第三十八話
シノトは石の敷き詰められた廊下を歩いていた。ただ、一つそこに広がる現実離れした恐ろしい景色は、シノトが生まれ育った環境からすれば夢と間違えてもおかしくないほどで。壁、床、そして天井、所々を真っ赤に染めるそれがなんなのかは、床の両脇に寄せられた数多くの死体が物語っていた。
「・・・・・・・・。」
無言で歩くシノトは不意に、ズルズルとなにか引きずられる音が自分に付いてするのを耳にした。何かと思ったのか振り返ると、そこでやっと自分が鎧を着た兵士を引きずっていたことに気づく。
「そうか、そういえば振り回していたな。」
シノトは昔の約束事を守るため自身に武器を使うこと、特にある目的の場合はそれを固く禁止していた。しかしさすがに武器もなしに、戦いに身を置く人間を相手取るのはさすがに時間がかかると感じたのか、シノトは途中から武器がわりとして鎧を着た兵士を振り回して武器としている。
シノトはその手をゆらゆらふって男の反応を確かめたが、男はもう事切れていたのかなんの反応も示されない。シノトはそこに置いていこうと手を一回離そうとしたが、そこで不意に男がどんな顔をしていたのか興味がわいたのか。男を下ろすと、そのあちこちが不気味に凹んだ兜をとった。
鎧の下にあったのは、若い男の顔だった。シノトとそう歳が変わらないであろう顔だ。当然だが、シノトはこの少年がこれまでどんな人生を送ってきたのか知らなかった。
額から目に掛かる生々しい傷がどうやってできたか、頬にある肉が大きくえぐれたような跡がどこで付いたか、そんなよく目に付くものでさえシノトはその経緯を知ることはない。
おそらく兵士になった時だって、命を懸ける仕事なのだから就くまでにいろいろなことがあったのだろう、それもシノトは知らない。
だがこの少年が歩んだ、ここまでに至る長い人生が確かにこの世にあったことをシノトは知っていた。
「あ・・・・。」
不意に男の眉が少し動いた。どうやら少しまだ生きがあるようで、目を凝らせばそこかしこにその証拠が浮き出てきていた。シノトはそれを見て、眉を少し潜めるとぼそりとつぶやく。
「殺すか・・・・・。」
シノトがやることはひとつ、殺すことただそれだけだ。
シノトにとって最善なのはとにかく一瞬で殺すこと。だからシノトは男が目を開ける前に振り上げた腕を一閃、その腕で鎧ごと男の胸に穴を開けていた。
返り血がシノトの肩までを濡らすが、既に真っ赤に染まった体ではその血がどこについたかなんて、傍目で見るうちにはとてもわかるものではなかった。
男が痙攣を辞めたあとシノトはまた、男の死体をその場に置いて道を歩いていった。
シノトの目に浮かんでいたのは夢ではなく、思い出として確かに残したシノトの足跡だった。記憶に刻まれたそれからシノトは逃げることはできず、またシノトも忘れようなどということを微塵も思うことはない。歌が終わり地の果てから陽が顔を出し、そうなってようやくシノトに朝がやってくる。
「おはようございますお兄さん。その歌、いつも朝に歌ってますね?何の歌なんですか?」
雄鶏の声の代わりに、気まぐれな目覚めがカレジを起こしていた。シノトと同じように朝焼けに目を細めるカレジに向かって、シノトはいつもと変わらぬ穏やかな表情を浮かべ返事をする。
「なに、何でもないことだよ。おはようカレジ君、今日もいい朝だね。」
いつもどおりの挨拶を済ませると、カレジは他の子供を起こすべく元の場所へと戻っていった。
「みんな、今日もお疲れ様。」
森のほとりを歩いていたシノト達は、シノトのその言葉で一斉に足を止めていた。なぜかというとそれは、これまで泊まる場所まで着いた時にシノトがそう言っていたためだ。子供達の中では、それがすでに一種の合図のようなものになっていた。
「じゃあ今日の肉を取りに行くから、ワイバーンとここで待っているんだよ?何かあったらすぐに大声を・・・・・・いや、とにかく危険だと思ったらすぐに逃げ出してね。」
シノトは残していく子供達の中でも一番最年長のカレジにそう言って聞かせると、早速目の前の森の中に入っていこうとした。しかしその行く手を塞ぐように、ノスタルジアがシノトに近づいた。
「あ、おじさん!今日は私手伝います!」
「ダメだよ、これは大人の仕事だから。ほら、カレジ君と一緒に待ってて?」
ノスタルジアは目を輝かせていたが、それを見てシノトは渋い顔をした。目線を同じ高さにしてシノトはノスタルジアを説得しようと試みたが、ノスタルジアは頑として道を譲ろうとはしない。
