突然すぎる出会い、良識的な反応
「……三葉さん?」
あまりのことに我を忘れていた私は彼の一言で、現実へと立ち戻った。
「すいませんごめんなさい無理ですさようなら」
そう断って私は格子戸の前に立つ少年を避けるように回り込み、家の中へと駆け込んだ。
え?
なにあれ?
私の名前知ってたんですけど怖い怖い怖い!
玄関の扉に備え付けられたのぞき窓から目をやると、少年はこちらを見上げるようにしていたが、次第に肩を落として、いかにもやってしまったという表情を浮かべつつ頭を抱えて悶絶している。
赤かった頬が見る間に青ざめて。
なんだこいつ情緒不安定か?
とりあえず警察に通報すべきか?
いやしかし、未来ある若者を私のような女の為に潰すのはいいのだろうか?
良いだろう。
卑屈になり過ぎだ、私。
警察に話す際に必要になるであろう不審人物の容姿を確認しようと、再度、覗き見る。
しかし、そこには男の影も形も無く、ただ縁石に数滴の黒いシミが滲んでいるばかりだった。
……泣いていたのだろうか?
ちょっとした罪悪感が沸き―――立たねーわ。
非常識にも程があるだろう。
玄関前での待ち伏せとか、怖すぎる。
私は全部屋の戸締りを確認し、侵入の後が無いかを調べつつ全てのカーテンを閉め切った。
なお、調べてる時に「おい、そこにいるのは分かってんだからな」や「隠れても無駄だぞ。出てこい」などと言うのを責めないでやって欲しい。
ほぼ三十路。
近所の小学生におばさんと言われども、怖いものは怖いのだ。
幸いにも。
不幸中の幸いにも、部屋の中が荒らされた様子は無く、庭先に干していた下着類(色気もへったくれも無いベージュの、BLアニメキャラがあしらわれた、よっれよれ)は無事だった。
というか、それを心配してしまった自分が恥ずかしい。
ふと冷静になってしまう。
こんな下着をさお竹にぶら下げている女に対して、誰が結婚を全体にお付き合いなどしようと思う?
ひょっとして私は聞き間違いでもしたのでは無かろうか?
私が今はまっているアニメ『けぇくんの鎖骨がけしからな過ぎて、俺は今すぐにでもむしゃぶりつきたいよ』略して『けぇむしょ』を見過ぎて、ありもしない幻聴を捉えてしまったのか?
先ほどの玄関で言われた言葉を思い起こす。
「ぼくとけぇくんを絶対にお付き合いさしてください。あのこが好きなんです。三葉さん」
うん。
無いな。
会社帰りでくたびれていたっていうのを差っ引いても、こんな聞き間違いはしないだろう。
二次元と三次元を絡ませること自体は嫌いじゃないんだけどね。
だいたい何で私にアニメキャラへの愛を語るよ。
同人の創作活動など大学時代を卒業して止めてしまった今の私に、ファンなど付かん。
スケブ頼まれたって、前みたいには書けないだろう。
と。
いうことは、だ。
本当に私に告白して来たことになるわけか。
あんな可愛くも男っぽさを秘めた男の子が。
しかも結婚を前提に。
―――にへら。
火にかけたヤカンが、正気に戻れとばかりにけたたましい音を立てる。
いかんいかん。
顔がにやけているぞ、私。
いくら人生初の告白だったとはいえ、会ったことも無い不審者はいかん。
そもそも相手は中学生だ。
淫行条例に引っかかってしまう。
あれ?
いつの間にか私が犯罪者側になってるぞ?
違う違う。
悪いのはあっち。
私は被害者。
さて、どうしたものかと、カップ麺を啜る。
警察に相談しようにも証拠が無い。
昔からお付き合いのあったお隣さんは引っ越してしまっているし、私の玄関先を見ていて下さいとは頼み辛い。
町内会の集まりにも顔を出して無いし、こういう時だけ頼るとかないない。
防犯カメラを設置する?
いやいや、『けぃむしょ』の初回限定版と通常版を買わなければならない私にそんな余裕は無い。
警備会社のCMが頭を過ぎる。
セコむってますか?
セコむってませんし、そんな金など無いと言うに。
なんだかんだと頭を巡らせつつも良い案は浮かばない。
次第に腹が満たされたところで、なんだか落ち着いてしまった。
まあ、若気の至りというか、気の迷いだったのだろう。
ぴっちぴちの男子中学生が。
こーんな非リア充アラサー。
何に魅力を感じると言うのか。
はははは。
言ってて悲しくなるわ!
そんな自分を卑下しつつ、もうこのことを深く考えるのは辞めようと、頭を切り替える為に録り溜めていたアニメを消化することにする。
おかげさまで、眠る頃にはその中学生のことなど気にも留めなくなっていた。
そう。
次の日に、会社から帰ったその時までは。