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神話や童話シリーズ

仮面舞踏会

作者: 深江 碧

 きらびやかな装いや仮面を付けた人々が集まる仮面舞踏会。

 宮廷で執り行われる仮面舞踏会に出るのが彼女の憧れだった。

 母が病気で亡くなってから、父はますます仮面作りの仕事に没頭するようになった。

 冬のクリスマスの夜に宮廷で取り行われる仮面舞踏会は、身分の貴賤に関わらず誰でも参加できる。

 仮面作り職人の父を持ち、国民である彼女も、仮面舞踏会には無論参加できる。

 宮廷の仮面舞踏会に参加する条件は、仮面を付けること。

 そして仮面舞踏会中は決して仮面を外さないこと。

 それが守れるのならば、誰でも舞踏会を楽しむことが出来た。

 宮廷でのワルツや食事を楽しむことが出来た。

「私も仮面舞踏会に参加したいな」

 毎年その時期、仮面舞踏会に参加する人達のために、仮面作りにはげむ父親の前では決して口にしないことだったが、若い彼女はずっとそう思っていた。

 仮面舞踏会に参加する人々を憧れの眼差しで眺め、毎年この時期を過ごしていた。

 ある夜、夕食も食べずに夜遅くまで仮面作り励む父親の背中を見て、彼女は思い立った。

「父親に黙って、こっそり家を抜け出そう。仮面を付けて、宮廷の仮面舞踏会に参加しよう。もしかしたらそこで素敵な人と出会えるかもしれない」

 彼女は母親の形見である仮面を付け、お気に入りのドレスに着替えて、期待を胸に宮廷に向かった。

 宮廷の周囲は仮面を付けた着飾った人々の人だかりが出来ていた。

 彼女は人ごみにもまれ、宮廷の大広間へと通された。

 仮面を付けた彼女は、その天井の高さ、広さ、真昼のようなシャンデリアの輝きに驚いた。

 大広間に並ぶたくさんのテーブルの上には、見たこともない豪華なごちそうが並べられ、壇上の上には仮面を付け、着飾ったオーケストラの人々が楽器を演奏している。

 素晴らしいドレスを着た仮面の人々が大広間のあちこちで談笑し、楽しげにワルツを踊っている。

「すごい」

 彼女の口から思わず感嘆の声が漏れる。

 その華やいだ空気は、彼女が今まで生きてきた中で一度も感じたことの無いものだった。

 彼女は大広間に入り、テーブルのごちそうを食べたり、仮面をつけた人々と踊ったり、時が経つのも忘れて楽しく過ごした。

 そのせいで彼女は気付かなかった。

 仮面を結んだ紐が緩み、ほころびかけているのを。

 彼女が素敵な仮面を付けた男性とワルツを踊っている時だった。

 頭に結びつけてあった仮面の紐が解け、仮面が音を立てて床に落ちた。

 一瞬、大広間が水を打ったように静まり返った。

 彼女は何が起こったのかすぐには理解できなかった。

 仮面を付けた周囲の人々を見回し、自分の顔に手で触れ、ようやく事態を把握する。

『仮面舞踏会中は決して仮面を外さないこと』

 彼女はその決まりを破ってしまったのだ。

 素顔を衆目の前にさらしてしまった彼女は、大広間から大急ぎで逃げ出した。

 彼女の両目から涙があふれ、頬を伝ってこぼれ落ちる。

 さっきまでの華やいだ気持ちが急速にしぼんで、悲しみが胸を支配する。

 あんなに楽しく思っていた仮面舞踏会を、ひどくつまらないもののように感じられる。

「仮面舞踏会なんて、行かなきゃよかった」

 憧れは絶望に変わり、色とりどりの美しい仮面舞踏会の様子は、彼女の記憶の中から急速に色を失っていく。

 灰色の忌まわしい記憶となっていく。

 彼女は涙を流しながら、ほうほうの体で家に帰りついた。

 家では仮面作りに一区切りついた父親が夕食を食べずに待っていた。

「どこへ行っていたんだ? こんな夜に急にいなくなるから心配したんだぞ」

 父親は泣きながら戻って来た娘を、理由も聞かずに家に迎え入れた。

 スープを温めて、一緒に温かい夕食を取った。

 彼女は温めたスープに口を付け、人心地ついた。

 ようやくまともにものを考えることが出来るようになった。

 先ほどまでの冷たい気持ちはまだ胸の奥にわだかまっていたが、仮面舞踏会での失態を父親に話す気にはなれなかった。

