第七十二話
ニイドの軍が、森が開けたところの平地で野営を組んでいた。全貌を見ればそれがいかに大規模なものかがわかり、転々と灯る明かりはどこか夜明けの空と相まって幻想的な風景となっている。しかし、少なくともその光景を心安く見れなかった男は、逆光に目を細めながら猊下の風景を睨みつけていた。
「完全に待ち構えているな。どうやら取り逃がした部隊が合流したようだが、おそらくそのせいでバレたのだろう。」
男の言葉は、独り言ではない。彼のさらに後ろからその風景を眺めているシノトにとってみればその風景はもちろん、彼の故郷ではまず見れるものではないのでその視線の意味も違ってくる。シノトはしばらく視線を固定したあと、やっと男に視線を移した。
「なぜあんな森から開けた場所で待っているんでしょうか?あれだけの人数だとその限りではないのかもしれませんが、待ち伏せなら隠れる場所が多い森の中のほうが有利な気がしますが。」
「やつらは我らとともに戦うガルバレイの兵士を見ているからな。森の中で戦うには、かの国の兵士相手は分が悪いと判断したのだろう。なかなか追い詰められているにしてはまだ頭が回っているな。」
男は鼻を鳴らす。見下た視線はそらさず、組んだ腕も解かない。しばらくそのままだったが、ここに呼ばれていたシノトはなぜ呼ばれたのか気になっていた。
「それで、なぜこんなところに呼ばれたんですかね?昨日の失敗ならもう謝りましたし、今度は反省文でも書かせますか?」
シノトの悪ふざけにも、男は表情を変えなかった。ゆっくりとシノトの振り向くと、そこでやっと組んだ腕を解く。それが合図だったかのようにシノトを囲むように現れたソーンの兵士は、皆が皆武器を手にしている。その鈍い輝きの色は、それが誰に向けられるためにここに持ってこられたのかが一目瞭然だった。
「お前の処遇については、散々意見が分かれていてな。不思議なことだが、お前を少しでも長生きさせたい奴がいるみたいだ。だがその少数派も、お前の数々の失敗の報を聞いて意見を変えざるを得なくなったようだ。」
シノトも流石に不穏な空気を感じ取って、剣に手をかけた。いつの間にか現れていた兵士達は完全にシノトを包囲しており、抜け出すのは容易ではない。ジリジリと距離を詰めてくる周囲に対して身構えるシノトに対し、男は語りかけた。
「お前が殺した彼らのことを覚えているか?」
「ええ、もちろん。」
「嘘を付け!」
間髪入れずに放たれた否定の言葉には、シノトも一瞬面食らった顔をしていた。男は叫んだ一瞬こそ顔を怒りで歪めていたが、すぐに菩薩のような優しげな表情になるとゆっくりと耳元に手を近づける。
「私には聞こえるぞ、今も彼らはお前を殺せと叫んでいる。だが彼らを忘れてしまったお前は当然その声が聞こえていない、だからお前は未だに生きていられるんだ。」
どこか囁くような男の言葉に、シノトは頭を掻いて答えた。その表情はどこか理解しきれていないような、説明を求めるような表情だったが、経験上からこのあとに何が起こるかわかっているのか、短い音とともに短剣を鞘から引き抜く。身構えるシノトに対し、男は剣を向ける。
「今こそここに正義を下してやろう。おまえを守る鎧は、この剣の前では役に立たないそうだな?今までとは違うぞ、お前はここで、正義によって殺されるのだ。今度は逃げられないぞ?」
その言葉を皮切りに、用意していた兵士たちが一斉にシノトに踊りかかった。
「・・・・・・おかしいですね。あなた方もテクノバーンさんと俺が戦ったことを知っていたはずでは?これと似たような剣がどうなっていたのか、ご覧になられなかったんですか?」
シノトがそう言って爪先で蹴ったのは、中程で綺麗に切り裂かれた紫色の剣の残骸だった。それもそのひとつだけではない、数多くの剣がそれと同じくらいの人とともに転がっている。未だに立っていられているのは、シノトと、シノトに話しかけていた男だけだった。シノトの指の間でくるくると回る短剣を見て、男は顔をしかめる。
「まさか、そんな変哲もない武器がそうだったとはな。お前にそれを渡したのは誰だ?ガルバレイか?」
「神様ですよ。」
シノトの言葉に、男は一瞬あっけにとられ、次の瞬間には苦笑している。彼の手に持った剣には、さらに力が込められた。
「他の誰かからならともかく、よりにもよって我らが神にということか?まったく、お前はいつもいつも――――――我らの神経を逆なでするのが得意だな!」
男が吠えるとともに、その剣が綺麗な弧を空に描いた。狙い済まされた首への一撃は、しかしシノトが一歩下がることによって空を切るに終わる。続けて繰り返される攻撃を避けながら、シノトは冷静に男を観察していた。命のやり取りをしているはずのシノトの目は、どこか冷め切っている。
「一人になってもまだ諦めないんですか?あなた方は確かにお強いです、俺のような人間が言うのもなんですが、当然命に関わることですしそれ相応の訓練を続けたあなた方が強いのは当然のことです。」
男の動きには無駄がなかった。足運び、間合いの取り方、そして振るわれる剣の軌道、その全てが彼のたゆまぬ努力が生んだものだ。彼はそれに自信と誇りを持っているからこそ、どんどんと前に出て果敢にシノトに切りつける。だが、その全てがまるで当たらない。傍から見ても、シノトが余裕を持ってかわしているのはよくわかった。ある程度かわしたところで、突然男の剣が宙を舞う。シノトが剣を振るったのは、たった一回だけだった。
