第三十五話
「あの音は、聞くだけでどれだけその男が危険な存在なのかはっきりと分からせてくれた。」その場にいたものなら誰もがそういうであろう、それだけの音であった。留め具をぶち抜いてなお、小屋ほどの大きさがあった大鐘を街の外まで蹴り飛ばす、シノトの蹴りは確かにそれだけのことを引き起こしたが、しかし兵士達はそのことでむしろより勢いづいてシノトのところへ殺到する。先頭の兵士がその間合いにシノトを捕らえたとき、一寸のためらいも見せずに兵士は剣を振り下ろす。先制の剣は体勢を崩したシノトに一気に迫っていき、寸前までは当たるものと思われた。だが――――――
「ほっと」
剣がシノトの体に当たろうとしたとき、シノトは体を反らすことでわずかながら時間を稼いでいた。出来たその短い時間、その間にシノトは剣を持つ兵士の手を取ると、掴んだ腕に体重を預けるようにして兵士を反対側に投げる。意表をつかれた兵士は面白いように投げ飛ばされ、シノトに迫っていた兵士の一部を巻き添えにしながら転がり落ちていく。
「死ね!」
だがそれも全体の一部、奇妙な技も兵士達の勢いを衰えさせるにはいささか衝撃に欠けたものだった。現にシノトに迫った兵士の剣は一切の衰えもみせず、シノトを叩き切らんとその身に迫っている。一方でシノトの方は、先ほどの不安定な体勢から完全に崩れており、地面に倒れ込んでいた。避けようもなく、されに避けたとしても少ない逃げ場でも既に剣が待ち構えている。その必中の状況に、剣を振り下ろす熟練の兵士でさえ抑えきれない笑みを浮かべていた。―――――――――そして、折れた剣が空を舞う。
「・・・・・・は?」
兵士は今しがた自分の目の前で起きたことを飲み込めなかったため、不覚にも一瞬動きを止めてしまった。その兵士が持つ安くない値で売られている剣、振り下ろした直後目前まで迫るそれをシノトは手でつかみ、そのまま握りつぶしたために半ばから先が無理やり砕かれたかのように折れ無くなっている。当人の兵士も、それを見ていた周りの兵士も、あまりの一瞬でそれが行われたため声すら上げていないその一瞬、シノトはその間に地面についた手に足を引き寄せるようにして体制を立て直す。兵士が放けているその間に、目の前の兵士の足を掴んだシノトはそのまま力いっぱいに振り回し始めた。
「さ、下がれ!下がれと・・・・・・」
慌てて叫ぶ兵士の声も、途中で途切れた。シノトに近づこうにも、振り回されている仲間が邪魔で、仲間を斬るわけにもいかない。そういう理由でシノトを囲んでいた兵士達は距離を取ろうとしたが、シノトに殺到した兵士達が後ろから押してそれがままならない。結果、鎧を着た大人一人の重さを持つ鈍器に、兵士達は次々と殴り倒されていった。
「あーもー、相変わらず多人数相手には向かない技術だな。力ずくは嫌いじゃないからいいけど、こういうのは力加減が難しいから、簡単に死んじゃうことがあるしあんまりやりたくないんだよな。」
シノトはそうぼやきながら、周りに居た兵士のほとんどが倒れると手に持っていた兵士の足をいきなり離した。振り子だって糸が切れてしまえば揺れている方へ飛んでいく、当然兵士もそれに倣って仲間達を盛大に巻き込んだ。それによってできた道をシノトは一、二歩と助走を付け、きた時と同じように大きく跳躍する。
「逃げたぞ!散開しろ!」
野太い男の声を背に、シノトは広場から退場していった。
一方で街の外。カレジ達は、シノトが注意を引いている間に街から見える範囲を通過しようとしていた。
「みんな、なるべく急いで!疲れたらワイバーンに乗せるけど、それまではできるだけ早く!」
ジンジャーが声をかけるが、運動能力の高い人種とは言えその過半数が年端もいかない子供達。すでにシーラとクルはワイバーンに揺られている状態だった。
「すいません、もともと運動は得意な方ではないでしたし、しばらく捕まっていたのでちょっと体力が・・・・・・」
「はいはい。言い訳はいいから、しっかり休んで頂戴。」
