24時間以内に観なければ死ぬビデオテープ
あー長いタイトル……(苦笑)。
「コレをお前に託す。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
と、突然、俺は先輩に言われた。そして渡された1本のビデオテープ。ケースにも入っていない、ただの真っ黒なビデオテープだ。
俺の名は、香坂 総一。大学二回生。
ここは、大学のキャンパス内。あと30メートル程行けば、構内から出る事ができる。
映像研究会というサークルに入ってもうすぐ1年になるという俺は、この後すぐにバイトに行かなければならないので、映研には今日は行かないつもりでいた。しかし、さっき映研の先輩に呼び止められてしまった。
先輩とは、仲野先輩。後輩の面倒見もいいし、さわやかで大らかだと言われている。俺はあまり人と話す事は苦手なので、先輩と一対一で話す事などほとんど無かった。
俺なんかに声をかけてくれて、本当にびっくりした。だけど。
「……何です? コレ。何も書かれていない」
呼び止められて、いきなり渡されたビデオテープをひっくり返してみても、何の変哲もない普通のテープだ。何だろう。アダルトな内容なんだろうか。だとしたら……えーっと……。
「それはな。『24時間以内に観なければ死ぬビデオテープ』ってやつだ」
と、先輩は軽いノリでそう言う。俺は「はあ……? えーっと……」と、頭の中で先輩の言葉を理解しようと努めた。だが、言葉がぐるぐると回るばかりだ。
「『観たら死ぬ』んじゃないんですか? 『観なければ死ぬ』は間違いでは?」
俺は、やっとそう聞き返した。
「違う違う。完全にノーだ。『観なきゃ死ぬ』ミナシヌ」
「えーっと……。非常にニュアンスが難しいのでもう一度聞きますが、『観てしまったら死ぬ』もしくは『観なければ助かる』ではなくて、『観ないと死ぬ』もしくは『観たら助かる』と……?」
「ややこしいなぁ。まぁ、そういう事」
先輩は腰に手を当てて、空を見ながら言った。
「え、コレ、観ないと死ぬんですか?」
「そう」
先輩は二ヤッと笑って、俺を見る。
「今、そのテープを受け取った瞬間から、スタート! って事だ」
俺は急いで腕時計を見た。午後4時36分。先輩の手から俺の手へテープが渡された時刻を考えに入れると、だいたい20分頃だったんでないだろうか。そうすると、明日の午後4時20分頃までに、俺はこのテープの内容を観なければならない。
「ひどいすよ、先輩。こんなの、いらないのに……」
「ん? いらない? 返す?」
「え、あの、いや……」
先輩は、意地悪そうに出した手を引っ込める。卑怯だ。観ずに返せるわけないじゃないか。でも、先輩の言った事が本当の話なら、って場合だけど……。
「はっはっはっ。観たら、また別の誰かに渡してくれ。おっと、俺に渡すなよ。じゃあな!」
先輩は先に門の方へ行って去ってしまった。
両手に持った1本のビデオテープ。そして茫然と立ち尽くす俺。
「これからバイトなのに……」
それから問題がもうひとつ。俺の家にビデオデッキが無い。
電車に乗り遅れそうになって、何とかギリギリ、バイト先のコンビニの出勤時間に間に合った。本当は時間があれば、大学に戻って映研の部屋なり視聴覚室なりデッキを借りて観る事ができたわけだが。バイトには昨日、遅刻したばかりで今日も連続で遅刻となるのは避けたかった。
そんなわけで、カバンの中には例のアレが存在するわけだが、どうする。
1 友達の家に行く。
2 親のいる実家に行く。
3 大学に行く。
4 観れる環境にある店を探す。
5 もしくはビデオデッキを買う。
6 いっそ無視する。
……こんなもんだろうか? 後は思いつかない。
ここで 2 なのだが、親の所には確かに古いビデオデッキがあったと記憶しているが、残念な事に今から残り時間22時間以内に実家へ辿り着くのは不可能だ。離島なので。
よって、2 は却下。
そして、3、4、5、は、今からならまだ間に合うかも知れないが、バイト時間が終わると0時を過ぎてしまう。大学も店も明日までは、おあずけだ。よって、3、4、5も今は却下。
と、いうわけで。
1 友達の家に行く。無理矢理に押し入ってでも観る。
6 いっそ、無視して無かった事にする。
に、なるわけだ。よし!
