第十九話
「何、ワイバーンが一匹いないとはどういうことだ!」
シノトが街に侵入したその日、ニイド帝国ではそんな怒鳴り声が響いていた。とても女性のものとは思えないその声は、並の者なら思わず萎縮してしまうほどの威圧感があったが、その声が向けられているであろうもう一人の女性は平然としたまま、手に持った書類をめくりあげる。
「何日か前に、それまで大人しかった一匹が急に飛び出していったそうです。魔法を何発か当てたのですが止まらず、そのまま南の方へと・・・・・・」
「怪しいな。騎乗用のワイバーンは、水魔法を当てられれば眠るように調教されているはずだ。大方外していたか、もしくは逃げた後で気づいたかのどちらかだろう?」
そう言うとその女性は座っていた椅子を立ち上がった。荒れた長髪を揺らし、今すぐに証拠を持ってきてやると言わんばかりに、報告を挙げていた女性の脇を通り部屋を出ようとする。だが女性は次の報告を聞いて、ドアに手をかける前にその脚を止めていた。
「私もそう思ったのですが、その逃げ出したワイバーン――――――あの黒髪の勇者がよく乗っていたものらしいですよ。もしかしたらと思って、今その筋に関して調べているところです。」
女性が手を出すと、その手にもう一人の女性から渡された書類が握られる。しばらくその書類に目を通した女性だったが、内容を理解したのか頷くとその書類を元の女性に返していた。
「なるほど、それならば国王様の作った手配書も無駄ではなかったということだ。いいよ、報告ご苦労。あとはあたしに任せておくれ。」
「それではジラ様、今日はこの辺でお暇させていただきます。お疲れ様でした。」
しばらくして、その部屋唯一の扉が閉まる音がした。唯一残った、ジラと呼ばれた女性は休憩のためか椅子に深く座り直す。その目は彼女がよく使う机の後ろ、窓の外に広がる青空に注がれていた。
「・・・・・・いよいよ明日か。」
ジラのひとりごとは、誰かに聞かれる前に静かにかき消えていった。
「・・・・・・ん?あれ、僕は一体・・・・・・。」
カレジはふと体に感じた、船に揺られるような浮遊感に目を覚ました。実はカレジは船に弱くよく酔っていたのだが、心地よく吹く風のせいか不思議と気分が悪くならない。あまりの気持ちよさに、思わずもう一度意識を手放そうとして――――――そこで自分が今夜何をしようとしていたのかを思い出し、意識は一気に覚醒した。
「やっと起きた!お兄ちゃん見てよ、私たちいまお空を飛んでる!」
目の前で背を向けているノスタルジアの声を聞いて、急いで周りを確認しようとカレジが動こうとするとその背後から手が回り、カレジを動かないよう押さえつけてくる。カレジはとっさにその拘束に抵抗しようともがいたが、そこで脇に広がる虚空を見てやっと自分の状況を理解した。明かりのない夜の空がやけに近く見え、心地よい程度の風がかすかに吹き、そして極めつけは足元の遠くにかすかに見える地面。カレジはその瞬間全てを悟って―――――――意識を失ってしまった。落ちるすんでのところで、シノトは傾くカレジの体を支える。
「おっと危ない。高いところ苦手なのか、ノスタルジアさんは大丈夫?」
「平気です!それよりも見ておじさん、お空があんなに近くにあるよ!」
はしゃぐノスタルジアだが、これが本来の姿だとばかりに生き生きとしている。年相応らしい姿を見せた彼女にシノトは安心感を抱いていたが、シノトにはそれとは別に気がかりなことがひとつあった。
「・・・・・・思ったよりも深刻みたいだね。ご苦労様、でも地面に降りるまでもう少し頑張って。」
シノトはそう言うと、乗っていたワイバーンに滑空するように指示を出していた。その目に星空を移すように輝かせていたノスタルジアは、シノトがなにかしたことでワイバーンが翼を動かさなくなったのがわかったのか、あわてて肩ごしにシノトの方を振り向く。
「あれ、降りちゃうんですか?」
「これだけ飛べば追っ手は撒けてると思うからね。それよりもコイツの状態がどうなのか・・・・・・。」
シノトはそう言うと、心配そうに乗っているワイバーンの背をなでていた。
そう、シノトの気がかりは助けに来てくれたワイバーンの状態だった。来てくれたとき、シノトは驚きと喜びで気にもかけなかったが、こうして冷静になって考えてみれば城とレタス村を二日で移動できたワイバーンが、地図上ではもっと短いはずのこの距離に今日までかかったのはおかしなことだ。背中側はワイバーンは基本硬いので、ここから見えない場所に怪我をしているのだろうと判断したシノトは、森の辺にワイバーンを下ろした。
「ノスタルジアさん、カレジ君のことを宜しくね。」
カレジをワイバーンの背から運んで見える場所に移し、ノスタルジアにそばについていてくれるように頼むシノト。ノスタルジアが頷くと、シノトは急いで戻りワイバーンの体を調べ始めた。ワイバーンは大人しくシノトに体をあずけていたので、至る所にある傷の発見は確かに早い。だがシノトは手当をしようにも、ワイバーンの手当の仕方など見当がつくはずがなく、結局何もすることなく歯噛みしていた。
「随分無茶させたようだね・・・・・・助かったよ、ありがとう。しばらくお休み。」
