第五十二話
「勇者を送り届けてまいりました。」
「そうですか、お疲れ様です。ゆっくり休んでください。」
クロノゴから報告を受け下がらせると、長老は目の前の外套を見下ろす。長老はなぜかこれに違和感を感じていたが、持ち主であったシノトがこの地を去ったあともその理由は分かっていなかった。無地一色の外套は一見すれば、不可思議な所どころか模様らしい模様すらも見当たらない。だが長老はやがてひとつだけ、ひっそりと隠れるようになにかマークが縫い込んであることに気づいた。
「・・・・・・まさか」
小さなマークも、竜が目を凝らせばはっきりとする。だがそれはシノトが見ればなんなのかわからなかっただろう。彼の母国にある『士』という感じに似たそのマークは、しかし竜には思い当たるものがあった。
「受け皿のない天秤」
昔見た何かの象徴の一つ、竜はそこに魔力を流し込む。果たしてその行動は正しかったのかまばゆい光の後、竜の目の前にはいつの間にか一人の若い人間が立っていた。若者は竜と目が合うと、朗らかに笑う。
「お久しぶりですね、神様。前より老けましたか?」
「お久しぶりです、あなたは相変わらずお若いままですね。話は山々かもしれませんが、まず私の懺悔をお聞きください。」
その若い男の返事はなかった。その代わりの沈黙を肯定と捉えたのか、竜はどこか重々しく、ゆっくりと話し始める。
「私はあなたに出会ったあと、あなたに受けた恩の証として、私はあなたによく似た人間を作ってしまいました。しかし彼らはあなたのように罪を重んじてはいても、同じように命を愛してはくれません。そればかりかあなたに似せて体を強くしてしまったばかりに、他の命を更に軽んじるようになってしまいました。あなたの名に泥を塗るようなことをしてしまい、本当にすみません。」
竜の謝罪は、見る者が見れば目を丸くするものだった。しかもその相手がたったひとりの人間だというのならなおさらだろう。本来なら畏怖される者として君臨するそれの謝罪に、しかし若者の返す言葉は隣人に朝声をかけるように気負いないものだった。
「人って、形のないことを不安がってなんとか形に残そうとする癖があるんですよね。人に似せてつくられたあなたにとって仕方のないことかもしれません。」
「すみません、あなたとの約束で私は人に干渉しないと誓ったのに。」
なおも謝る竜に、若者は頭を掻いた。考えを巡らせ、いいあぐねてはいたが、結局口を開く。
「じゃあその侘びとしてですが、あの時のように気軽に聞き入れてくれませんか?」
若者の言葉は、見上げるようなものに語りかけるにはあまりに気さくなものだった。
それは雲のない日だった。
「妙に晴れていると思ったら、なるほどそうか。」
いつになく落ち着かないおかげで仕事が手につかず、理由のない予感に導かれるまま空を見続けたガルバレイ国王は、そのうちにその予感がなんなのかを知る事になった。
「国王様、大変です――――――」
「あの遠くからこちらに向かってくるもののことだろう?まあそう慌てるな、とりあえず私が行ってみよう。」
「ま、待ってください、正気ですか!?大きさは魔物の比じゃないんですよ?」
部屋に駆け込んできた秘書の一人の言葉を聞き、続く制止の声も聞かずに部屋から出る。廊下を進む国王の耳には既に大慌てになった城内の様子が流れ込んできており、国王はさらにその足を速めた。鎧姿の兵士たちが忙しく動き回る音、軋むドアが何度も乱暴に開け閉めされる音、そして人の動きに指示をする者の声。その内の一つをふと耳にした国王は、急にその足先を別の方向へ変える。目指すのは城の中に光を通し、訓練もそこでできるように作られた中庭だった。
「もうそんな近くか、さて顔を拝まねば。」
「国王様、危険です!」
なおも止める秘書を無視し、隊列をなす兵士達をかき分け、そして国王は中庭へその足を踏み入れた。一貴族の屋敷がまるごと入ろうかというぐらいに広大な中庭は、今そこに面する窓という窓から所狭しと番えられた矢先が中庭の中央へ向けられている。いくつかに分けられた兵士達が隊列を成して槍を向けるのも、やはり中庭の中央だ。そしてそこにいるすべてが注目する場所には、蛇に似たようで全く別の巨大な生き物が存在していた。
「なんと、神々しい・・・・・・夢に何度も見てきたが、想像以上だ。」
国王は、自分でも知らず知らずのうちにそれに近づいていった。止まるように懇願するものもいたが無意識のうちゆえ、人の声など耳に届くはずがない。三歩、四歩を超えその歩みが十歩に差し掛かろうとしたとき、その場で国王の次に偉い人間が止めに入ろうとする寸前で誰かの声がした。
「あ、国王様。」
その声は、国王をすぐに現実へ連れ戻す声だった。気づけばいつの間にか神々しい生き物の背に立っていた声の主は、一歩で地面に降り立つ。真新しい旅装束に身を包んだその男は、国王も知る人物―――シノトだった。シノトの言葉を耳にしたためか、神々しい生き物もその姿をいつの間にか消し、後に人が一人残る。だが人の姿をしてはいても、誰もがあの巨大な生き物と同じであると理解できる、その人物はそんな雰囲気をまとっていた。
「なんと、人の国の王であったか。まずは挨拶をしたいところだが、とりあえず武器を向けてくるのはやめてくれないか?お主らとて飼い猫に引っかかれても怒りこそしないが、気分が良くなるわけではないだろう?」
「それは――――――ごもっともですな。そのようにいたしましょう。」
