第六十一話
真っ赤な炎があった。炎は、風に揺れながら夜の空を自分色に染めようと高く燃え上がっている。星を覆い尽くさんと伸びるそれは、ある意味でその周りを囲む若い兵士達の気持ちを代弁するものでもあった。
「おう、飲め飲め!飲まなきゃ損だぞもっと飲め!」
騒がしく、若さにあふれたたくさんの声の中に、リザルトの声はひときわ大きく聞こえた。彼の声は鼓舞となって兵士達に伝わり、場は一段と活気づいていく。だがきっと、どれだけ騒いでも兵士達はリザルトの声を聞き逃すことはないだろう。
「隊長、酒が足りません!」
「バカ野郎、通ってきたソーンの街から略奪してきたものが、そんなすぐになくなる訳無いだろ!俺の名前も出していい、もっと持ってこさせろ!」
リザルトが兵士にそう命じて、改めてリザルトは目下に広がる兵士達を見下ろした。火の回りに集まった兵士達は皆それぞれが思い思いに酒を飲み、雑多な内容の会話を交わしている。しかし不思議なことに、一人で酒を飲む者は誰もいなかった。・・・・・・いや、一人だけいた。若い兵士達よりさらに若い、それも少女だ。木のカップを両手に持ちちまちまと中身を舐めている少女、チクキーを見て、何を思ったのかリザルトは彼女に近づいていく。リザルトがチクキーの隣に腰掛けると、彼女は開口一番に文句をこぼした。
「もう、なんで私まで。」
「ガハハ、いいじゃねえか!宴は大勢でやるほうが楽しいものだぜ嬢ちゃん!」
酔でも回っているのではと疑われるくらいに豪快に笑うリザルトだが、チクキーに冷めた目で見られて慌てて居住まいを正した。どうやら酔っているわけではないらしい。だがそれでも笑顔は崩さないリザルトを見飽きたのか、チクキーは周りを見渡す。そこらじゅうで、兵士達は思い思いに会話を楽しんでいるように彼女には見えていた。
「仲良くなるのが早いのね。一体どうやったの?」
「そんなのわの中に入ればすぐにわかる。嬢ちゃんもどうだい、どいつもいいやつだ。わざと気分を害するようなことをする奴は一人もいねえさ。」
リザルトはそう言って手近な集団に入るよう勧めたが、それが聞こえないのかチクキーは変わらずリザルトをじっと見続けた。やがて根負けたかのようにリザルトはため息をつくと、急に真面目な顔になる。
「嬢ちゃん、ここにいるのはみんな若いだろ?隊長に頼んで、部下ならこういうのにしてくれって言ったんだよ。俺はこのためにここに来たんだからな。」
「よく意味がわからないわ、もっとわかりやすく言ってくれない?」
眉を寄せるチクキーにすぐに答えるかわりに、リザルトは周りを見渡した。どこか焼き付けるようなその視線は、まだチクキーには理解できないものらしく彼女はそれを見てもただ首をかしげるだけだ。リザルトの視線は、ぐるりと回ってやっとチクキーの方へ戻ってきた。
「こいつらは聞いたところ明日が初陣らしいんだ。これまでの街でも略奪をしてこなかったし、緊張で頭がおかしくなりそうなんだよ。多少若いが、酒でも飲ませて気分を紛らわせるのが一番。飲めばみんな仲間さ、さあ嬢ちゃんもどうだい?」
「あいにく私は、緊張はするけどそれを酔で紛らわしてしまうほど弱くはないわ。それに一番大変な相手は隊長さんが相手してくれるしね。緊張する理由なんかどこにもないでしょ?」
「そりゃあ嬢ちゃんにはこの世で最強の鎧があるからな。だがこいつらにはそんなものがない、それにこいつらはこんなことが初めてだ。気持ちもわかってやってくれ。」
リザルトの言葉を受け、チクキーは思い立ったようにそこで立ち上がった。彼女は振り返らず、ただ誰に言うわけでもなく独り言をつぶやく。
「私には弱い人の気持ちなんてわからないわ。騒ぐなら勝手に騒いでいて頂戴、私はもう行くわ。」
チクキーはそう言って、炎の光の届かない所へ去っていく。座ったままのリザルトは、遠のく背に目を細めながら、持っていた酒を一口煽って、近くにいた集団に混じっていった。
その剣は輝きに満ちていた。月の光を受け、それと同等、いやそれ以上の輝きで闇を照らしている。しかしその豪奢な輝きは月の光と同質のものでは断じてなく、それがその剣の異質さを物語っているようにも見えた。少なくとも、今その剣を夜空にかざしているテクノバーンにとっては。
「黄金の剣とは、やはり美しいな。」
