第十六話
震えるような感覚とともに、シノトは自分の意識が急にはっきりとするのを感じた。まだ朦朧とする視覚には、少しずつ土の壁がはっきり見えてくる。
「・・・・・・ここは。」
シノトが横たわっていたそこは、薄暗い光が差す土壁の横穴だった。シノトは意識をはっきりさせるように、首を横に強く降る。するとそこで初めて、自分の腕が壁につきたっていることに気づいた。よく見ると、そこを中心として壁に亀裂が入っている。
「・・・・・・・・・・」
たしかにシノトの体はとても頑丈だ、特別な武器でなければまるで傷がつかないほどに。それに全身を鎧に包んだ騎士が、二十人掛りでも押さえ込めないほど力もある。だがそんなシノトでも、生き埋めになったときに出てくるまで息が続くという保証もない。息を呑む緊張に包まれながら、シノトはゆっくりと自らの腕を引き抜いていく。まず肘が出てきて、さらに抜いていくと腕全体が徐々にあらわになってくる。
かくして――――――シノトの腕は、無事に壁から引き抜かれていた。長い息がシノトの口から漏れる。だがそんな時もつかの間、壁に入っていた亀裂は一瞬で壁全体――――――いや、その穴を埋め尽くさんとそこらじゅうに広がった。
もはやシノトに選択肢はない、シノトは急いで起きると光の射す方めがけて走り始める。壁を走る亀裂はシノトが走り始めるよりも早く広がり始めたが、シノトはその身体能力で見る見るうちにその差を縮めていく。穴の出口はすぐそこまで迫っていた。
「―――――――はあ、寝起きから災難だなあ。」
シノトは、崩れ落ちた横穴を見ながらため息をついた。先程まで確かに空いていた穴は既にあったのか怪しいくらい綺麗に埋まっている。すこしだけでも元に戻せないかと考えたが、どこから手をつけたらいいのか分からずすぐその思考は放棄された。
「まずいなー、リント君だっけ?年下っぽかったし、謝ればもしかして許してくれないかな?」
なんてことを言ってシノトが穴の周りをうろついていると、そばにあった石の上、そこに何かが入った袋が置いてあった。シノトが近寄ると、それには紙が一枚貼ってあり、シノトはそれが自分宛のものだと理解する。
「俺の名前が書いてあるな。でも勝手に開けるのも――――――。」
シノトはさんざん悩んだが、結局中身が気になったためか袋を開けていた。まず取り出したのは一枚の紙切れだった。
《中のものは差し上げます。お礼はいいですのでどこへでも自由においきなさい。》
紙に書いてある簡素な文を読み終えたシノトは、紙を袋にしまいなおすと今度は袋の中の大半を占めていた布のようなものを取り出していた。簡素な上着とズボンだったが、シノトは自分の身なりを改めて見て、ため息をつく。
「確かに、この服のままじゃいけないか。」
シノトが着ていた服はところどころ切れており、赤黒く変色して見るも耐えない姿に変わっていた。シノトは一瞬裾に手をかけたが、その前に周りを見渡す。目の前を川、後ろを崖に囲まれ、その周りを木々が覆ったようなその場所はいかにも隠れ家といった雰囲気で、見晴らしもよく身を隠すのには都合のいい場所だった。周りをいくら見渡しても人の気配はしなかったため、シノトはその場で着替えを済ませてしまう。
「さて、あとはなにかな?」
簡単な作りに見えた上着とズボンだったが、思いのほか作りが良かったのか肌触りが良かったのか、シノトも自然とすっきりとした顔になる。シノトが袋に残った物を引っ張り出すと、大きな一枚の薄い布とそれに引っ張られて別に一枚の紙が袋から引きずり落ちた。さっきみた紙とはまた違うもののようで、シノトはいったん手に持った布を巻き取ると、その紙を拾う。
「・・・・・・地図かあ、これはありがたいなあ。」
紙を広げてみたシノトは、そこに書かれたものを見て感嘆の声を上げていた。書かれていた地形の情報など、シノトは今までこの世界の地図を見たことがなかったため本来なら分かるわけがなかったが、その地図はシノトがよく知っている元の世界と同じように書かれた地図だったため、シノトはそれが地図だとすぐに理解できた。シノトは早速地図を地面の上に広げてみる。
「今いるところが、この赤丸がついているニイド国領・・・・・・か?地形も似ているし、何もないのに丸が付いているってことはそうなのかな。結構王都から離れてるみたいだ。ふーん、ソーン国ってこんなに遠いのか、これがこの前行ったレタス村で、ここがその前に――――――」
シノトは次々に地図を指でたどっていく。行ったことのある場所、通り過ぎただけの場所、まだ見たことも言ったこともない場所、シノトにとってそれらを地図で改めて確認することは新鮮で、しばらく夢中で地図を眺め続ける。やがてある場所で、シノトはその指を止めていた。
「・・・・・・ガルバレイ王国か。初めて聞く名前だな。」
地図に載っていたのは全部で三つの国だった。北のニイド帝国、南のソーン王国、そして西のガルバレイ王国だ。ここでシノトはリントに言われたことを思い出していた。
「仲間を作るか・・・・・・ニイド帝国では国王に追い出されたばかりだしなあ。ソーン王国はちゆのさんに言われた通りならダメか。ガルバレイ王国、ここに行ってみるか。どうせ行くあてもないし、人間に平和をもたらすって言っても何をすればいいかわからないし。」
そう言うと、シノトは空に口笛を吹いた。しばらくそのまま空を眺めていたシノトだったが、何も起こらないのを確認したのか地図をたたむとその場に立ち上がる。最後に手に巻いていた布を広げると、それがフード付き外套だと理解したシノトはそれを羽織り、空になった袋を肩から下げた。
「王様やシェルさんにはお世話になったんだけどな。あーあ、またいつか行けるといいんだけど。」
日はまだ高く、空は青い。シノトはニイド帝国の首都がその先にあるであろう方向をじっと眺めていたが、目に見えるのは風に吹かれる木々だけであった。やがてシノトは首を振ると、ガルバレイ王国までの旅路につく。シノトは最後に一言だけ、ボソリと独り言をつぶやいていた。
「ちゆのさんとはもっと話したかったな。また会えるよね、きっと。」
シノトはちゆのが前に、信じてくれといったことを覚えていた。だからきっと、あの白から抜け出せていると、そう信じていた。
「おお、大きな街だなあ。行ってみたいんだけどどうなんだろう、やっぱり入ったら怒られるかな?」
シノトがガルバレイ王国に向かって歩き出して数日が経っていた。今小高い丘の上から平原を見渡すシノトには、その中に一つだけ佇む巨大な影が見えている。ニイド帝国はまだまだ抜けていないのでその街も当然金人しかいないのだが、ここ数日小鳥しか眺めていなかったためか、シノトももうそろそろ人恋しくなってきたようだった。
「壁からよじ登ればバレない・・・・・・かな?なるべく騒ぎは起きて欲しくないし、やっぱり髪は見えないようにしないと。フードかぶりっぱなしで俯いていれば大丈夫だよね?」
シノトは不安げにそう言いながらも、街に行く歩を止めることはなかった。




