第二十四話
「大きな川ですねえ。」
ノスタルジアが、溜息をこぼしながらそうつぶやくのも、無理のないことだった。
イシナク川といえば、ニイド帝国でも有数の大河として知られる川である。川の長さは言うまでもなく、その幅も対岸が遠く向こうに見えるほど広く、その川辺にはいくつもの街が転々としており、街同士の物流を円滑にしていた。もちろん、そんな場所にはそれに似つかわしい生き物が住んでいるわけで――――――
「あ、おじさんおかえりなさい。って、随分大きな魚ですね。」
「ただいま。しばらく果物と野菜だけだったでしょ、たまにはこういうのも食べなきゃダメかなって思って獲ってきたよ。」
そう言ってシノトが背負っているものを下ろすと、重い音を立てて巨大な魚が地面に転がった。形状だけで言えばマグロに近いそれだが、もちろんここはシノトが生まれた場所とは違う世界だし、第一マグロは川を泳がない。シノトも知らない種類の魚なのだろう。
「うわ、これなんですか?」
「魚だけど。」
木の実を取りに行っていたカレジが戻ると、地面に横たわる魚を見てノスタルジアと同様に驚いていた。見た時の驚き方がよく似ているのを見て、シノトは二人が兄妹であることを改めて実感したが、カレジはノスタルジアとは違ってその魚を興味深げにジロジロと眺めている。
「これって、魚の魔物ですか?」
「同じようなの他にもいたし、そう珍しい種類じゃないと思うけどな。」
シノトはそう言いながらも、川の中で見た光景を少し思い出していた。上数十センチはガラスのように透明な川は、そこから下は煙がかっているかのように急に濁っており、中央に向けて泳いだシノトは底が急に深くなっているのを感じたものだ。濁った水の中は見通しが悪く、シノトがこうして魚を捕まえたのもたまたま偶然魚が突っ込んできてくれたおかげだったが、きっとあの中にはもっと多様な魚が住んでいたことだろう。カレジはシノトの言葉を聞いて渋い顔をした。
「うへえ・・・・・・ノア、並んでみなよ。これお前と同じくらいだぞ多分。」
「何言ってるのお兄ちゃん、お兄ちゃんと同じくらいでしょ?」
「僕のほうが少し大きいだろ。」
何を間違ったのか、いつの間にか会話の論点がずれていた二人はシノトの方を見ていた。シノトも二人の会話を聞いていたため、それが何を意味するのか理解しており、ほぼ変わらないふたりの身長を見比べて笑顔を作る。
「カレジ君は、きっとこれから大きくなるよ。」
「ちょっとおじさん、私は大きくならないって言っているみたいに聞こえるんですけど。」
シノトの言葉に早速突っかかったのはノスタルジアの方だった。ノスタルジアの予想に反した言葉にシノトは一瞬目を白黒させたが、すぐさま平静を取り戻すと落ち着いた声色で訪ねてみる。
「まあ可能性としてはないわけじゃないけど。大きくなりたいの?」
「当然ですよ、だって大きくなったほうが強くなれるじゃないですか。」
そう言えばそうだった、とシノトはノスタルジアの言葉を聞いて思い出していた。血を見るのが好きなこの少女は、この前もそのためだけにシノトから剣の振り方を教わっている。むしろシノトは自分がなぜそんなことを忘れていたのか、不思議になるくらいだった。だが相変わらずシノトは、この目の前の少女の故郷ではありえないような考え方を目の当たりにして苦笑いするしかない。
「・・・・・・まあ、俺も君達が健やかに育つのを祈ってるよ。」
シノトの心境を知らないノスタルジアは、太陽のような笑顔を咲かせて笑っていた。
それは三人が食事を終えたあとだった。シノトが魚の下半分を丸々ワイバーンに食べさせているところ、その視界に川を見てそわそわしているノスタルジアが偶然写る。何やら迷っている様子だったので、シノトはノスタルジアに直接聞こうとその肩を叩くと、最初は驚いたノスタルジアもその意図を察したのか思い切って口を開いていた。
「どうにかして水浴びってできませんか?」
シノトはその言葉に周りを見渡した。水は濁っている場所はあるが、上辺のみなら綺麗なものだから問題はない、体を乾かすのもまだ残り火がある以上質問することではないだろう。そう考えたシノトは、やはりこの平開けた立地が問題かとアタリをつけた。
「遮蔽物か。時間がかかると思うけど、作れないことはないと思うよ。」
「そうじゃなくて、安全性の問題です。おじさんがさっき持ってきたあんなのがたくさんいるのであれば、水浴びは諦めようと思っているのですがどうですか?」
ノスタルジアの言葉を聞いて、それはそうだとシノトも頷いた。自分の丈ほどの魚がうようよしているような場所などおっかなくてとても入りたいとは思わないだろう。