輝きにつられるように、その場にライズが現れる。影から抜きでたかのようなその表れ方に、しかしテクノバーンは慣れているのか、その態度にも声色にも動揺のたぐいは現れなかった。
「ベルトは治ったの?」
「ああ、なんとか。偶然コードがいくつか切れていたみたいだ、換えのきかない部品が壊れていなくてよかった。」
安堵の表情を浮かべるライズ同様微笑むテクノバーンは、また剣を月夜に掲げる作業に戻った。彼らの髪の色にも似た光を放つそれの輝きは、今や見えるどの星にも引けを取っていない。その輝きに、男はもう一度感心したのか感嘆の息を吐いた。
「そういえば今までその剣を見なかったが、手荷物の中に紛れ込ませていたのか?他の物に任せられるようなものでもないだろう?」
「この剣に選ばれた時から、僕が望めばいつだってこの剣は僕の手元に収まってくれるよ。いちいち手に持って移動する必要はありません。」
「ほう、さすがだな。」
夜の空にくっきりと浮かぶ剣を眺めながら、しかしふとそこで思い出したかのように男はテクノバーンの方を見た。テクノバーンは今や男のほうこそ向いていないものの、その視線は感じ取っていることだろう。
「しかし、さっきはなぜ一人でやるなんて言ったんだ?いくらそれを使うとは言え、万全を喫するなら七人全員で一斉にやるべきじゃないのか?」
ライズの言うことは、要するに計画の確実性とテクノバーンの安全を優先してのものだった。だがテクノバーンはその言葉に首を振る。
「こちらはおそらく数で優っているだろうけど、戦力で言えば総合的にはまだまだ厳しい。国に残している兵士達もいるしね、それはしかたのないことなんだけど、でも確実に勝つためなら僕達の力は必要不可欠だよ。それに、やつでは僕を殺せない。」
「なにか確証でもあるのか?」
ライズの問いに、テクノバーンは黙って剣をゆっくりと下げた。テクノバーンが剣を見る目は、いつの間にか遠く離れた故郷を思い出す時のそれによく似たものになっている。
「この剣の使い手に選ばれた時から、この剣を持つに相応しい人間になろうと努めてきた。でもやつは違う、たとえ肉体は勇者であっても心はまだ成りきれていない。そんな中途半端な奴に僕は負けるわけにはいかない。」
「意地のために命をかけようってのか?分かっているとは思うが、敵は勇者だけじゃないぞ。」
ライズは不安げにテクノバーンを見るが、それを払拭するかのようにテクノバーンは振り返り、笑う。彼が見せる表情は、きっと彼の自信の表れなのだろうか。
「やつとは決着をつけなくちゃいけない。なに、死ぬ気はないさ。やつの首を持って帰ってくるから、楽しみに待っててよ。」
彼は月夜に、そう宣言した。いつしか彼がした時と同じく。気負いもなく自信に満ち溢れたそれは、きっと月にも届いていることだろう。
「古株たちはうるさいねー。僕なんでここに来たんだろー。」
「ブルータルは兵士だけど、貴族でもあるじゃないか。確かにあたしらの部隊はみな身分が高いのが多いけど、それだけで見れば会議に出る権利はあるよ。ああいう場は初めてだったし、あたしも少し緊張したよ。しかしブルータルとペアになったことで、いい経験ができたね。」
ブルータルともう一人、ニイドに珍しい褐色の肌を持つ女性騎士のヨカ・ジラは夜道を歩いていた。ちなみにヨカはブルータルト同じく勇者の体を持っている、要するに子守り役だ。長く続いた会合の帰り故か、ブルータルの方は欠伸さえ見せている。夜目の効くのか、その途中ヨカは林の向こうに見知った人物が居るのに気づいた。
「おや、あれは副長殿だよ。こんなことで何をしているのかな?」
ヨカの言葉に、ブルータルもそちらの方を向く。すると確かにその目には群れ成す木々の向こうで、神に祈りを捧げるように目をつぶったまま動かないシェルの姿があった。気になったブルータルはそちらへ足の向きを変え、付き添いとして同行しているヨカも自然とその足先をそろえる。二人が声をかける前に、シェルの方が気がついて目を開いた。
「お二人共、会議の帰りですか。隊長の代わりお疲れ様です。」
「いいんだけどさ、本当にこれでいいわけー?隊長一人に任せるなんて気が引けるんじゃないのー?」
ブルータルはシェルに対していったはずだったが、その言葉に疑問符を持ったのは隣で聞いていたヨカの方だった。
「話を何も聞いていなかったのか?今のところ城攻めには少し人手が足りていない、だから戦力的にはあたしらの存在も欠かせないって。」