「なんでダメなんですか!大人の仕事って、私も昔はお父さん達を手伝ってたから別にいいじゃないですか!」
「ダメなものはダメだよ。さ、戻って。」
シノトはなるべく穏やかな口調でそう言ったが、どうしても同伴したいのかノスタルジアも少し語尾を強めている。
「今日はもう我慢の限界です。きちんとした理由が聞けないんなら私は無理矢理にでも付いていきますよ。」
ノスタルジアのその言葉に、シノトは少し情けなさそうな顔をしたが。ノスタルジアに睨みつけられて、ため息混じりに渋々といった感じで日頃思っていたことを口にした。
「ノアさんは命のやり取りを軽視しているでしょ?だからそうでなくなるまで、俺は連れて行かないことにしているんだ。だからほら、おとなしく、ね?」
そう言われて兄妹は顔を見合わせた。クルはワイバーンの上ですでに寝ている。シノトは兄妹の反応を見て納得が言ったものと思ったが、次の言葉には盛大に肩透かしを食らっていた。
「・・・・・・命のやりとりってなんですか?」
「生き物を殺すことだよ。ノアさんがノアさんのお父さんと一緒に行っていた狩りがそれ。ノアさんは簡単に生き物を殺しすぎ。」
その言葉にノスタルジアは少し困った顔をした。しかしそれはその言葉によってバツが悪くなったからではなく、むしろ心外であると感じたようだ。
「簡単って、そんなつもりはないですよ?いつもたっぷり楽しんでからちゃんと殺してますもん。それにどちらかというと、おじさんの方があっさり生き物を殺している気がしますし。」
「そういうことじゃないんだけどな。相手を殺そうとするなら、相手には敬意を持たなくちゃ。楽しむなんて以ての外だよ。」
「敬意って、もしかして殺す相手を敬えってことですか?」
急にカレジが横から口を出したが、シノトは構わずにそれを肯定した。――――――途端に、兄弟は二人揃って笑い出し始める。
「あはははは、おじさんいいですよ!おもしろーい!」
「お兄さんって冗談も言うときがあるんですね。突然だったので僕も不意をつかれました。」
二人はそう言うが、シノトとて二人が突然笑い出したのには不意を突かれていた。一拍間をおいて、そこで初めて二人が何に笑い出したのか理解すると、眉間のしわがさらに深くなる。
「君らねえ、俺真面目なんだけど。」
「またまた、本当に敬ってるなら殺したりできるはずがないじゃないですか。言ってることが矛盾してますよ、おじさん。」
なおもお腹をかかえて笑うノスタルジアに、シノトはかける言葉も見つからなくなったのかため息をついて、それについて言うことはなくなった。ワイバーンの頭にかかっていた袋を一つ手に取ると、さっさと森の中に入っていく。
「とにかく、連れて行くわけには行かない!おとなしく待ってるんだよ、いいね!」
シノトの重ねるような注意に返事をしていたのはカレジだけだったが、ノスタルジアは気が済んだのかシノトの跡を追うことはしなかった。そのかわりシノトがいなくなったあともしばらく笑い続け、収まったところでカレジに話しかける。
「おじさん私達のこと怒らないし、いい人なんだけどな。たまに真面目な顔で変なこと言うよね。」
ノスタルジアの言葉に頷くカレジは、何故か苦々しそうだった。しかしノスタルジアはその原因が分かっているのか、その顔を見て更に笑い出している。そんな妹の姿にカレジはため息をついた。
「ああ・・・・・・僕わざと笑うの苦手なんだよ。まさかお兄さんが、お父さんと同じで冗談が好きだとは思わなかった。」
「えー、そう?面白かったよ、私は。だってほら、前おじさん東砦ってところでたくさん人を殺したって言ってたでしょ?だったらその時おじさんは、「敬います、死ね!。敬います、死ね!」って言いながら殺して回ったってことになるよね?それを考えたら面白くて面白くて、おじさんも多分そういう意味で言ったんだと思うよ。」
カレジは何か言いたそうだったが、ノスタルジアが楽しそうな姿を見せたためか何も言うことはなかった。その代わりにシノトが入っていった森を眺めている。既にシノトの姿は森の奥に消えており、風と生き物の音だけがカレジの耳を震わせていた。
「僕は正直まだその話を信じきれてないけどね。お兄さん自身も否定してなかったけど、どうにも印象が合わなくて。」
カレジの目には、肉に対して手を合わせるシノトの姿が浮かんでいた。