国王は危うく傅きそうになったが、多くの部下の前であることを思い出し寸前で踏みとどまった。しかし目の前の存在に敬意を払わねばこれからどんなことになるか、咄嗟に難しい判断が課される。国王が側に寄ってきたものに指示すると、じきにシノト達を狙っていた矢はすべて窓の中に消えていった。
「国王様、助言をありがとうございました。おかげでこうして神様に会うことができましたよ。」
「私はお前が死んだものと思っていたが、生きていたんだな。この一週間はさぞ楽しかったんだろうな?」
無遠慮にシノトを眺める国王、その視線にはさまざまな感情が含まれていそうだったが、しかしシノトは予想外の言葉に声を上げた。
「あれ、一週間も経ってたんですか?半日しか経ってないような気がしましたが。」
シノトは慌ててクロノゴの方を見たが、当の本人はさぞ当然と言わんばかりに頷いた。
「人が生きる時間と神が生きる時間はまるで違う。当然そうなるな。」
「国王様、戦いはもう始まってしまいましたか?」
「明後日には我が国の軍が向こうの王都にたどり着く。計算ではその翌日にニイドの軍勢もそこにたどり着くだろう。」
シノトはそこまで聞いて危うく聞き流してしまいそうになっていたが、思った以上にことが進展していることに驚いた。
「王都ってもしかしなくても王様の住むところですよね?危なくないですか?」
「それだけソーン国が弱っているということだ。ニイドの軍勢は前回の三分の一しか来ていないのに、ソーンの残存兵はその二分の一もない。まあ何やら兵力を増やすために策があるらしいが、一番守りが堅いところに主力を固める他なかったんだろう。」
国王の言葉は淡々としていた。いや、わざわざ一度負けた方に与するというのだから、これくらいは当然覚悟していたのだろうか。いずれにせよシノトに考える時間はない。
「国王様、言っていた武器はありますか?俺はすぐ向こうに行きます。」
とにかくシノトにあまり時間はなかった。急かすように国王を見るが、そこで申し訳なさそうに国王がこちらを見たことで何となく次の言葉を察する。
「武器なら先に行かせた騎士達に全て送った。」
「そうですか。では俺はそこに合流します。」
言うが早いか、シノトは早速クロノゴに頼んで竜に変身してもらう。シノトはここまで来る間に竜が速いことを理解していた。今から行ってももしかしたら間に合うかも知れないだろう。竜には既にここまで運んでもらったが、シノトにはなんとか頼み込んで連れて行ってもらう他選択肢がない。途中でワイバーンも連れて行きたいが、竜の背中には―――――――ぎりぎり乗るだろう。
ここまで思考を巡らせたとき、ふとあることに思い至りシノトは国王の方を見た。すでに竜に乗ってしまっていたため見下ろす形になってしまっていたので、一度地面に降り丁寧に願う。
「国王様、俺が味方だということを示すために少し認めてくださいませんか?」
シノトの言葉に、ガルバレイ国王の優秀な秘書は背後から紙を手渡した。
「五人で都攻めとは、ちょっと前の俺なら正気を疑う行為だな。というか明後日には軍がこっちに来るんだから、それまで待てばいいというのはまともな意見じゃないのか?」
そんなことをぼやくリザルトは元傭兵、つまり戦うときは誰かに雇われていることがほとんどだった。雇い主が金をけちって少ない数しか雇わず、結果多勢相手に少数で切り抜ける(役立たずのマヌケの護衛込み)こともあったし、数でこそ優ってはいても巨大なサイのような魔物を相手にしたこともあった(不思議なことに、味方が吹き飛ぶたびにその倍の味方がいなくなっていた)。しかしそのどれであっても建物を攻めるということはいままでなく、ましてやその初めてが一国の都というわけだ。しかも味方は片手で数えるほどしかいない。普通ならせめて投石器の一つでもよこせよと・・・いや、その前に普通ならさっさとずらかろうとするだろう。
リザルトのボヤキをわざわざ聞きつけた彼らの隊長、テクノバーンは敵の様子を伺うために一番前にいたが、わざわざそのために振り返ってくれた。
「何だ、怖気付いたか?後援の二人に合流してもいいんだぞ?」
「いや、子供が震えながらも一歩も引こうとしてないんだ。俺が怖がって帰りますとかいうわけにはいかないだろ。」
「誰が子供ですって?!」
リザルトの言葉に食ってかかったのはチクキーだった。ニイド国有数の家計のお嬢様である彼女は一見すれば普通の少女だ。ただ金髪が少し眩しいからスラム街の子供が見たら目を潰すかもしれないが。ただここにいる以上、普通の子供ではない。その証拠というか、現にチクキーは一瞬置物かと間違うくらいのでかさの金鎚を肩に背負っている。もちろん実用品だ。最初はこんな小さな女の子がこれを使うことにリザルトは渋い顔をしたが、他のメンツがそれぞれ使い慣れたものがあるといった以上チクキーはこれを選ぶしかなかった。リザルトが怒るチクキーをなだめていると、テクノバーンがそれを見て笑った。
「大声出す元気があるなら問題ないだろう。さあいくぞ、今回の目標はこの地に恐怖と絶望を教えてやることだ。軍が着くまでと言わず、一週間は門が開きっぱなしになるくらい派手に壊してしまおうか。」
テクノバーンの頼もしい言葉に、四人の声が重なる。開戦を告げるドラの音にしては少しさみしいものだと、遠くに見える外壁を見ながらリザルトはまたぼやいた。




