き上がろうと腕を地面に立てようとするが、シノトはそうはさせまいとどんどんと腕の動きを加速させていった。鉄が何度もへしゃげるような音が森の中に響き渡る。
「オオオオオオオオオォォ!」
あまりの痛さに叫びをあげながらも、魔物は立ち上がろうと腕に力を入れた。力を入れようとしたのだが――――――――
「――――――見つけた、君の心臓。これ潰せば流石にただじゃ済まないよね、魔物くん。」
夜の森に、甲高い金属音と断末魔が響き渡った。