森を走るシノトの後を追うのは、全身を毛で覆われた生き物、形状だけで言えばそれはシノトが猪と呼ぶ物に近かった。飛ぶように走るシノトを追いかけて、道なき道に道を作り続けながらその猪もどきはシノトを追いかけ続ける。――――――――シノトを見失った。
「ごめんよ。」
シノトに耳元で囁かれたそれは、頭をあらぬ方向に曲げられてあっさりと事切れた。シノトはしばらくその生き物の背から降りなかったが、やがて気が済んだのかゆっくりと降りると改めてその生き物の全貌を見下ろす。足が六本ある以外は、普通の猪に見えなくもなかった。
「山道、ここまで来てたのか。早く戻らないと。」
シノトは猪もどきを担いで道を戻ろうとして、ようやくすぐ近くに舗装された道があることに気づいた。シノトはしばらくそこを眺めていたが、なにか気になったのか猪もどきを一旦そこに置いて道の方に近づく。よく見てみないとわからないことだったが、道の脇に立つ木は何故か細かな傷がたくさん付いており、それが鋭利なものだということはシノトも痕跡を見てわかっていた。
「矢の跡、こんなにあるってことは少なくとも狩りじゃないな。」
浅く広い切り跡の他に深い傷を見てシノトは辺りを見回すと、急いで猪もどきのところに戻った。子供達のいる場所までシノトの足ならすぐにつく。シノトは猪もどきを抱えて急いできた道を戻っていった。
「なんで仲いいの、君ら。」
カレジ達の所に戻ったシノトは、目の前の子供達と楽しそうに遊んでいる男達をみて自然とそんな言葉が口をついていた。しかしそれもその筈、男達は皆立派な肉体を身につけており、普段から子供と戯れるよりも、山ほどもある怪物と対峙していると言われた方がしっくりくる容貌をしていたからだ。
「お兄さんお疲れ様です。こちらの方々盗賊団らしいですよ。」
シノトに真っ先に気づいたカレジがシノトに駆け寄った。ちなみにノスタルジアは未だにいかつい男たちと輪になって遊んでいる。カレジにつられてか、男達のうち一番細身だった男がシノトに気づいて近づいてきた。
「お兄さんか、若いのにこの子らを連れて旅とは偉いなあ。それにワイバーンを馬がわりに使ってるなんて風変わりだな。この子達が止めなかったら夕食にして食ってるところだったよ。」
「盗賊団というと、やっぱり窃盗、強盗を集団で行う団体ということですか?という割には四人しか見当たりませんが・・・。」
シノトは意外なことに、そう言われてもさして驚くことはなかった。しかしまだ疑問が残っているのか男を注意深く観察していたが、男の方は警戒心を少しも表出すことなく人当たりの良さそうな笑顔を浮かべている。
「アジトにあと四人いるんだ。もしよかったら案内したいんだが、どうだ来るか?」
「盗賊団の住処に呼ばれるというのは初めての体験ですね。――――――本当に盗賊なんですか?」
「ああそうだが?現に今は獲物を探しに見回りしていたところだったしな。」
シノトがその言葉に反応し男から視線をずらすと、確かにワイバーンの眠る場所にほど近いところに、ボウガンと槍がいくつか立てかけてあった。シノトはどこか変な気分を味わいながらも、どう反応するか葛藤したあと、まだノスタルジアが男達と遊んでいるのを見て諦めたように首を振る。
「わざわざ身ぐるみはがされに盗賊の住処に行くのですか?」
シノトにとって予想外だったのは、この言葉を聞いた男が一拍ほど間を空けたあと、先ほどのノスタルジアのように笑い出したことだった。どこか特徴のある笑い方は、もしかしたらどこかで血でもつながっているんじゃないか、そうシノトが考えている間、男は手を肩よりも上にあげながらその白い歯を光らせる。
「おいおい、この見てくれで分かるとは思うが、俺は成人をとっくに過ぎているんだぜ?同じ釜の飯を食った兄弟のおもちゃを取り上げそうなほど若く見えたのか?」
「つまり何も取るつもりはない、と。随分回りくどい言い方ですね。」
念を押すように繰り返すシノトは未だ訝しげだったが、男はそんなシノトの態度に鼻で笑ってみせた。
「だいたい自分をよく見てみろよ、俺には兄ちゃんが盗まれるようなものを持っているようには見えないぜ。それとも俺達が着る物にも困っているように見えるか?」
しかし盗みも干でればそれすらも取るだろう、シノトは咄嗟にそんなことを口に出そうとしたが、男がいつまでも態度を変えないのを目にして諦めたのか、その言葉は胸の中にしまってしまった。それにどうしても男達から人を騙す時の緊張感を感じ取れなかったシノトは、とりあえず男達の言葉を信じて付いていくことに決めたらしい。