シーラが申し訳なさそうにワイバーンの上から皆に頭を下げているが、実はすでに五キロほどはある道のりを大人であるジンジャーのペースに合わせて走っていたのだ。ジンジャーが子供に気を使って若干速度を落としていたとは言え、齢二桁にも満たない少女がそれだけ頑張ったのだ、シノトがここにいればその頑張りを労ったことだろう。
「ワン!ワン!」
「はいはい、あなたも頑張ってるわね。」
シーラの従者であったキューはまだまだ元気が有り余っているようで、ジンジャーに頭を撫でられると気持ちよさそうに目を細めていた。その隣では、ノスタルジアが息も絶え絶えの状態となっている。
「ノア、大丈夫か?顔色が悪いようだけど、無理せずに今すぐにでもワイバーンに乗ってもいいんだよ?」
「ううん、いいのお兄ちゃん。私は大丈夫。それよりも私はおじさんが心配で・・・・・・」
ノスタルジアが目をやると、そこにはでっかい鐘が中から飛んできたにも関わらず未だ不気味に沈黙を守り続けている街が写っていた。それで察したのか、カレジも表情がいくぶんか引き締まる。
「そうだね、僕達の安全のために危険にさらされてるんだ。時間までに目的地につかなかったらお兄さんの迷惑になるし、絶対にそんなことになってはいけないよ。」
「迷惑だなんて、あれがそう思っているもんかね。」
カレジの言葉に、そう疑念を挟んだのはジンジャーだった。カレジが彼女を見れば、同じように街の方に目を向けている。
「あの街の規模と、それに立地。入っていく商人達を観察すれば、中にいる大体の兵士の数はわかってくるさ。」
こともなげに言うジンジャーだったが、その意味がわからないのかカレジ達は一様に首をかしげていた。ジンジャーはその反応に、なにかうまい言葉は見つからないものかと思考を巡らしたが、諦めたのかそのまま思ったことを口にする。
「ま、ようは自分たちの心配をしろってことだよ。目標までまだあるし、今は向こうにつくことを最優先にしましょ?」
ジンジャーの言葉に答えなかったのは、ワイバーンくらいだった。
「数は六百ってところか・・・・・・。」
シノトはまだ人が住んでいそうな家に入り込んで、窓から外の様子を観察して自分を追っている兵士の数の大体のあたりをつけていた。しかし実際に兵士達はそれほど早くなく、一人一人ならシノトの足があれば撒くことは容易い。それでもシノトが単純に逃げ続けるだけでないのは、兵士達の連携が単純に速さで勝るシノトをも徐々に追い詰めていくほど洗礼されたものが有ったからだ。シノトはかねてからの計画も兼ねて、民家の一室に身を潜めることにしていた。
「それにしたって、さっきまで普通の人もたくさんいたはずなのに急にみんなどっかにいったな。ここもさっきまで人がいたって言ってもおかしくないぐらい生活感にあふれているのに。ここだけじゃない、あそこも、向こうも、まるで人気がしない。」
シノトはしばらく考えるために、窓から見える向かいの家をじっと見た。しかし窓から外を伺う人影は微塵も見えず、目の前を通っていった兵士に慌てて頭を下げたシノトはもう一度窓の外を見て、ため息をつく。
「ま、いいか。いないならいないで都合がいいし、さっさと出ていこう。あまり見つからなさすぎて、見張り塔を使われたら俺が困ったことになるし。」
そういうとシノトはせっせと、人気のない家で物を漁り始めた。完全に盗人である、言い訳のしようもない。今のシノトにとっては、馬の耳に念仏だろうが。
「ええと、まずは着るものだよね。子供用を最低五つ、女性用を一つと。これはいるかな、まあ入んなかったら手に持って置くか。」
二十歳にもなる男が見ず知らずの家で子供用と女性用の服を探して物を漁る様、見るものがいたら思わず口をつぐむような光景だ。だがシノトはさして負い目も感じることなく、無事目当てのもの全てを見つけることができた。袋に入りきらなかった子供用の服上下一着分は、当然シノトが手に持っている。
「食べ物もついでに持って行きたかったけど、しょうがない・・・・・・いや、ここで他に袋をもらっていけばいいか。服もそこに入れていこう。」
シノトがそんなことを思いつき、しばらくすると今まで持っていた袋の他に、別にもうひとつ新しい物をその手に握っていた。麻でできたような肌触りのするその袋は頑丈そうで、シノトは袋がめいいっぱい膨れるまで食べ物を詰め込む。