俺はコンビニの店内に、お客も他のバイト店員もいないのを確認し、携帯電話でメールを打ち始めた。メール本文は同じ。「観たいビデオがあるんだ。デッキを貸してほしい。というか、家に寄らせてくれ。頼む」とりあえず仲の良い友人達を、片っ端からメールで送信していった。
バイトが終わる0時過ぎまで、ひとりくらい受け入れてくれるだろう。
……
……現実、人生。そんな甘いもんでなかった。
「ウチ、デッキねえや。ゴメン!」「悪ィ、今、北海道」「明日、早いからまたな。ってかビデオって何。HDDしかねえや」「谷川あやのVならイイヨv」
……「お疲れ」の一文字も無い。俺は、うなだれた。
ありがとう、友人達。死んでからも絶対会いに行くよ。
見事に全滅し行き場のなくなった俺は、「明日、大学へ行って観るか……」と、バイトを終えコンビニを出た。夜空の星が1個だけ見えた。
次の日、講義が始まる前に、映研の部屋に行った。デッキを見た途端ホッとする。
昨夜の夢は最悪だった。長い黒髪の、白い着物を着た女がうつぶせで這いながら井戸から出てきて、俺の真ん前でこう言うのだ。
「なんでビデオなのよおぉ〜〜〜〜〜〜…………」
まったくだ! 俺は、その女に共感した!
しかし、共感したのに首を絞められた。人生、そんな甘いもんでないパート2。
「ん? あれ……。電源がつかない」
徐々に、焦りが出てきた。コードは、繋がっている! なのになんでだ!?
まさかこのタイミングで、ここが停電しているわけではあるまい!?
「畜生! 何でなんだよ!」
俺が、そう叫びながらデッキをガチャガチャと触っていると、背後から声がした。
「それ、壊れているよ。昨日の奴が壊したって」
俺は振り向いて声のした方を見た。映研仲間の倉敷要だった。黒ブチのメガネに坊ちゃん刈り風の頭をしている彼は、俺の顔を見るなり「おわっ……何その悲壮な顔」と、一歩退いた。そんなに絶望的な表情だったのだろうか……。
「フーン。へぇー。先輩が」
倉敷は、俺が訳を話し終わるとそばにあったパイプイスを引き寄せ、イスの背に、もたれかかるようにして座った。「じゃ、えーっと……。あと約6時間後って事か。どうすんの」
俺は「あと6時間」という言葉に敏感に反応した。「どうしよう」
倉敷は考えこむ。
「第一、嘘くさいよな。先輩のタチの悪いジョーク、って事で。そうはならん?」
「だったら どんなにいいか……。俺、もう解放されたい」
「6時間経ったらいいじゃん」
「他人事だと思って! このやろう!」
「怒るなよ! ……そして、泣くなよ……」
「泣いてねえよ!」
実は、目の端に涙が溜まっていた。俺はサッとそれを拭う。
「先生に聞いてみようぜ。まだビデオデッキはどこかで生きてるって。そこまでまだ時代は進んじゃいない。ウチの親父は、まだカセットテープで音楽聴いてるぜ」
先生に聞くと、LLルームにならデッキがあるだろう、という事で。俺はLLルームに向かった。後ろから倉敷も、おもしろがって付いてきた。「俺も関わった以上、観ておいた方がいいだろう?」そんな事を言っている。
まぁ、好きにすればいい。どうせこいつにとっては所詮、他人事のような感覚なんだろう。まさに人の気も知らないで、とはこの事だ。
「LL、って、何の略なんだろうな」
「エロエロ」
俺は軽く倉敷の頭にチョップをかました。
LLルームには、音楽を聴くための機材や楽譜資料がバラバラと置いてあった。整列して並ぶ机とイス。奥にボスらしき機材と、巨大なスクリーン。そして……学生らしき女が、ひとり。
「あの子、誰?」
「本条るい、だ。前、講義で一緒だった事があるぞ」
よく覚えてるなコイツ、と思って倉敷を見た。
本条るい。長い黒髪が腰近くまである。昨日の夢の女がチラついた。あんなにホラーなオーラは出ていないが、「美女」というオーラは出ている。着ている服と変わらない程、肌が白い。
