第三十三話
シノトは徐に頭に手を伸ばすと、その頭を覆っていたものを地面に投げ捨てる。シノトの頭を覆っていたそれが地面に転がることで空洞になっている中が顕になり、そこでその存在理由がやっと判明した。髪の接触を防ぐためだろう、いくつか小さくまとめてくくってあるものを外すと、シノトの頭のあちこちに髪の毛がはねた場所が名残としてそこに残る。
「その髪は・・・・・・まさかお前、黒髪野郎だったのか。」
老人のうろたえる声のする間にシノトはその顔を覆っていたものも掴むと、白日のもとにその素顔を晒した。老人はシノトの正体に驚きながらも、さらにその顔に見覚えがあったのか少し目を細め、記憶をたどってたどり着いたその素性に今度は目を見開く。
「髪を触れさせると色が変わると聞いたんでこうしてましたが、正直疑われなかったのは運が良かったです。ありがとうございますね。」
「あ、おまえ、あの指名手配犯の・・・・・・。」
シノトは老人に笑顔を向け、老人のわななきが終わらぬうちについで広場全体に目を通す。先程と注目されているという点で同じであるにも関わらず、明らかにその視線の意味が違うことはシノトも肌で感じ取ることができていた。しかしもともとそれが目的だったシノトは少しほくそ笑むと、たっぷりと息を吸い声高らかに、まるで歌うように声を張り上るた。
シノトがその正体を大衆に知らしめた時、その場にいた人々の行動は大きく分けて二つに分類できた。一つはその黒髪を見て何を思ったのか、シノトに向かって立ち向かっていく者達だ。その顔に浮かぶのは苛立ち、驚き、恐怖と勇気を同時に振り絞ったような顔をしたものと様々いたが、彼らの心中はどれも違えど、その目的だけは変わらない。ただ、シノトは広場のその光景が思惑とは違ったのか、見て目を丸くしていた。
「あら、思ったよりも少ないな。もっと来る人は多いものと思ってたんだけど。」
シノトの言葉通り、広場でシノトを見た者の一部は確かにシノトに向かって立ち向かおうとその全身に覇気を漲らせていたが、大方の反応は大きく分類されるもう一つの行動―――――――――逃走を選択していた。シノトと先程まで意見をぶつけていた老人でさえも、這々の体でなるべく離れようとしている。腰を抜かしたのか貼ってその場を離れていた老人が他の者に支えられて避難する、その後ろ姿を遠い目をしながらもシノトはただ黙って見守っていた。
「懐かしいな、昔はよく皆に怖がられていたもんだ。こっちに来てからもしばらくは変わらなかったけど、いやもしかしてそうでもなかったかな?流石に目の前で仲間の心臓を引き抜かれるの見た、あの反応は怖がってたであってたと思うけど。でも今は特にそんなことしてないんだよな。うむ、予想だとほとんどが向かってくるものとばかり思ってたけど、意外な結果もあるもんだ。」
シノトがそうぼやくうちに、間近まで近づいていた一人が手に持った花瓶をシノトに投げつけた。あわや当たらんというところまで花瓶はシノトの頭部にまで迫ったが、直前でそれは姿を消しいつの間にかシノトの手の中に収まっていた。驚きで近づきつつあったあった他の者も動きを止める中、シノトはこちらに向かってきている鎧の一団を眺めながら器用に頭の上に花瓶を乗せ、そのまま手の支えがなくても花瓶が落ないようにバランスをとる。
「さて、あれが来たら始めるとしますか。向こうだって待っててくれていることだろうし、たしか確実さを優先だったかな?」
少尉を半ば包囲されきっているにも関わらず、心ここにあらずというようにシノトは遠くの空を見てそうつぶやいていた。
「兵士の皆さん、お勤めご苦労様です。ここまで御足労頂きありがとうございます。」
シノトのその言葉はねぎらいの言葉なのか、それともただ単にからかっているだけなのか。シノトのことをよく知る様な者でないと正確な判断ができない言葉だったが、少なくともその言葉を受け取った者たちは後者として受け取ったようだった。