「しかし、俺もあなた方よりも期間こそ短いかもしれませんが、元々は人生を捧げるつもりで励みました。ならばこそこの体と武器の差というのはますます埋めがたいものになると、そう思いませんか?」
シノトの話を、男は黙って聞いていた。その手を振ると、剣が大分と軽くなったことがよくわかる。切り取られた剣先を目の箸で確認すると、肩をすくめた。
「確かに、実力差はかなりあるようだな。だが戦いとは何も正面からするものだけではない、我らが小細工できないと思ったか?いくら魔法が苦手であっても、こんなことぐらいはできるぞ。」
シノトが男の言葉を理解する前に、シノトの足元の地面が口を開けた。シノトの姿も同時にその場から消える。突如現れた落とし穴に男が近づくと、穴の底からシノトの声が響いてきた。
「そういえばこういう仕掛けの類が得意でしたね。あやうく落ちるところでしたよ。」
シノトは穴の壁に手を突っ張って、落ちるのを阻止していた。もちろんただの穴ならば、相当の深さがあったとしてもシノトに怪我を与えられるかはいささか疑問だろう。しかしシノトも彼らを甘く見ていない、穴の底にある仕掛けを恐れて落下はかろうじて阻止していた。シノトが四肢に力を込め、穴を飛び出る。当然、男はそこを狙ってくるだろう。シノトはそれも予想していたし、待ち構えてすらいた。
――――――だが穴を出たところで待ち構えていたのは、少し予想と違うものだった。
「死ね!」
短いが、確実にシノトを傷つけられる切っ先を、シノトはかろうじて止める。だがそれだけではない、シノトは新手に囲まれていた。それも先程までの兵士達とは違い、明らかに頭一つ以上背の低い面々ばかり。すばやく状況を理解したシノトは、思わず感情が表情に現れていた。
「まさか――――――」
「お前にはなぜかこいつらが弱点のようだしな、逃げられても困るし、今まで隠れてもらっていたのは正解だったぞ。」
シノトにその言葉をのんびりと聞いている暇はなかった。短剣ごと突っ込んできた少年の腕を止めている間に、背後から別の子供が襲いかかる。なんとかそれも脇に避けると、待ってましたとばかりに四方どころか上下からも刃がシノトめがけてくる。体が小さいだけに立体的な組み合わせも混ざってくる彼らの連携は見事なもので、シノトにはいくつかは落とせてもすべてをかわすことはできない。背中、足、腕、体に刺さったいくつもの痛みに、シノトは思わず顔を歪める。
「くそ!」
シノトは形成が不利と判断したのか、慌ててその場から距離を取ろうとする。だが地面を離れようとした体は、本人の意思に反して地に伏せることになった。自分の足が思うように動かなかったことに驚きを感じる暇なく、シノトをさらに多くの刃が襲う。
最初の何本かはシノトも掴んで止めたが、直ぐにその腕に剣が突き立つと痛みゆえに手放してしまう。ほとんどの子供は、刺しては抜いてを繰り返していた。始め防ごうと奮闘していたシノトも、次第に抵抗を見せなくなり流れ出る血の量が増えるだけとなった頃、突然子供達の動きが止まる。その向こうではシノトに気絶させられた兵士達がようやく起き上がっていたが、男になにか指示をもらって何処かへ姿を消していた。
「どうだ、貴様にはふさわしい死に方だろ。」
どこか笑いを含んだ男の言葉に、シノトは顔を上げて睨みつけようとしたが、頭に突きつけられた剣がその頭をまた地面に伏せさせる。
「お前がのうのうと生きている間、お前に親を殺された子供達が復讐のために腕を磨き、そしてこうやって仇を取る。感動的だな、ソーンの人間ならまず涙を禁じえない場面だろう。」
「子供に人を斬らせといて、なにが――――――」
シノトが言い終わる前に、男の剣がシノトを刺し貫いた。シノトを串刺しにするそれに、シノトは痛みで口をつぐむ。地面に固定するかのようにつきたった剣から手を離した男は、その手に別の剣を握る。もちろんその剣は、出たばかりの日に照らされて紫色に輝いていた。
「子供を愛することはまだ忘れていないのであろう?まだ年若いようだが、子供達のため、その首をいただこうか!」
シノトの返事はなかった。もちろん男が待つはずもなく、その剣は振り下ろされる。舞うのは血しぶき、次に飛ぶのはシノトの首。男の表情は、そんな未来を確信しているものだった。
シノトは、実のところを言うと体が言うことを聞かなくなってもまだ諦めてはいなかった。気が飛びそうになるほど体が熱くなっていても、なにかできないかと考えを必死に巡らせている。だから男の言葉も耳に入っていなかったのだが、おかげで自分が死ぬ寸前だったこと、それをどういうわけか回避できたこともしばらく気がつかなかった。目の前で剣が落ち、男の体が崩れ落ち、それに連なるように周囲で子供が音を立てて崩れ落ちるのに気づいて、やっと何かが起こったと理解したのだ。
シノトが首を少し動かすと、視界が少し広がる。そこにはその場で唯一立つ誰かの足が映った。その誰かがシノトの背中から剣を抜き、そこでやっと口を開く。久々に聴くその声に、シノトの表情は和らいだものとなった。
「勇者のくせに、あなたはいつも人に斬られて血を流しますね。もうすこし勇者らしくはできなかったんですか?」
「・・・・・・これはちゆのさん、久しぶりですね。」
シノトが聞くその声は、いつか聞いた時と似たようにどこか呆れが含まれていた。