本条るいは俺達に気がつくとすぐ、部屋を出ようとこちらに向かって歩いて来た。俺とすれ違いざま、本条は俺の手に持つビデオテープを見て言った。「そこのデッキ、壊れているみたいよ」
げっ……。そして、ガシャンッ。
俺の手から、テープだけが滑り落ちた。
こうなったら、講義はサボって街へ出かけるか。どこかの電器屋かネットカフェか、レンタルショップでも頼み込んで、観せてもらうか。もうそれしかない。
「付き合うぜ。これぞ友情」
「じゃあ手っ取り早くデッキでも買ってくれよ」
「うーん。今なら安いし買えん事もないよなァ」
「……そうだな」
最悪の場合、それでいくか。たかだか一本のテープに、金を使わせるとは。先輩、少し恨みます。よろしく。
俺と倉敷は電車に乗った。このまま市内へ行くつもりだった。……しかし。この電車は思わぬ方向へと走り出した……という表現は、実際にはそうではなくて。つまり。事態は、思わぬ方向へと走り出した、と言いたいのだ。
電車が、脱線事故を起こした。
俺と倉敷はそれに巻き込まれたのだが、生命に別状もないし、ちょっとひっくり返って腰や肩を打った程度で済んだものの。
気絶していて目を開けたら、何処かの病室のベッドの上にいた。ムクッと上半身を起こし、壁に掛かった時計を見たら、午後3時10分をまわっていた。
(やばい……)
腰と、左手の関節が、ちょっと動かしただけでズキンと痛む。でも、こうしちゃいられない。時間は、迫っているのだ。
(クソッ……。一体何が起こったんだ? 電車に乗って、視界が、何かこう、フワッていう衝撃か感覚みたいなのがあって、それで……。ああもう、今はどうでもいい。それより)
俺は手元から視線を逸らし、辺りをキョロキョロと見渡した。病室のベッドの上で、隣のベッドには倉敷がまだ横になってスヤスヤと寝息をたてていた。
「おい! 倉敷、起きろ!」
俺は怒鳴った。焦りだった。でも奴は目を覚まさない。
ゆっくりとベッドから降りて、倉敷のベッドへ近づくと、区切られた倉敷のスペースのベッドの奥の方に、TVとビデオデッキが置いてあった。「ああ!」
俺は喜びと、嬉しさと、これまでの苦労と心労の解放感とお母さん俺を産んでくれてありがとう的な感謝の気持ちと……とにかく様々な感情が走馬灯のように俺に流れ込んできた。
急いでカバンを探す……まさか、ここまで来てカバンごと紛失なんてオチはないだろうな? と己の不幸を呪いつつ……。
カバンがあった。俺のベッドのすぐそばの棚の上に。中にビデオテープも、ちゃんとあった。
俺は震える指先で、TVとデッキの電源を入れる。そしてテープも、しっかりと入れた。微かにウイ〜ン……と、すごく懐かしいような音を聞く。DVD等が普及するまでは、俺の家でビデオデッキは大活躍していたのだ。よく映画やアニメを録画していたっけ。借りパクされたテープもあったっけかなァ……。
俺はやっと、今ここで、正常に動くビデオデッキに会えた。はっきり言って、苦労した。
やっと。やっとだ。やっと、これで解放される……。時間は刻々と迫っていたが、妙に落ち着いた気分でデッキの『再生』ボタンを押した。
画面の最初から出てきたのは、なんと仲野先輩ひとりだった。
いつもニコニコしているイメージの強かった先輩のはずが、妙に暗い、というよりは無表情だった。実は別人なのではないか、とさえ思う。
「ありがとう。言った通り、観てくれて」先輩の口だけが、そう淡々としていた。
「これを観終わった後、すぐに来て欲しい。場所は大学の第1棟キャンパス屋上」
え? と思った。「おい、倉敷。起きろ」俺の目は画面に釘付けになったままで、すぐ隣で寝ている倉敷に呼びかけた。
「起きろよ! 倉敷!」
少し唸り声を上げ、倉敷は寝返りをうった。「起きろ! 観ろ!」
画面の先輩は笑っていない。
「頼む。来てくれ。でないと、俺は屋上から飛び降りちまう」
……
大学へ戻る途中、救急車のサイレンがどこかで聞こえてゾッとした。もしや間に合わなかったのではないかと、焦りにさらに焦りが加わっていった。