 その代わりに、彼女は父親に一つ頼みごとをする。

「お父さん、私に仮面作りの技術を教えて」

 パンを食べながら、父親は驚いた顔をしたが、反対はしなかった。

 大きくうなずく。

「それはいいが、仮面作りは大変だぞ?」

 彼女は湯気の立つスープを木のスプーンでかき回しながら、目を伏せる。

「お父さんの仕事が大変だってことはわかってるわ。ずっと見ていたもの。でも、もう決めたの。私、お父さんの跡を継いで仮面作り職人になるわ」

 彼女にとって仮面を作る仕事が、華やかな仮面舞踏会での失態を埋める機会になるとその時は思ったのだ。

 そしてまだ残る仮面舞踏会への憧れを、彼女は捨てきれなかった。

 出来ることならもう一度、仮面舞踏会へ参加したいと願っていた。

「私、仮面を作りたいの」

 彼女は強い口調できっぱりと言った。

「わかった」

 父親は娘の願いを聞き入れ、彼女を自分の弟子にした。

 次の日から仮面作りの修業が始まった。

 父親の言った通り、仮面作りの仕事は楽ではなかった。

 木の選定、切り出しから始めて、仮面の形に削ったり、色を付けたり、磨いたりする作業を、全部一人でこなさなければならなかった。

 けれど、彼女は音を上げず、文句ひとつこぼすことなく、黙々と修業に励んだ。

 父親の元で仮面作り職人の厳しい修業を始めて何か月か経った頃、家の前の通りに豪華な二頭立ての馬車が止まった。

 そこからきらびやかな服を着た貴族の青年が降りてくる。

「この仮面は、こちらの工房で作られたものですか?」

 貴族の青年は手に、かつて彼女が仮面舞踏会で落とした仮面を持っていた。

 彼女と父親は驚いた。

「確かにそれはうちの工房で作られたものですが」

 亡くなった母親に贈った自分の作った仮面を見て、父親は言いよどむ。

 青年は柔らかく微笑む。

「この仮面はすばらしいものです。来年の仮面舞踏会には、ぜひこの工房で作られた仮面を付けて参加したいのです」

 その青年は彼女が仮面舞踏会でワルツを踊った相手だった。

「妻も、ぜひこちらに仮面を注文したいと言っていました」

 彼女は仮面舞踏会でその青年が素敵だと密かに思っていたため、その言葉を聞いてショックを受けた。

「わかりました」

 父親は仕事を受け、青年はうれしそうに馬車で帰って行った。

 彼女の仮面舞踏会への憧れは、今度こそ粉々に砕け散った。

 次の年のクリスマス、彼女は仮面舞踏会に参加しなかった。

 その次の年も、そのまた次の年も、彼女は行かなかった。

それから彼女はますます仮面作りの仕事に打ち込むようになった。

何かに取りつかれたように仮面作りに励むようになった。

父親が亡くなり、工房を継いだ彼女は、弟子を取り、仮面作りの仕事を一生懸命にこなした。

仮面作りの仕事が高く評価されるようになっても、彼女の心は満たされなかった。

もっと良い仮面を作りたい、という熱い思いが彼女をさらなる技術の向上へと導いた。

それから何十年か経った。

彼女は相変わらず仮面舞踏会に参加する人のために、仮面作りを続けていた。

毎年クリスマスになると彼女の工房では、仮面舞踏会での出来事のことが話題に上った。

「あの仮面舞踏会での出来事がなければ、私の人生は違ったものになったかもしれないわね」

 彼女はクリスマスの仕事をすべてやり終えた後、ホットワインを飲みながら弟子に向かってそうつぶやくのが恒例だった。

 その夜ばかりは、ひと時仕事のことも忘れて、工房中の者たちで飲み明かすのも恒例だった。

「でも、華やかな舞台は私には似合わないわね。仮面を作る地道な作業の方が、私の性には合っているような気がするわ」

 ホットワインを揺らし、彼女はその紅色の液体を口に含んで飲み下した。

 そう話す彼女の瞳は優しげで、表情は和らいでいた。

 若い弟子は熱いココアにふうふうと息を吹きかけながら、師匠である彼女の穏やかな顔を眺めていた。


おわり 


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