「貴様、よくもまあぬけぬけと!なんの目的でこんなところまで来たかは知らんが、生きて帰れると思うなよ!」
「生きて帰りますよ、兵士さん。自分で言うのもなんですが、これでも人より腕っ節はあると自負しているんですよね。妨害するのは勝手ですが、死なないように頑張ってください。」
「ほざけ!」
兵士の怒号とともに、その後ろで何かやっていたらしい他の兵士が、炎の柱をシノトに向かって打ち出した。声を潜めた詠唱は不意打ちにも近かったが、シノトは予期していたように素早く反応すると、一番近くにいた男に近づきその襟首を掴む。男が声を上げるまもなく強引に引っ張ると、その魔法の軌道上まで引きずって盾にしてみせた。周囲が男の身を案じてか声を上げるが、炎の柱はその伸びる速度を落とすことなく男に迫る。あわや男に当たらんとした瞬間、シノトはいきなり気でも変わったのか、男に迫っていた魔法を手で持った何かで弾き、男に魔法が当たるのを防いだ。
「なるほど、不意打ちの飛び道具に道具が必要ないのは確かに利点だな。でも自由に引っ込めないのはちょっと不自由・・・・・・矢を撃ってもあまり変わらないか。しかし予想以上に力がないな、あの砦にいた人達はこんな簡単に引きずられはしなかったのだけれど。」
シノトはぶつくさと一人でつぶやくが、一連の動作のうちで彼が頭の上の花瓶を抑えることはなく、また花瓶が倒れて地面に落ちるということもなかった。傍目から見てそれはすごいのか、花瓶のせいでどこか平和に見えるのか、とにかくシノトは燃えているお面だったものを手放すと、もう片手で捉えていた金人も突き放すように解放する。
「じゃ、適当に逃げるので捕まえてみてください。放置するならするでもまあ構いませんが。ほら、俺力が他の人より強いですし、もしかしたら途中で建物にいくつも穴を開けてしまうかもしれません。なので、総がかりでやることをおすすめします。」
シノトはそう言うと、返事も聞かずに大きく跳躍し手近な建物の上まで飛び上がった。わめく金人を放置し、ゆく先々に金切り声を引っさげて、シノトの逃走劇が始まる。
「目標が見つかった!芸人がよく集まるあの広場だ、今すぐに応援に行くぞ!」
街に三つある見張り塔のうち、その一つの最上部まで上がった兵士は開口一番にそう言い放った。風がよく吹くためにそこでは普段音が聞こえにくいのだが、ハキハキとしたその言葉はしっかりと既にそこにいた一人の兵士に伝わる。しかし兵士は新しく来た兵士を兵士を一瞥し、残念そうにため息をつく。
「話は分かったが、それで芸人の集まる広場ってのはどれのことだ?この街が他のと違って、そういうところが三つもあることぐらいお前も知っているだろうが。」
「ああそうかすまねえ、ここに一番近いやつだ!」
その話を聞いた兵士は心底面倒そうにまたため息をついたが、目だけはまだ見ぬ楽しみのために歪めていた。ほかの塔へ監視の命を丸投げし、楽しみを他の物に奪われまいと画策した兵士は、早速今しがた来た兵士と持ち場を離れようとする。
「そうかい・・・・・・じゃあ見に行ってやるか、既に挽肉になってなきゃいいけどな。」
「やっぱりこういうところだと情報の伝達は遅いですね。それいつの話ですか。」
突然響いたその声に反応する間もなく、兵士二人はその場に崩れ落ちていた。代わりに音もなく現れたのはシノト。兵士達が言っていた、挽肉になってなければ良かった人間である。シノトは二人を縛って隅の方に放置すると、ここまでずっと手に持っていた花瓶を落下が危ぶまれないような場所に置いた。
「いや、いい景色だ。けどこの花瓶を飾ればもっと映える。」
シノトはのびている二人を抱えてシノトはそう言うと、また急ぎの用があるのか直ぐにその場から姿を消す。殺風景なそこに置かれた花瓶には、一輪の花が残っていた。