時刻、午後4時15分。大丈夫だ、まだ間に合う! きっと間に合う! 俺は大学内のエレベーターの中で、そうコブシに力を入れて自分に言い聞かせた。
「まさか こういう展開とはな! 予想してなかったぜ」
「ああ。俺、自分が死ぬ事ばかり考えていた」
「確かに、『観ないと死ぬ』ってか。……先輩がな」
先輩。俺達を罠にかけた、理由を教えてくれ。でないと俺、本当にあなたを恨みます。
先輩が指定した、第1棟キャンパスの屋上へ出た。ドアを開けた瞬間に、涼しい外の空気が流れ込んでくる。その中で先輩がひとり、向こうの手すりのそばに立っていた。
この、俺達が入ってきたドアからあそこの手すりにまで、数十メートルある。俺はまず、叫んだ。
「先輩!」
風の音が邪魔している気がしたが、届いただろうか。先輩が振り向かなかったので、もう一度呼んだ。「仲野先輩! 俺です! 香坂です! 助けに来ました!」
つい勢いで「助けに……」と言ってしまった。しばらく沈黙した。
先輩は ゆっくり振り向くと、少し眉をひそめ口元をニヤつかせた。「助ける? お前が、俺を?」そう言ってハッ! と息を吐いて笑った。
「残念だけど、もう午後4時30分。タイムオーバーでゲームオーバーだったんだぜ?」
「これはゲームなんかじゃない。だから生きているんだ。それか、先輩の時計が狂ってる」
俺は先輩の左手に光る腕時計を指さした。我ながら良い事を言ったと思った。
「俺の負けだ。香坂。理由を話そう」
先輩の顔は少し明るく、俺に笑いかけた。
「女にフラレたんだ。そんで、就職の面接も落ちた。ダブルなショックで死にたくなった。ただ、死ぬ前に後輩のひとりでもからかってやろうと思って、あんなテープを作った。それだけ。……フラレた。落ちた。……たった、それだけだったんだ!」……
俺に笑いかけたのが最後の精一杯の先輩の「意地」だったのだろうか。……後はもう、ドロドロだった。俺の目の前にいるのは、小さくなってうずくまった、ひとりの男の姿だった。
「なーんだ。本条るいにフラレたんですか! あの女、美人だけどハードルが高いっていうか。気にする事ないですよ。女なら、いくらでも紹介しますから。今度、一緒に合コン行きましょう♪」
完全に脱力しきっていた仲野先輩を強引に引っ張ってきて、俺と3人で大学近くの居酒屋へ入った。残念ながら俺はあまり酒は飲めないので、つまみの真イカ料理を食べるのに集中していた。一応、しゃべりまくる倉敷と、落ち込みつつも段々と倉敷のペースに飲み込まれていっている仲野先輩のやりとりは、視界に入っている。
くやしいが、倉敷のノリに任せよう。俺では力が足りない気がするからだ。
「決死の告白だったんだけどなァ……。『すみませんけど。お断りです』って、ああもハッキリ言われちゃあな……。んで、絶対受かると思っていた面接がパア……。高く、鼻くくっていたバチかな……」
「ま、人生そんな甘いもんでないって事です」
倉敷は そう言ってどんどん先輩の空になったジョッキに、ビールをついでいく。俺は倉敷のその言葉に、ウンウンと頷いた。
「でも、楽しいでないですか♪ それはそれで。思い通りにならないならば、なるようにするんです」
倉敷は倉敷なりの、考え方があるようだ。俺は少し感心した。
「お前、強い奴だな。気楽、ちゅうか」
「強くないですよ。腕相撲してみたら分かります。しましょうか? しましょう」
倉敷にのせられて、なぜか腕相撲大会が始まる。結局、勝ったのは先輩だった。すっかり酔っ払って出来上がった2人を置いて、俺は居酒屋を先に出る。ほとんど、つまみばかりで酒は入っていないが何だか酔っ払った時のように気分は良かった。
「思い通りにならなければ、なるようにする……か」
なぜか、本条るいの姿が脳裏に浮かんだ。ダメもとで、アタックしてみようかと思えてきた。
……まあ、今のままでは成功率0%だろうけど。
《END》