シノトにできるのは、せめて自分のためにはるばるここまで来てくれたワイバーンをねぎらうことだけだった。その後ワイバーンが目を閉じて丸くなるのを確認したシノトは、傷をどうするかは改めて明るくなってから考えることにして、ひとまずあの兄妹の所に戻る。ノスタルジアはちゃんとカレジのそばにいてくれ、それを見てシノトは寝ているカレジをはさんでノスタルジアの横に座り込む。背後に広がるであろう森は真っ暗で、あの時と同じくその奥が見えなかったが今度はちゃんと様々な音が聞こてきていた。
「そういえばおじさん、聞きそびれていたけどあのワイバーンはどうしたの?」
ふいに、ノスタルジアは心細くなったのかシノトに話しかけていた。シノトは正直ノスタルジアがワイバーンを知っていうのが意外で、面食らっていたがすぐに楽しげに言葉を返す。
「ノスタルジアさんはワイバーンを知っているんだね。本で読んだりとか?」
「昔猟に連れて行ってもらった時に教えてもらったんです。」
その言葉を聞いて少し納得しかけていたシノトだったが、思えばノスタルジアもカレジもまだ幼い、少なくとも見た目は若いのだから、それがまた昔というからにはその時はどれだけ幼かったのだろうか。シノトはふとちゆのを思い出し、彼女も妙に大人びていたところから、もしかしてこの世界は見た目と実年齢がそぐわない世界なのだろうかという考えが頭をよぎったが、シェルという大男が二十一歳だということも思い出したことでその考えは否定された。
「昔って・・・・・・一体いくつの時?」
「七歳の時です。」
シノトは一瞬殴られたような衝撃を受けた。ノスタルジアが示した年は、彼の母国で言えばまだ小学生というものでちやほやと育てられる年であり、まして猟など連れて行くには早すぎるのではないだろうか。シノトはこの世界の猟がどんなものかはまだ知らないが、彼がよく知るそれなら相当血なまぐさいものになっているはずだ。当然、シノトはノスタルジアにその歳相応の答えを期待した。
「それで、猟はどうだった?」
「どうって、それは楽しかったに決まってるじゃないですか。大勢で獲物の逃げ場をなくしてですね、罠にかかったところで一気に仕留めるんです。私は遠くから見ていただけだったんですけど、血が飛び散っているところとかすっごく興奮しました。」
絶句、予想外すぎるその答えにシノトは思わず自分が何を言おうとしたのか忘れていた。聞き間違い?それとも何か勘違いをしているのか?シノトは頭を振って昼間見たノスタルジアの顔を懸命に思い出す。よし、そんな事を言うような子供じゃなかったはずだと自分に言い聞かせる。
「でもやってみたいってわけじゃないんでしょ?」
「それはそうですよ、私はまだ体力も力もありませんし。でもいつかやってみたいなとは思ってますよ。だって見てただけでも面白いんですよ、自分でやればもっと面白いに決まってるじゃないですか。」
シノトは傷でも開いたのかと錯覚した。もちろん全快している、冷静になれば体に痛みはない。シノトは往生際悪く続ける。
「でもほら、生き物を殺すわけだよ?そこら辺楽しくないとか思わない?俺が言うのもなんだけど。」
「生き物を殺すのは楽しいですよ、当たり前じゃないですか。じゃなきゃ狩猟が遊びになることはありませんし、私の友達も笑顔で動物に斬りかかるようなことはしませんでしたよ。」
・・・・・・シノトは正直、この世界のことはほとんど知らない。文化も、価値観も、言葉は通じるしなぜだかわかるのだが、出会った殆どの人間を殺してきたうえにそのあとこもりっぱなしだったせいか、そういうものにほとんど触れなかったのだ。だからこそあの小屋に尋ね人がやってきたときは嬉しかったのだが、世界が違えば価値観もこうも変わるのかとシノトは痛感した。日本のまともな人間なら、こんな子供にそんなことを教えるどころか見せることだってしないはずだ。いまノスタルジアが言ったようなことを言ったら、もしかしたら殴る親もいるかもしれない。ただシノトには、そんな彼女にかける言葉を見つけることはできなかった。
「まあその、頑張ってね。」
「おじさんのおかげで修行が組めます。いつか一緒にしましょうね。」
少女の顔は、きっと喜色で満ちているのだろう。まともに横を見れなくなったシノトは、痛む頭を押さえて力なく首を振るしかなかった。
ノスタルジアの方から寝息が聞こえてきた頃、シノトは遠く、何も見えない闇の方をずっと眺めていた。光も届かない・・・・・・というわけではないが、きっとその向こうには広い大地が広がっているのだろう。もしかしたら山かもしれないし、もしかしたら海かもしれないが、シノトにとって今はそんなことはどうでもよかった。
「平和、ねえ。」
シノトは前にも自分で言ってみたことがあったが、今頃になってその言葉の空虚さを実感していた。
シノトは先程まで確かに、平和にするにはどうするかはわかっていなかったが、それでもそれがどんな形なのかははっきりと自信を持って言えるはずだった。だが、それはあくまでこの世界とは違う世界の住人であった彼としての話。この世界にあった平和の形など、わかるわけがなかった。実際、だからこそ先程シノトは、横で眠る少女の言葉に耳を疑ったのだ。
「困ったもんだ。」
シノトはぼそりと呟くと、星の光る空を見上げる。まだ夜は明けそうになかった。