シノトが詰め込む中でも特に中心となっていたのが、オスイというこの国でよく主食として食卓をにぎわせている食材だった。綿のような見た目と食感なのだが、調理の方法が他の食べ物と比べて異様に多く、安く市場に出回りクセのない味のため嫌いな人間がほとんどいないのだ。
「いや、たくさん入ったね。じゃあここからさっさとおさらばして、続きを始めようか。」
シノトはそう言うと、窓を開け放ってそこから外に躍り出る。シノトが約束した引きつけているはずの時間は、まだ半分過ぎたばかりのところだった。
シノトが育った世界と今シノトがいるこの世界では、その殆どを人が支配する世界という共通点を持つにも関わらず大きく違うものが多々あった。食生活、考え方、神秘的なものの存在、数え上げればキリがないのだが、その一つに戦争で人が死ぬことが決して珍しいことではないというのがある。何が言いたいというかというと、要は強くなることが命を失う可能性を減らすこととほぼ同義なのだ(ごく珍しい場合であれば、シノトの育った世界でもそれは当てはまるのだが)。今シノトを追いかけている兵士達は、特にそれが当てはまるだろう。それが意味するところ、それは――――彼らは自分を鍛えること、それに命を賭けているということだ。そしてそれは、シノトも身を持って感じているところだった。
「死ね!」
掛け声にも似た叫びと微妙にずらされたタイミングで放たれる槍は、空を割いてシノトの頭すぐ横のところを貫いていった。シノトがその回避を間一髪間に合わせて慌てて下がろうとするも、槍を持った兵士はそれを知っていたかのように滑るように間合いを維持する。続けて二度三度と打ち出される攻撃をかわしながら、シノトは目の前で卓越した技術を繰り出し続ける兵士に舌を巻いた。
「うまいなあ・・・・・・これだけ速ければ先生ともまともにやりあえるぞ、これ。」
槍の横薙ぎを屈んでかわしたシノトは、そのまま重心を後ろに傾けた。それを見た兵士がすかさず間合いを詰めようと前に進み出る。だが、待ってましたと言わんばかりのその瞬間一歩を踏み出した兵士の胸元、そこに置くようにしてあったシノトの足が兵士を仰向けに倒させた。
「やっり?!」
思わず諸手を挙げて喜びそうになったシノトだが、倒れた兵士のすぐ背後から放たれた二三本の槍を予想することはできなかったようだ。慌ててかわすと、今度こそ大きく距離を取って、無理に追ってこないことを確認するとそのままその場を後にした。
兵士は残された場所で、しばらく仰向けになって倒れていた。だが、鎧を着た兵士が動くときにする、あの特有の金属の音をきいてようやく起き上がり、背後から来た兵士に笑顔を向ける。
「いやあすまねえ。おかげで命拾いしたぜ、助かった。」
「お前が負けるなんて、流石に敵も伊達ではないな。どうだ、まだ追いかけるか?」
「いや、無理だね。向こうに行ったんなら、追いついたとしてもそれは壁の向こう側だろ。壁側に何人つけてたとしてもあれなら飛び越えるか、穴開けて出ていっちまうだろうな。」
「はは、まさか。」
兵士の乾いた笑いは、人気の少ない道に消えていった。
「ようやく振り切ったよ。さて・・・みんな無事かな?」
シノトはあのあと難なく街を出て、追ってを十分に振り切ってから集合地点である岩の陰に姿を現していた。しかしとっくに時間が過ぎているにも関わらず、ワイバーンすらもその場にはいない。
「遅れてるのかなあ。見張り塔には今頃人が戻っている頃だし、困ったなあ。」
シノトはカレジ達が通る予定だった道を覗いてみたが、人影は全く見えなかった。不思議に思ったシノトだったが、迂闊に出ていけば見つかる可能性があるため、でていこうにも行けない状態だ。シノトはしばらくじっとその道を見ていたが、やがて諦めたらしくそこから目を離し、その場に腰を下ろした。
「ま、予定が狂って別の道を通っているんでしょ。」
シノトはそう言って、二つの袋を地に下ろすと彼らがやってくるのを待つことにする。
―――――――――日が一回登って降りた。カレジ達はやって来なかった。