「まあここまで来ておいて今更な話だが、もともと数は今よりもう少し大きくなるはずだったんだが。前の戦争に反対していた人間がみんないなくなった結果だな。」
シェルはそう言うと、地面からすくうように何かを手にとった。ブルータルもそれが一瞬のことでしっかりとは見えてはいなかったが、手のひらに収まるくらいの何かということだけはわかる。握った手を胸に当てそのまままた祈りを捧げるシェルに、ブルータルは子供ならではの無邪気さを発揮した。
「副長、大切そうだねー。高かったのー?」
ニタニタと笑うブルータルに、少し注意しようかと考えたのか眉をひそめるヨカ。だが二人の表情はシェルの表情を見ることで一変する。シェルは、今にも泣き出しそうだった。
「ああ、大切なものだ。私に本当に大事なものがなんなのか、教えてくれた。これがあったから、私はもう一度国に忠誠を誓えたのだ。」
粛々としたシェルの態度に、二人はしばらく何を言うこともできなかった。
夜風に吹かれながら、シノトはいつものようにただ歌を歌っていた。しかし風に吹かれていることを考えても、その声はこれまでと比べてはるかに弱々しいものになっている。注意されたのがよほど堪えたのか、それともなにかほかに要因があったのか。どちらにせよ、遠くを見つめるシノトの目が揺れているのは明らかだった。シノトが一度休憩のために口を閉ざすと、その耳に誰かの拍手が聞こえてきた。どうやら、シノトの声が風に乗って誰かを呼び寄せたようだ。
「シノトさん、こんばんは。」
シノトが声のした方を向けば、そこにはいつの間にかレバが立っていた。ガルバレイから送られてきた軍勢の責任者が夜中の町外れになんのようかと、彼を知る者が見ればそう思うであろう。実際にシノトもそう思っていた。しかし彼も身分ゆえ何かあるのだろうと思ったのか、シノトはひとまず軽く会釈をすることにしたようだ。
「こんばんは、レバさん。いいんですかこんな時間に、寝ておけるときに寝ておいたほうがいいですよ。」
「夜中になにしているかと思ったら、意外とロマンチックなことをしているんですね。歌の方は・・・少し聞いてると寒気がしますね。それが会議の時言われてた歌なんでしょうが、一体何の歌なんですか?」
レバの言葉に、シノトは一瞬返答に躊躇した。彼自身自分がしたことを忘れないようにと、記憶力に自信があったにも関わらずあえてそれをするあたりよっぽど忘れたくなかったことなのだろうが、いざそれを人に説明するとなると少し表現に苦しむところがあったようだ。シノトの言葉を待つレバに、シノトは搾り出すように答えた。
「どんなものと言われましても、まあ個人的には鎮魂歌のつもりです。それよりもそんなことを聞きに来たんですか?明日にも殺し合いが始まるかも知れないのに?」
「もしかしたら篭城戦になるかもしれないので、兵糧を確認していたんですよ。それにしてもここの兵糧はすごいですね、流石に我が国に続いて生産力の高い国だけはあります。正門があんなになっているので生かされることはあまりないかもしれませんが、念のためもう一度確認しておきました。」
レバはそう言って笑うと、シノトと並んで塀の方へもたれかかった。その向こうに広がる広い世界には、暗い闇が広がっている。一箇所だけ空高く炎が燃え上がっている場所があるが、少なくともそこからそこに何があるかは確認できそうになかった。レバの声は、夜風に吹かれながらもはっきりとシノトの耳に届いている。
「勝てますかね?」
「どうでしょう、俺は未来が見えるわけではないので何とも言えないです。」
「そこは勝てると言って欲しいですね。」
苦笑しながらレバがシノトの方を見るが、その表情に一切の強張りが見えないと知ると、その表情はなんとも間抜けなものに変わっていた。
「死ぬのが怖くはないんですか?」
「人間、いつかは死ぬものですしね。死ぬことが怖くて明日を待ってなんていられませんよ。」
「でも明日死ぬかも知れないんですよ?叶えたい夢だってあるでしょうに。」
レバの言葉に、シノトは少し黙り込んだ。しかし次の言葉までの間はあまりなかった。
「明日死んでもいい、そういう生き方をしてきたもんで。でも流石に明日死にたくはありませんね。どうせ死ぬなら夢を叶えてから死にたいですよね。」
シノトの言葉に、レバは俯いてしまった。