「こっち側は底が浅いから、あまり向こうに行かなければ襲われる心配はないと思うよ。でもいくら向こう側が小さく見えるからって・・・・・・」
「この服を着たまま水に入れば問題はありません。じゃ、見張りをよろしくお願いします。」
そう言うと、ノスタルジアはそのままの格好で川の中へと入っていった。子供が水場で遊ぶさまは微笑ましく、暖かい目で見守るべきなのだがふとシノトはこの数日、ノスタルジアの姿が変わっていないことに気づいた。身長が変わっていないというわけではない、服が変わっていないのだ。ノスタルジアの服は、街を出た時と変わらず貫頭衣のままだった。
「そういえばあの服をずっと着ているっけ。途中で水場を見つけては洗ったりしてたけど、きちんとしたものが必要だよなあ。」
しかし街に入る手段のないシノト達には、今のところ服を手に入れるすべがなかった。
「あ、ノアは水浴びを始めたんですね。お兄さん、僕も行っていいですか?」
「ああ、どうぞ。行っておいで。」
やがて、用を足しに行っていたカレジがもどると彼も水浴びを初めに川の中へとはいっていった。彼もまた貫頭衣のままである。どうにもできないもどかしさを感じながらも、シノトは二人の姿をただぼんやりと眺めていた。
「また考え事してますね。」
それは、シノトにとって突然頭の上から降ってきたような言葉に聞こえた。見ればノスタルジアがただ声をかけてきただけだったのだが、そんなことに気づかずに慌てた自分が面白かったのかシノトは可笑しそうに笑うと、いつの間にか水浴びを終えて出発する用意を整えていた二人とともにその場を後にする。
日ももうすぐで暮れようとする時間帯なのだが、一行はもうしばらく歩き続けるつもりだった。もちろんその理由には道のりがまだまだ遠いことが挙げられるが、そのほかにもワイバーンの状態を確かめるためというものがある。当初は一人で歩いていたワイバーンだが、ここ最近はカレジとノスタルジアを乗せて歩ける距離も増えていた。この調子だと、三人を乗せて飛べるようになるのももうすぐなのだろう。
シノトは隣を歩くワイバーン、その上に乗る兄妹をジッと見つめていたが、なんの前触れもなく唐突に言葉をこぼした。
「カレジ君、ノアさん。平和って、何?」
当然、突然こんなことを言われて面食らわない子供はいない。少し気恥ずかしさにシノトは笑うが、二人の兄妹は何事かとシノトを見つめ返していた。――――――二人はこのままこの言葉をなかったことにもできたのだが、なぜかノスタルジアは真面目に受け応えていた。
「えー、おじさんなんで私たちがこんな服を着ていると思っているんですか?」
そう言ってノスタルジアは貫頭衣の裾をひらひらとさせた。シノトはなんとなく申し訳ない気持ちになったが、ノスタルジアが続けた言葉でそれが別の意味を持っていることだと気づく。
「私達がこうやってこの国を出ようと旅しているのだって、この国で私達は生きていけないからですよ?おじさんもしかして、金人のこと忘れてるんじゃないですか?普通真っ先に思い浮かびそうなものなのに。」
「要は金人が居なくなればいいってこと?」
「やだなあおじさん、私もそこまでは思ってませんよ。でも共存って不可能だと思います、もしかしたらおじさんにはわからないかもしれませんが。」
ノスタルジアは顔こそ笑っていたが、そこに年相応の無邪気さは備わっていなかった。その表情にシノトは若干の痛ましさを感じつつも、どうにもできないためかそれに関しては何も言わず、ただ言葉の意味を噛み締める。
「そんなものかなあ。」
「そうそう、こんなもの拾いましたよ?なんて書いてあるのかわかりませんけど、これおじさんですよね?」
思わずどこから取り出したのか聞きたくなるほど、ノスタルジアの手にはいつの間にか一枚の紙が握られていた。中にはシノトの似顔絵と、その手配理由が書かれている。いわゆる手配書であった。
「手配書か・・・・・・そういえば似顔絵を書かれたことあったような。しかしこれを見る限り、俺が生きてること王様にはバレちゃってるね。」
「こんなものが流れてくるなんて、一体お兄さんなにしたんですか。」
「まあ色々と。」
シノトは当分教えるつもりはなかったが、まだそのときではないとも思っていた。なにせことがこと、話すにしてもまだどれだけかかるかわからない旅の上では迂闊に喋らないほうがいい。シノトはこの時、二人が文字が読めないことに感謝していた。
「そんな顔しなくたって、いつか教えるから。」
不安そうに見つめてくる二組みの視線に気軽に答えるシノト。いつか自分がしたことを聞いた二人どんな顔をするか、そんな恐ろしい未来がいつか来ると知っていながらも、シノトはなぜかそのことについて感情が揺れることはなかった。




